亀井文夫「支那事変後方記録 上海」●MOVIEレビュー
戦争を「茶化す」
映像というものは言葉ではない。
言葉以上に多くのものを観客に喚起させ、想像力を刺激する。
この映画は戦意高揚の目的で企画されたはずなのに、カメラマンと編集者の巧妙な知恵により、結果的に戦争を冷静に批判することに成功した稀有な作品である。しかも予想を上回る大ヒット。
かつての日本にはこういう気骨のある映画人がいたということを、ちゃんと確認しておきたい。
1937年、中国で第二次上海事変が勃発。
それから1945年の終戦まで、日本と中国との大規模な戦闘状態が続くことになった。
この映画は事変の翌年1938年にカメラマンの三木茂が現地へ赴き撮影。編集は当時30歳の亀井文夫。
翌年には有名な「戦ふ兵隊」(1939年)という厭戦気分をさらに増した傑作を作るのだが、今度は検閲に引っかかり治安維持法で逮捕・投獄されてしまう。映画人で当時投獄されたのは彼しかいない。沈黙するか、戦意高揚映画を作るかしか選択肢のない時代に、彼は作りたいものを作り続ける姿勢を貫いたと言えるだろう。
そんな彼ならではの豊かな諧謔精神に満ちた映画である。
戦時下に、当たり前の視点を保ち続けた勇気
なにが豊かなのかといえば、世界観が豊かなのである。単純ではないのである。
おそらく彼は、なにものに対しても距離が保てる性格の持ち主だったのだろう。言い換えれば、周りがどんなに熱狂しても常に「冷静で普通な視点」を保ち、物事を斜めから見つめることのできる人だったのだろうと思う。あの時代において、その視点を維持しながら映画を創り続けることは自殺行為に等しい。しかし彼は実行していた。なぜ、それが出来たのだろう。
検閲を切り抜けた知恵
当時、映画はすべて「映画法」によって検閲を受け、大日本帝国の国策に合わないものや批判的な表現が含まれているとみなされた場合は上映が不可能だった。
しかし、その検閲には抜け道があった。
検閲官は主に「言葉」によって検閲する。シナリオに書かれたト書きや、登場人物が話す「言葉」。字幕やナレーションで提示される「言葉」をもってしか、彼らは検閲できない。そのことを鋭敏に察知していた亀井文夫は、ナレーションや登場人物の話す言葉には「戦意高揚」的な文言を使うけれども、同時に映像表現でそれを裏切ってみせたのだ。
頭が悪く、物事を単純に文字通りにしか受け取れない検閲官は、そのことに気が付かない。
結果、この映画は見事に検閲を通過し上映され、大ヒットを記録することが出来たのである。
むろん当時の観客のうちどれだけの人が、この映画の諧謔精神を読み取っていたのかはわからない。多くの人が、映される実写フィルムの中に家族や知人が映っている事を願い、切実な思いを抱えて映画館に足を運んだという。
そりゃそうだ。今と違ってテレビはないし、新聞やラジオは勇ましい大局的な「戦勝」ばかりを知らせ続ける。「肉親の消息」という、フツーの人々がいちばん知りたい情報を知らせてくれるメディアは無かったのである。
だから当時は、劇映画と併映されるニュース映画やこうした「文化映画」(当時の呼称)が実用的な意味で支持された。しかも、ただ勇ましく戦果を喧伝するだけの凡庸な「文化映画」とは一線を画したこの映画の登場が大反響を巻き起こしたという事実は、とても健全な出来事であったと思う。
映像は言葉を裏切る
カメラマンの三木茂は、戦争の最前線ではなく、すでに戦い終わった部隊が駐留し続けている「後方」に取材をした。結果として、激しい戦闘によって破壊し尽くされた町の瓦礫を多く撮影することになる。彼としても意識的に、現地のありのままをフィルムに収めたのであろう。
兵士たちもたくさん登場するが、すでに戦闘の緊張感からは解放されているので全然勇ましく感じられない。軍服姿で椅子に座り「いやぁ~、あの時の戦闘は勇ましかったなぁ~」などと語ってはいるのだが、まるでそのへんのおっちゃんが世間話をしているかのような雰囲気(笑)。
画面から感じられることは、現地のゆったりと流れる時間と、彼らのリラックスした日常。語っている内容など、どうでもいいのである。「映像」として、言葉よりももっと深く豊かな、彼らのそのままの人間性を映しとることに成功している秀逸な場面である。
NGカットの人間らしさ
日本人女性が、死亡した兵士の手記を朗読する場面も出てくる。
彼女は勇ましい言葉を朗々と読み上げているのだが、ここでも見事に映像が言葉を裏切っている。彼女の読んでいる言葉の内容よりも、その読み方のぎこちなや、緊張で上ずった声の震え、カメラを前にした恥じらいの仕草、文字を読み間違って言い淀んだ照れた様子など・・・些細などうでも良いことの方が魅力的なので、どうしても観客としてはそちらに目が奪われてしまうのだ。
普通だったらNGカットとして捨ててしまうだろうそうした場面を、亀井文夫は編集であえて残している。彼のその戦略が見事に功を奏し、この映画は戦意高揚映画の体裁を整えながらも、それを裏切ってしまう豊かな表現を獲得したのだ。・・・いやはや、恐れ入った。
日本語で「唄わされている」子どもの複雑な表情
映画は終盤になって、現地の中国の人たちを映し出す。彼らは日本軍の兵士に素直に従っているかの様子で画面に登場する。
子どもたちが日本語で日本の童謡を歌っている場面があった。半数の子はカメラ目線で唄っているのだが、どうも画面の下半分で座っている子どもたちの視線が、カメラの下を泳いでいる。いわゆる「カンぺ」(文字の書かれたカンニングペーパー)を見ながら唄っているのだろう。
すぐに画面を切り替えてしまえば気が付かないのだが、この場面は妙に長く使用されているものだから、「カンペ」とカメラの両方にチラチラと視線を移動させている子どもたちの不安げな心情までが、観客には読み取れてしまうのだ。子どもの表情というものは正直である。
ラストの犬に込められた攻撃性
ラストカットでドキッとした。
彼がものすごい皮肉を込めたのではないかと感じられたからだ。
立っている軍人の足の部分と、鎖につながれ足下に寄り添う犬。
ほんの数秒しかないこのカットから、僕は亀井文夫が込めたメッセージを読み取った。
なぜならその犬は、従順に主人に従っているのかと思いきや、不敵な様子で急にプイッとそっぽを向いてしまうのだ。その途端に「終」の文字が現れ、映画はあっけなく終わって行く。
しかもその直前のカットまでは、いわゆる「意味のあるカット」の連続だったのに、いきなりこうした「何の変哲も無いイメージショット」が出てくるので、よけいに観客としては不意を突かれる。印象深く感じられるように巧妙に計算された上で、ラストに配置されているとしか思えない。
したたかな映画人魂
通常、映画のファースト・カットとラスト・カットというものは、映画全体を象徴してしまう位に大切な意味合いを持っているものである。ソビエト留学で映画のモンタージュを学んだ亀井文夫がそのことに無自覚であるわけがない。
ここから先は僕の勝手な「推理」。
彼は、このカットの軍人には「日本軍」を。足下の犬には「中国の民衆」を象徴させたかったのではなかろうか。
鎖につながれ、一見従順に主人に従っているようでいながらも、したたかさなたくましさを感じさせる犬のイメージ。彼が感じた中国の民衆の姿がそこに投影されているように思われてならなかった。
最後の最後でまた、亀井文夫のしたたかさに恐れ入ったのである。

「日本短編映画のたどった道 ショートフィルムの60年」
9/19(月)16:30・9/24(土)16:30
9/26(月)15:00・9/29(木)20:00
10/8(土)16:30・10/10(月)15:00
10/13(木)20:00
●→DVDが発売されています。
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言葉以上に多くのものを観客に喚起させ、想像力を刺激する。
この映画は戦意高揚の目的で企画されたはずなのに、カメラマンと編集者の巧妙な知恵により、結果的に戦争を冷静に批判することに成功した稀有な作品である。しかも予想を上回る大ヒット。
かつての日本にはこういう気骨のある映画人がいたということを、ちゃんと確認しておきたい。
1937年、中国で第二次上海事変が勃発。
それから1945年の終戦まで、日本と中国との大規模な戦闘状態が続くことになった。
この映画は事変の翌年1938年にカメラマンの三木茂が現地へ赴き撮影。編集は当時30歳の亀井文夫。
翌年には有名な「戦ふ兵隊」(1939年)という厭戦気分をさらに増した傑作を作るのだが、今度は検閲に引っかかり治安維持法で逮捕・投獄されてしまう。映画人で当時投獄されたのは彼しかいない。沈黙するか、戦意高揚映画を作るかしか選択肢のない時代に、彼は作りたいものを作り続ける姿勢を貫いたと言えるだろう。
そんな彼ならではの豊かな諧謔精神に満ちた映画である。
戦時下に、当たり前の視点を保ち続けた勇気
なにが豊かなのかといえば、世界観が豊かなのである。単純ではないのである。
おそらく彼は、なにものに対しても距離が保てる性格の持ち主だったのだろう。言い換えれば、周りがどんなに熱狂しても常に「冷静で普通な視点」を保ち、物事を斜めから見つめることのできる人だったのだろうと思う。あの時代において、その視点を維持しながら映画を創り続けることは自殺行為に等しい。しかし彼は実行していた。なぜ、それが出来たのだろう。
検閲を切り抜けた知恵

しかし、その検閲には抜け道があった。
検閲官は主に「言葉」によって検閲する。シナリオに書かれたト書きや、登場人物が話す「言葉」。字幕やナレーションで提示される「言葉」をもってしか、彼らは検閲できない。そのことを鋭敏に察知していた亀井文夫は、ナレーションや登場人物の話す言葉には「戦意高揚」的な文言を使うけれども、同時に映像表現でそれを裏切ってみせたのだ。
頭が悪く、物事を単純に文字通りにしか受け取れない検閲官は、そのことに気が付かない。
結果、この映画は見事に検閲を通過し上映され、大ヒットを記録することが出来たのである。
むろん当時の観客のうちどれだけの人が、この映画の諧謔精神を読み取っていたのかはわからない。多くの人が、映される実写フィルムの中に家族や知人が映っている事を願い、切実な思いを抱えて映画館に足を運んだという。
そりゃそうだ。今と違ってテレビはないし、新聞やラジオは勇ましい大局的な「戦勝」ばかりを知らせ続ける。「肉親の消息」という、フツーの人々がいちばん知りたい情報を知らせてくれるメディアは無かったのである。
だから当時は、劇映画と併映されるニュース映画やこうした「文化映画」(当時の呼称)が実用的な意味で支持された。しかも、ただ勇ましく戦果を喧伝するだけの凡庸な「文化映画」とは一線を画したこの映画の登場が大反響を巻き起こしたという事実は、とても健全な出来事であったと思う。
映像は言葉を裏切る

兵士たちもたくさん登場するが、すでに戦闘の緊張感からは解放されているので全然勇ましく感じられない。軍服姿で椅子に座り「いやぁ~、あの時の戦闘は勇ましかったなぁ~」などと語ってはいるのだが、まるでそのへんのおっちゃんが世間話をしているかのような雰囲気(笑)。
画面から感じられることは、現地のゆったりと流れる時間と、彼らのリラックスした日常。語っている内容など、どうでもいいのである。「映像」として、言葉よりももっと深く豊かな、彼らのそのままの人間性を映しとることに成功している秀逸な場面である。
NGカットの人間らしさ
日本人女性が、死亡した兵士の手記を朗読する場面も出てくる。
彼女は勇ましい言葉を朗々と読み上げているのだが、ここでも見事に映像が言葉を裏切っている。彼女の読んでいる言葉の内容よりも、その読み方のぎこちなや、緊張で上ずった声の震え、カメラを前にした恥じらいの仕草、文字を読み間違って言い淀んだ照れた様子など・・・些細などうでも良いことの方が魅力的なので、どうしても観客としてはそちらに目が奪われてしまうのだ。
普通だったらNGカットとして捨ててしまうだろうそうした場面を、亀井文夫は編集であえて残している。彼のその戦略が見事に功を奏し、この映画は戦意高揚映画の体裁を整えながらも、それを裏切ってしまう豊かな表現を獲得したのだ。・・・いやはや、恐れ入った。
日本語で「唄わされている」子どもの複雑な表情
映画は終盤になって、現地の中国の人たちを映し出す。彼らは日本軍の兵士に素直に従っているかの様子で画面に登場する。
子どもたちが日本語で日本の童謡を歌っている場面があった。半数の子はカメラ目線で唄っているのだが、どうも画面の下半分で座っている子どもたちの視線が、カメラの下を泳いでいる。いわゆる「カンぺ」(文字の書かれたカンニングペーパー)を見ながら唄っているのだろう。
すぐに画面を切り替えてしまえば気が付かないのだが、この場面は妙に長く使用されているものだから、「カンペ」とカメラの両方にチラチラと視線を移動させている子どもたちの不安げな心情までが、観客には読み取れてしまうのだ。子どもの表情というものは正直である。
ラストの犬に込められた攻撃性
ラストカットでドキッとした。
彼がものすごい皮肉を込めたのではないかと感じられたからだ。
立っている軍人の足の部分と、鎖につながれ足下に寄り添う犬。
ほんの数秒しかないこのカットから、僕は亀井文夫が込めたメッセージを読み取った。
なぜならその犬は、従順に主人に従っているのかと思いきや、不敵な様子で急にプイッとそっぽを向いてしまうのだ。その途端に「終」の文字が現れ、映画はあっけなく終わって行く。
しかもその直前のカットまでは、いわゆる「意味のあるカット」の連続だったのに、いきなりこうした「何の変哲も無いイメージショット」が出てくるので、よけいに観客としては不意を突かれる。印象深く感じられるように巧妙に計算された上で、ラストに配置されているとしか思えない。
したたかな映画人魂
通常、映画のファースト・カットとラスト・カットというものは、映画全体を象徴してしまう位に大切な意味合いを持っているものである。ソビエト留学で映画のモンタージュを学んだ亀井文夫がそのことに無自覚であるわけがない。
ここから先は僕の勝手な「推理」。
彼は、このカットの軍人には「日本軍」を。足下の犬には「中国の民衆」を象徴させたかったのではなかろうか。
鎖につながれ、一見従順に主人に従っているようでいながらも、したたかさなたくましさを感じさせる犬のイメージ。彼が感じた中国の民衆の姿がそこに投影されているように思われてならなかった。
最後の最後でまた、亀井文夫のしたたかさに恐れ入ったのである。

「支那事変後方記録 上海」●下北沢TOLLYWOODでの上映予定
1938年、東宝文化映画部、77分
監督:亀井文夫
撮影:三木茂
「日本短編映画のたどった道 ショートフィルムの60年」
9/19(月)16:30・9/24(土)16:30
9/26(月)15:00・9/29(木)20:00
10/8(土)16:30・10/10(月)15:00
10/13(木)20:00
●→DVDが発売されています。
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たかがテレビ。001●テレビ、やっぱり捨てられません。

そこで急遽、連載をはじめてみることにしました。
挑戦的に「テレビを捨てよ」などと書いたものだから、ひょっとしたら僕はさぞかしテレビを見ない静かな日常を過ごしているのかと思われた方もいるかもしれませんが・・・すみません。実はテレビを捨ててはいないし、見るのをやめてもいません(笑)。
疲れた時にはボーっと見ることもあるし、憂さ晴らしにバラエティーもたまに見ます。
好きな歌手の出る歌番組は欠かさずチェックするし、台風や地震の時にはテレビを見ないと安心できません。フツーにテレビと付き合い続けています。

それに倣って・・・
あの詩は、いわば「アジテーション(問題提起)」です。
そもそも現代において、テレビという情報メディアと全く無縁に生きることは不可能です。テレビを見ることを辞めてしまったら、世の中というものを見る上で、ある重要な部分を見落としてしまうことになるでしょう。僕は一時期、住んでいた部屋の環境から2年ほどテレビを見なかった(見られなかった)時期があったのですが、その時に充分、そのことを実感しています。
インターネットの普及が進み、多くの人がブログで意見や情報を発信できるようになったことは、僕がここに書かなくてもすでに世の中の一般常識です(笑)。
一口に「ブログ」と言っても、そこには様々なものが存在し、情報の信頼度も天から地まで、玉石混交であることは確かです。
しかし、今まではマスメディアの特権だった「不特定多数の人への情報発信」が、ごくフツーの個人にまで可能になったという事実は、人類の歴史を紐解いてみてもはじめての事。しかも、双方向で交流できてしまうのですから、その可能性はまだ未知のものであり、今後も更に新たな社会現象を引き起こして行くことが予想されます。

インターネットという強敵の出現によりテレビ局自体の体質やメディアとしてのあり方も問い直されています。
その割には、「テレビの時代は終わる」と言われているにも関わらず、まだまだ健在ではあるようで・・・ことはそう単純ではなかったようです。9月11日の衆議院選挙を例に挙げるまでもなく、相変わらずテレビは我々の思考や行動に影響を与える「マスメディア」であり続けており、我々はその存在を欲し続けています。
テレビは新聞とは違って「動画映像」と「音声」によっても人々に情報を伝えます。それらは「活字」よりもさらに複雑で多様な情報を含んでいます。その効果や影響には長所も短所もあります。ですから活字メディアと映像メディアの、どちらがより優れているかを比較することには意味がありません。そもそも特性が違うものだからです。

インターネットや新聞、ラジオ等と比べて、なにが優れているから相変わらず我々はテレビ映像に目を奪われ、惹きつけられているのでしょうか。
テレビを考えることは、我々の姿を考えることでもあります。
興味を持たれた方はぜひ、お付き合いください。
皆さんのコメントにも影響されながら、柔軟にとりとめもなく展開して行こうと思っています。
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