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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

どーにもならないGAYのユーウツ

昨日と今日、ひさしぶりに両親に会った。
一年半ぶりである。
母親が足の手術で入院し病室でしばらく身動きができないために、身のまわりの世話をする必要があったためだ。

僕は両親になにかと心配をかけ続けているという自覚がある。
いわゆる「年頃」なのに「結婚」の気配を両親に届けることができない。会うと必ずそういう話題が出るし、そのたびに作り笑いをしてごまかしている。
最近は会うのも億劫で何かと理由を付けては遠ざけてきた。


しかし、今回は母親が「SOS」とメールに打ってきた。あの計算高いエゴイストの母親だから
「こうすれば帰ってくるだろう」とたくらんでいるのは見え見えなのだが、たまには元気で生きている顔を見せなくては親不孝だと思い、会いにいくことにした。

久々に会った母親は相変わらず気が強く、病室内ですでに「仕切り屋」と化していた。
6人部屋でいちばん後輩のはずなのに、身動きができるようになった隣のベッドの婦人にテキパキと指示を出して手伝わせている。
「あんた、そんだけ強いんだったら手伝いなんていらないじゃん」
と内心思いながらも、強烈な生命力に満ち満ちたエネルギーを発する母親というものに触れる懐かしさを感じる。

そういえば一緒に住んでいた頃は、このエネルギーをかなり暑苦しく感じ、早く逃れたくて仕方がなかったことを思い出す。
人に対して過干渉。自分のペースに他人を巻き込むけれど、決してわがままではない。一見魅力的で人あたりはいいのだが、その根底には強烈なまでの「エゴ」が潜み、時折ふと牙をむく。そんな母親。

あぁ・・・紛れもなく僕はこの人の息子。
「なんでもすぐに直言してしまう」ところや「図々しさ」など・・・現在の僕の性格のいくつかは
この人から受け継いだものだろう。

かつて実家で両親と住んでいるとき、僕はおとなしく引っ込み思案な性格だった。
しかし一人暮らしを始めて自由になり解き放たれてからは、皮肉なことにどんどん両親に似てきていることに気付く。

今の僕は、あの頃の僕ではない。
かなり強くなってしまった。

強気で人に接することができる。
嫌なことは嫌だと言わずにはいられない。
負けん気が強く、自分の思いを伝えるためには衝突も厭わない。
・・・かなりの変わりようである(笑)。

両親に久々に会うということはある意味、自分と会うことでもあるみたいだ。
明らかに僕は、この人たちが作り出した家庭独自の「文化」の中で育ったのだから。

幼い頃の僕は、「両親に誉められること」がすべてだった。
素直で純粋な子どもだった頃は、それでうまく行った。
しかし段々そこには当てはまらない自分の特異な性質にも気づき始める。ある時からは「両親に期待される子ども像」を演じることができなくなったのだ。

僕の「セクシャリティー」などは、その最たるものだろう。男の子らしいものにあまり興味を示さず、男の子らしくないからと両親が禁止するようなものにばかり強烈に興味を持つようになる。両親としては、彼らの良識や価値観からはみ出すことは受け入れられないから更に禁止する。すると僕はもっと強烈に、歪んだ形で禁止されたものを求めるようになる・・・その悪循環。

「お前は欠陥だ。」

ある時、父親にそう言われた。
そうまで言わしめるほど僕が理解できなかったのだろう。
言いたくなる気持ちもわからなくはない。
しかしこの言葉は一生、僕の心に響き続けるだろう。
今でも思い出さない日はない。

母親の病室を見舞ったあと、父親が留守番している実家に帰って泊まった。
ひさしぶりに自分がかつて育った町の駅を降りて驚いた。
20年近く暮らしたはずなのに、自分がかつてそこにいたという実感が湧かない。
「本当に僕はこの町で育ったのだろうか。」
正直そう思った。懐かしいともなんとも思わない。
よくありがちな郊外の町の無機質な日常の光景。冷めた感覚でそう思うだけだった。

今の僕には、どんなに人がいっぱいいようが、どんなに建物がひしめき合っていようが
東京にいることがいちばん落ち着く。いつの間にかそうなってしまった。

ひさしぶりに会う父親は、妙にテンションが高かった。以前は全くしなかった料理なんぞもするようになっていて、母親の不在をなんとか自力でしのいでいることをうかがわせた。
「・・・こんな人だったっけ。」
またしても、他人事のようにそう思った。

以前、父と僕とは犬猿の仲だった。

会話をするといつの間にか父の説教がはじまり、理不尽に言い負かされるばかりだった。
論理の矛盾を衝いて普通に話そうとしても、暴力的に遮断されて父親の勝利が証明されるだけ。理不尽を相手にしていても疲れるだけだから、しまいにはほとんど口もきかなくなった。
今思えば、そうした父親との確執が、「この家から出て行こう」と僕を奮い立たせた原動力だった。

ところが今、目の前にいる父親はまるで感じが違っている。
信じられないことに普通に会話が成り立つのだ。

長期間会わなかったおかげで、お互いがどう接しあっていたのかを忘れてしまったのかもしれない。いつの間にか僕は会社の上司とでも喋るときのような穏やかな口調で、淡々と父親と会話することができた。
不思議だったが、ちょっと嬉しかった。
もしかしたら父親としては、精いっぱい頑張っていたのかもしれないが・・・。

月日というものは、人と人との関係性をも変化させる。
今回の再会は、そんな期待を僕に抱かせてくれるものでもあった。
いつか、本当の僕をさらけ出して、本当にリラックスした状態で両親と会話できる時がひょっとしたらあるのかもしれない。それはわからない。
「カミングアウトは必要ない」と宣言している自分が、ただ強がっているだけのようにも思える。両親を目の当たりにすると、そう思ってしまう。

結局、今回もつい「期待される息子」を演じてしまった。
そうなることが嫌だから会いたくなかったのだが。

姉も弟も結婚を経験している。次は当然・・・ということになる。両親としては孫の顔が見たいということになる。ちょっとした会話の節々でそうした圧力を感じる。(僕の思い込みもあるのかもしれないが・・・)。

いっそのこと「僕が孫を連れてくることなんてあり得ないから」と言ってしまえれば楽になるのだが、いきなり言ってショックを与えるのも自分勝手というものだ。
しかし、そうした思いを抱えたまま、正月やお盆に「シアワセな家族」を演じに帰省するのは苦痛だ。自分がすり減ってしまう。
本性を隠したまま家族といることは、やっぱり苦痛なのだ。
家族であるのに、「触れてはならないこと」をお互いに抱えつつ、隠していると・・・表面上だけ取り繕った「似非家族」に思えてしまう。今回、ひさしぶりに会ってみてやっぱりそう感じたのだ。

今は、ただただ「疲れた。」その一言に尽きる。
家族と会うのがユーウツな状態と、いつまで付き合って行けばいいのだろうか。
なにが変われば、ここから解放されるのだろうか・・・。


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トーキョー硬化の思わぬ効果

ちょっと地球が悪さをしたら
天下のトーキョー動脈硬化

堰き止められた血液は
ドロドロ溜まって破裂しそう

だけどいつもはせかせかしている
いろんな顔が今日だけ特別

一緒に流れの再会を待つ
一緒の思いをわかちあう

地球の悪さもこの程度なら
許してやってもいいのかも。

この程度ならね。
あくまでも。


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