言って。早く言って。

香水変えたんだから
髪も切ってきたんだから
メイクもキメて来たんだから
マニキュア凝ってるんだから
エステも行ってるんだから
いっぱい磨いてるんだから
甘いもの食べるの我慢して
こんなに着飾ってるんだから
ねえ
あたしがこんなにしてんのは
誰のためだと思ってんの?
言って。
早く言って。
「きれいだ」って言って。
言ってくれなきゃあたし
生きてるって思えない
恋人記事
●言ってる。いつも言ってる。
姉妹記事
●イケてる?ねえイケてる?
→FC2 同性愛Blog Ranking
スポンサーサイト
言ってる。いつも言ってる。

香水いい感じだよ
髪もすぐ気付いたよ
メイクもかわいいね
マニキュア色っぽいね
エステ、高くないの?
磨かなくても充分綺麗だよ
甘いもの食べても
食べなくても充分かわいいから
ねえ
俺がこんなに思ってんのは
誰のためだと思ってんの?
言ってる。
いつも身体で
あんなに言ってるはずなのに。
こと細かに全部言われなきゃ
生きてるって思えないの?
恋人記事
●言って。早く言って。
兄弟記事
●イケてる?ねえイケてる?
→FC2 同性愛Blog Ranking
三島由紀夫とつきあってみる。004● 「卒塔婆小町」体験記③

お互いに異性としての色気をまったく感じないままに、絶世の美男と美女を演じなくてはならない。
・・・はっきり言ってかなり無理があったのだが、若さの勢いでなんとかしようと、二人は懸命に頑張った(笑)。稽古量では他のどのチームにも負けはしなかっただろう。
ただ残念なことに、量を積めば深い演技ができるかというと、世の中そうは単純ではない。
演技よりも先に、「どう生きているか」。
その時点で勝負は決まっているのである。
脚本の中の詩人は、老婆と恋愛談義をしているうちに、いつの間にか自分がまるで深草少将のような気がしてきてしまう。そして老婆のことを、絶世の美女・小町だと錯覚し始める。
老婆の言葉の魅力か、それとも何かの因縁か。詩人は、まるでなにかが乗り移ったかのように突然、老婆に恋をしてしまうのだ。(能の世界では、突然幽霊が乗り移ることは日常茶飯事です・・・笑)。
恋する者にとっては「あばたもえくぼ」。恋の熱病に侵された詩人には、99歳の老婆の顔中に刻まれた皺が目に入らなくなるのだ。そして、興奮した勢いで老婆の事を「美しい」と言いたくなる。
しかしそれは禁断の言葉。
老婆が言うには、彼女のことを「美しい」と口にした男は、今までみんな死んでしまったというのだ。

自分の巧みな弁舌と魔力で詩人をこんな風にしておきながら「いけませんわ。」だの「私を美しいと言ったら、あなたは死ぬ。」だの、もったいぶった言葉を吐き、ますます詩人にその言葉を言わせようとしているかのよう。
若くて恋愛に異常なまでの幻想を抱いている詩人は、その気持ちを抑えることが出来ない。気持ちが高ぶるがままに、ついに老婆に禁断の言葉を口にしてしまう。
「小町、君は美しい。世界中でいちばん美しい。
一万年たったって、君の美しさは衰えやしない。」
すると途端に詩人の全身からは血の気が引き、思いを遂げられずに力尽きて死んでしまう。
・・・なんとも三島由紀夫らしい展開ではないか(笑)。
これって、わかりやすく言ってしまえばセックスのことが象徴されているのだと思う。
女は男に愛されたいがために、ありとあらゆる手段で男を誘う。
男は女のセックスアピールに興奮し、自分の思いを遂げたくなる。
そして男は、思いを遂げた途端に死んでしまう。
そこに至るまでの過程がたくさんの言葉で埋め尽くされているかのような戯曲。
もちろん他にも色々な意味が込められた内容ではあるのだが、演技をするために解釈する際には、登場人物の心理を単純化してしまった方が身体に馴染みやすいのだ。

演出家にも言われた。
「もっと自分達なりに面白がれる言葉を発見し、楽しんでごらん。演技というのは、演じるもの同士がどれだけ、自分達なりのルールを構築して遊べるかということだよ。」
考えてみたら三島由紀夫だって、彼なりに不思議な文体を構築し、能の謡曲を翻案するというルールのもとで自分なりの恋愛観や世界観を戯曲に込めて遊んでいるのだ。台詞自体がすでにフツーの言葉ではないのだから、演じる者もいろんな意味で「越境」してしまっていいのである。遊んでしまえばいいのである。
同じワークショップの仲間には、まさに自分なりの「お遊び」を見つけ出して楽しんでいるかのような、スリリングで魅力的な場面を演じている実力者がたくさんいた。その面では僕ら『卒塔婆小町』組は完敗だったわけだが(笑)、他の実力者達の演技を、溜息とともに憧れの眼差しでたくさん見つめ、学ばせてもらった。
味のある演技を見せてくれたのはやはり年配の人たちだった。
人生を観念ではなく、実体験として積んできたからこそ演技の上でも遊ぶ余裕が生れる。
普段話していて滲み出てくる人間性がそのまま舞台での演技からも自然に滲み出てくるのだから圧巻である。かなわない。

打ち上げの飲み会で、彼女が僕にこんなことを口にした。とても納得できる言葉だったので、二人でおもいっきり笑いあった。それは三島由紀夫がこの戯曲に込めた世界観と、ある意味共通している言葉でもあった。
ただし、演技が未熟だったのは「若さ」のせいだけではなく、「異性」への感情の高ぶりを表現できない僕のせいであったことも事実。まだ童貞だったし(笑)。
人生経験は、やはり出てしまうのである。
★次回は、戯曲『卒塔婆小町』に込められた三島由紀夫の「男女観」と「死生観」について、もう少し詳しく考えてみようと思います。
→FC2 同性愛Blog Ranking