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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2005-08
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どーにかなりそなGAYのユーウツ~母のお祝いにて

母親が還暦を迎えた。
家族で祝うことになった。
彼女は今、足の治療で入院しているので、外出許可を得て病院の近くの寿司屋に皆で食事に行った。

最近、家族と縁遠くなっていた僕は、7月に母のお見舞いに行った際、一年半ぶりに実家に帰った。
たった一年半帰らなかっただけで、自分がその家で育ったという実感を忘れてしまっていることに気が付いた。
理由はわかっている。僕はここ数年、家族と触れ合うということから意識的に逃げてきたからだ。
なんという薄情な奴だろう。

近年、兄弟が次々と結婚する中、自分だけはそうした生活に踏み出せない後ろめたさが募りはじめた。自分がゲイであるという自覚が強まるにつれ、家族からの逃避願望は強くなって行った。

「次はあんただね。」とか「誰かと今、付き合ってるんでしょ。」とか「孫の顔、いつ見れるのかしら。」という何気ない言葉をかけられ、そのたびに引きつった笑顔でごまかすことは疲れる。親や兄弟にしてみればなんの罪の意識もなく当たり前のことを言っているにすぎない。しかし僕の中には、なんともいえないわだかまりが募って行く。

かといって全部ぶちまけてしまえば楽になるというほど、ことは単純ではない。いくら家族といえども、「同性愛」というものへの見解は人それぞれだ。僕がゲイであるということを受けとめられる親なのか、兄弟なのか。慎重に見極めなければならないと思う。なにより自分の覚悟が必要だし、そのリスクを一緒に背負える家族かどうか・・・僕はまだ見極めがつかないのだ。

家族の中にいてもリラックスして一緒にいられない。
そんな風に感じ始めた僕は、心の中から家族を消して、盆も正月も帰らず、自分がやりたい事に時間を費やすことでごまかしてきた。

皮肉なことに、姉も弟もその後
離婚した。結婚式での二人の華やぎを思い出すと、その後の泥沼の展開に胸が痛む。喜びというものは、それが失われた時に恐ろしいほど残酷な思い出として心に残り続けてしまうものだ。
姉はその後、再婚した。
2歳になる女の子を連れて、今は新しい旦那と住んでいる。


久々に家族が全員、一同に揃った。大抵の場合、僕がいないことが多かったためだ。
姉の娘と、新しい旦那さんも一緒だ。

姉の娘は前の旦那と顔がそっくりだ。久々に見るとドキッとしてしまうのだが一緒にいると馴染んでくる。僕と波長が合うらしく、無邪気になついてきてくれる。常に笑顔で全身から愛嬌を振りまき、皆から常に可愛がられている。可愛い盛りだ。

母は小奇麗な白いブラウスを着て、うっすらと化粧をしてきた。普段化粧には疎い母なのだが、こうした時は一応ちゃんとする。いつもよりテンションが上がっていて、大声でよく笑う。

僕とは「天敵同士」だったはずの父も、なんだか今日は機嫌がいい。しばらく会わないうちに性格がだいぶ丸くなったようで、その変化に僕の方が戸惑っている感じ。
「あれっ、こんなはずじゃなかったのに」と思うほど、居心地のいい家族になっている。一緒に住んで生活を共にするとまた別なのだろうが、こうしたイベントの時に顔を揃える程度なら、
いちおう「いい関係」でいられるものなのかもしれない。

かつては当たり前のように同居して生活を共にしていた「家族」というもの。
離れて暮らすようになって、はじめてお互いの存在がどういうものだったのかに気付いて行く。
毎日一緒にいて「嫌な面」ばかり目に入っていた頃は嫌悪感ばかりが募るものだが、今は素直に
「苦労して育ててくれてありがとう」という心情が湧いてくる。
父と母が僕を産んで育ててくれた年代に、今、僕が達しようとしているからなのかもしれない。日々自分の生活を成り立たせるために働くだけでも大変なのに、その上子どもを育てるだなんて、その事実だけでも十分、尊敬に値することだと思う。

父との積年のわだかまりを溶かす、こんなやりとりもあった。
弟が運転する車に父と僕との3人で乗っている時、前をどこかの学校の送迎バスらしきものが通った。
その車体にはデカデカと「おもいやり号」と書いてあった。
父はそれを見るやいなや
「うわっ、ああいうのいちばん嫌いだね。あんな風に掲示しなきゃ実現できない思いやりだなんて、嘘だろう。本当に思いやりがある環境だったら、あんなものは書かなくてもいいはずだ。」
そう言った。
・・・ビックリした。まるで今の僕が言ってもおかしくないような発言ではないか(笑)。

かつての父は、そうした標語を率先して掲げるタイプで、家の中にまで貼ったりするおせっかいな教師気質の人間だった。僕はそういうところが大嫌いだった。
口では理想論ばかり諭したがるが家の中では傍若無人に振る舞う困った頑固親父。そのギャップは激しかった。

家族の前では人間誰しも弱いところを見せるもの。それはわかるのだが・・・あまりにも理不尽な振る舞いをよくするし、感情的でわがままで母を振り廻していた。そういう人が一歩外に出ると「道徳者」として尊敬されている。キャラクターがまったく違うのだ。
僕は反抗期になると父を「偽善者」だと感じて軽蔑し、口も利かない時期があった。
ところが今の父は、僕のイメージする父とはまったく正反対の発言をするようになったのだ。

長年勤めていた仕事を退職し、別の仕事をしたり環境が変わったことで、彼の中でなにか変化があったのだろうか。それとも、もともとそういう反骨精神のある人なのに、子どもたちの前ではサービス過剰に「オヤジ」を演じてしまうがために、自己矛盾を引き起こしていたのだろうか。それはわからない。
ただ言えることは、今の父とはすごく気軽に話せるようになったということ。肩をいからせてばかりいた昔の面影は薄まって物腰が柔らかくなり、まるで友達同士のような感覚で毒舌を吐き合えるようになった。これは以前ではまったく考えられなかったことなのだ。
あいかわらす自分の機嫌しだいで突然短期になる面もあるのだが、僕の気質と父の気質の共通点を見つけることが出来た今回の再会は、単純に嬉しさをもたらしてくれた。

僕は母に、ちょっと高級なシャンプーと石鹸の詰め合わせをプレゼントした。病院では週に二回しか入浴できない。その時に、いい匂いで包まれてほしいなぁと思ったから。
その詰め合わせの中に、ピンク色の熊のぬいぐるみが入っているのをみつけた姉の娘は、母の膝の上に座り全身で喜びを表現しながら遊んでいる。

孫と戯れる母の笑顔は本当に美しい。以前より皺は増えているが、無邪気な笑顔というものは人を最高に輝かせる。僕は二人の作り出す「絵に描いたような幸せ」のような情景を、夢中になって写真に収めた。いつか、この日のことを思い出して笑い合える日が来るように、この瞬間を残しておきたいと思った。
こんな素敵な笑顔をわかちあった日があった。
そういう記憶を心に刻み、糧にして、人は生きて行く。

これからは子どもとして、両親にこういう祝祭の日を作り出して行ける存在になろう。
たまに集まって、ひと時の喜びを分かち合う。それだけでいい。
今までは親が作り出していたそうした時間を、今度は子どもたちが作り出すべきなんだ。

細かいことはどうでもいい。
僕一人の問題なんてどうでもいい。

もう一度、関係を再構築して行く中で、自然に口に出来る日が来るのかもしれない。
あるいは、その日は来なくても
いいものなのかもしれない。

あまりこだわらず、自然な流れに身を任せることにしよう。

今の僕は、そう考えている。

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