FC2ブログ

フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2005-08
« 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 »

工藤静香「Memories」●アルバム「月影」レビュー09

どんなに離れていても 時間が過ぎ去っても
胸の内は変わらず
But I can't get this feeling out of my mind
今すぐ会いに行きたい この心を伝えたい
繰り返しよぎる想い
May be I am still being blind

Do you remember all the time we spent together
夢と希望で溢れた美しい日々
Do you remember all the moments that
we wish would last forever
こんなにかけがえのない人だったなんて

「Memories」
words,music,arrangement:
村山晋一郎


●POEM by.akaboshi●
「なつかしさ」は愛情とは違う。
わかっていてもどうしても
その人の痕跡が
勝手に記憶を呼び覚ます時がある。
激しく胸を衝いてきて
しばし痛みに立ち止まる。
それはほんの束の間の事だと
わかってはいるのだけれど。
苦い。そして痛い。
でもやがて・・・
あたたかさに変わる。


●REVIEW●
絵にたとえると点描画のようなアレンジ。
細かく刻む電子ピアノの音色とクールなボーカルを、あたたかい弦の調べが包み込む。
サビのすべてが英語詩。
クセの強い曲が集まったこのアルバムの中では無機質で影が薄い印象なのだが、
次第に心に浸透し、最近ではふとメロディーが頭を駆け巡るようになった。
自己の意志ではコントロール出来ない「記憶の想起」という現象。
その苦くも痛くも美しくも不思議な現象を、体現しているかのような曲だ。


「月影」
information

PONY CANYONサイトで試聴できます。
●「Fe-MAIL」にアルバムについてのインタビューあり。
・・・連載『工藤静香 SHE SEA SEE』Vol.1.2.3.4
Real Guideに動画インタビューあり。
音楽大好き!T2U音楽研究所に「月影」特集ページあり。

FC2 同性愛Blog Ranking


山本薩夫「真空地帯」●MOVIEレビュー

軍隊生活の陰湿な実態を暴露。もう「美化」することなど出来なくなる。

 軍隊生活。規則正しく美しく整然と行進をするあのイメージ映像どおりの世界なのかと思いきや。

 この映画で描かれるかつての日本陸軍の軍隊生活のひどさは目も当てられない。

 少年兵は、先輩への命令には絶対服従。常に姿勢を正して命令に従っていなければならない。誰かがミスをすれば連帯責任として同じ班の全員が殴られる。いじめやイビリなんて日常茶飯事。理不尽なことで殴られたり、柱にしがみついて蝉の鳴きまねをさせられたり・・・。朝起きてから夜寝るまで、一日中ひたすらその責め苦に耐えなければならないのだ。これを生き地獄と言わずして何と言おう。

 「ハワイ・マレー沖海戦」「加藤隼決死隊」などの戦意高揚映画で描かれた美しい英雄的な軍隊というものが、いかに絵空事で嘘っぱちだったか。浮かれた気持ちで見ていると完膚なきまでに打ちのめされる恐るべき映画。

軍隊経験のあるスタッフ・キャストが「絶対に作りたかった」というエネルギーでいっぱい。

 「真空地帯」は作家・野間宏氏が実際の軍隊体験を元にして書いた小説。同じく軍隊経験を持つ山本薩夫監督らスタッフ・キャストが集結して1952年に独立プロダクションの制作で映画化された。

 戦後の東宝争議きっかけにして、大手の制作に頼らずに自分達の映画を作ろうとした、当時の映画人たちの並々ならぬ情熱に満ちた映画となっている。画面から伝わってくるその気迫たるやすさまじい。目が離せなくなる。

 1952年はサンフランシスコ講和条約が発効した年。アメリカによる占領から解放され、GHQによる言論統制からも解放され、続々と戦争時代の真実が文学や映画で噴出し始めた頃だ。その鬱積されたエネルギーの噴出が結晶したかのような映画と言えよう。

 なんといっても見所は軍隊生活の描写。実際の体験者たちが、まだ記憶が鮮明なうちにリアルに描いておきたかったのだろう。軍隊という組織における人間関係の理不尽さを細部にまでとことんこだわって再現している。

男って閉鎖社会で集団化すると「女々しく」なる。

 しかし・・・群れる男たちほど馬鹿っぽいものはないと思う。「先輩」だの「後輩」だのといった、その組織内でしか通用しないヒエラルキーを設けて理不尽なルールに従わなければならないなんて、エネルギーの浪費以外のなにものでもないではないか。そのアホらしさを徹底して見せてくれるから、ものすごくグロテスク。

 逆らったら殴られる。自分の意志を持つものは自ら思考を停止するしかない。どうでもいいようなことでお互いに牽制し合い、上官へのご機嫌とりでは嫉妬が渦巻く。その姿は男らしいどころか、ジメジメと自閉していて、あまり使いたくない言葉ではあるが「女々しい」としか言いようがない。

 兵隊という「殺人マシーン」を製造するには、こうしたシステムが必要なのだろうか。人間って、こうも醜いシステムを作り上げなければ組織化できないものだろうか。

 なにもこれは軍隊の中に限ったことではなく、現代社会を見渡してみても、いくらでもこうした集団のあり方は維持されている。封建主義と精神主義の亡霊どもだ。こんなもの、どこが男らしいんだ。「女々しさ」とは、勘違いした男らしさを身につけてしまった馬鹿な男どものことを言うのだと思う。情けなくって頭にくる。

そういえば義務教育で、似たような「集団教育」を受けさせられたなぁ・・・。

 映画を見ながら思い出したのが、自分の小学・中学時代。いわゆる「義務教育」の期間に受けさせられた「集団教育」である。

 先生が入ってきたら一斉に「起立」して「礼」をする。しかも皆が揃って。週に一度の朝会では「行進」をする。一糸乱れず皆が歩調を合わせて。部活では後輩は先輩に従う。たとえ理不尽な命令でも。つまらない標語を大声で言わされる。全員で声を合わせて。

 これみんな、この映画に出てくる軍隊で行われていた少年兵への教育とそっくりである。この「集団教育」によってなにが得られるというのだろう。

今も教育現場に巣食う、軍隊時代の「権威主義」の名残り。

 週に一度の朝会や集会、運動会のたびにやらされたのが、この映画に出てくる軍隊でも強要されている、意味のない「行進」というもの。なんなのあれ。

 あれは要するに、統率する「教師」や「教育制度」の権威を誇示するための自己満足ではなかろうか。生徒の集団性を育むなんていうお題目は単なる嘘っぱちの偽善。自分達の「統率力」を目に見える形で示したいだけでしょ。現に今の僕の日常には、あの行進の経験は全く活用されていない。行進が上手くなったからといって、他人とのコミュニケーションが上手くなるとも思えない。ただ習慣として「今までやってきたから」やってるだけでしょ、あんなもん。

 僕は在学当時から「理不尽に強制される学校内だけのルール」が嫌だった。しかし反抗したりグレたりできるほどの勇気も根性もなかったので、素直に従っている「ふり」はしていた。

 だから自分の心を押し隠して嘘をつくための訓練には役立ったとは言えるのかも。本心では、グレて反抗できる「不良」と呼ばれる人たちの事が羨ましかった。偽善で生徒に嘘を強要する教師達よりも、思ったことを素直に表現できる「不良」たちの方が、ずっと人間らしく健康的に思えたけどなぁ。

 軍隊というムラ社会。学校というムラ社会。わけのわからない「ムラでしか通用しない」理不尽なルールを強要されるという点では、程度の差こそあれ「同じだな」と思う。

 そもそも先生だとか先輩だとか「他人を尊敬する」ということは、「尊敬する側が自分から自発的に」行うものだ。その順番を逆にして、頭ごなしに「強制によって尊敬させる」から無理が生じるのである。

 そこのところを理解せずシステムとして「尊敬させようとする」馬鹿な教師や先輩方が多すぎる。本当に尊敬される人は、強制などせずとも自然に尊敬されるものだから、尊敬を強要する人間というものは、自分に自信がないかわいそうな人たちなんだと思うようにしている。

軍隊組織自体の腐敗。

 さて「真空地帯」に話を戻そう。この映画では果敢にも、軍隊組織の腐敗構造にまでメスを入れて抉り出す。

 兵学校から誰を戦地へ送るか。(=誰を先に殺すか)。誰を出世させるか。(=誰を生かしておくか)。その決定には利権が複雑に絡み合い、上層部では食糧や金銭の裏取引がまかり通る。国からの税金を握る経理部を中心に組織は腐敗する。

 この映画では、そうした利権構造の真実を知ってしまった主人公の視点から、クールに生々しく実態が暴露されて行く。こうした腐敗は組織が大きくなれば当然出てくる問題であって、ありふれているといえばありふれている。しかし「大東亜共栄圏の建設」「天皇陛下のため」という絶対的なお題目の下、国家ぐるみで組織化された軍隊で当たり前のようにまかり通っていたという事実は衝撃的だ。

 武士の時代からの封建的な精神構造が明治維新によって屈折し、そのまま軍隊に持ち込まれて陰湿な形で露呈し人々を苦しめていたのだ。当時の陸軍の軍人たちがこんな無駄かつ理不尽なことで神経や体力をすり減らしていたのだとしたら、物量面以前に「人間的な組織のあり方として」日本はすでに負けていた。この国の歴史を考える上で、この事実は本気で肝に銘じておかなければならないことだと思う。

生き延びるためには、カラダの取引もあったのでは。

 この映画で描かれた軍隊というものは「先輩である」というただそれだけのことで、後輩に対してやりたい放題に振る舞える環境である。当然の事として、時には男同士のカラダの取引もあったのではなかろうか。

 この映画では直接的にはそういう描写は出てこない。これほどの「タブー」視される事柄を、ストレートに描くことなど当時としてはあり得なかっただろう。しかし、少年兵の教育の場面で「ボンボン、今夜抱いて寝てやろうか?」という上官からのからかいの言葉があったことによって、僕はそのような想像力を持った。

軍隊のヒエラルキーでは同性愛行為も「強制化」するのではないだろうかという危惧。

 お気に入りの可愛い下士官は、戦地に送って死なせたくない。いつまでも自分のそばに置いておきたい。そうした時に上官は、権力を武器に下士官のカラダさえも好きに出来たであろう。それはいつの時代でも、権力を握った者の特権だ。

 男だらけの軍隊において日常的に同性愛的感情のやりとりが行われるのは至極当然のことではあるのだが、権力によって強いられていたとしたら恐ろしいことだ。この映画ではそのタブーに、この時代としては異例の「演出」によって踏み込んでいることに驚かされる。

 これは現代でも軍隊という組織が必然的に抱えている問題であろう。徴兵制が敷かれている韓国の父親が「あんな同性愛の蔓延する軍隊に息子を入隊させたくない。」と、自分の時の経験から抗議していることを記事で見かけたことがある。

 僕はもちろん同性愛を否定してこういうことを言っているのではない。それが軍隊というヒエラルキーの中で権力によって強いられることの非道さを、指摘しておきたいだけだ。そして、権力構造の中で理不尽に強いられた同性愛がまかり通っているから、ホモフォビア(同性愛嫌悪)が増長されてしまうのだと危惧する。

 死ぬことと引き換えだったら、人間、なんでもしてしまうのではなかろうか。「軍隊の腐敗」と「同性愛」。語られずに葬り去られたであろう数々の出来事が、きっとたくさんあったはずだ。

これを「不朽の名作」と呼ばずしてなんと呼ぶ。

 あまり映画の筋に触れなかったのだが、それはこの映画から触発されて考えさせられることが多岐に渡ったからだ。それは名作と呼ばれる物の条件でもある。

 この映画は1952年という時代の産み落とした、いわば「鬼っ子」である。1952年だからこそ、ここまで鮮烈な内容のものを、独立プロという厳しい制作条件でも実現させるパワーが制作者達に満ちあふれていたのだ。よくぞ作っておいてくれたと思う。そして、ちゃんと正当に評価されてヒットしたという現実には感動を覚える。

 この映画の訴求力は今でもまったく色あせていない。上映された新文芸坐は大混雑だった。強烈なインパクトと共に、人間の弱さと軍隊組織や日本型精神主義の危険性を訴えかけてくる。さらに、見ていて飽きさせない娯楽性も兼ね備えている。

 この映画のことを「不朽の名作」と呼ぶことに僕は躊躇しない。戦争や軍隊を語る上で、そして人間を語る上で、見ておかなければならない映画だと思う。

「真空地帯」
製作=新星映画 配給=北星
1952.12.15公開 白黒 129分
監督・・・山本薩夫
制作・・・嵯峨善兵/岩崎昶
原作・・・野間宏
脚本・・・山形雄策
撮影・・・前田実
音楽・・・団伊玖磨
美術・・・川島泰三/平川透徹
録音・・・空閑昌敏
照明・・・伊藤一男
出演・・・木村功 利根はる恵 神田隆 加藤嘉 下元勉 西村晃 ほか

『独立プロ名画特選 DVD-BOX 1 文芸編』


関連記事
深作欣二「軍旗はためく下に」●MOVIEレビュー
山本嘉次郎「ハワイ・マレー沖海戦」●MOVIEレビュー
山本嘉次郎「加藤隼戦闘隊」●MOVIEレビュー
千葉泰樹「姿なき敵」●『発掘された映画たち』MOVIEレビュー
市川哲夫「別離傷心」●『発掘された映画たち』MOVIEレビュー

FC2 同性愛Blog Ranking

大木裕之「メイ2004-2005ナイフMIX」●MOVIEレビュー

大木裕之監督の中編。

8/6~8/8に東京国際フォーラムで開催されていた「アートフェア東京」のイベントで偶然見ることが出来た。無料の自由入場。
やはりこの手の映像は好みが分かれるらしく、前回紹介した
「木(ム)623MIX」に続いて上映されたのだが、観客は三分の一ほどに減っていた。寂しい。
しかし、残ってこの50分の中編を見続けた観客の映像への「食い付き方」は半端なものではなかった。拒否する人も多くいる分、ハマる人はとことんハマる。人間と人間の関係というものもそういうものだ。アートというものも本来、それでいいんじゃないかなぁ・・・という風に納得しておくことにしておく。でもやっぱ寂しいけど。

ナマで「美」を捕まえたい。

この作品は非常にコンセプチュアル。カメラを廻す大木裕之という個人が「美」というキーワードを頭に描きながら、日常をデジタルカメラで収めて行くというもの。
長編であるためか、映されている人々の顔やキャラクターがよりわかりやすく見えてくる。結果、大木氏という個人が関わりを持ち感心を持っている事柄が生き生きと立ち現われてくる。

カメラを廻しながら、言いたくなった言葉を即興詩のようにつぶやくことも試みられている。
思い描いた言葉をメモに記し、そのままカメラに映し込むことも実践している。
既成の「映画」が「美」だとするカメラ・ワークやフレーミングの約束事など、最初から意識にはないかのよう。むしろそうした「美」を「美」とはせず、もっと本質的な「美」をナマのままに捉えようとするのがこの映画。さらに、その試みそのものに「美」を発見し、記録しているかのようだ。

より具体的なゲイ・ライフへの踏み込み

「美」の追求であるわけだから、ゲイであるという監督の嗜好にまで当然、映画は踏み込んで行く。いや、踏み込んで行くというような気負いもなく、ごく当たり前のこととして、かわいいと思った男の子にはカメラを向けて話しかけるし、ベッドでの戯れも撮れちゃうもんなら撮ってしまう。
イライラしている時なんかは世の中への恨み節のようなことをつぶやいたりして・・・。すぐにそうしたトゲトゲした感情に襲われがちなところも、同じゲイの僕としては親近感が持てるところだ。
人は一日のうちに意味もなくいろんな感情を味わい、忘れ、また繰り返す。その繰り返しを意識的に記録し提示するのがこの映画。そしてその瞬間すべてがいとおしく美しい。
この映画はまるで金太郎飴のようだ。どこから切っても作者と「美」との格闘がある。

「付きあってみた」彼との別れ。

携帯電話で受信したメールの文字が映される。どうやら付き合っていた彼に大木氏が別れを告げ、その返事が返ってきたようだ。
「突然のことで、どう受けとめていいのかわかりません。」と語る液晶画面の文字。しかし文末では別れを受け入れていることから察するに、お互いに別れのタイミングを探りあうような関係になっていたようである。
「悲しい、寂しい。」とカメラに向かって独白する顔。そこには、ドラマティックでも感情的でもなく淡々と事実を噛み締めるフツーの一人の中年男の姿があるだけ。

ゲイというものは男女のカップルとは違い、家庭的な結びつきというものを持ちにくい。関係性も脆く儚くなりがちである。そんなことまでがなんだか滑稽に思えてくる。大木氏には失礼だがとてもユーモラスな名シーンだと思った。
その後、大木氏は違う若い男の子を引っ掛けて軽く遊んでしまう(笑)そこまでカメラを廻して作品に組み込んでしまうとは。いやはや肝が据わっている。
ゲイとしての恋愛模様も人生という「美」の、世界という「美」のほんの一断片。考えようによっては本当に率直に、混じりけなく当たり前に世界というものを見つめた、まっすぐな映画なのではなかろうか・・・というのは持ち上げすぎか?(笑)

そこに美を見るから美になるのだ。

この監督の作品を何度か見ていると、もう解ってくる。
「美」というものは、自分が「美」だと感知するからこそ「美」たりえるのだ。かつ同時に、そもそも自分が感知しなくとも世の中はすでにそのものが「美」なのである。

印象的なシーンがあった。
大木氏のアパートの窓から見える何の変哲もない外の景色。
遠くの方に見える何の変哲もない林の木々のざわめき。
ある時そこに「美」を発見し、大木氏はカメラを廻す。カメラを廻したくなった気持ちを即興的につぶやきながら。
この映画全体を、そして彼の映画というものが象徴されたような名場面だ。
何の変哲も無くとも、その時の自分が引っかかり、意識し、やがて求めて行くもの、それが「美」。

ここまで描ききった以上、彼は次にどこへ行こうとしているのだろう。
やはり同じことを繰り返し続けるのだろうか。きっとそうだろう。
彼の哲学では、きっとそういうことになる。
そのこと自体、僕は美しいと思う。いろんな意味で触発された。


「メイ2004-2005ナイフMIX」
2004-05/50分
制作/FOU production

関連記事
大木裕之「木(ム)623MIX」●MOVIEレビュー

FC2 同性愛Blog Ranking

☆記事中の画像は、当日の東京国際フォーラム周辺です。映画の内容とは直接関係ありません。

ミック・デイヴィス「モディリアーニ~真実の愛~」●MOVIEレビュー

モディリアーニに覗かれて育つ

小さい頃、両親の寝室に一枚だけ
モディリアーニの絵があった。
もちろんレプリカだが額縁に入れられたその絵は、
小首を傾げた細長い女性がじっとこちらを見返しているという、典型的な彼の女性像。

寂しがりやで甘えん坊だった僕はよく、眠っている両親の間に割り込んで暖かさの中で眠っていた。明くる朝に目覚めると、目玉のないモディリアーニの女性像に覗き込まれるので僕もジッとみつめていた。
だから今でもモディリアーニの絵を見かけると、とても心が落ち着く。
この映画を見るまで、この画家の生涯に興味を持つことはなかったのだが、かなり面白い生き方をした人だったらしい。

ピカソと、本当の意味でのライバル関係

今世紀初頭のパリ、モンパルナスのカフェでの伝説はやっぱり外せない。
コクトーやユトリロなど若い芸術家たちが集まり芸術論に華を咲かせていたという、アート界における伝説。この映画では、そこで出会ったピカソとモディリアーニのライバル関係に焦点を絞ってわかりやすくした。

すでに若い頃から名声を確立していたピカソに対して、まったく無名だったモディリアーニ。二人の芸術表現や生き方は対照的なのだが、互いに気になってしょうがない。まさにライバルなのだ。
二人は事あるごとに挑発し合い喧嘩をするが心の底では尊敬しあっている。その心理描写が面白くスリリング。
対立関係をお互いに作り出すからこそ創作への原動力が生まれる。否定されるからこそなんとか肯定されようと燃えてしまうのが人間というもの。

争っている最中は互いに疎ましく憎しみも覚えるのだろうが、根底に相手への敬意や愛情があるからこそ、嫉妬の炎は燃えあがるのだ。たいへんなエネルギーが必要ではあるのだが、そのおかげで生み出された数々の作品を目にすると、たとえ嫉妬という負の感情であっても見方を代えれば素晴らしいものに思えてくる。

流行のスタイルを忌避し、自己のスタイルを追及

当時の美術界ではフォービスムやキュビズムが大流行。ピカソはそれらを最も上手に吸収し、自己表現へと取り入れて変身して行く。モディリアーニが反発したのはそういったピカソの姿勢であった。
ピカソは、いわば「スター」になる才能に長けていたのだ。なんでも面白がれるし変わり身の早い性格だったのだろう。
それに対してモディリアーニは天の邪鬼。流行に乗ってしまうことは彼の性格が許さない。だから絵が商品にならない。時代の主流ではなく、はみ出してしまうからだ。

金銭的にも貧しく健康面でも優れなかった。だったらなおさら流行作家になって生計を立てようとは思わなかったのだろうか。
思わなかったのだ、そこがモディリアーニのモディリアーニたるところ。
写真を見るとかなりの美男子であったようだから、きっと女性が放っておかなかったにちがいない。彼のまっすぐな性格に惚れ込む強い女性が常に傍にいたのだろう。そして彼もたぶん甘え上手だったのだろう。

絵がかけなくなって彫刻に専念していた時期もあるらしい。
そうした創作面での妥協を許さない性格は徐々に実を結び、自己のスタイルの確立へと繋がって行く。今となっては誰もが思い浮かべるあの「モディリアーニ調」の女性画は、この性格だから生み出された独自のスタイルなのだ。
憂いを帯びてどこか儚げだけれども、その自分が秘めている芯の強さがどこかしらにじみ出てくる人物画。それはきっと、モディリアーニの自画像でもあるのだろう。

死ぬのを待たれていた画家。

なかなか職業画家としての地位を確立できず、かといって自分の信念・性格を曲げることもできなかった彼は、次第に酒に溺れるようになる。
結局35歳で身体を持ち崩し死去。妻のジャンヌは
第二子を身籠っていたのだが、彼の死から二日後に後追い自殺する。

実は、彼の生前からその絵の可能性に気付いていた画商はかなりいるらしい。しかし本人の性格や体調不良からその死が迫っていることは周囲も察知していて、死後に絵を安く買占め、高値で売ろうと画策していたという。
結局、そのたくらみどおりになった。

死人に口なし。商品化される「モディリアーニ伝説」。

今では世界的に有名なブランドと化したモディリアーニ。これほど世界中に広まるものであったことを、ついに本人は知らないままだった。そこがいわゆる「モディリアーニ伝説」として人々の興味をそそるところ。

芸術家という、一見華々しくも思える生き方の裏に潜む一筋縄では行かぬ闇。
そこを垣間見られる彼の伝説。
まっすぐに生きた人が、認められないままに人知れず非業の死を遂げる。
それは、そこまでの強さを持てずにフツーに生きている我々が、実は心の底で憧れる激しい生き方。要するに一つのヒーロー像である。
この映画は、そうしたモディリアーニ伝説を見事に補強し、観客を表面的に楽しませてくれる。
もう少しこの監督なりの見解や批評にまで踏み込んで表現することは出来なかったのだろうか。恋愛映画として商品化するには、しょうがないことなのかもしれないが。

「真実の愛」
・・・副題のセンスとしてどうなんだろう(笑)


この映画の日本公開時の副題には「真実の愛」とある。モディリアーニの死後自殺したジャンヌとの「愛」もこの映画の軸として描かれているからだ。
しかし僕の興味が、彼の芸術家としての生涯の方にあったためか、「愛」とやらの描写はあまり印象に残らなかった。なぜならこの手の映画にありがちな、女性観客を意識したラブロマンス風の演出の紋切り型から抜け切れていなかったように思うから。
そこに捉われてしまったことが、この映画を中途半端な印象にしてしまった原因なのではなかろうか。芸術家というものは、決して綺麗なものではない。ヒーローでもない。
表現せざるを得ない屈折を抱えた人間が行う排泄行為が芸術だ。
安易に主人公をヒーローにしてしまうのではなく、もう少し「人間の狂気」に迫って欲しかった。

比較するのもなんだけど、やっぱり比較してみたくなった。

1958年にジャック・ベッケル監督が、ジェラール・フィリップの主演で「モンパルナスの灯」という映画を創っている。
こちらもモディリアーニの生涯を描いているが、この映画とは焦点の当て方がだいぶ違うらしい。
パンフレットで評論化が比較して、今回の作品の甘ったるさを婉曲的に皮肉っていた。
ぜひ見てみようと思う。


「モディリアーニ~真実の愛~」
2004年 仏・英・伊合作 126分
監督・脚本・・・ミック・デイヴィス
エグゼクティブ・プロデューサー・・・アンディ・ガルシア
出演・・・アンディ・ガルシア、エルザ・ジルベルスタイン、オミッド・ジャリリ、
エヴァ・ヘルツィゴヴァ、イポリット・ジラルド他

「モディリアーニ 真実の愛」DVD

関連記事
ジャック・ベッケル「モンパルナスの灯」●MOVIEレビュー
ジャン・コクトー展~サヴァリン・ワンダーマン・コレクション●ARTレビュー

FC2 同性愛Blog Ranking

フィクションの魔法

走る心が休みたがるから
暗闇に逃げ込み
フィクションの魔法に身を任す

魔法はいつも裏切らず
刺激の渦で僕をごまかす

あああ気持ちいい
耳をつんざく過去からの叫び
目を奪う死者たちの姿

僕は今まで繰り返し
逃げ込んで来たから目が肥えた

心は休むどころか
余計に走るばかりだけれど


FC2 同性愛Blog Ranking

« BACKHOME | NEXT »

無料ホームページ ブログ(blog)