メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇002●柴咲コウの目①

強烈すぎます。大きすぎます。だから印象に残りすぎます(笑)。
僕がこの映画で最も印象に残ったのは、柴咲コウの目でした。
あの目は・・・ブラックホールです。なんでも吸い込んでしまうかのような吸引力。そして、ギラギラした生命力を感じさせます。
この映画で彼女は地味なOL役をやるために「メイクダウン」(スッピンで撮影に臨むこと)をしたそうですが、あの目を変えることはできませんでした(←あたりまえだっ!)
ジメジメと陰鬱な職場で働いている、「くすぶったOL」をどんなに演出してみても、なにかを求めて常に黒光りをしているあの目のエネルギーを衰えさせることは不可能でした。それどころか、目の存在感ばかりがかえって浮き立っているようにも感じられました。
攻撃性を秘めた目
その妙な「浮きかた」は、この映画の主人公には適していたと言えるでしょう。
ゲイを父に持った不幸。
平穏な家庭生活を味わえず、母はすでに死んでしまった。
ねじれた思いをジメジメと鬱積させたまま、ただ過ぎ行く日常。
そこへオダギリジョーが来て、「メゾン・ド・ヒミコ」でのアルバイトに誘われます。
「ヒミコ」の館主は彼女の父。母を捨てて男に走った憎むべき父なのです。
しかもオダギリは父の恋人・・・。こう書いてみると彼女の複雑な心情はいかばかりかと、複雑な思いにふけってしまいます。
でも彼女は「メゾン・ド・ヒミコ」に行くのです。
それは、母親が亡くなるまでの入院費を捻出した際の、借金を返すためという現実的な理由も絡んでいます。
・・・家族を捨てた父。母を苦しめた父への積年のわだかまりから来る攻撃性を胸に秘め、未清算の過去と対決するべく、彼女は非日常へと足を踏み入れるのです。
この映画は、そんな彼女が「フツーに生きてるゲイ」という未知の人間たちと遭遇し、出会って行くことが物語の軸になっています。
彼女の目と観客の目の一致する瞬間

館の前に立ったとき、隣家の老女から彼女はいきなり好奇な視線を浴びせられます。それは彼女に対してではなく、「ゲイ」という存在に対して無意識のうちに人々が浴びせている視線を代表しています。
未知のものへの畏怖。未知から来る偏見。
その視線は彼女の中の不穏な気持ちを、少しばかり加速させたかもしれません。そして、観客の視線も。
「メゾン・ド・ヒミコ」を訪れる瞬間。
柴咲コウの目と観客の目はほぼ一致します。
彼女の大きな目がカメラとなって、我々に未知への出会いをもたらします。
この場面はゲイの観客にとっては、「どういう風に描かれるんだろう」という期待と不安を抱かせるでしょう。そしてゲイを知らない観客にとっては、未知のものへの無邪気な好奇心を喚起させるのではないでしょうか。
柴咲コウの目はちょっとオドオドしながらも、しっかりと見開いたままで新しい世界を捉えます。そして出会うのは・・・自分と同じように鬱積されたエネルギーをたくさん溜め込んだ、不器用に生きている人間達でした。
次回は・・・柴咲コウの目②です。
☆この連載では、映画の役名と俳優の芸名のうち、読者がイメージしやすいと思われる呼称を優先的に使用しています。その際に「敬称」は略させていただく場合があります。
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水木荘也「わたし達はこんなに働いている」●MOVIEレビュー

『戦後60年 日本映画のたどった道
ショートフィルムの60年』
という企画上映に通ってこれらの作品を見ている。とても吟味されたプログラム構成が素晴らしい。(選定者:大久保正氏・・・社団法人映像文化製作者連盟)
しか~しっ!
連日、客席には一ケタの観客しかいないというのはど~いうこっちゃ(怒)。 「上海」 を観た時などは客席に僕一人だったし。僕が見に行かなかったら、あの上映はなかったと言うことか・・・?
「或る保母の記録」のスタッフが、こんなものを作らざるを得なかった悲劇
あれほど豊かで人間性に満ちた名作を作ることの出来たスタッフたちが、2年後にはバリバリの国策映画に手を染めざるを得なかったことを知り、ショックを受けた。
「わたし達はこんなに働いている」とても同じ人たちが作ったとは思えない。この映画は戦意高揚映画そのものだからである。
構成:厚木たか/監督:水木荘也
1945年、朝日映画社、18分
絶望へとひた走る姿を、図らずも刻印

10代の若い乙女たちが、ものすごいテンションで布を裁断し、すさまじい早業でミシン掛けをする様子が勇ましく描かれる。
流れ作業で「きびきび」と、背筋を伸ばして規則正しく。そこに映っているのは人間ではない。機械と化した奴隷である。
「私たちがこんなに働いているのに、なぜサイパン島では玉砕してしまったのだろう」

「なぜサイパンは玉砕したの?」
↓
「私たちの頑張りが足りなかったから」
↓
「戦地の兵隊さんと同じように、私たちもここで、命がけで働いて戦いに参加するべきなのよっ!」
・・・こういう思考パターンである。
そして、まだまだ自己犠牲が足りないからもっと身を挺してお国に奉仕しなさいというマインドコントロールが実行されて行く。
サイパン島の玉砕は1944年のことであり、「戦勝報道」一色の中にいた人々に大きなショックを与えた出来事。しかし政府情報局はそれすらも逆手に取り、更なる「挺身」を国民に強いたのである。なんというしたたかさ。
敗色の濃くなった戦局を乗り切るには、あとは精神力だけ。観客の情に訴え、さらなる頑張りを喚起させようとする自虐精神。・・・こんなキャンペーンを政府が行なわなければならなかった時点ですでに末期症状だと言えるだろう。
今の視点から見ると「マジかよ・・・」という寒気とともに、失礼ながら思わず苦笑してしまうほどの異常なテンションに満ちている。そんなあの時代の空気が記録されているという点では、とても重要な映画ではある。
真面目すぎる・・・

絶対的な正義を強いられる環境の下では、いつの間にか人間性よりも「正義という大義の保持」こそが優先されるようになる。オウム真理教事件を、我々は笑えないのである。
人間性よりも生産性が重視されていたあの時代。人間は完全に機械の一部になるしかなかった。破滅への予感を誰もが感じていながら「頑張ればなんとかなる」と神風の奇跡を信じ、国中が血走っていた。その悲壮感が見事に記録された貴重な映画である。
ただのプロパガンダ生産者に堕した映画人

作業の合間に見せる彼女たちのあくびや、工程を間違って照れ笑いする様子。終業の時間に帰宅する解放された生き生きした表情などを巧みに盛り込んだに違いない。
いくら彼女達が真面目さを強いられる環境にあったとしても、四六時中、目を血走らせていたわけではないはずだ。そこを掬いとって人間というものを多面的に捉えるのが、本来のドキュメンタリー映画である。世界を捉えて描き出すというのは、そういうことであるはずなのだ。
しかし1944年の時点では、亀井氏は治安維持法で逮捕され獄中にあった。映画製作者たちが生活するためには、国策に従った作品を真面目に作るしかなかった。結果、国威発揚のためのプロパガンダ映画を量産し、国民を破滅へと導くのに大きな役割を果たしてしまった。
そのことの悲劇を思う。
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☆本文中の画像は、この映画のものではありません。