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フツーに生きてるGAYの日常

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ジョナサン・カウエット「ターネーション」●MOVIEレビュー

映画でも創んなきゃやってらんね~よ!

この映画から発散されるエネルギーを一言で言ったらそんな感じ。
アメリカに住む31歳のゲイが、パソコンで作った自主制作からスタートしたドキュメンタリー。制作途上の断片映像が著名なプロデューサーの目に留まり、制作のバックアップを受け完成後、数々の映画賞を受賞したという。

彼の母親はかつてモデルだった。しかし怪我をしてから人生の歯車が狂い、精神を病んで行く。
父は去り、息子である彼はそんな母と付き合い続けなければならない。現実から逃げる術は、さまざまなゲイのサブカルチャーに溺れることだった。
彼自身も精神的に追い詰められる日々。少年時代から女装し虚構のキャラクターになりすまし、そんな自分をビデオ映像に記録したりする。

彼にとっては、耐えられない現実をなんとかやり過ごすために、膨大な量の写真や映像に自分の生活を記録し続けることが必要だったのかもしれない。そうやって虚構の世界に逃げ込むことで、やっと精神のバランスを保ち続けたのだろう。
そしてその集合体が、この映画だ。
制作時の彼は31歳。
彼はこれを創らなければ、今日まで生きてこられなかったのではないだろうか。

現実と戦闘する行動的なオタク

彼のような収集癖を持ちサブカル漬けの人間は、日本では「オタク」と称されがちである。しかし「オタク」とは本質的に違うところがある。
彼は決して引き篭もらない。現実に身を投げ出し傷つくことを厭わず果敢にぶつかり強くなって行く。ゲイ仲間ともどんどん交流し、自己主張をし続ける。しかし薬物に手を出したことから「離人症」に苦しめられることにもなってしまう。母親と同じように精神に疾患を抱えた彼にとって、ゲイのパートナーと出会ったことはどれだけ心強かったことだろう。
やがてそうしたエネルギーは本格的な表現活動へとつながって行く。

人生の履歴書MOVIE

映画の前半では彼の家族構成や母親と自分の歴史を膨大な写真や映像で時系列順に紹介することが中心になる。
BGMには彼の人生を励ましてきたであろうポップ・ミュージックを流しながら。それはまるで、人生の履歴書をミュージック・クリップにしたかのようである。

エフェクト(映像特殊効果)を多用し、目まぐるしく攻撃的に画面は展開する。ナレーションはあまり使用せず字幕が情報を告げて行く。衝撃的な事実を描写する際には衝撃的な画面と音で、彼の味わってきた精神的苦痛や感情を表現する。
しかし刺激的な効果があまりにも繰り返されるため、次第に観客としての冷静な感覚は麻痺しはじめる。画面に表現される刺激を、刺激とは思わなくなってしまうのだ。

・・・これはもしかして、彼が生きる上で味わってきた感覚そのものの追体験なのかもしれない。
刺激をいちいち刺激と受け取っていては、彼の人生は続けられない。刺激を日常化し、感覚のどこかを麻痺させなければ彼のような人生は「やってらんなかった」だろうから・・・。

「映画にしよう」と意識してから、映像は俄然「強く」なる。

正直、そうした特殊効果がもたらすジェットコースターのような刺激の連続に飽き始めた頃・・・後半になってからやっと映画は生々しく「生き」はじめる。
その原因は、彼が自分のこれまでの人生を「映画にしよう」とはっきり自覚したことにあるようだ。
前半までの虚ろな映像とは打って変わって、撮影方法に「芯」が出来始める。
母親を撮影する際にも彼の明確な意志が感じられるようになる。映画を撮影するという目的が、彼の人生を前向きに回転させはじめるのだ。
その心理状態が正直に、映像素材に定着されている。
意志を持ったカメラは、現在の自分のありのままを丁寧に、描き始めるのだ。

同性の恋人とのなんでもない戯れや、ちょっとした日常の断片が見え隠れすると、観客としては嬉しい。なぜならすでに彼の過去を食傷気味になるほど見せ付けられた後なので、現在の姿がとても新鮮であり興味深く感じられるからだ。
そうした観客心理までも計算した作品構成は、憎いくらいに巧妙だ。


無邪気な母をカメラで残酷にみつめる場面の美

この映画で僕がいちばん印象深かったのは、とてもシンプルな場面。
彼が真正面から、母親と向き合ってカメラをまわしたワンカットだった。

躁と鬱を繰り返す母親が「躁状態」になり、意味なく「パンプキンの置物」から連想される言葉を延々と繰り返す様子を、彼がただ無言で撮影したワンカット。母親の目の前で堂々とカメラを向け、かなりの長時間、冷酷なまでにただ母親を撮影し続けている。その日の母親は上機嫌。止めなければいつまでもカメラの前ではしゃぎ続けるのだろう。

そこには音楽は無い。特殊効果も無い。
撮影者と、被撮影者の人生の断片が提示されるだけ。
しかし他のどんな場面よりも、いちばん多くを語りかけてくる。
醜いけれども、不思議と美しい。
この母親と向き合って自分は生きて行く。
無言の中に、彼の人生への凛とした決意が感じられる場面だった。

ヒトゴトなのに、なぜなつかしいのだろう。

この映画は、どちらかというと「遅効性」だ。
正直、観終わった後は感覚が疲れてしまい、映像技術と音響効果のもたらす刺激の洪水が僕の脳内をこだまして、なかなか止まなかった。
そのため、当日は一緒に観に行った彼に
「映像技術ばかりに偏重しないで、もっとシンプルに表現せいっ!」とか
「説明過多だから観客は観ているだけになっちゃうじゃねぇかっ!」とか
「アメリカ映画っぽいギラギラした体臭はどうも好かんっ!」とか
生意気に評論家めいたことを口走ってしまっていた僕だけど・・・なぜか今になって、「また見たくなる」ような懐かしさがこみ上げてきている。

あの日、映画館で注入された数々の刺激がジワジワと今頃になって効いて来てしまったのかもしれない。
あとになってフト思い出すことの多い・・・そんな映画だ。
あの、母親の狂った場面の奇妙な美しさが、他人事なのになぜか懐かしい。
あのワンカットに会いたくなって、また観ることになるのかもしれない。そんな気がする。


「ターネーション」 Tarnation
2004年 アメリカ

エグゼクティブ・プロデューサー
・・・ガス・ヴァン・サント/
ジョン・キャメロン・ミッチェル
監督・編集・主演
・・・ジョナサン・カウエット

●「ターネーション」DVD発売中

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