シャワーの下で。

オンナは傘さし
わが身を守る。
白さが大事。若さが大事。
オトコは黙って
日光浴びろ。
黒さが大事。黒けりゃモテる。
オンナは防備
オトコは無防備
シャワーのような
日光の下で。
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熱

部屋の中で
お菓子のチョコレートが溶けた。
くっつき合ってドロドロ。
甘ったるくて重たい。
外は熱風が吹きすさぶ。
空気の存在を感じる。
熱いか。寒いか。
どちらかに片寄った時にのみ
空気は自己を主張する。
アスファルトから照り返される熱。
ビルの窓に反射するいくつもの太陽。
東京は、
熱をさらにヒートアップさせる事にかけては
超一流である。
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グレッグ・アラキ「ミステリアス・スキン」●MOVIEレビュー
ゲイ・ムービーにおける「ザ・アメリカ映画」。
美貌を生かし男にカラダを売ることを繰り返してきたニール。
8歳の頃からトラウマに触れると鼻血が出て倒れ、その原因を探ろうとするブライアン。
性格的にも対照的な2人の青年が主人公。
別々に描かれていたそれぞれの生き方が、徐々に接近して交錯する。この二人は少年の頃、同じ野球チームに所属していた。その時にコーチから性的な悪戯をされていたという共通の過去を持っていたのだ。
憑かれたように身体を売りまくる青年。
二―ルはエネルギーを持て余している美少年であり、公園やバーで男を誘惑しては身体を売る。
「この町のほぼすべての男とヤッた」という彼のやりたい放題の日常描写が、この映画の一つの見所。
めくるめくように次から次へと、さまざまな「売り」の現場が描かれる。
普段はノンケぶっていても、夜は男を求める人は何処にでもいる。特に田舎町で身体を売る若い男はモテモテなのだ。
しかし・・・あまりにもヤリすぎ(笑)。野球場でアナウンスのバイトをしながら合間に机の下から男に舐めさせていたりと、所かまわずいつでも何処でもヤッている。しかしそれが喜びなのかといったらそういう風情も無く、無感動にクールにヤリ続ける。そして、ヤレばヤルほど募る苛立ち。空虚感。
都会で直面するゲイの暗部。残酷な現実。
そんな日常も、田舎町では牧歌的な光景で済まされていたのだが・・・・家を出てNYに行ってからは怖い思いをする。
さびれたバーでいつもの如くカウンターで色目を送り、初老の男性の誘惑に成功。ホテルの部屋で男性の身体を見てびっくり。エイズ発症者だったのだ。
怖気づくニールに男性は懇願する。「いちばん安全なセックスだ。お願いだ、背中をさすってくれ。」
斑点だらけの背中をさすってあげる二―ル。恍惚の表情を見せて喜ぶ男性。
二―ルははじめて、「もうやめよう」と決意する。
そしてまっとうな仕事に就きはじめるものの・・・ある時ふと魔が刺して、車の男を誘惑し家に乗せられて行く。しかしその男は行き過ぎた性的志向を持っていた。家に着くやいなや強引にレイプを強要し、ニールが拒否すると殴る蹴るの暴力をはじめ、血を流すニールに興奮しバスタブで強姦する。
この世に夢のような話などない。行き過ぎた放埓の結果は、破滅をもたらしてしまう。いまやゲイにとって多大なる影響を持つようになったグレッグ・アラキ監督は、こうした現実を意識的に映画として発信しているのだろう。
その描写は生々しく、そして厳しい。この映画のいちばんのハイライトだ。
ラストの表現がもったいない。
二―ルの破滅的な生き方と、ブライアンの自分探しが共通の記憶に辿りつくのがラストへの展開。
コーチに弄ばれた部屋で記憶が蘇る二人。そこで映画はカタルシスを迎えてしまう。
序盤から中盤までは、まるで推理小説のような謎解きの展開や、二―ルのエロ場面で楽しめるのだが、ラストで「拡散」してしまう。それが、映画としてとてももったいない。
謎が解かれるのはいいのだが、その後の展開への布石があまりないまま、アメリカ映画のラストにありがちな「ハッピーエンドを漂わせる」表現と、センチメンタルな音楽と共にエンドロールへ持って行ってしまう。僕にとっては興ざめ。だから心にあまり残らない。
「感動の押し付け」を感じさせるような表現。・・・僕はそういうものに抵抗感を覚える。
ラストの味付けがアメリカ映画的なのが、どうも・・・。
見ている最中は、確かにハラハラドキドキさせられる。その力量は素晴らしい。
でも観終わったら急速に記憶から遠のいてしまう。なぜならラストで「スッキリ」してしまうからだ。「スッキリ」と解放されてしまったら、人はそれ以上を求めない。謎が残されないからそれ以上考えなくなってしまう。
この映画は、ハッピーエンドというわけではないのだが、なぜかハリウッドの大作ヒット映画の典型である終わり方と同じような感覚。うまく言葉で言い表せないのがもどかしいのだが・・・僕が嫌悪感を覚えるような終わり方。なぜか、スーッと解消してしまったのだ。映画の数々の場面がすべて。アメリカで映画を流通させるには、そのパターンにはまらないと難しいのか?・・・どうも釈然としない。
「娯楽」と「芸術」の境目は、そこにある。
現にこの映画を見てから一週間。
正直、あまり思い出すことは無かった。
「Mysterious Skin
ミステリアス・スキン」
監督: グレッグ・アラキ
Dir: Gregg Araki
2004 / USA
35mm / 99min
関連記事
●東京国際レズビアン&ゲイ映画祭に行ってみた。
●ロビー・ボルドウィン「ワンダフル・デイ」●MOVIEレビュー
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美貌を生かし男にカラダを売ることを繰り返してきたニール。
8歳の頃からトラウマに触れると鼻血が出て倒れ、その原因を探ろうとするブライアン。
性格的にも対照的な2人の青年が主人公。
別々に描かれていたそれぞれの生き方が、徐々に接近して交錯する。この二人は少年の頃、同じ野球チームに所属していた。その時にコーチから性的な悪戯をされていたという共通の過去を持っていたのだ。
憑かれたように身体を売りまくる青年。

「この町のほぼすべての男とヤッた」という彼のやりたい放題の日常描写が、この映画の一つの見所。
めくるめくように次から次へと、さまざまな「売り」の現場が描かれる。
普段はノンケぶっていても、夜は男を求める人は何処にでもいる。特に田舎町で身体を売る若い男はモテモテなのだ。
しかし・・・あまりにもヤリすぎ(笑)。野球場でアナウンスのバイトをしながら合間に机の下から男に舐めさせていたりと、所かまわずいつでも何処でもヤッている。しかしそれが喜びなのかといったらそういう風情も無く、無感動にクールにヤリ続ける。そして、ヤレばヤルほど募る苛立ち。空虚感。
都会で直面するゲイの暗部。残酷な現実。
そんな日常も、田舎町では牧歌的な光景で済まされていたのだが・・・・家を出てNYに行ってからは怖い思いをする。
さびれたバーでいつもの如くカウンターで色目を送り、初老の男性の誘惑に成功。ホテルの部屋で男性の身体を見てびっくり。エイズ発症者だったのだ。
怖気づくニールに男性は懇願する。「いちばん安全なセックスだ。お願いだ、背中をさすってくれ。」
斑点だらけの背中をさすってあげる二―ル。恍惚の表情を見せて喜ぶ男性。
二―ルははじめて、「もうやめよう」と決意する。
そしてまっとうな仕事に就きはじめるものの・・・ある時ふと魔が刺して、車の男を誘惑し家に乗せられて行く。しかしその男は行き過ぎた性的志向を持っていた。家に着くやいなや強引にレイプを強要し、ニールが拒否すると殴る蹴るの暴力をはじめ、血を流すニールに興奮しバスタブで強姦する。
この世に夢のような話などない。行き過ぎた放埓の結果は、破滅をもたらしてしまう。いまやゲイにとって多大なる影響を持つようになったグレッグ・アラキ監督は、こうした現実を意識的に映画として発信しているのだろう。
その描写は生々しく、そして厳しい。この映画のいちばんのハイライトだ。
ラストの表現がもったいない。

コーチに弄ばれた部屋で記憶が蘇る二人。そこで映画はカタルシスを迎えてしまう。
序盤から中盤までは、まるで推理小説のような謎解きの展開や、二―ルのエロ場面で楽しめるのだが、ラストで「拡散」してしまう。それが、映画としてとてももったいない。
謎が解かれるのはいいのだが、その後の展開への布石があまりないまま、アメリカ映画のラストにありがちな「ハッピーエンドを漂わせる」表現と、センチメンタルな音楽と共にエンドロールへ持って行ってしまう。僕にとっては興ざめ。だから心にあまり残らない。
「感動の押し付け」を感じさせるような表現。・・・僕はそういうものに抵抗感を覚える。
ラストの味付けがアメリカ映画的なのが、どうも・・・。
見ている最中は、確かにハラハラドキドキさせられる。その力量は素晴らしい。
でも観終わったら急速に記憶から遠のいてしまう。なぜならラストで「スッキリ」してしまうからだ。「スッキリ」と解放されてしまったら、人はそれ以上を求めない。謎が残されないからそれ以上考えなくなってしまう。
この映画は、ハッピーエンドというわけではないのだが、なぜかハリウッドの大作ヒット映画の典型である終わり方と同じような感覚。うまく言葉で言い表せないのがもどかしいのだが・・・僕が嫌悪感を覚えるような終わり方。なぜか、スーッと解消してしまったのだ。映画の数々の場面がすべて。アメリカで映画を流通させるには、そのパターンにはまらないと難しいのか?・・・どうも釈然としない。

現にこの映画を見てから一週間。
正直、あまり思い出すことは無かった。
「Mysterious Skin
ミステリアス・スキン」
監督: グレッグ・アラキ
Dir: Gregg Araki
2004 / USA
35mm / 99min
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この親不孝者めがっ!

母を見舞った病院の帰りだった。母は今、足の手術で入院している。
東京に帰る電車に乗る前の喫茶店。ゴーっという地鳴りとともに来た衝撃。お店の電灯は激しく揺れた。とっさに僕が思ったこと。
「東京に帰れるかな?」
電車が止まるのではないかという心配。帰れなくて翌日の仕事に穴を空けるのではないかという心配。・・・自分のことだけだった。
「これから東京に帰るんです。」
同じ揺れを共有したお店の他のお客さんにそう言うと、
「危険だからもう少し待ってからにしたら?」と心配してくれた。
でも・・・帰らないと。僕には過ごすべき日常が待っている。

こういう時の東京はもろい。普段、便利な分だけ「不便」という状況には慣れていないのだ。
街路には人が溢れ、駅の構内や駅前広場も立ち往生した人々でいっぱい。
ここでまた大きな揺れでも起きたら大パニックになるのではないかと不安がよぎる。
たまたまレストランに空席があったので、読書しながら電車の再開を待つ。やがて地下鉄が動いたのでいつもよりかなり遠回りして、家に着いた。
「母が心配しているかもしれない。」
そう思い、帰宅したことをメールで知らせる。
返事は来なかった。
翌日、返事が来た。メールが大量に使われたため、不具合が生じたためなのだろうか。母の元には翌日の朝に届いたらしい。
「すごく揺れてどうなることかと思った。こんな揺れは初めて。8階だからよけいだろうと思うけど。身動きできない身には恐怖だね。これ以上揺れたら駄目かな。いよいよかななんて枕を抱えてじっとしてたよ。」
そこには、今、身動きができない状態でいる母が感じた恐怖が綴られていた。
なんて親不孝者だろう。
このメールを見るまでは、その瞬間に母がどう感じたのか、僕はまったく心配すらせず、思いやりもしなかった。ただ自分のことばかり考えていた。母はそのことを直接書いてはいないが、僕の素っ気無いメールに寂しさを感じたかもしれない。

子どもも親の事をわかっていない。
親だってあたりまえに恐怖を感じる人間だし、決して強いわけではない。子どもの前では「親」でいなければならないわけだから「親」としての虚勢も張るだろう。
そうした姿を見慣れて安心し、親の感じる孤独や恐怖を思いやってこなかった自分の身勝手さに腹が立った。
母の返信メールの行間から滲み出る、いろんなことについて考えた。
僕は今まで、母のことを見ているようで見ていなかった。
父のこともそうだろう。
なのに、自分のことばかり見て欲しくて、知って欲しくて求めてばかりいた。
甘えてきたのは自分でもある。
もう甘えるのは、やめよう。
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●どーにもならないGAYのユーウツ
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大学時代、ゲイを演じることになり・・・13

いよいよ本番前の最終リハーサル。
照明の下で衣裳や小道具、メイクも本番どおりに行います。ディテールが整ってくると「役」がますます自分の中に息づいてくるのがわかります。
最終リハーサルでも稽古場と同じようにキスはせず、フリをしただけでした。でも、たしかこの時はじめて「本当にキスしたい」と思ったことを憶えています。
照明の下で演じると、まぶしさによって役者には周囲や客席が見えなくなります。相手役や舞台上のセット以外のものが目に入らなくなるので、とても演技に集中しやすい環境になります。
いつも鋭い目を光らせている演出家の姿も見えなくなるので、まさに解き放たれた鳥のよう(笑)。これなら本番のキスシーンも照れずに出来そうだと、手応えをつかむことが出来ました。
キスのシーンでは、ライトが熱いからか、顔を近づけたら先輩は汗びっしょり。キラキラして魅力的でした(笑)。
本番前、演出家からの最後の「ダメ出し」での発言。
「だんだん二人の愛が見えてきた。もう、充分に見ている人には感じられるようになってるから、それ以上説明しようとはしないでね。説明的な演技って観客を馬鹿にする行為だから。毎回、新鮮に楽しんでね。」
・・・嬉しい言葉だった。
さらに彼女はキスシーンについても言及した。
「キスは、演じていてもし気持ちが乗らなかったらしなくてもいいから。
しなくても充分、わかるようには作ってあるの。安心して。
本当に出来ると思ったときだけにして。嘘ではしてほしくないの。」
・・・彼女なりの挑発だったのだろう。それを聞いた先輩は
「よ~し、絶対に毎回しような。」と、僕の肩を抱いて言ってくれた。・・・ドキドキした(笑)。
いよいよ、そのときが来てしまうのだ。
ただでさえ本番初日というものは必要以上に緊張する。
でも・・・先輩を信じてみようと思った。
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