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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2005-08
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ジャン・コクトー展~サヴァリン・ワンダーマン・コレクション●ARTレビュー

まぎれもなく同性愛者。コクトーよ、あなたは存在が面白い。

ジャン・コクトーのことはあまり知らなかった。
名前を聞いてまず浮かぶのは、
モノクロ映画「美女と野獣」の監督であるということ。僕が大尊敬する女優・岸恵子さんはこの映画を少女の頃に見て、その魔術的な映像に魅せられて映画の虜になったという。

また、同性愛者であったことでも有名だ。以前、本屋の美術書コーナーでこの人の画いたスケッチ集を見かけたことがあるのだが、めくってみて驚いた。なんと若い男の裸のスケッチばかりなのである。しかも局部までが露に忠実に、かなりの数が書かれているのだ。
そういった主旨で編集された画集だったので当然だが、これだけの著名人がこんなに堂々と画いていて、それが出版されていることに驚いた。そしてかなり興奮した。すごくエロティックで生々しかったから(笑)。その後、なかなかあのスケッチ集をみつけることができない。あぁ、あの時買えば良かったのに。絶対に探し出してやる(笑)。

三越マダムに大人気

日本橋三越といえば東京駅からは離れているので「三越前」という地下鉄の駅がわざわざあるくらい。すなわち「三越に買い物に行く」という強い目的意識を持った人たちが集まる特異な場所である。ふらっと歩いていて立ち寄る感覚とは一線を画した、着飾った印象の人たちでいっぱい。平日の昼間なのに大盛況。観客の9割は上品なご婦人方だった。
ポスターやチラシの絵を見ても、女性に人気があることはある意味納得。タッチが上品だし、色使いが綺麗だし、ポップな感覚もある。さすがアート界における「大ブランド」コクトーである。

しかしこの人たちは、コクトーがバリバリの同性愛者であったことについてはどう考えているのだろう。
「芸術家はやっぱり、変わったところがあるからいいのよねぇ~」とあっけらかんと認知されているのだろうか。「コクトーだからべつにいいのよ。」とすんなり受け入れられているのだろうか。それとも知らないのだろうか(そんな人、いるとは思えないが。)思わずインタビューをして廻りたくなる衝動を抑えながら僕は、明らかに浮いた存在のままマダム達に囲まれて「作品」を鑑賞した。

コクトー・マニアが集めたコレクションの数々

この展覧会は、コクトーの作品収集に取り憑かれたお金持ちのマニア、サヴァリン・ワンダーマン氏(コルム社CEO)のコレクションを展示するというもの。今世紀初頭、パリのモンパルナスのカフェに集った芸術家仲間たちによるコクトーの肖像画の数々が華やかに入り口を飾る。
その中でもひときわ目を引いたのがモディリアーニ。何を書いてもやっぱりモディリアーニ調。期待通り細長い顔で首をかしげたコクトー像である。アンディ・ウォーホルはやっぱりカラフルでポップ。コクトーというブランドの確立されていた様子を作品によって揶揄している。

ナルシストは芸術家の条件

それにしてもコクトー自身が書く自画像のハンサムなこと。他の作品も総じて男は彼の若い頃の顔に似ている。
やっぱり優れた芸術家の第一条件は「自分が好き」だということなんだと再確認。
「自分が好きだからこそ」他者とのコミュニケーション不全について過敏になり、なんとか克服しようというエネルギーが作品として結晶化するのではなかろうか。それこそが芸術家の基本条件なのだと僕は思う。だからと言ってただのエゴイストではいけない。その過敏な感受性を統御する理性と野心がなければならないのだ。

「ナルシスト」というと醜いものであるかのようなイメージがあるが、芸術的に戦略を持った上でのナルシストならば、僕は素晴らしいとさえ思う。世間の常識と芸術における常識は、しばしば反転するものだ。その点、コクトーはやはり並外れている。自分が惹きつけられた人物や物語のモチーフには強烈にこだわり、何度でも作品化して挑んでいる。そして作品には必ず、自分を投影させている。ちょっとあざとい所もあるのだが(笑)。
子どものような感受性と「創作に挑む」ことへの喜び。生涯ワクワクして過ごし続けたであろうコクトーの無邪気なエネルギーが次第に伝わってきた。

男を画かせりゃやっぱりエロティック

彼の嗜好を象徴する絵があった。
「ジプシーの踊り手」という1947年の作品で、男女の踊り子が舞台上で肌もあらわに踊っている絵だ。それを見る観客の男性が一人、画面右下に画かれているのだが、目球が飛び出しそうになって凝視しているのは女ではなく男の方なのだ。
こういう絵において女性を描いたものは数多く見かけるが、男性をあからさまに際立たせ、しかも女性とあえて並ばせて描き、観客の視点を男性に集中させているところにコクトーの主張を感じる。
コクトーといえども、若い頃はなかなか世間的に性的嗜好を明らかにできなかったのだろうから、こうした形で思いを開放することに、至上の喜びを感じたことだろう。絵の前で思わず苦笑してしまった。

エロスの神「獣神」に自分の姿を託す

小山田次郎氏の「鳥女」と同じくコクトーにも、生涯にわたってこだわりつづけたキャラクターがある。
「牧神」だ。
「牧神」とはギリシャ神話に出てくる神々のうちの一人で、上半身は人間、下半身は山羊である好色の半獣神。彼が画くとあらわな下半身が非常にエロティック。人間の「理性」と下半身の「性欲」の密接なつながりがこのキャラクターで象徴されているようだ。

日常生活で、ほぼ男を切らさなかったという彼の生涯を物語ってもいるのだろう。彼のそばには常に屈強でハンサムな若い男の恋人がいた。数ある映画で主演させているジャン・マレーもその一人。ディアギレフ率いるロシア・バレエ団の踊り手ニジン・スキーもその一人だという。
もともとお金には困らない裕福な境遇に生れたコクトーは、その境遇ゆえの無邪気さを生かして様々な芸術家と親交を結んだ。正直、彼と寝ることによって資金を得た芸術家もたくさんいたことだろう。
生前から多大なる知名度と影響力を誇った彼はある意味その権力を活用し、やりたいことをやりつづけたのだとも言える。そして彼によって結びついた性の垣根を越えた芸術家のネットワークは様々な分野で化学反応を起こし、革新をもたらしたのだ。
その権力がもたらした功罪もあるのだろうが、ジャンルの垣根を軽々と跳び越えて人々を結びつけたコクトーという人物がもしいなかったら、現在のアートシーンは全く別のものになっていたであろう。いやはや、そういった意味では巨人である。

彼の生涯や作品を知るにつけ、なんとなく三島由紀夫に似ているのかな、と思った。彼もジャンルの垣根を軽々と越えて活躍したし、自己のブランドを確立することに情熱を燃やし、その権力を利用してさらに自らを伝説化することに腐心した。同性愛者でもあり、強烈なナルシシズムが創作の源泉だったことまで似ている。三島はきっとコクトーを意識していたことだろう。

巨人の中に垣間見える影。透き通ったシンプルな表現。

ひとつだけ、僕が思わず立ち止まっていつまでも見ていたくなる絵があった。
「眠る女」というタイトルのその絵は、シンプルな構成の小さな油彩画。
黒のバックが透き通るように美しい。その中で目を閉じる女の姿が強烈な静けさを感じさせる。
「強烈」で「静か」なんてことはおかしい表現ではあるのだが、その矛盾しあった二つの感覚が見事に同居しているような絵なのだ。ブルーとグリーンの色使いも美しく、彼の色彩感覚のセンスに驚いた。
彼の絵画は、自分の詩や小説の「挿絵画家」としての作品が多く、色が付いていなかったりスケッチのような作品が多いらしいのだが非常にもったいない。もっとたくさんの、彼の「色つきの」作品を見てみたくなった。

とても社交的で華やかな大人物のようでいて、実は誰よりも孤独を恐れる弱く繊細な魂を持っていた人なのだと思う。そういう人ほど、そんな自分と戦うために並外れたエネルギーで自己をアピールしたがるものなのかもしれない。

岸恵子さんを通して名前を知り、同性愛者であるということから深まったコクトーへの興味。今後さらに深めて行こうと思う。


「ジャン・コクトー展」7/20(水)~31(日) 日本橋三越本店ギャラリー(終了)
<今後の巡回予定>
●2005年8/6~9/7山梨県立博物館
●2005年9/14~9/26大丸ミュージアムKOBE
●2006年4/8~5/21岩手県立美術館

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☆資料画像は展覧会パンフの表・裏表紙です。
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工藤静香さん公の場に。宝石ブランド「トレジャーフォー」新作発表会に出席

父・工藤勘七さんが突然亡くなって以来、
はじめて工藤静香さんが芸能活動をしたようです。まさかこんなに早くそうした機会があるとは思っていなかったので驚きました。

昨日、自身が手がけているジュエリーブランドの新作発表会に出席。今日になって芸能ニュースとして報道されました。
普通、あれだけ突然ショックな出来事があってから間もない段階では、こうした仕事は断るでしょう。おそらく以前から組まれていた予定であり、本人が中心になって手がけている仕事だという責任感から、あえて本人の意思でキャンセルしなかったのではないかと思われます。(彼女はそういう人です。)
確かにプロジェクトとしては本人が出席しないことにはPRになりませんし、それを見越した計画で進められたものでしょうから無理はないのですが・・・。

こうした面で筋を通そうと強がるところが彼女らしくてすごいとは思うのですが、おそらく今は精神的なショック状態で神経が過敏になっている時期だと思うので、出来れば無理はして欲しくなかった・・・というのがファンとしての思いです。勘七さんの死が以前から予期できたものだったら覚悟は出来ていたのでしょうが、本当に突然だったとのこと。しかも亡くなった翌日は勘七さんの63回目の誕生日であり、プレゼントも用意していたらしいのでまったく予期できなかった出来事だったと推測されます。

記者会見では報道陣に対して周囲のスタッフが厳重に質問事項を制限したみたいですが、次のようなやりとりがあったようです。
「落ち着きましたか?」との記者からの質問に一度は「はい。」と応えながらも「・・・落ち着くわけないよね。」とぽつりとつぶやいたとのこと。
たしかに注目を集めることで成り立っている商売ではあるのですが、笑顔を作る写真からは、なんだか痛々しさも感じられてしまいます。
どうか無理をしないで、ショックが癒えるまでは精神的な休養をまず第一に考えて欲しいです。
どれだけ休んでも構いません。
今まで生み出された何百曲という歌の蓄積が、ファンをちゃんとつなぎとめていますから。

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