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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

豊田四郎監督「波影」●MOVIEレビュー

若尾文子の色気満開

瀬戸内の貧しい島で育ち、娼妓となって身体を売り生きて行く女の物語。時代は戦前から戦後。公娼制度の移り変わりも盛り込まれている。
主人公の若尾文子がとにかく魅力的。ジメジメしそうな物語なのに、この人が画面に映っているだけでその場が華やぐ。
まるで四六時中、男を誘惑し続けているのではないかと思うほど発散される「若尾文子フェロモン」ならではの説得力に満ちた映画となっている。

岡崎宏三カメラマン渾身の傑作

映画はファースト・カットの掴みが勝負である。この映画では、はじまりから岡崎宏三カメラマンが非常にいい仕事をしていて見事に引き込まれた。
瀬戸内海に浮かぶ島の小さな船着場。
なんでもない光景だけれども、静かな波頭が無数に揺らめき、これから起こる映画の波乱をすべて暗示させるような不安を喚起させる。
こんなファースト・カットはめったにない。
モノクロで横長のワイド画面に瀬戸内海の平べったい光景は実によく合う。そして、ラストのカットも見事にファースト・カットと連動しており、作品の円環構造を象徴する素晴らしいカットとなっている・・・これはもう、ため息が出るほどの「いい仕事」ぶりである。

フィルムセンターのパンフレットでは、本人もこの作品がいちばん納得できた仕事だと発言しているらしい。
僕はそれを知らずに見たのだが、納得した。
全編にわたり緊張感に満ちた画面構成と気配りの効いたフレーム移動を貫き、その実力はこの映画を「映画」たらしめるのに多大なる貢献を果たしていると思う。

乙羽信子の実力炸裂

若尾文子が「陽」を体現するのなら、この映画での「陰」は乙羽信子。女郎屋の女将をコケティッシュに魅力いっぱいに演じている。
商売人ならではの調子の良さ、兵隊に志願する息子を思う母の気持ち。そして、怪我をして自暴自棄になり帰ってきた息子を心配する甘い母親。いろんな顔を見せるが、しっかりと地に足を付けてたくましく生きる人間像を重厚に表現している。
特に若尾文子が自分の思い通りにならなくなった場面での対立では、身の毛もよだつほどの迫力で女将としての醜さを表現する。
心に潜む醜い部分をここまでストレートに表現できる女優さんって、なかなかいない。本能として綺麗に写ろうとしたがるのが女優というものだからである。乙羽信子さんからはそうした気取りを感じない。本当に綺麗であるということはどういうことなのか、ちゃんとわかった本物の女優さんだったんだな、と再発見した。
乙羽信子さんは、その生き様が演技からにじみ出る素晴らしい表現者だったのだ。

明るさの中に潜む儚さ・・・豊田監督のこだわり

豊田四郎監督はどうやら、深刻なテーマを深刻にジメジメと描くよりは、さらっと明るいテーストで描いておいて、その中で垣間見える影というものを大事にしているように思う。
この映画でも、お得意の「突き抜けた明るい場面」があり、やっぱり最高に爽快感のある素敵な表現になっていた。
女郎屋の商売が順調な頃、若尾文子を含む女郎たちが、ピクニックと称して海水浴に出かける。子どもに戻ったかのごとく無邪気に服を脱ぎ捨てて海に駆けて行く女郎たち。
衣服を脱ぎ捨て裸になった時、そこにいるのは女郎ではなく普通に生きてる普通の人間。海に入れば満面の笑顔ではしゃぐかわいらしい人間なのだ。
そして、画面全体から伝わる突き抜けた明るさがまぶしければまぶしいほど、涙が出そうになるほど哀しい。そうした明るさの儚さが、自然と観客の心に浮かび上がるからだ。
とにかく、どの映画でも必ずといっていいほど、こうして登場人物がおもいっきり無邪気にはしゃぐ場面が出てくる。
豊田四郎監督の作家性は、ここにある。

公娼制度の光と影

戦後、GHQや新憲法による政府の方針転換で、公娼制度は廃止になる。乙羽信子演じる女将はそれでも図太く商売を続けて生きて行く。しかし若尾文子は長年の身体の酷使がたたり、病の床に伏せる。
この映画で唯一、若尾文子が暗い表情を見せる場面になる。
それまでは、どんなに辛い状況下でも不自然な位に明るく華やかに振る舞っていたのだが、ここぞとばかり暗く陰惨に描かれる。観客としては予期せぬ暗さにおののきつつも、そのギャップの強烈さに引き込まれずにはいられない。
それまでの展開で「な~んだ。娼婦ってのもなかなかいい商売じゃん」と思わされていた心が、見事に打ち砕かれるのだ。
この演出テクニックにまんまと乗せられ、最終カットまでとにかく、息つく暇も無く引き込まれっぱなし。
完全に、やられた。

そしていつもの如く、テーマの回答を映画は語らない。
観客の心の中でこれから育つように種が蒔かれた状態で、映画館を出ることができるのだ。


「波影」
製作=東京映画 配給=東宝
1965.01.31公開
製作 ................  佐藤一郎 金原文雄
監督 ................  豊田四郎
脚本 ................  八住利雄
原作 ................  水上勉
撮影 ................  岡崎宏三
音楽 ................  芥川也寸志
美術 ................  伊藤憙朔
録音 ................  原島俊男
照明 ................  榊原庸介

出演:若尾文子、中村賀津雄、大空真弓、春川ますみ、乙羽信子 ほか

●豊田四郎監督作品レビュー
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「夫婦善哉」 (1955年)
「夕凪」 (1957年)
「男性飼育法」 (1959年)

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エロビデオを買ったのは大学出てから・・・(泣笑)

エロビデオ。
健全な男子なら中学や高校時代に、こっそり自動販売機で買ったり友達から借りたりして親しむのが普通だ。
思い返してみると僕の周りでも、休み時間に男子が集まって盛り上がっているのは「エロビ」の話であることが多かったように思う。
放課後集まって皆で見るということも、高校生の開放的な男子ならまあ、普通にやっている。中には積極的な女の子でそうした集まりに参加する子もいて
・・・けっこう開放的に「エロビ」の作りについて批評しあったりして盛り上がっているらしかった。
僕もたまに誘われたけど・・・あんまり興味がないから行かなかった。なぜなら「あの乳首が・・・」とか「あの時の声が・・・」とか言って盛り上がられても、自分がそれに感じないから相槌を打つしかなくて、つまらないのだ(笑)。

なぜこんな事を書きはじめたかというと・・・日本って、実は「エロビ」に関してはかなり寛大な文化なのだと考えさせられたから。

いつも愛読させていただいているflowfreeさんのブログ「大学の真相 海外で考える」で、
「AVみんなで鑑賞: 西欧キリスト文化よりも日本カルト教文化?」という記事を読んだ。

パーティーでAVを流したところ、海外の女性の多くが「信じられない」と奥ゆかしい反応を示したらしい。筆者はそれに違和感を覚えている。日本の女性なら遊び感覚で軽く見ることが出来るだろうにと。

とても面白いエピソードだと思った。
北米の女性などは、僕の勝手なイメージでは性に関してずっと開放的であるように思っていたのだが、宗教の戒律の影響が強いのだろう、遊び感覚で性を語ることに「良心が咎める」と感じる人の方が多いのかもしれない。(パートナーとのパーソナルな場ではどうだか知らないが。)
翻って・・・個人差はあるかもしれないが、日本の若い女性はもう少し「良心」からは自由なのかもしれない。宗教の戒律という束縛からは自由だし。遊びの場で「遊び感覚」で見る機会がわりとあるだろうし、街中やテレビ番組の中でつい、目にする機会も多い。少年誌や少女漫画誌でも性の描写は溢れている。

昨今、性教育を教育の場で云々がメディアで取りざたされることが多いが、学校で性教育をしようがしまいが関係なく、思春期の若者が性について学ぶのは・・・「エロビ」や、漫画雑誌からである場合が大半なのではなかろうか。遊び感覚で軽い気持ちで接するうちに、知って行く。そんなもんだろう実際は。
ただ問題なのは・・・開放的に「遊び」を楽しめる性格の子はそうして接して行けるのだが、そうではなく内気な性格だったり厳格な家庭で育つ子は、そうした機会に参加できない。あるいは、裏でコソコソ見たりするようになるので性格が鬱屈する(笑)。
「良心」を盾にしてあまり厳格にすると・・・子どもはひねくれるのでご注意を(笑)。

性の事については、友達同士でワイワイと語り合ったり、笑い合ったりする中で知って行った方がやっぱり健全だと思う。さらには家族同士で、親子で軽い気持ちで語り合っちゃった方が実はいいのかも。
そういう時、親としては「こっぱずかしい」のかもしれないが、子どもが鬱屈するよりはマシ。そういうところを「ぶっちゃけあう」度胸を持ったほうが、本当の意味で健全だと思う。
それこそ、いちばん理想的な性教育。
・・・親よ、カッコつけるな、ぶっちゃけてしまえっ!

誰でも身体が成熟し、性の問題に向き合う時が来るのだ、生きていれば。
その時に「それは悪である」「汚らわしいものである」なんて偽善者ぶった戒律で道徳を押し付けるから、素直で真面目な子ほど内面に矛盾を抱えて鬱屈してしまうのだ。
性に関しては、もっと軽く、開放的に語れる雰囲気であるべきだと思う。

ちなみに・・・僕が「エロビ」をはじめて買ったのは・・・大学出てから(笑)。
自分のセクシャリティーを自分で認めてからのこと。
見たい種類のものが周りになかったし(笑)。
それはまたそれで、別の意味で鬱屈です(悲)。

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「対テロ戦争」という言葉には、踊らされない。・・・終わりのない戦争なんて勝手に始めるな!03

この記事、0102と書いてきたのですが、そのたびに真摯なコメントをいただき、ありがとうございます。
でも・・・まだ気が済みません(笑)。
どうして僕が「テロ」という言葉の使われ方に違和感を持つのか。しつこく考えてみようと思います。

メディアが扱うテロという言葉

最近では「政治的主張により、その国の政権に脅しをかける目的での暴力行為」のことを広義にテロと呼ぶようになったようだ。
ただ、今回のロンドンの事件で「テロ」と真っ先に語られたことは
やっぱり解せない出来事だった。
なぜなのか。どうやら・・・
メディア批評になってきた。


おかしなこと・・・
①犯人が絞られていない段階から
メディアが「テロ」という言葉を使い、ほぼアルカイダの犯行であると騒ぎ立てたこと。

②犯人が絞られていない段階から
ブレア首相がサミット参加各国の首脳を従え、「対テロ」声明を出したこと。
→イギリス政府へのテロなのだとしたら、
他国の首脳が「共同声明」のごとく画面に収まって映る必要はない。

③イギリス政府へのテロなのだとしたら
「我々に対するテロである」と宣言できるのはイギリス政府だけであるはず。
→それを報道するメディアは
「イギリス政府によりテロと名づけられた事件」という前提を忘れてはいけないと思う。
ことに政治的主張を含む問題なので、ちゃんとした証拠で「犯行声明」などが認定されるまでは「テロ」と名づけること自体が時期尚早である。
犯罪者も罪が確定するまでは「容疑者」と呼ぶのだから、「テロ」も「テロ容疑事件」と呼ぶべきである。

ジャーナリズムの本来の役割

報道メディアというものは本来、政府が暴走しないように政府から独立して、われわれ市民のために政府を監視する役割を担うはず。
(権力というものは、ただでさえ暴走しやすい。第二次世界大戦のナチス・ドイツや日本の大本営発表等の反省から、ジャーナリズムの独立性はますます重要視されるようになったのに・・・。)

政府の情報をそのまま垂れ流すようではジャーナリズムとはいえない。
それは「政府広報」という。(例:NHK・・・←もちろん皮肉。NHKもジャーナリズムでなければいけないんだ本当は。最近のNHKの報道は死んでます。)
だからたとえイギリスのメディアといえども、「政府」とは別の機関である以上、
やはり「イギリス政府によりテロと名づけられた事件」という立場を貫くべきだと思う。

さらに、日本のメディアがイギリス政府の言う「テロ」をそのまま「テロ」というのもおかしなこと。日本はイギリスではない。独立した別の国だ。なおさらイギリス政府に対して距離をとって報道する姿勢があってしかるべき。

ならばアメリカのしたことも「テロ」と呼ぼう。

もし今回のことを「テロ」と名づけるのなら、公平に最近のアメリカの行状に対しても適応すべき。

アメリカのイラク攻撃は、アメリカという国が起こしたイラク政府への「テロ」であると言えてしまうのだから。

イラクが持ってもいなかった大量破壊兵器を「持っている証拠をつかんだ」という虚偽の情報を流し、国連の国際法を無視して攻撃を開始したアメリカ。

国連では「相手国からの攻撃があった場合の自衛による交戦権」しか認めていないはずなので、イラクからなんの攻撃も受けていないのに攻撃を開始したことは明らかに犯罪。
メディアによって宣戦布告がされたが、そもそも国連による国際法違反なわけだから、宣戦布告とは認められない。アメリカはパールハーバーを批判できないのである。
しかも攻撃開始後は予告もなしに平気で一般市民が住んでいる地域に攻撃を繰り返す。
・・・イラク政府から見ればこれは明らかにテロだろう。

イラク側は強力なメディアを持っていないから主張できなかっただけ。というより、イラク政府自体がアメリカにより壊滅させられたので「テロである」と宣言できなかったのだ。

冷静に考えてみたらまったく筋の通らないことを、強引に「筋が通ってるかのごとく」情報操作してきたのはアメリカ。それにそそのかされて自衛隊を派遣してしまった日本なんて、テロ国家への支持を表明したようなもの。つくづく馬鹿。反感を持たれて当然である。

だから、僕は違和感を持っている。
「テロ」という言葉は、強力なメディアを持っている、いわゆる「西欧先進国」の側が一方的に自分たちの敵視する勢力を断罪する目的で使われているように思えるからだ。

今後、ますます使われる頻度は高まるだろう。
僕はその度に、この違和感を忘れないようにしようと思う。
そして、こんな傍若無人がまかり通っていることに、強い憤りを覚える。

帝国は必ず滅びる。そのとき日本は・・・。

歴史上、帝国というものは繁栄を謳歌した後、必ず滅びてきた。
アメリカ帝国の崩壊も、そう先のことではないだろう。
そうなった時、主体性も無く「強いものにまかれる」だけの日本政府の政策も破綻する。

その時・・・どこからも相手にされない醜態をさらすのだろうか。
早く方向転換しておかないと、とんでもないことになる。
・・・もう、手遅れなのかもしれないが。

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