工藤静香「深海魚」●アルバム「月影」レビュー10
捨てたのは正直な自分でしたか
飢えてても
いい娘のふりをしながら笑いもしたし
乱暴な唇は無口な声に慣れた
だけどほんとうは血の色までは変われない
覚えておいて
卑(いや)しいくらい
まだあなたを愛せるのよ

words:松井五郎
music,arrangement:Jin Nakamura
●REVIEW●
思いを遂げるために
自分の「声」を売り渡した人魚姫。
王子に思いが告げられない。
そもそも出自も境遇も違うのだ。
もがいても思いは届かず
無惨にも、王子は遠い誰かの物に・・・。
愛されたい。その気持ちが嵩じると
人は思いも寄らぬ「熱病」に罹る。
愛されるためだったら
自分のすべてを投げ打って
ボロボロになるまで
あがいてしまうこともある。
それが届かず叶わなかった時。
狂気にさいなまれた心は凶器と化す。
恋心の放つそうした毒を見事に表現した
これぞ「松井五郎の世界」。
そのドロドロ感が久々に味わえる曲である。
●工藤静香さんと松井五郎氏について●
1993年のシングル「あなたしかいないでしょ」以来、12年ぶりに松井五郎氏を作詞に起用。その事実は、長年のファンにとっては、かなりの「サプライズ」だった。
1987年のデビュー以来、後藤次利氏の作曲とプロデュースで数々のヒット曲を飛ばした彼女。1994年の「Blue Rose」からはセルフ・プロデュースを開始し路線を大きく変更。以降の大多数の曲は彼女本人(愛絵理)が作詞を担当することになった。そのため松井氏の起用はデビューからの6年間のみに限定されていた。もうこの組み合わせはあり得ないのかと思っていたところに、今回のアルバム「月影」で久々の起用。名コンビ復活となったのである。
僕は愛絵理の絵画的な詞世界が大好きである。表現者として自作詞にこだわる姿勢も素晴らしいと思う。セルフ・プロデュース初期の彼女からは「自分の言葉で歌いたい」というエネルギーがギラギラと伝わってきて、そのパワーには圧倒されたものだった。
しかし1996年から徐々に、他人の世界を再び取り入れ始めることになる。
「激情」や「雪・月・花」では中島みゆき氏を作詞に起用。
「Blue Velvet」「カーマスートラの伝説」では、はたけ氏のプロデュース。
「きらら」「in the sky」「一瞬」では河村隆一氏の作詞とプロデュース。
「深紅の花」ではYOSHIKI氏のプロデュース。
こうした90年代後半の流れは、セルフ・プロデュース作品とめまぐるしく混ざり合い、次から次へと新境地を開拓する姿が新鮮であり、ドキドキさせられた。彼女自身も「他人の色に染まって遊んでみる」ことを楽しんでいるかのようであり、純粋にボーカリストとしての彼女の能力を再認識させてもくれた。
「アイドル視」されがちなデビュー以来からの「他人にプロデュースされる状態」から脱却し、
セルフ・プロデュースにこだわる時代を経て、やっと獲得した歌手としての自由な活動姿勢。
その時々の欲求に従い、やりたいことをやってみて、自分の足でもがいてみた上で辿りついた新しい地平。それが彼女の現在だ。
この曲で久々に組んだ松井五郎氏は、おそろしいまでに女性心理への深い洞察力を感じさせる、これまた稀有な作詞家である。ドロドロとした毒気もはらんだその詞世界は、工藤静香の持ち味と相性がとてもいい。
このコンビでかつて生み出されたシングル曲を数えてみた。





1988年
●抱いてくれたらいいのに (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利)
1989年
●恋一夜 (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利)
1990年
●くちびるから媚薬 (作詞:松井五郎/作曲:後藤次利/編曲:Draw 4)
1991年
●ぼやぼやできない (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利)
●メタモルフォーゼ (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利)
1992年
●めちゃくちゃに泣いてしまいたい (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利)
●うらはら (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利)
●声を聴かせて (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利)
1993年
●わたしはナイフ (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利)
●あなたしかいないでしょ (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利)





驚いた。なんと10曲もあったのだ!
デビューからの6年間、いわゆる「後藤次利作曲時代」のシングルは20曲。
そのうちの半分が松井五郎氏によるものだったとは・・・。
アルバム収録曲やカップリング曲も含めると、相当な数に上るのではないだろうか。
祝!名コンビ復活!
今後もぜひ、このコンビによる新たな展開を繰り広げてほしい。
(ついでに後藤次利氏とのコンビ復活は・・・難しいのかな?。彼の「上下に暴れまくる」メロディラインと複雑なリズム展開も、彼女ととても相性がいいとは思うのだが。)

「月影」
●PONY CANYONサイトで試聴できます。
●「Fe-MAIL」にアルバムについてのインタビューあり。
・・・連載『工藤静香 SHE SEA SEE』Vol.1・.2・.3・.4
●Real Guideに動画インタビューあり。
●音楽大好き!T2U音楽研究所に「月影」特集ページあり。
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どーにかなりそなGAYのユーウツ~母のお祝いにて
母親が還暦を迎えた。
家族で祝うことになった。
彼女は今、足の治療で入院しているので、外出許可を得て病院の近くの寿司屋に皆で食事に行った。
最近、家族と縁遠くなっていた僕は、7月に母のお見舞いに行った際、一年半ぶりに実家に帰った。
たった一年半帰らなかっただけで、自分がその家で育ったという実感を忘れてしまっていることに気が付いた。
理由はわかっている。僕はここ数年、家族と触れ合うということから意識的に逃げてきたからだ。
なんという薄情な奴だろう。
近年、兄弟が次々と結婚する中、自分だけはそうした生活に踏み出せない後ろめたさが募りはじめた。自分がゲイであるという自覚が強まるにつれ、家族からの逃避願望は強くなって行った。
「次はあんただね。」とか「誰かと今、付き合ってるんでしょ。」とか「孫の顔、いつ見れるのかしら。」という何気ない言葉をかけられ、そのたびに引きつった笑顔でごまかすことは疲れる。親や兄弟にしてみればなんの罪の意識もなく当たり前のことを言っているにすぎない。しかし僕の中には、なんともいえないわだかまりが募って行く。
かといって全部ぶちまけてしまえば楽になるというほど、ことは単純ではない。いくら家族といえども、「同性愛」というものへの見解は人それぞれだ。僕がゲイであるということを受けとめられる親なのか、兄弟なのか。慎重に見極めなければならないと思う。なにより自分の覚悟が必要だし、そのリスクを一緒に背負える家族かどうか・・・僕はまだ見極めがつかないのだ。
家族の中にいてもリラックスして一緒にいられない。
そんな風に感じ始めた僕は、心の中から家族を消して、盆も正月も帰らず、自分がやりたい事に時間を費やすことでごまかしてきた。
皮肉なことに、姉も弟もその後
離婚した。結婚式での二人の華やぎを思い出すと、その後の泥沼の展開に胸が痛む。喜びというものは、それが失われた時に恐ろしいほど残酷な思い出として心に残り続けてしまうものだ。
姉はその後、再婚した。
2歳になる女の子を連れて、今は新しい旦那と住んでいる。
久々に家族が全員、一同に揃った。大抵の場合、僕がいないことが多かったためだ。
姉の娘と、新しい旦那さんも一緒だ。
姉の娘は前の旦那と顔がそっくりだ。久々に見るとドキッとしてしまうのだが一緒にいると馴染んでくる。僕と波長が合うらしく、無邪気になついてきてくれる。常に笑顔で全身から愛嬌を振りまき、皆から常に可愛がられている。可愛い盛りだ。
母は小奇麗な白いブラウスを着て、うっすらと化粧をしてきた。普段化粧には疎い母なのだが、こうした時は一応ちゃんとする。いつもよりテンションが上がっていて、大声でよく笑う。
僕とは「天敵同士」だったはずの父も、なんだか今日は機嫌がいい。しばらく会わないうちに性格がだいぶ丸くなったようで、その変化に僕の方が戸惑っている感じ。
「あれっ、こんなはずじゃなかったのに」と思うほど、居心地のいい家族になっている。一緒に住んで生活を共にするとまた別なのだろうが、こうしたイベントの時に顔を揃える程度なら、
いちおう「いい関係」でいられるものなのかもしれない。
かつては当たり前のように同居して生活を共にしていた「家族」というもの。
離れて暮らすようになって、はじめてお互いの存在がどういうものだったのかに気付いて行く。
毎日一緒にいて「嫌な面」ばかり目に入っていた頃は嫌悪感ばかりが募るものだが、今は素直に
「苦労して育ててくれてありがとう」という心情が湧いてくる。
父と母が僕を産んで育ててくれた年代に、今、僕が達しようとしているからなのかもしれない。日々自分の生活を成り立たせるために働くだけでも大変なのに、その上子どもを育てるだなんて、その事実だけでも十分、尊敬に値することだと思う。
父との積年のわだかまりを溶かす、こんなやりとりもあった。
弟が運転する車に父と僕との3人で乗っている時、前をどこかの学校の送迎バスらしきものが通った。
その車体にはデカデカと「おもいやり号」と書いてあった。
父はそれを見るやいなや
「うわっ、ああいうのいちばん嫌いだね。あんな風に掲示しなきゃ実現できない思いやりだなんて、嘘だろう。本当に思いやりがある環境だったら、あんなものは書かなくてもいいはずだ。」
そう言った。
・・・ビックリした。まるで今の僕が言ってもおかしくないような発言ではないか(笑)。
かつての父は、そうした標語を率先して掲げるタイプで、家の中にまで貼ったりするおせっかいな教師気質の人間だった。僕はそういうところが大嫌いだった。
口では理想論ばかり諭したがるが家の中では傍若無人に振る舞う困った頑固親父。そのギャップは激しかった。
家族の前では人間誰しも弱いところを見せるもの。それはわかるのだが・・・あまりにも理不尽な振る舞いをよくするし、感情的でわがままで母を振り廻していた。そういう人が一歩外に出ると「道徳者」として尊敬されている。キャラクターがまったく違うのだ。
僕は反抗期になると父を「偽善者」だと感じて軽蔑し、口も利かない時期があった。
ところが今の父は、僕のイメージする父とはまったく正反対の発言をするようになったのだ。
長年勤めていた仕事を退職し、別の仕事をしたり環境が変わったことで、彼の中でなにか変化があったのだろうか。それとも、もともとそういう反骨精神のある人なのに、子どもたちの前ではサービス過剰に「オヤジ」を演じてしまうがために、自己矛盾を引き起こしていたのだろうか。それはわからない。
ただ言えることは、今の父とはすごく気軽に話せるようになったということ。肩をいからせてばかりいた昔の面影は薄まって物腰が柔らかくなり、まるで友達同士のような感覚で毒舌を吐き合えるようになった。これは以前ではまったく考えられなかったことなのだ。
あいかわらす自分の機嫌しだいで突然短期になる面もあるのだが、僕の気質と父の気質の共通点を見つけることが出来た今回の再会は、単純に嬉しさをもたらしてくれた。
僕は母に、ちょっと高級なシャンプーと石鹸の詰め合わせをプレゼントした。病院では週に二回しか入浴できない。その時に、いい匂いで包まれてほしいなぁと思ったから。
その詰め合わせの中に、ピンク色の熊のぬいぐるみが入っているのをみつけた姉の娘は、母の膝の上に座り全身で喜びを表現しながら遊んでいる。
孫と戯れる母の笑顔は本当に美しい。以前より皺は増えているが、無邪気な笑顔というものは人を最高に輝かせる。僕は二人の作り出す「絵に描いたような幸せ」のような情景を、夢中になって写真に収めた。いつか、この日のことを思い出して笑い合える日が来るように、この瞬間を残しておきたいと思った。
こんな素敵な笑顔をわかちあった日があった。
そういう記憶を心に刻み、糧にして、人は生きて行く。
これからは子どもとして、両親にこういう祝祭の日を作り出して行ける存在になろう。
たまに集まって、ひと時の喜びを分かち合う。それだけでいい。
今までは親が作り出していたそうした時間を、今度は子どもたちが作り出すべきなんだ。
細かいことはどうでもいい。
僕一人の問題なんてどうでもいい。
もう一度、関係を再構築して行く中で、自然に口に出来る日が来るのかもしれない。
あるいは、その日は来なくても
いいものなのかもしれない。
あまりこだわらず、自然な流れに身を任せることにしよう。
今の僕は、そう考えている。
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彼女は今、足の治療で入院しているので、外出許可を得て病院の近くの寿司屋に皆で食事に行った。

たった一年半帰らなかっただけで、自分がその家で育ったという実感を忘れてしまっていることに気が付いた。
理由はわかっている。僕はここ数年、家族と触れ合うということから意識的に逃げてきたからだ。
なんという薄情な奴だろう。
近年、兄弟が次々と結婚する中、自分だけはそうした生活に踏み出せない後ろめたさが募りはじめた。自分がゲイであるという自覚が強まるにつれ、家族からの逃避願望は強くなって行った。

かといって全部ぶちまけてしまえば楽になるというほど、ことは単純ではない。いくら家族といえども、「同性愛」というものへの見解は人それぞれだ。僕がゲイであるということを受けとめられる親なのか、兄弟なのか。慎重に見極めなければならないと思う。なにより自分の覚悟が必要だし、そのリスクを一緒に背負える家族かどうか・・・僕はまだ見極めがつかないのだ。
家族の中にいてもリラックスして一緒にいられない。
そんな風に感じ始めた僕は、心の中から家族を消して、盆も正月も帰らず、自分がやりたい事に時間を費やすことでごまかしてきた。

離婚した。結婚式での二人の華やぎを思い出すと、その後の泥沼の展開に胸が痛む。喜びというものは、それが失われた時に恐ろしいほど残酷な思い出として心に残り続けてしまうものだ。
姉はその後、再婚した。
2歳になる女の子を連れて、今は新しい旦那と住んでいる。
久々に家族が全員、一同に揃った。大抵の場合、僕がいないことが多かったためだ。
姉の娘と、新しい旦那さんも一緒だ。
姉の娘は前の旦那と顔がそっくりだ。久々に見るとドキッとしてしまうのだが一緒にいると馴染んでくる。僕と波長が合うらしく、無邪気になついてきてくれる。常に笑顔で全身から愛嬌を振りまき、皆から常に可愛がられている。可愛い盛りだ。
母は小奇麗な白いブラウスを着て、うっすらと化粧をしてきた。普段化粧には疎い母なのだが、こうした時は一応ちゃんとする。いつもよりテンションが上がっていて、大声でよく笑う。
僕とは「天敵同士」だったはずの父も、なんだか今日は機嫌がいい。しばらく会わないうちに性格がだいぶ丸くなったようで、その変化に僕の方が戸惑っている感じ。
「あれっ、こんなはずじゃなかったのに」と思うほど、居心地のいい家族になっている。一緒に住んで生活を共にするとまた別なのだろうが、こうしたイベントの時に顔を揃える程度なら、
いちおう「いい関係」でいられるものなのかもしれない。

離れて暮らすようになって、はじめてお互いの存在がどういうものだったのかに気付いて行く。
毎日一緒にいて「嫌な面」ばかり目に入っていた頃は嫌悪感ばかりが募るものだが、今は素直に
「苦労して育ててくれてありがとう」という心情が湧いてくる。
父と母が僕を産んで育ててくれた年代に、今、僕が達しようとしているからなのかもしれない。日々自分の生活を成り立たせるために働くだけでも大変なのに、その上子どもを育てるだなんて、その事実だけでも十分、尊敬に値することだと思う。
父との積年のわだかまりを溶かす、こんなやりとりもあった。
弟が運転する車に父と僕との3人で乗っている時、前をどこかの学校の送迎バスらしきものが通った。
その車体にはデカデカと「おもいやり号」と書いてあった。
父はそれを見るやいなや
「うわっ、ああいうのいちばん嫌いだね。あんな風に掲示しなきゃ実現できない思いやりだなんて、嘘だろう。本当に思いやりがある環境だったら、あんなものは書かなくてもいいはずだ。」
そう言った。
・・・ビックリした。まるで今の僕が言ってもおかしくないような発言ではないか(笑)。

口では理想論ばかり諭したがるが家の中では傍若無人に振る舞う困った頑固親父。そのギャップは激しかった。
家族の前では人間誰しも弱いところを見せるもの。それはわかるのだが・・・あまりにも理不尽な振る舞いをよくするし、感情的でわがままで母を振り廻していた。そういう人が一歩外に出ると「道徳者」として尊敬されている。キャラクターがまったく違うのだ。
僕は反抗期になると父を「偽善者」だと感じて軽蔑し、口も利かない時期があった。
ところが今の父は、僕のイメージする父とはまったく正反対の発言をするようになったのだ。
長年勤めていた仕事を退職し、別の仕事をしたり環境が変わったことで、彼の中でなにか変化があったのだろうか。それとも、もともとそういう反骨精神のある人なのに、子どもたちの前ではサービス過剰に「オヤジ」を演じてしまうがために、自己矛盾を引き起こしていたのだろうか。それはわからない。
ただ言えることは、今の父とはすごく気軽に話せるようになったということ。肩をいからせてばかりいた昔の面影は薄まって物腰が柔らかくなり、まるで友達同士のような感覚で毒舌を吐き合えるようになった。これは以前ではまったく考えられなかったことなのだ。
あいかわらす自分の機嫌しだいで突然短期になる面もあるのだが、僕の気質と父の気質の共通点を見つけることが出来た今回の再会は、単純に嬉しさをもたらしてくれた。

その詰め合わせの中に、ピンク色の熊のぬいぐるみが入っているのをみつけた姉の娘は、母の膝の上に座り全身で喜びを表現しながら遊んでいる。
孫と戯れる母の笑顔は本当に美しい。以前より皺は増えているが、無邪気な笑顔というものは人を最高に輝かせる。僕は二人の作り出す「絵に描いたような幸せ」のような情景を、夢中になって写真に収めた。いつか、この日のことを思い出して笑い合える日が来るように、この瞬間を残しておきたいと思った。
こんな素敵な笑顔をわかちあった日があった。
そういう記憶を心に刻み、糧にして、人は生きて行く。
これからは子どもとして、両親にこういう祝祭の日を作り出して行ける存在になろう。
たまに集まって、ひと時の喜びを分かち合う。それだけでいい。
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深作欣二「軍旗はためく下に」●MOVIEレビュー
夫はどうして死んだのか。真相を求める妻の執念。
しあわせな結婚生活も束の間。わずか半年後に夫が召集され戦場へと出征して行く。
無事な帰還を祈る日々もむなしく・・・。
終戦後、夫はなかなか戻らず、ある日紙切れ一枚となって帰還する。「戦死」ではなく手書きで「死亡」としか書かれていない粗末な紙切れ一枚となって。死亡した場所も、死因も不明。
「そんな馬鹿なことがあってたまるか」と厚生省に通い続ける彼女だが、そうしたケースは山のようにあるためなかなか調査は進まない。
しかも「戦死」扱いではないため補償も受けられない。最愛の夫の死を受け入れられず、宙ぶらりんなまま過ごしてしまった彼女の二十数年。
8月15日。
毎年、まるで儀式であるかのように彼女は厚生省を訪ねる。
主演の左幸子の鋭い眼光が、この女の静かさの中に秘められたナイフの鋭さを感じさせて目が離せない。
人によって食い違う証言。謎は深まるばかり。
その年、やっと厚生省が動いてくれていた。関係者に手紙で聞き取りをしたという。特にめぼしい情報はなかったが、3人だけ返事を寄越さなかった人がいるという。彼女は早速その人たちに会いに行く。
一人目は、ごみ貯めのような埋立地に一人で豚を飼っている男。
彼の証言では、夫は南方の島で勇敢に部隊を指揮し、立派な戦死だったという。
嬉しさに涙がこみ上げるものの、もっと詳しく知りたくなった彼女は2人目、3人目と会って行く。するとどうだろう。まったく違う事実が証言されて行くのだ。
どうやら終戦後、島に残っていた日本軍の内部で軍法会議にかけられ、夫は処刑されたらしい。だから「戦死」ではなく「死亡」なのだ。
彼女は衝撃を受け理由を問いただす。現在は平和な暮らしをしている証言者たちは、なかなか語ろうとはしない。語っていることも本当のことなのかはわからない。
しかし、彼女の心中に潜むナイフの鋭さに圧され、次第に語りだす。
そして、おそるべき戦場の実態と軍隊の腐敗、人間としての極限状況が浮かびあがるのだ。
死人に口なし。戦場の実態は、生き残ったわずかな帰還者が都合よく語れてしまう。
南方の激戦地で生き残り帰還した者といえども、戦後30年も経てば日常をフツーに暮らしているものだ。
実際に戦場でなにがあったのか。戦友たちがどうして死に、自分はどうして生き残ることが出来たのか。語ることが出来るのは、ほんの一握りの生還者しかいない。
証言の食い違いは、そうしたこととも関係しているのだろうか。「記憶」とか「証言」と言ったものの信憑性は、かなり疑ってかからなければならないものである。
そして彼女は気付いて行く。夫の死因は、「語ってはいけないもの」「語ることにより誰かの不正が明かされてしまうもの」・・・そうした種類のものだということを。
人間としての極限。人肉食。
食糧が尽き飢餓状態になれば、日本軍では敗残兵たちの間で「人肉食」が行なわれることも珍しくなかったという。亡くなったばかりの戦友の尻や腕の肉、内臓などを煮て食ってしまうのだ。
これは数々の戦記物や生還者達の証言によって語られていることであり、事実であると言っていい。
ある証言者は彼女にそうした話を語って聞かせ、夫がその罪で罰せられたかのように印象付ける。彼女は衝撃を受けるが、すでに証言というものの信憑性を疑っている彼女は簡単には信じない。証言のどれもが、自分の夫のことを言っているのか、似たような境遇の別人のことを言っているのかすら判断できない、じつに曖昧なものなのだ。
英雄として戦死したのか。
人肉食の罪で処刑されたのか。
それとももっと別の、隠されなければならない事情によるものなのか。
やがて彼女は真相を知る。
それは、最初に会いに行った豚を飼う男の口から語られる。
英雄談はやっぱり嘘だった。
そして彼女は、なんともやりきれない不条理に辿り着いてしまうのだ。
深作欣二監督のグロテスク・ワールド炸裂。どんなに残酷だろうが視覚化して提示。
この映画では色んなパターンの証言を、徹底して映像化し観客に提示する。英雄になったり人肉食者になったりと、様々な状況における夫の姿を丹波哲郎が演じわける。
カメラマンはドキュメンタリー映画界の瀬川浩。柔軟に動くカメラの運動神経はまるで実写を見ているかのようで迫真力がある。
現代の平穏な日々と、極限状況にある戦場との、時間も空間も遠く隔たった距離感を見事に観客に印象付けることに成功している。本当に、いい仕事をしていると思う。
深作欣二監督といえば「仁義なき戦い」や「バトル・ロワイヤル」でもわかるとおり、徹底的に暴力や人間の残酷さをグロテスクに乾いたタッチで提示する名人。この映画でもその持ち味は充分に生かされ、人間の本質が内臓から抉り出されるかのような迫力に満ちた作品に仕上げている。
浜辺で悶える左幸子がすごい。動物としての「女」を強烈に表現。
中でも凄かったのが、主演の左幸子が帰らぬ夫を思って浜辺で波に紛れながら身悶えする場面。
激しく打ち寄せる波打ち際で、火照る「女」の体は夫の愛撫を求めて激しく波と戯れる。
叶わぬ激情に身を焦がし、夫を思い叫びながら浜辺でマスターベーションをしているかのような強烈な求愛の表現に、女というものの持つあたりまえの「業」が刻印されている。そして、夫以外の男には絶対に身体を許さず「後家」として生きる決意をした女の悲しさと強さが、情念の塊となって強烈に表現されている。
僕は今まで女優としての左幸子をあまり知らなかったが、この場面で発散される彼女のエネルギーには圧倒され、素晴らしい女優さんだと驚かされた。彼女の女優人生の中でも代表されるべき名演技なのではなかろうか。
鋭い眼光といい、小柄で生活感あふれる体つきといい、彼女以外にこの役は考えられなかっただろう。
謎解きのサスペンス。謎の先にはさらなる謎が。
観客は主人公と一緒に、遠い戦場の真相を知るべく謎解きを愉しむことが出来る。深入りするほどに衝撃は大きくなり目が離せなくなる。
そしてこの映画のすごいところは、謎が解かれたからといってそこで「解決」するわけではなく、さらに大きな迷宮の存在に気付かされ呆気にとられるしかなくなるということだ。
戦争というもの。軍隊というもの。この国の在りよう。そして人間というもの。
複雑に絡まりあうそれらの糸に、がんじがらめにされたまま死んだ夫。真相を突き止めたところで、いまさら彼女の二十数年は戻ってこない。
浜辺で身悶えた女の情念は、誰が受けとめてくれたというのだろう。
今年は戦後60年。
この映画の主人公達の世代は確実に死期が迫っている。
生々しい情念を持って戦争の時代を生き抜き、愛する者の不条理な死を体験した数々の人生の行く末が、せめてあたたかさに包まれていることを願う。
忘れられないものは、忘れられないものだけど。
監督・・・深作欣二
脚本・・・新藤兼人
原作・・・結城昌治
撮影・・・瀬川浩
音楽・・・林光
美術・・・入野達弥
録音・・・大橋鉄矢
照明・・・平田光治
編集・・・浦岡敬一
出演・・・丹波哲郎 左幸子 中村翫右衛門 江原真二郎 夏八木勲 山本耕一
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終戦後、夫はなかなか戻らず、ある日紙切れ一枚となって帰還する。「戦死」ではなく手書きで「死亡」としか書かれていない粗末な紙切れ一枚となって。死亡した場所も、死因も不明。
「そんな馬鹿なことがあってたまるか」と厚生省に通い続ける彼女だが、そうしたケースは山のようにあるためなかなか調査は進まない。
しかも「戦死」扱いではないため補償も受けられない。最愛の夫の死を受け入れられず、宙ぶらりんなまま過ごしてしまった彼女の二十数年。
8月15日。
毎年、まるで儀式であるかのように彼女は厚生省を訪ねる。
主演の左幸子の鋭い眼光が、この女の静かさの中に秘められたナイフの鋭さを感じさせて目が離せない。
人によって食い違う証言。謎は深まるばかり。

一人目は、ごみ貯めのような埋立地に一人で豚を飼っている男。
彼の証言では、夫は南方の島で勇敢に部隊を指揮し、立派な戦死だったという。
嬉しさに涙がこみ上げるものの、もっと詳しく知りたくなった彼女は2人目、3人目と会って行く。するとどうだろう。まったく違う事実が証言されて行くのだ。
どうやら終戦後、島に残っていた日本軍の内部で軍法会議にかけられ、夫は処刑されたらしい。だから「戦死」ではなく「死亡」なのだ。
彼女は衝撃を受け理由を問いただす。現在は平和な暮らしをしている証言者たちは、なかなか語ろうとはしない。語っていることも本当のことなのかはわからない。
しかし、彼女の心中に潜むナイフの鋭さに圧され、次第に語りだす。
そして、おそるべき戦場の実態と軍隊の腐敗、人間としての極限状況が浮かびあがるのだ。
死人に口なし。戦場の実態は、生き残ったわずかな帰還者が都合よく語れてしまう。

実際に戦場でなにがあったのか。戦友たちがどうして死に、自分はどうして生き残ることが出来たのか。語ることが出来るのは、ほんの一握りの生還者しかいない。
証言の食い違いは、そうしたこととも関係しているのだろうか。「記憶」とか「証言」と言ったものの信憑性は、かなり疑ってかからなければならないものである。
そして彼女は気付いて行く。夫の死因は、「語ってはいけないもの」「語ることにより誰かの不正が明かされてしまうもの」・・・そうした種類のものだということを。
人間としての極限。人肉食。

これは数々の戦記物や生還者達の証言によって語られていることであり、事実であると言っていい。
ある証言者は彼女にそうした話を語って聞かせ、夫がその罪で罰せられたかのように印象付ける。彼女は衝撃を受けるが、すでに証言というものの信憑性を疑っている彼女は簡単には信じない。証言のどれもが、自分の夫のことを言っているのか、似たような境遇の別人のことを言っているのかすら判断できない、じつに曖昧なものなのだ。
英雄として戦死したのか。
人肉食の罪で処刑されたのか。
それとももっと別の、隠されなければならない事情によるものなのか。
やがて彼女は真相を知る。
それは、最初に会いに行った豚を飼う男の口から語られる。
英雄談はやっぱり嘘だった。
そして彼女は、なんともやりきれない不条理に辿り着いてしまうのだ。
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カメラマンはドキュメンタリー映画界の瀬川浩。柔軟に動くカメラの運動神経はまるで実写を見ているかのようで迫真力がある。
現代の平穏な日々と、極限状況にある戦場との、時間も空間も遠く隔たった距離感を見事に観客に印象付けることに成功している。本当に、いい仕事をしていると思う。
深作欣二監督といえば「仁義なき戦い」や「バトル・ロワイヤル」でもわかるとおり、徹底的に暴力や人間の残酷さをグロテスクに乾いたタッチで提示する名人。この映画でもその持ち味は充分に生かされ、人間の本質が内臓から抉り出されるかのような迫力に満ちた作品に仕上げている。
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激しく打ち寄せる波打ち際で、火照る「女」の体は夫の愛撫を求めて激しく波と戯れる。
叶わぬ激情に身を焦がし、夫を思い叫びながら浜辺でマスターベーションをしているかのような強烈な求愛の表現に、女というものの持つあたりまえの「業」が刻印されている。そして、夫以外の男には絶対に身体を許さず「後家」として生きる決意をした女の悲しさと強さが、情念の塊となって強烈に表現されている。
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鋭い眼光といい、小柄で生活感あふれる体つきといい、彼女以外にこの役は考えられなかっただろう。
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戦争というもの。軍隊というもの。この国の在りよう。そして人間というもの。
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今年は戦後60年。
この映画の主人公達の世代は確実に死期が迫っている。
生々しい情念を持って戦争の時代を生き抜き、愛する者の不条理な死を体験した数々の人生の行く末が、せめてあたたかさに包まれていることを願う。
忘れられないものは、忘れられないものだけど。

「軍旗はためく下に」製作・・・松丸青史 時実象平
製作=東宝=新星映画社
1972.03.12公開 97分
カラー シネマスコープ
監督・・・深作欣二
脚本・・・新藤兼人
原作・・・結城昌治
撮影・・・瀬川浩
音楽・・・林光
美術・・・入野達弥
録音・・・大橋鉄矢
照明・・・平田光治
編集・・・浦岡敬一
出演・・・丹波哲郎 左幸子 中村翫右衛門 江原真二郎 夏八木勲 山本耕一
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八月納涼歌舞伎「法界坊」●PLAYレビュー
歌舞伎を観たのは10年ぶりだ。
10年前の僕は「東京に出てくる」ということだけで興奮し、見るもの聞くものが珍しかったというおめでたい奴だった。「こ、これがあの有名な歌舞伎座・・・本物だぁ・・・」と建物を見上げながら単純に感動したことを憶えている。

当時は学生だったから当然のごとく金はない。
いちばん安いチケットを買い3階席の後ろの方から観たのだが、そこで巻き起こる現象のすべてが面白くて新鮮だった。
遠く下の方に見える舞台に向かって、隣の席のおじさんが突然「ヨッ○○屋っ!」と声を掛ける驚き。しかも何人もあちこちから声を掛けるのに、しっかりと声が揃っているのも不思議。
大きくて色鮮やかな舞台セットと、役者の衣裳にも目を奪われた。物語の筋はわからなくても、舞踊として視覚をちゃんと楽しませてくれる。
そしてなにより、場内に漂うあたたかな雰囲気がいい。
現代劇(新劇系)の舞台に親しんでいた僕にとっては、観客が作り出す歌舞伎座独自の「場」の雰囲気が珍しかったし心地よかった。
その後、行く機会はなかった。なんとなく取っ付きにくい印象は拭えなかった。歌舞伎独自の様式や物語に親しんでおかないと、やっぱり敷居が高く思えてしまう。
しかし今回突然、観る機会が訪れた。10年前の感激の記憶と照らし合わせながら、今の僕がなにを感じるのかがとても楽しみになり、出かけてみた。
歌舞伎鑑賞2回目の、とても素朴で幼稚なレビューになることをお許し願いたい。
えっ、あの人たちみんな男?・・・性の超越ぶりがあまりにも自然。
一階席のほぼ真ん中という好条件での観劇。舞台が近い。花道も近い。10年前とはまったく別の劇場に来たみたいだ。
イヤホンガイドを借りて準備は万端。緞帳が開いてさあはじまった。
お茶屋の店先で女中さんたちが歌舞伎調の台詞回しで喋っている。
来たぞ来たぞ、これぞ歌舞伎っ!
綺麗で華やかで明るい世界に浸ろうかと思いきや、ん?・・・そういえば。初歩的な疑問が頭をよぎる。
歌舞伎役者ってみんな男なんだよねえ。たとえ女中さんの役でもそうなんだよねえ。
えっ・・・あの、どう見てもナチュラルに軽い身のこなしで女として振る舞っている人が、実生活では男なのか?
声だって全然太くない・・・。さすが。歌舞伎の芸は幼い頃からみっちりと仕込まれるというから、これは訓練の成果なのだろう。
「女形」というにはあまりにもナチュラル。「女」を誇示していないのに自然に女として舞台に存在している。舞台上における性の越境ぶりの自然さに、クラクラと軽いめまいがした(笑)
串田和美さんが演出という期待。
歌舞伎は一日中上演している。僕は夜6時からの「法界坊」を見たのだが、演出は串田和美さん。なんと、現代演劇界におけるビッグ・ネームではないか。
かつて「オンシアター自由劇場」を主宰し吉田日出子さんらと「上海バンスキング」などのヒット作を作った彼。現在ではフリーの演出家として数々の舞台を演出し続けている。
歌舞伎の演出は何度か経験があるらしいが、僕は今回はじめてそのことを知り、驚いた。
黒テントなどで実験的で先鋭的な舞台を演出してきた串田さんが歌舞伎!?。
野田秀樹さんや蜷川幸雄さんも最近は歌舞伎の演出に進出しているという。
それだけ歌舞伎界が「新鮮な現代の空気」を取り入れ、革新して行こうという意欲に満ちているのだと思う。なかなか面白い展開であり今後が楽しみだ。
役者同士の関係性を丁寧に構築。「様式」で死んだ演技を否定する。
串田さんの演出は、俳優の演技の質に如実に現われていた。
基本的には歌舞伎の節回しを大切にしつつ、時々、まるで現代劇であるかのような「遊び」を俳優にやらせるのだ。
上手い俳優は、そうしたアドリブであるかのような「遊び」を楽しみ、客席を沸かせる。それは相手役との関係性をしっかりと把握し、「様式だから」という安心感に埋没してしまわない「生きた」演技の形である。しかし「遊び」はあくまでも「遊び」。歌舞伎調の様式という基本にすぐ戻れるからこそ遊べるのである。
「現代的遊び」と「伝統様式」との行ったり来たり。
その浮遊した演技感覚が自ずと俳優たちに緊張感を持続させ、観客にもスリルを与える。
だから歌舞伎なのにちっとも眠たくならないのだ。
主役の法界坊を演じる中村勘三郎さんは、その点やはり「ピカ一」で、演出家の要請を見事に消化していた。
法界坊とは「悪僧」のことなのだが、基本的にダラダラとした崩した姿勢で存在し、幼子のような幼稚さも兼ね備えたコミカルな役柄を飄々と楽しんでみせてくれる。身体が身軽だし、アドリブもバンバン入るから目が離せない。
彼が舞台にいる時といない時では、「場」の温度が明らかに違うように感じられた。
伝統芸能というものはどうしても「様式」に甘んじて死んだ演技をしがちになる。
見ている者は退屈しやすく、眠くなりがちだ。
しかしこうした現代劇における演技の基本を導入することによって、生き生きと躍動をはじめるのだ。だからこそ、歌舞伎界から現代演劇の演出家へのラブ・コールが絶えないのだろう。
歌舞伎界は、生き残るための大切な鉱脈を見つけたのである。
歌舞伎とは「見えないはずのものを見せてしまって、あっけらかんと笑い飛ばす遊び」である。
物語は基本的には、封建制度の理不尽さに翻弄され、恨みや妬みがぶつかり合って殺し合いにまで進展して行くという歌舞伎の王道どおりの展開。
きれいだったはずの登場人物の心に潜んでいた「エロ」や「悪」が、どんどん露呈してゆくさまはグロテスク。滑稽なくらいに様式で誇張されるものだから、その露悪的な物語がちっとも陰惨には感じられないのがいい。
立ち回りで相手の腕を切り落としたらユーモラスに飛んで行ったり、顔を切りつけたらパカッと割れて中の肉が丸見えになったり。本当ならば正視するのも憚られるような気持ち悪い出来事を、平気で軽々とやってしまうのだ。
演出家は、こうした歌舞伎の特色を意識的にわざと誇張して、際立たせる仕掛けをいくつも設けている。
黒は「見えないもの」の象徴。そこをあえて「見せる」演出。
たとえば、暗闇の中で何かを求めて探りあい、立ち回る「だんまり」という無言劇の場面。
本来は背景に黒幕を張ったり照明を暗くして「暗闇」を表現し、その中をスローモーションのように皆が動きまわるというスタイルなのだが、串田演出ではわざと客席の電気までつけて煌々とまぶしい中で「だんまり」を行わせた。
最初は違和感があってどう観たらいいのか戸惑う観客も、しだいに「普段は隠されていて見えないもの」の細部までじっくりと観ることの楽しみを見出して行く。
「黒子」の存在も際立たせた。「黒子」は本来、舞台上に出てきても「見えないもの」として扱われる存在。ところが串田演出は黒子にも物語に介入させ登場人物とコミュニケートさせたり、意志を持った人格としてさまざまな悪戯をさせている。
雷の場面ではわざと「風神・雷神」のパネルをあざといまでに吊るして登場させ、目には見えないはずの自然界の神々の存在をも舞台上に現出させる。歌舞伎の持つ「あざとさ」を余計に際立たせて批評してみようという試みを感じた。
そして、たぶん串田さんが最も(?)こだわったであろう演出が、二幕のラスト近くにあった。
法界坊が幽霊となってロープで吊るされ、客席の上を彷徨う場面のあと。
吊られた幽霊が姿を消し、さあこれで終わりかと思いきや、いきなり舞台の隅に大きなサーチライトが一つ登場し、ものすごい光量で天井を照らし出す。縦横無尽に動き回るライトの先に、
なにかが捕らえられて照らし出されるのかのような期待を持たせておいて、結局はなにも照らし出さずに、行き場をなくしたかのようにライトは去って行く。
一見すると意味がない。しかし、何かが暗示されているような気がして胸に引っかかった。
謎のサーチライトが象徴するもの。
観劇当日の僕は、この謎の演出の意味がわからなかった。
物語とは関係のない意味不明なことをするということは、演出家がその場面に強いこだわりを持って仕組んだということを意味する。あの仕掛けはなんだったのだろう。
今日になって突然わかったような気がした。
あれは「見えないものを見えるようにしたい」という、「露悪」への憧れを持ち続ける人間存在というものを象徴したかったのではないだろうか。
「なかなか見えない」からこそ、「もっと見よう」と思って人は惹きつけられる。しかも隠されていて「悪」の香りがするものに、人は根源的な魅力を感じて引き寄せられる。エロスというものはそういうものだ。
しかし現代社会はそうした「悪」や「汚いもの」をどんどん、社会の表舞台から抹殺して「クリーンな」管理社会へと変貌しようとしている。人間本来の多様性は否定されて画一化され、不自由で息苦しい社会を我々は築きつつある。
そうした流れの中でも人間の根源にはやっぱり「悪」がある。「悪」とは「人間の本能」の別名だと僕は考える。本能を無くしたら、すでにそれは人間ではない。
社会の息苦しさによって「悪」のガス抜きができにくくなってしまったら、歪んだ形で「悪」は蓄積されて行く。鬱積されたマグマはいつか必ず噴火する。そのための出口を塞いでしまうのが現代社会。じゃあ、どういう形で噴火すればいいのか。自分で新たに捜さなければならない時代なのだ。
歌舞伎は「悪」をあっけらかんと舞台上に提示し、観客に大笑いさせたり美しさに酔わせたりする。昔から「悪場所」と揶揄されながらも人々に求められて来たのは、歌舞伎のグロテスクな「悪」を見に行くことで、自らの「悪」をガス抜き出来るからなのかもしれない。
本当の暗闇の深さを知らなくなったわれわれ。
あのサーチライトは、現代のわれわれの欲望の姿だ。
幽霊を探しても、私たちには見えなくなってしまった。
あまりにも明るくクリーンで清潔な「良識」の灯りに包まれることに慣れてしまったから。
もう、幽霊や魑魅魍魎たちのおそろしくも魅力的な姿に、本当の意味で怯えることが我々には出来なくなってしまった。
そもそも東京に住んでいると、夜でも「闇」がない。
深夜でも地上のネオンサインが夜空を染め上げていて、路地という路地には外灯が赤々と点いている。闇に潜む幽霊の存在など、想像すら出来なくなる。
こうして人間としての本能は、どんどん鈍くなり殺されてゆくのだ。
なんとつまらないことだろう。
闇の深さを知らなければ光の素晴らしさも知ることは出来ないというのに。
そう思うと、あの日見た歌舞伎のすべての場面が、遠い世界にある懐かしいけれどももう届かない、グロテスクな夢の世界に思えてくる。なんだかせつない。
見えないからこそ見ようとする。
見えないものがなくなったら、見ようとすることすらしなくなってしまう。
そうした力に対抗し、人間のありのままをみつめようとする営み。
昔も今も、歌舞伎の本質は「ロック」である。

歌舞伎座にて8月28日まで
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10年前の僕は「東京に出てくる」ということだけで興奮し、見るもの聞くものが珍しかったというおめでたい奴だった。「こ、これがあの有名な歌舞伎座・・・本物だぁ・・・」と建物を見上げながら単純に感動したことを憶えている。

当時は学生だったから当然のごとく金はない。
いちばん安いチケットを買い3階席の後ろの方から観たのだが、そこで巻き起こる現象のすべてが面白くて新鮮だった。
遠く下の方に見える舞台に向かって、隣の席のおじさんが突然「ヨッ○○屋っ!」と声を掛ける驚き。しかも何人もあちこちから声を掛けるのに、しっかりと声が揃っているのも不思議。
大きくて色鮮やかな舞台セットと、役者の衣裳にも目を奪われた。物語の筋はわからなくても、舞踊として視覚をちゃんと楽しませてくれる。
そしてなにより、場内に漂うあたたかな雰囲気がいい。
現代劇(新劇系)の舞台に親しんでいた僕にとっては、観客が作り出す歌舞伎座独自の「場」の雰囲気が珍しかったし心地よかった。
その後、行く機会はなかった。なんとなく取っ付きにくい印象は拭えなかった。歌舞伎独自の様式や物語に親しんでおかないと、やっぱり敷居が高く思えてしまう。
しかし今回突然、観る機会が訪れた。10年前の感激の記憶と照らし合わせながら、今の僕がなにを感じるのかがとても楽しみになり、出かけてみた。
歌舞伎鑑賞2回目の、とても素朴で幼稚なレビューになることをお許し願いたい。

一階席のほぼ真ん中という好条件での観劇。舞台が近い。花道も近い。10年前とはまったく別の劇場に来たみたいだ。
イヤホンガイドを借りて準備は万端。緞帳が開いてさあはじまった。
お茶屋の店先で女中さんたちが歌舞伎調の台詞回しで喋っている。
来たぞ来たぞ、これぞ歌舞伎っ!
綺麗で華やかで明るい世界に浸ろうかと思いきや、ん?・・・そういえば。初歩的な疑問が頭をよぎる。
歌舞伎役者ってみんな男なんだよねえ。たとえ女中さんの役でもそうなんだよねえ。
えっ・・・あの、どう見てもナチュラルに軽い身のこなしで女として振る舞っている人が、実生活では男なのか?
声だって全然太くない・・・。さすが。歌舞伎の芸は幼い頃からみっちりと仕込まれるというから、これは訓練の成果なのだろう。
「女形」というにはあまりにもナチュラル。「女」を誇示していないのに自然に女として舞台に存在している。舞台上における性の越境ぶりの自然さに、クラクラと軽いめまいがした(笑)
串田和美さんが演出という期待。

かつて「オンシアター自由劇場」を主宰し吉田日出子さんらと「上海バンスキング」などのヒット作を作った彼。現在ではフリーの演出家として数々の舞台を演出し続けている。
歌舞伎の演出は何度か経験があるらしいが、僕は今回はじめてそのことを知り、驚いた。
黒テントなどで実験的で先鋭的な舞台を演出してきた串田さんが歌舞伎!?。
野田秀樹さんや蜷川幸雄さんも最近は歌舞伎の演出に進出しているという。
それだけ歌舞伎界が「新鮮な現代の空気」を取り入れ、革新して行こうという意欲に満ちているのだと思う。なかなか面白い展開であり今後が楽しみだ。
役者同士の関係性を丁寧に構築。「様式」で死んだ演技を否定する。

基本的には歌舞伎の節回しを大切にしつつ、時々、まるで現代劇であるかのような「遊び」を俳優にやらせるのだ。
上手い俳優は、そうしたアドリブであるかのような「遊び」を楽しみ、客席を沸かせる。それは相手役との関係性をしっかりと把握し、「様式だから」という安心感に埋没してしまわない「生きた」演技の形である。しかし「遊び」はあくまでも「遊び」。歌舞伎調の様式という基本にすぐ戻れるからこそ遊べるのである。
「現代的遊び」と「伝統様式」との行ったり来たり。
その浮遊した演技感覚が自ずと俳優たちに緊張感を持続させ、観客にもスリルを与える。
だから歌舞伎なのにちっとも眠たくならないのだ。
主役の法界坊を演じる中村勘三郎さんは、その点やはり「ピカ一」で、演出家の要請を見事に消化していた。
法界坊とは「悪僧」のことなのだが、基本的にダラダラとした崩した姿勢で存在し、幼子のような幼稚さも兼ね備えたコミカルな役柄を飄々と楽しんでみせてくれる。身体が身軽だし、アドリブもバンバン入るから目が離せない。
彼が舞台にいる時といない時では、「場」の温度が明らかに違うように感じられた。
伝統芸能というものはどうしても「様式」に甘んじて死んだ演技をしがちになる。
見ている者は退屈しやすく、眠くなりがちだ。
しかしこうした現代劇における演技の基本を導入することによって、生き生きと躍動をはじめるのだ。だからこそ、歌舞伎界から現代演劇の演出家へのラブ・コールが絶えないのだろう。
歌舞伎界は、生き残るための大切な鉱脈を見つけたのである。
歌舞伎とは「見えないはずのものを見せてしまって、あっけらかんと笑い飛ばす遊び」である。

きれいだったはずの登場人物の心に潜んでいた「エロ」や「悪」が、どんどん露呈してゆくさまはグロテスク。滑稽なくらいに様式で誇張されるものだから、その露悪的な物語がちっとも陰惨には感じられないのがいい。
立ち回りで相手の腕を切り落としたらユーモラスに飛んで行ったり、顔を切りつけたらパカッと割れて中の肉が丸見えになったり。本当ならば正視するのも憚られるような気持ち悪い出来事を、平気で軽々とやってしまうのだ。
演出家は、こうした歌舞伎の特色を意識的にわざと誇張して、際立たせる仕掛けをいくつも設けている。
黒は「見えないもの」の象徴。そこをあえて「見せる」演出。

本来は背景に黒幕を張ったり照明を暗くして「暗闇」を表現し、その中をスローモーションのように皆が動きまわるというスタイルなのだが、串田演出ではわざと客席の電気までつけて煌々とまぶしい中で「だんまり」を行わせた。
最初は違和感があってどう観たらいいのか戸惑う観客も、しだいに「普段は隠されていて見えないもの」の細部までじっくりと観ることの楽しみを見出して行く。
「黒子」の存在も際立たせた。「黒子」は本来、舞台上に出てきても「見えないもの」として扱われる存在。ところが串田演出は黒子にも物語に介入させ登場人物とコミュニケートさせたり、意志を持った人格としてさまざまな悪戯をさせている。
雷の場面ではわざと「風神・雷神」のパネルをあざといまでに吊るして登場させ、目には見えないはずの自然界の神々の存在をも舞台上に現出させる。歌舞伎の持つ「あざとさ」を余計に際立たせて批評してみようという試みを感じた。
そして、たぶん串田さんが最も(?)こだわったであろう演出が、二幕のラスト近くにあった。
法界坊が幽霊となってロープで吊るされ、客席の上を彷徨う場面のあと。
吊られた幽霊が姿を消し、さあこれで終わりかと思いきや、いきなり舞台の隅に大きなサーチライトが一つ登場し、ものすごい光量で天井を照らし出す。縦横無尽に動き回るライトの先に、
なにかが捕らえられて照らし出されるのかのような期待を持たせておいて、結局はなにも照らし出さずに、行き場をなくしたかのようにライトは去って行く。
一見すると意味がない。しかし、何かが暗示されているような気がして胸に引っかかった。
謎のサーチライトが象徴するもの。

物語とは関係のない意味不明なことをするということは、演出家がその場面に強いこだわりを持って仕組んだということを意味する。あの仕掛けはなんだったのだろう。
今日になって突然わかったような気がした。
あれは「見えないものを見えるようにしたい」という、「露悪」への憧れを持ち続ける人間存在というものを象徴したかったのではないだろうか。
「なかなか見えない」からこそ、「もっと見よう」と思って人は惹きつけられる。しかも隠されていて「悪」の香りがするものに、人は根源的な魅力を感じて引き寄せられる。エロスというものはそういうものだ。
しかし現代社会はそうした「悪」や「汚いもの」をどんどん、社会の表舞台から抹殺して「クリーンな」管理社会へと変貌しようとしている。人間本来の多様性は否定されて画一化され、不自由で息苦しい社会を我々は築きつつある。
そうした流れの中でも人間の根源にはやっぱり「悪」がある。「悪」とは「人間の本能」の別名だと僕は考える。本能を無くしたら、すでにそれは人間ではない。
社会の息苦しさによって「悪」のガス抜きができにくくなってしまったら、歪んだ形で「悪」は蓄積されて行く。鬱積されたマグマはいつか必ず噴火する。そのための出口を塞いでしまうのが現代社会。じゃあ、どういう形で噴火すればいいのか。自分で新たに捜さなければならない時代なのだ。
歌舞伎は「悪」をあっけらかんと舞台上に提示し、観客に大笑いさせたり美しさに酔わせたりする。昔から「悪場所」と揶揄されながらも人々に求められて来たのは、歌舞伎のグロテスクな「悪」を見に行くことで、自らの「悪」をガス抜き出来るからなのかもしれない。
本当の暗闇の深さを知らなくなったわれわれ。

幽霊を探しても、私たちには見えなくなってしまった。
あまりにも明るくクリーンで清潔な「良識」の灯りに包まれることに慣れてしまったから。
もう、幽霊や魑魅魍魎たちのおそろしくも魅力的な姿に、本当の意味で怯えることが我々には出来なくなってしまった。
そもそも東京に住んでいると、夜でも「闇」がない。
深夜でも地上のネオンサインが夜空を染め上げていて、路地という路地には外灯が赤々と点いている。闇に潜む幽霊の存在など、想像すら出来なくなる。
こうして人間としての本能は、どんどん鈍くなり殺されてゆくのだ。
なんとつまらないことだろう。
闇の深さを知らなければ光の素晴らしさも知ることは出来ないというのに。
そう思うと、あの日見た歌舞伎のすべての場面が、遠い世界にある懐かしいけれどももう届かない、グロテスクな夢の世界に思えてくる。なんだかせつない。
見えないからこそ見ようとする。
見えないものがなくなったら、見ようとすることすらしなくなってしまう。
そうした力に対抗し、人間のありのままをみつめようとする営み。
昔も今も、歌舞伎の本質は「ロック」である。

「法界坊(ほうかいぼう) 」演出・串田和美(ポスターの人形制作も→)
序幕 深川宮本の場より
大喜利 隅田川の場まで
浄瑠璃「双面水照月」
歌舞伎座にて8月28日まで
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大学時代、ゲイを演じることになり・・・完結

観終わったばかりの上気した観客たちが出てくるのを「ありがとうございました~」と見送るわけですが、そこに両親の姿があるのを見つけて驚きました。なぜならこの公演のことは、教えた覚えがなかったからです。
公演の直前というのは準備で大忙しになり、朝早くから出かけ、帰りは深夜になります。学校に泊り込んだりもしていたので顔を合わせにくくなっていたということもあるのですが・・・。僕の心の中で両親に知らせることへのためらいが無かったと言えば嘘になります。
しかし両親は、「この忙しさは公演前に違いない」と気づいていたらしく、僕の留守中に、用事があって電話してきた演劇部の同級生から、ちゃっかりと公演日程を聞いていたのでした。
僕は恥ずかしいので気付かぬ振りして、友人たちに「ありがとう~」と話しかけていたのですが、両親はそんな気も知らずに寄って来ます。
「なんで知らせないのよ。」
母が言います。
「忙しかったから。」
そっけなく応える僕。
「身体に気をつけろよ。」
父はそう言ってさっさと行ってしまったのですが、その時母が屈託ない笑顔で言いました。
「こういう内容だから知らせなかったの?」
うわっ!来た!・・・と焦った僕は
「いや・・・べつに。」
とはぐらかします。
「ちゃんと知らせなさいよ。お父さん、楽しみにしてるんだから。じゃあね。」
それ以上話を発展させず、母も帰って行きました。自分の気持ちを「誰かが言っている」という風に表現するのが母親の常套手段。そして、思ったことをストレートに言って来るのもこの母親。深い意味を込めて言っている訳ではなさそうだったのですが、真意の程はいまだに定かではありません。

「本当にゴメンなぁ。真っ白になっちゃって、とりあえずキスしてりゃあ誰かが何とかしてくれるだろうと開き直っちゃったよ~。」
と手を合わせて必死に謝ります。
「苦しかったけど嬉しかったです(笑)。
明日もヨロシク。」
と、とりあえずジョークの中に本音を含ませて応えておく僕。それを聞いていた先輩の彼女役の人がすかさず、
「ホント最悪だよね~。あたしあの時、マジでムカついたからカバンをおもいっきり叩きつけちゃった。」
と、機転を利かせたのではなくキレたのだということを明かします。たしかに、ものすごい音がしたことは確かです。・・・やってくれます(笑)。
反省会で演出家は
「まったくヒヤヒヤさせるわね~。あたしのつまらない脚本への挑戦状?」
と笑いながら毒をまぶしてきました。
「まあでも成立してたから許すけど。明日こそは初日が出るようにヨロシクね、じゃ、お疲れ。」
そう言って例の如くクールに帰っていきました。
「初日が出る」というのは演劇の現場で演出家がよく使う言葉。
彼女がこういう言い方をしたということは、演出家としてはこの初日の公演には納得が行かなかったということを意味します。
根が真面目な先輩はこの言われ方が気になったらしく「もう二度と繰り返したくないから」と、翌日この3人だけで自主稽古をしようと提案しました。

僕は一度目のキスよりも、この時の感覚の方をよく憶えています。
野外で、気の知れた仲間しか見ていないという安心感の中だったので、十二分にキスの感触を楽しむことが出来ました。
先輩は「一度しちゃうと、けっこう平気になるもんだね~。」と言いながら、僕を使って何度もキスの稽古をしてきます。彼女役の人は「もうちょっとこうしなさいよ。」と、ニヤニヤしながらキスの形を指導します。僕は二人に任せ、されるがままに何度も先輩のやわらかい唇を楽しみました。
もちろん表向きは「あんまりやると感動しなくなるね~。」と二人には言っておきましたが・・・内心では幸せにひたっていました(笑)。
思えば、僕の「ファースト・キス」だからとぶっつけ本番を提案してくれた先輩ですが、実は役者として不安だったんだと思います。そのやさしさに気付いた時、ますます先輩を尊敬し、好きになって行きました。彼女がいるのは知っていたし、そんな度胸も無かったので告白はしませんでしたが、公演期間中は本当に大好きでした。本番が幸せでした。
いつも彼女を公演に呼ぶ先輩ですが、この時は呼ばなかったと後で聞きました。
7回の公演は一応好評だったらしく、回数を重ねるたびにお客さんは増えて行ったようです。
小さな会場だったので満席になり、千秋楽の頃には入れないお客さんが出たほどでした。
終演後友だちに会うと、皆一様にキスシーンの事に触れてきます。
「ショックだったよ~」とか「どんな感じだった?」とか。
一人、毒舌で有名な女の子が
「キスのとき異常に生き生きとしてたね。自然だった。」と言い残して帰ったのには、さらなる冷や汗をかかせてもらいました(笑)。

僕は「飲み」の場が苦手でいつもおとなしくしていたのですが、この時、後輩の誰かが「キスシーンがちゃんと見たい」と言い出しました。稽古場では本物のキスを控えていたため、その場面に出ている3人以外の役者は、楽屋にいたのでその場面を見ていないのです。
突然「キス」の連呼が始まり、なぜかデュエットで女役を歌わされ、間奏でキスをさせられました。
その頃の僕は普段おとなしいイメージで通っていたので一応「いやがる」そぶりで照れながら応じたのですが、内心では「ラッキーッ!」と有頂天。酒が入っているので先輩はかなりエキサイトしています。本番の何倍も大げさに力強く僕を抱擁し、激しくキスをしてくれました。
先輩が大胆にやってくれるので僕も大胆に抱きつき返し、その場は大いに盛り上がります。
「付き合っちゃえば~?」と声がかかり、
「俺、目覚めちゃおっかな~(笑)」
とサービス満点に応える先輩。
でも、それはあくまでも「役」を与えられた上での束の間の出来事。
翌日からは「役」を脱ぎ捨て、なんでもない日常がはじまってしまいます。
僕はそのことに思いを馳せ、悲しみがこみ上げてくるのをグッと我慢しながら、何度も皆にサービスする先輩に応じました。

若さによる勢いと、セクシャリティーの自覚の中途半端さと。
その微妙なバランスが拮抗していた時期だからこそ味わえた、不思議だけれども
あたたかい、大切な思い出です。
<終わり>
長期にわたる不定期連載におつき合いいただき、ありがとうございました。
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