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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

「対テロ戦争」という言葉には、踊らされない。・・・終わりのない戦争なんて勝手に始めるな!04

前回03の記事のコメント欄で、こういうやりとりがありました。
■akumanoaijinさん
「様々なテロとそれに対する先進諸国(特にアメリカ)の対応はまさに
イタチごっこって感じがするわね。
お互いがお互いの行動を種に、また新たな暴力の繰り返しって感じがするわ。
これは、一方的にどちらかが悪いという風には決められないようにも思うの。」
■僕(akaboshi)
「おっしゃるようにイタチごっこが展開されてしまっているわけですが
『どちらが悪いか』と考えた時、僕の意見としては
『どちらも悪いけど、アメリカの方がより悪い』と思います。」
・・・まず、お相手してくださっているakumanoaijinさん、ありがとうございます。
僕がどうしてそう思うのか、コメント欄では書ききれなくなりそうなので(笑)
また記事を書いてしまいました・・・。

冷戦が終わったのは良かったのか?

今の世界は、冷戦構造の崩壊により、かつての「資本主義」対「社会主義」というわかりやすい対立が無くなった分、混迷を極めるようになった・・・という風によく語られる。かつては米・ソが強大な軍事力を競い合うからこそ、かえって均衡が保てていたのだと。

たしかにそういう見方も出来るのかもしれない。ベルリンの壁の崩壊やソビエト連邦の分裂が起こるまでは、人々が想定する最悪のシナリオは、米・ソの直接戦争による核戦争が起こり、人類が滅亡するというものだった。いくら強国といえども、はっきり「滅亡」だとわかっているシナリオには手を付けたくないから、回避しようと懸命に「バランス感覚」を研ぎ澄ませる。そういう時代だったとも言えるのだ。

ところが今は、強者はアメリカ一国である。
アメリカ政府の軍事力に力で均衡できる存在が無くなった。
アメリカ政府は圧倒的な「強さ」を手にしてしまったのである。

現代における「最悪のシナリオ」はアメリカの暴走

現代の我々が想定する最悪のシナリオは、これ以上アメリカが強大になることではないだろうか。
つまり、イラク攻撃で行われたように、アメリカ的価値観に合わない国や勢力を、情報操作によって悪魔呼ばわりし、勝手な大義名分をつけて攻撃が繰り返されること。
これは今のアメリカなら、簡単に実行できてしまう。「人権思想」という伝家の宝刀を振りかざせば悪魔だと名づけて断罪できる材料は、世界中のあちこちに転がっている。その中から、出来るだけアメリカ政府の国益や繁栄につながるものを選び出して攻撃すればいいのである。
力を持つ者がやりたい放題に振る舞える環境。これほど危険なものはないのではなかろうか。

しかし、いくら攻撃をしても悪魔を完全に壊滅させることはできない。それどころか憎悪の種を撒き散らし、報復の嵐を呼び起こす。核兵器など持たなくとも、弱者でもその気になれば大量の人間を殺傷できるということは、すでに9・11で証明されてしまっているのである。

強者がいくら警戒しても、残念ながら弱者の報復を完全に防ぐ手立ては持ちようがない。
それにも関わらずアメリカ政府は、防ぎようのない敵に対して宣戦布告をしてしまった。日本を含む西欧先進国との同盟を強め、対決姿勢を鮮明にしてしまった。
血で血を洗う「最悪のシナリオ」は、すでに紐解かれてしまったのである。

ベトナムから学ぶつもりのないアメリカ。学ぶ必要がないから。

かつてアメリカは、ベトナムに枯葉剤を蒔いてベトコンを絶滅させようとした。しかしできなかった。この失敗から、どうしてアメリカ政府は学ばないのだろう。学ぶつもりがないから、学ばないのではないだろうか。
要するに、戦争を引き起こして兵器を消費することで利益を得る勢力が、アメリカ政府と密接な関係を保ち続けているからだ。それらの勢力はさらに、世界中の電力・エネルギーの源である油田を巡る利権構造を手にしたがっている。最高の「金脈」だからだ。アラブの石油成金にこのまま金脈握らせておくのではなく、直接我が物として自由に扱いたいのだろう。
イラクは世界第二位の石油産油国。9・11後、突然フセイン政権を「敵」に見立てた理由はそこにある。長年の欲望を満たすチャンスだったのだ。

いわばビジネスの世界で言う「多国籍企業」の国家版が、アメリカ政府である。
アメリカ政府は、世界をビジネスの感覚で捉え、市場を拡大したがっているのだ。
アメリカ政府の最終目的とは・・・世界中の人々にマクドナルドを食べさせ、コカコーラを飲ませ、ディズニーランドで遊ばせること。これに尽きるだろう。

現代の対立は、宗教ではなく「文化の対立」

現代の対立は、キリスト教VSイスラム教という枠組みでは語れなくなってきている。神という概念は、芸術や哲学の分野では20世紀ですでに死んだからだ。各宗派の急進派や既得勢力は健在であり続けているが、そうした人々は保守派・守旧派だと言っていい。
大量殺戮の世紀であった20世紀を経て、もう人類は神を信じるほど素朴ではなくなった。解釈不能な出来事をたくさん引き起こし「絶滅すること」さえ選択できるようになった人類。
「核のボタン」を手にしてしまった以上、神の領域に踏み込んでしまったのだ。
神亡き時代を我々は生きている。そう解釈する人は確実に増えている。

では、なんの対立なのだろう。
・・・文化の対立なのではないだろうか。
「アメリカ文化を受け入れられる人々」(アメリカ市場化された国々)
VS
「アメリカ文化を受け入れられない文化を持つ人々」
(アメリカ市場化されていない国々)

文化というものは「暮らし方」である。
風土や気候によって世界中さまざまな種類があり、その土地独自の世界観を醸成してきた。
それが自然な姿であり人類の歴史の豊かさだろう。
そこに優劣はない。多様であることこそ、本来あるべき状態である。

しかしアメリカは政府は「アメリカ文化」で世界中を染め上げようとしている。
資本主義的価値観でケバケバに着飾った、歴史の浅い薄っぺらい文化で。
「エンターテインメント」という甘い衣で装いながら。

なぜなら、そうしないと市場が拡大できないからだ。
その欲望を満たすために、たくさんの人々が「暮らし方」から変えられようとしている。
土足で、まったく違う価値観を強制されようとしている。
それって、「善意の押し付け」「おせっかい」というものなんじゃないのか?
アメリカ政府は、「世界の警察官」を装った偽善者である。
僕はそう思う。

だから、僕はアメリカの方が「より悪い」というふうに考える。
世界を一色(ひといろ)に染め上げるということは、そこに染まりたくない者は排斥されるということだ。
「暮らし方」において、「アメリカ文化」にほぼ染められてしまったこの日本にいると、そうではない人々の思いが想像しにくいのかもしれないが、想像するべきだと思う。

だからといって、抗議の方法として暴力を用いることには反対である。
しかし、その暴力に「圧倒的な軍事力」という暴力で報復しようということには、さらに反対だ。
そしてさらに・・・そうしたことをやる国に無批判でくっついている日本政府を、情けなく思う。
日本には日本にしかできない役割があるはず。
いかなる戦争にも反対している、理想主義的な憲法を持っているのだから。
世界で一国くらい、「理想」を強くアピールする国があってもいいと思う。
それが「バランス」だと思う。
日本は、それが出来るはずなのだ。

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