忘れない

忘れない
僕らはよく口にする
未来のことは
誰にもわからないというのに
忘れない
そう信じて願いたい
でも
僕らは今日も
新奇なものを吸い込むことで
なにかを忘れ続けてる
「この永遠がずっと続きますように」
甘ったるい言葉だけど
本心から思えた瞬間が
いくつか確実にあったという事だけは
忘れてはならない
心の栄養として
蓄えておくために
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記憶について・・・1●洪水の記憶①

それはとても不思議な現象だ。
自己というものを、時に無理やりにでも定義したくなるのが人間としての悲しい性(さが)。その際に、まず手がかりにするのは自分の中に蓄積された自分だけの記憶なのではなかろうか。
自分が自分であるという認識は、どうやら「記憶を想起する」という脳の働きがもたらしているようである。しかし実は、記憶ほど曖昧で頼りないものもない。
・・・ということは自己という認識も実は曖昧模糊なものなのか?
ここでは、こうしたことを曖昧なまま、未整理なままで書いてみようと思う。
僕にとっての、いちばん古い記憶。
それは1歳の時に遭遇した洪水の記憶。
人にこの話をすると「1歳の時の記憶なんてあるわけないじゃないか」とよく言われるのだが、実際あるのだからしょうがない。しかも、まるで昨日のことのように鮮明に思い浮かべることが出来る。何故なんだろう。
家族とは事あるごとに、何十回も「あの日」のことを話してきた。笑い話として、家族団らんの一つの「ネタ」になるからだ。
「ネタ」になる度にこの記憶は更新され、作り変えられながら補強されてきたのだろう。
想起されなければ忘れて行くし、想起の機会が多ければ多いほどより鮮明になって行く。
記憶とは本来、そういうものではなかろうか。

1歳の夏。
あの日、僕は死んでいたのかもしれない。
それは保育園に預けられていた時の出来事だ。
両親が共働きだったため、僕は0歳の時から昼間は保育園に預けられていた。
まだ「0歳児保育」が一般化していなかった時代。母親達の世代が行政に働きかけたため、やっと制度が確立されたという。だから僕はその町のいわば「0歳児保育第一号」として実験的に預けられ、最年少者として保育園中からかなり可愛がられていたらしい。
その日は台風のために朝から雷雨が激しくなり、「洪水警報」が発令されていた。
僕の通う保育園は川のすぐそばの低地にあったため、園児たちの多くは午前中から母親が迎えに来て、早めに帰宅させられていた。
僕と2つ違いの姉とは、いつもの如く遅い母の迎えを待っていた。
母はこういう時に人様の子どもたちを帰宅させなければならない仕事に就いていたため、自分の子どものことは後回しにせざるを得ない。だから普段から、最後まで保育園に残って遊んでいるのは僕らだった。
まだ迎えが来ない数人の園児達と皆で、テレビの「ウルトラマンセブン」を見ている時のことだった。セブンが怪獣と戦っている時、突然大音響とともにピンク色の閃光が走った。同時にテレビが「プツッ」と音を立てて切れた。近くに落雷があり停電してしまったのだ。
仕方がないから保母さんたちと昼寝をすることになったのだが、僕は異常事態にワクワクして寝付けなかったらしい。しばらく一人で窓の外を見ていた。

この時の波の様子や色を僕は今でも鮮明に細部まで思い描くことが出来る。園庭にあったプールは水に沈み、滑り台も波に呑まれ、あっという間にあたり一面が泥水で覆われてしまったのだ。
保母さんたちは誰も気付かずに昼寝をしている。
僕は目の前の光景に興奮し、一人で扉を開けて外に飛び出してしまった。
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