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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

羽田澄子「歌舞伎役者 片岡仁佐衛門 孫右衛門の巻」●MOVIEレビュー

壮絶な生き様

文化映画と呼ばれる映画がある。
商業映画とは一線を画し、映像の記録性に着目し、文化を映画として保存する目的で作られる映画。
これは、ある一人の歌舞伎役者の晩年の一断面を切り取った文化映画である。歌舞伎ファン、十三代片岡仁佐衛門ファンにとっては、おそらく涙モノの映像なのではなかろうか。

この映画は6部構成で、なんと11時間に及ぶ大長編。
1992年に岩波ホールで公開されたものを、現在ポレポレ東中野で再上映している。
僕はそのうちの一部しか見ていないが、とても印象的な場面があったので紹介したい。

老いと向き合う日々、それを支える人々

第五部「孫右衛門の巻」では、老境にさしかかった歌舞伎役者が、死の直前まで芸能活動を全うする姿を、稽古場、インタビュー、舞台映像などの記録によって描き出す。稽古は歌舞伎座のロビーでの模様を撮影したようだ。

稽古場に入る老いた役者の姿が痛々しい。タクシーから下りても、杖をついてやっとゆっくり歩ける程度。付き人がいないと歩道を横切ることすらままならない。この時すでに84歳。私生活ではかなり不自由な状態であることが窺える。
老齢に達した役者が芸能活動を続けるには周囲の人間の献身がなければ成り立たない。逆に言えば、周囲の人間から慕われるような人格でなければ舞台に立ち続けるのは不可能だということでもある。

それでも、いったん稽古場に入れば老人の顔は生き生きと輝きを放ち、役者・片岡仁佐衛門の顔になる。自分の頭と肉体で記憶している芸の所作や作品に込められた精神を、若手に少しでも伝授しようと身体を使って示している先輩役者の輝いた目。

そこで交わされている言葉は理論や理屈ではない。音楽的な感覚や、美学的な「見せ方」を伝授する。戯曲の解釈や人物の心理描写を論理によって組み立てようとする近代劇の稽古場とは一線を画した、歌舞伎の稽古場ならではの光景である。

生きるがために、花道を行く

いよいよ舞台稽古。歌舞伎座の花道の後ろから、片岡仁佐衛門が杖をつきながらゆっくりと舞台へ向かう姿が長廻しで記録されている。演技をしながら足下を見ることすら困難なようで、狭い花道から落ちてしまうのではないかと思われる位に危なっかしい。どこからが舞台なのか、周りから言葉で言ってもらえないとわからないほどである。

しかし舞台本番の映像では、よぼよぼの老人を誇張した演技をしながら、見事に花道を歩き通す。そして舞台では堂々と安定感のある演技を繰り広げる。
役の人物と、役者本人の「虚と実」が混ざり合い、見る者に理屈を超えた感銘を与える名場面である。

舞台というのは、役者が役者として「生きられる」場所。そこへ向かう花道は、現実から舞台という虚構への橋渡し。
役者は生きるために花道を進むのである。その象徴的な意味をこれほど感じさせてくれる場面を、僕は今まで見たことがない。客席からは、多くのすすり泣きが漏れていた。

しかし役者という生き物は、どうしてここまでして自分を追い込み、虚構の人物を演じようとするのだろう。そして、なぜに人はその情熱を見て、感動するものなのだろう。
スクリーンの中の、今は亡き老役者が懸命に輝こうとする生命力。
その圧倒的な強さには、ただ圧倒されるばかりだった。


「歌舞伎役者 片岡仁佐衛門 孫右衛門の巻」
制作:工藤充/演出:羽田澄子
・・・平成元年10月、歌舞伎座で『恋飛脚大和往来』が上映された時、仁左衛門が「封印切(ふういんきり)」と「新口村(にのくちむら)」の稽古を見る姿と、孫右衛門を演じる姿の記録。
「歌舞伎役者 片岡仁佐衛門」全6部作・急遽追加上映決定。ポレポレ東中野
①若鮎の巻(1時間42分)・・・10/8(土)9:40・10/12(水)9:40
②人と芸の巻㊤(1時間34分)・・・10/8(土)11:30・10/12(水)11:30
③人と芸の巻㊥(1時間41分)・・・10/9(日)9:40
④人と芸の巻㊦(1時間45分)・・・10/9(日)11:30・10/13(木)9:40
⑤孫右衛門の巻(1時間26分)・・・10/10(月)9:40・10/13(木)11:30
⑥登仙の巻(2時間38分)・・・10/1(土)~7(金)15:30・17:30
・・・追加上映→10/11(火)・14(金)9:40・11:40

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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇002●柴咲コウの目①

柴咲コウの目。
強烈すぎます。大きすぎます。だから印象に残りすぎます(笑)。
僕がこの映画で最も印象に残ったのは、柴咲コウの目でした。

あの目は・・・ブラックホールです。なんでも吸い込んでしまうかのような吸引力。そして、ギラギラした生命力を感じさせます。

この映画で彼女は地味なOL役をやるために「メイクダウン」(スッピンで撮影に臨むこと)をしたそうですが、あの目を変えることはできませんでした(←あたりまえだっ!)
ジメジメと陰鬱な職場で働いている、「くすぶったOL」をどんなに演出してみても、なにかを求めて常に黒光りをしているあの目のエネルギーを衰えさせることは不可能でした。それどころか、目の存在感ばかりがかえって浮き立っているようにも感じられました。

攻撃性を秘めた目

その妙な「浮きかた」は、この映画の主人公には適していたと言えるでしょう。
ゲイを父に持った不幸。
平穏な家庭生活を味わえず、母はすでに死んでしまった。
ねじれた思いをジメジメと鬱積させたまま、ただ過ぎ行く日常。
そこへオダギリジョーが来て、「メゾン・ド・ヒミコ」でのアルバイトに誘われます。
「ヒミコ」の館主は彼女の父。母を捨てて男に走った憎むべき父なのです。
しかもオダギリは父の恋人・・・。こう書いてみると彼女の複雑な心情はいかばかりかと、複雑な思いにふけってしまいます。

でも彼女は「メゾン・ド・ヒミコ」に行くのです。
それは、母親が亡くなるまでの入院費を捻出した際の、借金を返すためという現実的な理由も絡んでいます。
・・・家族を捨てた父。母を苦しめた父への積年のわだかまりから来る攻撃性を胸に秘め、未清算の過去と対決するべく、彼女は非日常へと足を踏み入れるのです。
この映画は、そんな彼女が「フツーに生きてるゲイ」という未知の人間たちと遭遇し、出会って行くことが物語の軸になっています。

彼女の目と観客の目の一致する瞬間

彼女の目が捉えるのは「ゲイの老人ホーム」という、外界からは区別された特殊な環境で身を寄せ合うゲイたち。
館の前に立ったとき、隣家の老女から彼女はいきなり好奇な視線を浴びせられます。それは彼女に対してではなく、「ゲイ」という存在に対して無意識のうちに人々が浴びせている視線を代表しています。
未知のものへの畏怖。未知から来る偏見。
その視線は彼女の中の不穏な気持ちを、少しばかり加速させたかもしれません。そして、観客の視線も。

「メゾン・ド・ヒミコ」を訪れる瞬間。
柴咲コウの目と観客の目はほぼ一致します。
彼女の大きな目がカメラとなって、我々に未知への出会いをもたらします。

この場面はゲイの観客にとっては、「どういう風に描かれるんだろう」という期待と不安を抱かせるでしょう。そしてゲイを知らない観客にとっては、未知のものへの無邪気な好奇心を喚起させるのではないでしょうか。

柴咲コウの目はちょっとオドオドしながらも、しっかりと見開いたままで新しい世界を捉えます。そして出会うのは・・・自分と同じように鬱積されたエネルギーをたくさん溜め込んだ、不器用に生きている人間達でした。

次回は・・・柴咲コウの目②です。

☆この連載では、映画の役名と俳優の芸名のうち、読者がイメージしやすいと思われる呼称を優先的に使用しています。その際に「敬称」は略させていただく場合があります。


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水木荘也「わたし達はこんなに働いている」●MOVIEレビュー

僕はこの数日、下北沢TOLLYWOODでの
『戦後60年 日本映画のたどった道
ショートフィルムの60年』
という企画上映に通ってこれらの作品を見ている。とても吟味されたプログラム構成が素晴らしい。(選定者:大久保正氏・・・社団法人映像文化製作者連盟)
しか~しっ!
連日、客席には一ケタの観客しかいないというのはど~いうこっちゃ(怒)。 「上海」 を観た時などは客席に僕一人だったし。僕が見に行かなかったら、あの上映はなかったと言うことか・・・?

「或る保母の記録」のスタッフが、こんなものを作らざるを得なかった悲劇

あれほど豊かで人間性に満ちた名作を作ることの出来たスタッフたちが、2年後にはバリバリの国策映画に手を染めざるを得なかったことを知り、ショックを受けた。
「わたし達はこんなに働いている」
構成:厚木たか/監督:水木荘也
1945年、朝日映画社、18分
とても同じ人たちが作ったとは思えない。この映画は戦意高揚映画そのものだからである。

絶望へとひた走る姿を、図らずも刻印

この映画は’44年秋から’45年の春にかけて、海軍衣服廠の女子挺身隊で撮影された。兵隊が着る軍服を大きな工場で生産する彼女達は、おそらく学徒動員されたのであろう。
10代の若い乙女たちが、ものすごいテンションで布を裁断し、すさまじい早業でミシン掛けをする様子が勇ましく描かれる。
流れ作業で「きびきび」と、背筋を伸ばして規則正しく。そこに映っているのは人間ではない。機械と化した奴隷である。

「私たちがこんなに働いているのに、なぜサイパン島では玉砕してしまったのだろう」

↑こんな感じのナレーションが、全篇に渡って観客に呼びかけ続ける。そこに込められたメッセージは、

「なぜサイパンは玉砕したの?」

「私たちの頑張りが足りなかったから」

「戦地の兵隊さんと同じように、私たちもここで、命がけで働いて戦いに参加するべきなのよっ!」
・・・こういう思考パターンである。
そして、まだまだ自己犠牲が足りないからもっと身を挺してお国に奉仕しなさいというマインドコントロールが実行されて行く。

サイパン島の玉砕は1944年のことであり、「戦勝報道」一色の中にいた人々に大きなショックを与えた出来事。しかし政府情報局はそれすらも逆手に取り、更なる「挺身」を国民に強いたのである。なんというしたたかさ。

敗色の濃くなった戦局を乗り切るには、あとは精神力だけ。観客の情に訴え、さらなる頑張りを喚起させようとする自虐精神。・・・こんなキャンペーンを政府が行なわなければならなかった時点ですでに末期症状だと言えるだろう。
今の視点から見ると「マジかよ・・・」という寒気とともに、失礼ながら思わず苦笑してしまうほどの異常なテンションに満ちている。そんなあの時代の空気が記録されているという点では、とても重要な映画ではある。

真面目すぎる・・・

この国の勤勉な国民性というものは、わかりやすい正義を与えられると目的達成のためには「なりふりかまわず」取り組んでしまう。その危険性は肝に銘じ過ぎても過ぎることはないだろう。

絶対的な正義を強いられる環境の下では、いつの間にか人間性よりも「正義という大義の保持」こそが優先されるようになる。オウム真理教事件を、我々は笑えないのである。
人間性よりも生産性が重視されていたあの時代。人間は完全に機械の一部になるしかなかった。破滅への予感を誰もが感じていながら「頑張ればなんとかなる」と神風の奇跡を信じ、国中が血走っていた。その悲壮感が見事に記録された貴重な映画である。

ただのプロパガンダ生産者に堕した映画人

この映画をもし、亀井文夫氏が発注されていたとしたらどう撮っただろう。
作業の合間に見せる彼女たちのあくびや、工程を間違って照れ笑いする様子。終業の時間に帰宅する解放された生き生きした表情などを巧みに盛り込んだに違いない。
いくら彼女達が真面目さを強いられる環境にあったとしても、四六時中、目を血走らせていたわけではないはずだ。そこを掬いとって人間というものを多面的に捉えるのが、本来のドキュメンタリー映画である。世界を捉えて描き出すというのは、そういうことであるはずなのだ。

しかし1944年の時点では、亀井氏は治安維持法で逮捕され獄中にあった。映画製作者たちが生活するためには、国策に従った作品を真面目に作るしかなかった。結果、国威発揚のためのプロパガンダ映画を量産し、国民を破滅へと導くのに大きな役割を果たしてしまった。
そのことの悲劇を思う。

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☆本文中の画像は、この映画のものではありません。

たかがテレビ。003●笑いのファシズム

テレビ映像は「絵」だけではありません。「音」との組み合わせで作られています。
試しにテレビを「消音」にしてみてください。途端にスカスカした印象になってしまいます。
「絵」にとって、いかに「音」が大切なのかが実感できると思います。

あるダンスの演出家はこの機能を逆手にとり、振りのネタ作りに困った時はテレビの音を消して「絵」の動きに集中してみるそうです。すると、普段は気が付かなかった人間の面白い仕草や表情が発見できるそうです。
たしかにそうした創造的な発見もあるのですが、もう一つ奇妙な発見もすることが出来ます。実はけっこう、音がなくても今のテレビって事足りるもんなんです。なぜなら、説明過多だから。

いつからか、テレビにはやたらと字幕(テロップ)が入るようになりました。
いまやバラエティーを筆頭に、ニュースでもドキュメンタリーでも、登場人物たちの喋っている言葉を文字で説明することが常識になっています。NHKも例外ではありません。これはテレビならではの現象でしょう。

登場人物たちは外国語を話しているわけではありません。聴き取りにくい方言を喋っているのでもありません。とても聴き取りやすくはっきりと語っているにも関わらず、まったく同じことが文字でも示されるのです。
だから音を消したところで同じこと。テレビが発する情報はほとんど、音などなくても文字で読み取れてしまうのです。

僕が思うにこの現象は、よく親に隠れて見ていた(笑)「夕やけニャンニャン」の放送されていた頃(~1987年)には無かったので、バブルのはじけた1991年あたりから顕著になって来た現象ではないでしょうか。そもそも「夕やけニャンニャン」は生放送だったので同時テロップは入れられないという事情もありますが(笑)、あの頃は面白い番組の中にはけっこう、生放送がたくさんありました。しかし「同時テロップ多発現象」が主流になるにつれ、テレビから生放送のバラエティーがどんどん姿を消して行きます。

今、ゴールデンタイムで放送されているバラエティーはほとんどが録画のようですね。同時テロップを入れて、隙間を無くして面白くする編集をするためには、そのための時間が必要ですから。

いまではテロップ付け専門の制作会社もたくさんあり、日夜ひたすら編集済みの番組にテロップを付けることを仕事にしています。僕の友人が就職していましたが、あまりの激務に精神がおかしくなりかけて辞めてしまいました。
「面白い」と思われているタレントたちの発言やギャグなどは、こうした人たちが「面白く」見えるようにしているから、より面白く感じられるのです。
「ここが面白い」「ここで笑え」と見ている者に笑う場所を説明してくれるようなあのテロップの大洪水。僕はなんだか、笑う部分まで強制されているようで嫌いです。

そもそもなにに笑うのか、なにをおかしいと思うのかは人ぞれぞれ違うはず。
ところがテレビ村の住人になると、笑う部分までみんなと一緒のことを強制されてしまう。

その裏には、意地でもなんでも「視聴者」をテレビから離れさせないように、リモコンでチャンネルを変えられないようにという、制作者たちの恐ろしい血の滲むような執念が感じられます。
彼らは視聴率という結果を出すためには止むを得ないと腹をくくっているのでしょうが、そんな人間性のカケラも無いようなシステムに振り回されている人たちにバカにされるような「盲目な視聴者」でいることは、僕はやめたいと思っています。

たかがテレビに笑いまで強制されてたまるか。
僕は、自分の笑いたい時に、自分が心から面白いと思ったものに対して腹筋を使おうと思います。

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水木荘也「或る保姆の記録」●MOVIEレビュー

これは本当に戦時下の映画なのか?

驚いた。1942年という戦争真っ盛りの軍国主義「右ならえ」の時代に、亀井文夫氏以外にも、映画でささやかな抵抗を実践していた映画人がいたのだ。僕にとってリスペクトするべき新たな映画人を発見した喜びに、心が躍った。

戦時下にも関わらずフツーの日常をそのままに活写

この映画は、なんの変哲もないどこにでもあるような保育園にカメラを持ち込み、どこにでもいる保母さんの仕事の様子を、なんのメッセージ性もなく描いている。
なにがすごいのかと言えば、「お国のために死にましょう」というメッセージを込めないと映画が作れなかったあの時代に、メッセージのない映画をつくることなど、ほぼあり得ないことだからである。

1942年と言えば真珠湾攻撃の直後であり、日本がいちばん戦勝ムードに沸き立っていた頃。皇国思想を喧伝するものでなければ「軟弱」であり「意味のないもの」として切り捨てられていた。
「ハワイ・マレー沖海戦」「加藤隼戦闘隊」のような「勇敢」で戦意を高揚させるために「意味のある」表現でなければ「女々しい」ものとして断罪されてしまう。
そんな中、戦局とはまったく無関係に日常を過ごす無辜の民のなんでもない日常を描く。なんという勇気だろう。

やはり政府の圧力を受けていた

上映を観た下北沢TOLLYWOODのパンフレットから、この映画の解説を紹介する。
「厚木たかが、戦時下の働く母と子供達の生活を、東京大井の労働者街の私立保育所を舞台に見つめた。厚木は「映画統制委員会」から呼び出され、シナリオに戦時教育的内容を加えるよう圧力を受けている。」
厚木たか氏とは、この映画の構成者。監督は水木荘也氏。政府の圧力をどう切り抜けて、この映画を制作し公開したのか・・・。反響はどうだったのだろう。これから知って行こうと思う。

戦後の再編集の謎

ただし、映画の冒頭に次のような但し書きが付けられていた事も注意しなければならない。
「この映画は戦後に再編集されたものであり、実際よりも短くなっている。」
ひょっとしたら、公開時には政府の圧力に従わざるを得なくて、戦時教育的内容を足した形のものが上映されたのかもしれない。そうだとしたら、それはどういうシーンだったのだろう。
もし戦時教育的な内容が足されていたのだとしても、制作者達が作品に込めたかった心意気は少しも揺るがない。この映画は撮影方法そのものが、当時の映画界の奔流から外れた、まさにラディカルな方法だったと言えるからである。

驚くべきカメラの透明性。取材者たちの粘り腰の結晶
人は、カメラを向けられると緊張するものだ。
フツーの人々は俳優ではない。「自然に見せるための訓練」を受けていない。
フツーの人々がカメラの前で自然に振る舞うためには、カメラに慣れる時間が必要だし、取材者達との人間的信頼関係が成り立っていないと難しい。
しかしこの映画の園児たちは、驚くべきほど自然に生き生きとカメラの前で振舞っており、主人公の保母さんもまったく緊張していない。
よほどの粘り腰で長期取材した成果であろう事が伺える。

当時の撮影機材はすべてがデカかった

当時は、今のようなデジタルカメラとは違ってカメラは重く、フィルムも高価なので経済的な事情から言っても「無駄に廻す」ことが非常に難しかった。しかもカメラを廻すと「カタカタカタ・・・」と大きな音がするので気配を消すことも難しい。
さらにカメラで同時録音は出来なかったので、録音には大きなマイクとテープレコーダーが必要だった。屋内撮影のためには照明機材も必要だし、かなり大きかったはずだ。
現場での撮影スタッフ達の存在感・威圧感は相当に大きかったことだろう。そう考えると、これほどまでにリラックスした情景を撮影できたことは、奇跡に近い技である。

大人の「意味世界」とは関係なく、自由な子どもたちの姿

輪になって歌を歌っていても、子どもたちの表情は千差万別。
はちきれんばかりの笑顔の子。
となりの女の子にちょっかいを出している男の子。
マイペースにボーっとしている子。
大あくびをしている子。

・・・そこには男女の区別もなければ、大人の都合により強制される感情もない。
子ども本来の姿というものはそういうものだし、人は誰でもそういう時代があったのだ。
( 「上海」 に出てきた、日本語の唄を無理やり歌わされている中国の子供たちの死んだ表情とはまるで対照的である。)

しかし成長するにつれて「男」や「女」という役割を背負わされ、「兵隊」や「皇国の子を産む母親」としての人生を強制される。それが60年前のこの国が、国民に強いた生き方なのである。
いつの時代にも、人は時代の要請する枠組に組み込まれてしまうもの。それを「成長」と呼ぶ。
しかしこの映画のこの子どもたちの姿は、そうした常識さえも反転させてしまうほどに、人間として魅力的な姿を見せてくれる。

記録しといてくれてありがとう

この映画がこうした「あたりまえの日常」の「あたりまえの人間の姿」を記録しておいてくれたおかげで、今日の我々は戦時下の人たちのことを「狂信的」で「盲目的」な人たちだったという大雑把な先入観から解放される。いつの時代にも、フツーの庶民はフツーに生きていたのだということを確認できる。

優れた映画は、人と人との余計な垣根を取っ払う。
本来あるべき人間としての自由で豊かな境地の存在を思い出させてくれる。
映画というものが発明されて良かった。
映像というものは、こういう風に活用されるべきものなのである。


「或る保姆の記録」
1942年、 芸術映画社、35分 
構成:厚木たか
監督:水木荘也
下北沢TOLLYWOODでの上映予定
9/28(水)15:00・9/30(金)20:00
10/8(土)13:45・10/9(日)16:30
10/12(水)15:00・10/14(金)20:00

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