東京国際レズビアン&ゲイ映画祭に行ってみた。

華やいだ雰囲気。浮き足立った人たち。
そうか、映画祭だったんだ。
はじめて「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」に出かけた。去年までの僕には考えられなかったことだ。
「知っている人に見かけられたらどうしよう」とか「なんとなく怖い」という先入観があり、本当は出かけてみたくても躊躇していた。ところが今年はどうだろう。特に意識することもなく何の気なしに出かけてしまった。

いっぱいいる。
・・・そう思った。
ここにいる人たちの大多数は、僕と同じ同性愛者。
普段二丁目に出かけることがほとんど無い僕は、そうした空気に正直慣れていない。
普段の生活では、周りに同性愛者がいることなど滅多にないから。
受付の近くで開場を待ちながら、所在の無さと目のやり場に困った。なぜなら・・・
みんな、目がキラキラしているのだ。ほぼ例外なくすべての人が。
なんなんだろう不思議だ。同性愛者ってそういうものなのか?それともこの映画祭という場の作り出す魔術か?。
恋人同士で連れ立ってきているカップル。
僕のように一人でいる人。
男女のカップル。
さまざまな人たちが混在しているが、皆なにかが似ている。
持っている空気感が似ている、ここに集まる人たちは。
・・・そういうもんなんだなぁ、と思った。

やっぱり映画祭なんだ。
・・・落ち着かない。
周囲を同性愛者に囲まれながら映画を見るということに、自分が慣れない。
「あの人もこの人もそうなのか。あのカップルお似合いだなあ。あの年の差カップル素敵だなあ・・・ゲイ向け映画でも、女性の観客もけっこういるなあ。とりあえず知り合いはいなくて良かった。・・・えっ!あの人もそうなの?そうは見えない・・・」などなど・・・
「お前はホントにゲイかっ!」と自分で突っ込みたくなることを心でつぶやきながら、好奇心は膨れ上がる。内心はキョロキョロ。でも悟られないように表情は冷静を装う。・・・そんなこんなで、映画が始まる前にすでに疲れてしまった。
僕って、自分が思っている以上に、「同性愛者の集団を見る」ということに対して・・・ピュアだったみたい(笑)・・・なんなんだ僕って。
いちばん浮き足立っていたのは、僕だったのだ。
<映画は3プログラム見ました。順次感想を書いていこうと思います。>
●ロビー・ボルドウィン「ワンダフル・デイ」●MOVIEレビュー
●グレッグ・アラキ「ミステリアス・スキン」●MOVIEレビュー
●ジョン・グレイソン/ジャック・ルイス「プロテウス」●MOVIEレビュー
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生

この街はいつか消える。
だれもがそう気づきながらも
普通に生きて、普通に働く。
この街と一緒に消える。
そんな日が来ることを
気づかないようにしている自分に気づいている。
死を意識した時、本当の生がはじまるという。
本当の生って
追い詰められないと感じられないものなのか。
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「関東大震災実況」●『発掘された映画たち』 MOVIEレビュー
東京の近未来の姿か
フィルムセンターで、「発掘された映画たち2005」という特集上映がはじまった。
その第一回。8本の古い短篇記録映画の中でやはり衝撃的だったのは「関東大震災実況」。
震災直後の混乱する人々や潰滅した東京の姿がモノクロフィルムに刻印されていた。
着の身着のままで焼け出された人々が、大通りで唖然としている様子。家財道具を持ってそそくさと非難する若者。疲れきった子どもを背負う父親。みんな必死だ。
今まで「言葉として」あるいは「写真として」しか知らなかった震災直後の様子が、動く映像として生々しく目の前に出現する衝撃。
特に、フィルムセンターのある「京橋・銀座」の姿が映った時には慄然とした。完全に潰滅し、焼け野原。原爆映画の広島の焼け野原みたいだ。賑やかに軒を連ねていたであろう商店は崩壊し、瓦礫の山である。今まさに映画を観ているその場所でかつて、たしかにあった光景なのだ。
信じたくない。
そろそろ起こるかもしれない東京での大震災。・・・78年前の映像が、一瞬「近い将来」とダブって見えた。
燃えつづける浅草の十二階。隅田川沿岸の様子。
しかし・・・このカメラマンはとても行動的である。短期間に東京のあちこちで惨状を撮影して廻っている。交通機関も寸断されている中を移動するだけでも大変だっただろうに。
特に浅草ではまだ街が燃えている様子を撮影している。
当時の繁栄のシンボルだった「浅草十二階」の内部は完全に崩れ去り、外壁の骨組みだけを残してあとは崩れ去ろうとしている。その映像からは「絶望」という言葉しか連想されない。非常に象徴的で物悲しい光景だった。地震の時に中にいた人はひとたまりもなかっただろう。周囲の繁華街も見る影がなく崩れ去っている。
・・・人間の営みなんて、儚いものなんだなあ。
隅田川沿岸の被害の様子を、船上から撮影してもいる。
無残に崩れ去った橋。川面に浮かぶ死体。
しかしそんな中でも生き残った人々はたくましい。小船を連ねて板を渡し、急ごしらえの橋を作って往来している。町のあちこちでも、瓦礫の中で洗濯物をしていたり臨時のポストを作ったり、すでに日常生活が芽生えはじめている。
生き残った者は生きなければならぬ。悲しんでいる場合じゃないのだ。
死体の山。
本所・深川地区の壊滅状態は、まさに地獄絵図。
ほかの地域に比べてあきらかに建物の破壊度が高い。もともと地盤が弱く木造住宅がひしめき合っていたから大火災が起こり、すべて焼き尽くされてしまったのだ。
最も悲惨な被害が生じたことで有名な「本所被服廠跡」も撮影されていた。
3万人もの黒焦げ死体の山。
必死で逃げて広場に集まったものの、熱風が吹いてそこにいた人々の全員が焼き尽くされてしまったのだ。まるで、ナチスの強制収容所に積み重なる死体の山を撮影した記録映画のような光景。
さすがにカメラマンはアップでは撮れなかったのだろう。
風景を遠景で映しとるように全体像を捉えた画面。モノクロで不鮮明なのがせめてもの救いである。見渡す限りのすべてが死体・・・。なにしろ3万人だ。
個人の意志とか思いとか、愛する者への愛情とか、そういったものでいっぱいだったかけがえのない人生が、こんなにもたくさん、しかも同時に焼かれたのか。
当時の人々の生態を映像で見ると、とても親近感が湧く。それだけに、動かない死体の山の衝撃は胸に応えた。
・・・映像をただ見つめるしかない。言葉が出ない。そんな光景。
関東大震災の「負の歴史」
あちこちの公共施設が急ごしらえの死体安置所になっていて、割烹着姿の奥さんや子ども達が不安そうな顔で集まっている姿も登場する。
白い布にくるまれて地面に並べられた死体。それを整理する憲兵らしき人の姿。
戦争映画とかでよく出てくる、ちょっと威張った感じの憲兵。
そのいでたちを見て、そういえば関東大震災では「朝鮮人がこの機に乗じて井戸に毒を流して反乱を起こす」というデマが流された。人々は恐怖のあまり暴徒と化し、朝鮮人と見るや片っ端から殺した。たくさんの朝鮮半島出身者が、理由もなく虐殺されている。
混乱した状況下での民衆の狂気というものは恐ろしい。今と違って通信手段もあまりなく、噂が噂を呼んでエスカレートした。でもその狂気は震災前から日常において蓄積されていた。
朝鮮半島出身者を普段から差別的に扱っていたため、日本人の多くが潜在的に彼らの反乱を恐れていたのだ。そこへ、震災のパニック。人々は簡単にデマを信じた。
実はその後の研究により、そのデマは当時の官憲が意図的に流したものだということがわかっている。
当時警察官僚だった正力松太郎氏らが画策したらしい。
パニック状況下では、民衆の狂気は政府に向かう可能性もある。それをかわすために朝鮮人暴動説を流布したのだ。なにも知らない国民は、まんまとコントロールされた。
関東大震災は、そうした「負の歴史」でもあることも忘れてはならないだろう。
映画の残酷。
この映画は、二人のカメラマンがとにかく「記録すべき」という熱情に取りつかれて撮影した。
無垢な気持ちで撮影したそのフィルムは、歳月と共に魔物となった。
ここに映っているのはほぼ全員、もうこの世にはいない亡霊たち。
過去の亡霊たちの姿が刻印されているのが、映画というものだ。
亡霊の映像。そのものが生き物となって現代に噛みついてくる。
その力は恐ろしい。
自然による大量殺戮の不条理と、それでもしぶとく生き抜こうとする人間のむき出しの生命力を包み隠さず開けっぴろげに提示する。
そして・・・
それを暗闇で冷静に、ジッと見つめる私たち。
好奇心いっぱいの無防備なまなざしに、鋭く噛みつく映画のおそろしさ。
映画はおそろしい。
見た者の脳裏に住みつき、もう離れることはない。
今日、僕の悪夢のレパートリーが、またひとつ増えることになってしまった。

・・・関東大震災発生直後の映像としては、東京シネマ商会版と日活版の2本が「決死的映像」として名高いが、これまで現存しないと考えられていた後者が、一部ではあるが山形の映画館で発見された。日本橋、京橋、浅草、本所被服廠跡、蔵前、安田邸などの様子が赤や青の染色映像で鮮明に映し出される。撮影済みのフィルムを携えた高坂は9月7日に京都の日活大将軍撮影所へ到着してフィルムを現像し、即日京都帝国館で公開したという。本プリントには部分的に重複するショットや字体の異なる字幕が見られ、兵阪新聞社『東京関東地方大震災惨害實況』など別作品の混入が確認されるが、今回はそのまま上映する。
(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)
(National Film Center Webより)
●この映画は8/6(土)16:00からも上映されます。
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● 市川哲夫「別離傷心」●『発掘された映画たち』 MOVIEレビュー
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フィルムセンターで、「発掘された映画たち2005」という特集上映がはじまった。
その第一回。8本の古い短篇記録映画の中でやはり衝撃的だったのは「関東大震災実況」。
震災直後の混乱する人々や潰滅した東京の姿がモノクロフィルムに刻印されていた。
着の身着のままで焼け出された人々が、大通りで唖然としている様子。家財道具を持ってそそくさと非難する若者。疲れきった子どもを背負う父親。みんな必死だ。
今まで「言葉として」あるいは「写真として」しか知らなかった震災直後の様子が、動く映像として生々しく目の前に出現する衝撃。
特に、フィルムセンターのある「京橋・銀座」の姿が映った時には慄然とした。完全に潰滅し、焼け野原。原爆映画の広島の焼け野原みたいだ。賑やかに軒を連ねていたであろう商店は崩壊し、瓦礫の山である。今まさに映画を観ているその場所でかつて、たしかにあった光景なのだ。
信じたくない。
そろそろ起こるかもしれない東京での大震災。・・・78年前の映像が、一瞬「近い将来」とダブって見えた。
燃えつづける浅草の十二階。隅田川沿岸の様子。

特に浅草ではまだ街が燃えている様子を撮影している。
当時の繁栄のシンボルだった「浅草十二階」の内部は完全に崩れ去り、外壁の骨組みだけを残してあとは崩れ去ろうとしている。その映像からは「絶望」という言葉しか連想されない。非常に象徴的で物悲しい光景だった。地震の時に中にいた人はひとたまりもなかっただろう。周囲の繁華街も見る影がなく崩れ去っている。
・・・人間の営みなんて、儚いものなんだなあ。
隅田川沿岸の被害の様子を、船上から撮影してもいる。
無残に崩れ去った橋。川面に浮かぶ死体。
しかしそんな中でも生き残った人々はたくましい。小船を連ねて板を渡し、急ごしらえの橋を作って往来している。町のあちこちでも、瓦礫の中で洗濯物をしていたり臨時のポストを作ったり、すでに日常生活が芽生えはじめている。
生き残った者は生きなければならぬ。悲しんでいる場合じゃないのだ。
死体の山。
本所・深川地区の壊滅状態は、まさに地獄絵図。
ほかの地域に比べてあきらかに建物の破壊度が高い。もともと地盤が弱く木造住宅がひしめき合っていたから大火災が起こり、すべて焼き尽くされてしまったのだ。
最も悲惨な被害が生じたことで有名な「本所被服廠跡」も撮影されていた。
3万人もの黒焦げ死体の山。
必死で逃げて広場に集まったものの、熱風が吹いてそこにいた人々の全員が焼き尽くされてしまったのだ。まるで、ナチスの強制収容所に積み重なる死体の山を撮影した記録映画のような光景。
さすがにカメラマンはアップでは撮れなかったのだろう。
風景を遠景で映しとるように全体像を捉えた画面。モノクロで不鮮明なのがせめてもの救いである。見渡す限りのすべてが死体・・・。なにしろ3万人だ。
個人の意志とか思いとか、愛する者への愛情とか、そういったものでいっぱいだったかけがえのない人生が、こんなにもたくさん、しかも同時に焼かれたのか。
当時の人々の生態を映像で見ると、とても親近感が湧く。それだけに、動かない死体の山の衝撃は胸に応えた。
・・・映像をただ見つめるしかない。言葉が出ない。そんな光景。
関東大震災の「負の歴史」
あちこちの公共施設が急ごしらえの死体安置所になっていて、割烹着姿の奥さんや子ども達が不安そうな顔で集まっている姿も登場する。
白い布にくるまれて地面に並べられた死体。それを整理する憲兵らしき人の姿。
戦争映画とかでよく出てくる、ちょっと威張った感じの憲兵。
そのいでたちを見て、そういえば関東大震災では「朝鮮人がこの機に乗じて井戸に毒を流して反乱を起こす」というデマが流された。人々は恐怖のあまり暴徒と化し、朝鮮人と見るや片っ端から殺した。たくさんの朝鮮半島出身者が、理由もなく虐殺されている。
混乱した状況下での民衆の狂気というものは恐ろしい。今と違って通信手段もあまりなく、噂が噂を呼んでエスカレートした。でもその狂気は震災前から日常において蓄積されていた。
朝鮮半島出身者を普段から差別的に扱っていたため、日本人の多くが潜在的に彼らの反乱を恐れていたのだ。そこへ、震災のパニック。人々は簡単にデマを信じた。
実はその後の研究により、そのデマは当時の官憲が意図的に流したものだということがわかっている。
当時警察官僚だった正力松太郎氏らが画策したらしい。
パニック状況下では、民衆の狂気は政府に向かう可能性もある。それをかわすために朝鮮人暴動説を流布したのだ。なにも知らない国民は、まんまとコントロールされた。
関東大震災は、そうした「負の歴史」でもあることも忘れてはならないだろう。
映画の残酷。
この映画は、二人のカメラマンがとにかく「記録すべき」という熱情に取りつかれて撮影した。
無垢な気持ちで撮影したそのフィルムは、歳月と共に魔物となった。
ここに映っているのはほぼ全員、もうこの世にはいない亡霊たち。
過去の亡霊たちの姿が刻印されているのが、映画というものだ。
亡霊の映像。そのものが生き物となって現代に噛みついてくる。
その力は恐ろしい。
自然による大量殺戮の不条理と、それでもしぶとく生き抜こうとする人間のむき出しの生命力を包み隠さず開けっぴろげに提示する。
そして・・・
それを暗闇で冷静に、ジッと見つめる私たち。
好奇心いっぱいの無防備なまなざしに、鋭く噛みつく映画のおそろしさ。
映画はおそろしい。
見た者の脳裏に住みつき、もう離れることはない。
今日、僕の悪夢のレパートリーが、またひとつ増えることになってしまった。

「関東大震災実況」撮影・・・・高阪利光、伊佐山三郎
1923年 日活向島
18分(染色・無声・不完全)
・・・関東大震災発生直後の映像としては、東京シネマ商会版と日活版の2本が「決死的映像」として名高いが、これまで現存しないと考えられていた後者が、一部ではあるが山形の映画館で発見された。日本橋、京橋、浅草、本所被服廠跡、蔵前、安田邸などの様子が赤や青の染色映像で鮮明に映し出される。撮影済みのフィルムを携えた高坂は9月7日に京都の日活大将軍撮影所へ到着してフィルムを現像し、即日京都帝国館で公開したという。本プリントには部分的に重複するショットや字体の異なる字幕が見られ、兵阪新聞社『東京関東地方大震災惨害實況』など別作品の混入が確認されるが、今回はそのまま上映する。
(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)
(National Film Center Webより)
●この映画は8/6(土)16:00からも上映されます。
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