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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

大学時代、ゲイを演じることになり・・・05

演出家である女性の先輩は、入部当初から何かと僕を可愛がってくれました。めったに入ってこない男子だからかもしれませんが、女が多い雰囲気に気後れしないよう、いろいろと助けてくれました。まあ、もともと僕は女性とは馴染みやすい性格なので大丈夫ではあったのですが(笑)。
かなり繊細なところのある人で、よく体調を崩していました。電車に乗ると突然恐怖症のような発作を起こし、途中の駅で降りてしまうこともありました。付き合う男性がコロコロと変わるけれど、常に誰かと付き合わなくてはいられないみたいでした。彼との前夜のSEXについて突然語り出したり、「私、生理が活発なの」と平気で僕に言って、不機嫌なことの言い訳にしたり・・・僕には刺激が強すぎて面喰ったけれど、彼女はそんな僕の反応を楽しんでいるみたいでした。
でも、いざ演技を始めるとそれはもうピカイチで、ものすごく自然に台詞を喋り、動ける人なのです。役者経験2回目で彼女の相手役をやらせてもらった時は、すごく楽に演じられたのを憶えています。上手い人と組むと、自分も自然にリラックスが出来るみたいです。相手のペースに委ねてリアクションを自然にすればいいから。その舞台ではじめて、僕は演じていて「楽しい」という感覚を味わったように思います。日常ではどう絡んでいいのか戸惑い続けましたが、舞台の上では最高に絡みやすい人でした。

そんな彼女の「演出」を受けるのは始めて。しかも彼女が書いた脚本。
僕に当てて役を描いてくれたことは嬉しかったけれど、その役が「男を好きになる役」であるということは、不思議とあまり気にしませんでした。それはきっと、まだ深く自分のことを考えていなかったからだと思います。「なんとなく」意識はしてるけど、まだ向き合っていない状態。考える暇を作らないよう、忙しさでごまかしていた・・とも言えるのかもしれませんが。
稽古がはじまり、台詞はすぐに入りました。あまり苦労せず、順調に場面が出来て行きます。

そんな或る日、彼女が突然、稽古を3日間休みにしました。

休み明け。
彼女は台本を書き足して持って来ました。作り替えたい場面があるというのです。
変更された部分を読んだ途端、僕はア然としてしまいました。
そこに書かれたト書きには・・・

キスシーンが足されていたのです。


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豊田四郎「夕凪」●映画レビュー

前回「男性飼育法」を観て淡島千景さんのファンになったため(笑)、再び豊田四郎監督の特集上映に行ってきた。
僕は、サバサバと早口でしゃべる姉御肌の女性が好きなので、この頃の淡島千景さんはまさに理想どおり(笑)。更に、まだ駆け出しの頃の若尾文子さんが娘役で出ていて、すでに妙な色気も漂わせているではないか。
これぞ夢の母娘競演っ!!を充分に堪能できた・・・。シアワセ~。

母娘再会シーンの濃厚さは、エロ寸前っ!

4年間のアメリカ留学から娘が帰ってくる。母親役の淡島さんは嬉しそうにソワソワ。湘南の海が見える立派な大邸宅で、母娘は抱き合って再会を喜ぶ。
実はこの再会の表現が・・・「えっ、そこまでやるの?」と思うくらい濃厚でドキドキさせられる。
立派に卒業して帰って来た娘を愛おしむあまり、母は娘を抱いたままベッドにもつれ込む。そして「ほんのちょっと前まではアタシのオッパイをちょうだいちょうだいって触ってたのにねえ・・」と言いながら娘に胸を触らせる。嬉しそうに触る娘。親子の情愛の表現として素直に見ればいいのだが、かなり長く丁寧に描くので、それ以上の色気まで感じてきてしまう。だって大人の女性同士だし・・・(笑)。
きっと監督はこの表現に命を賭けたに違いない。その後の展開が悲惨なだけになおさら。
この映画の中でも最も美しく、ジーンと胸に迫る素敵な場面になっていた。
親と子がここまで素直に愛の感情を表現し抱き合えるなんて、うらやましいなぁ~。
こんな風に、友達同士のようなイチャイチャした関係を親子が築けたとしたら
・・・それこそが「シアワセ」っていうんだろうなぁ。
淡島さんのアッケラカンとした明るさがそんな母親像にちゃんとリアリティーを持たせていて
・・・気付いたら、ちょっと涙が出てました。いいです、この場面本当に。

実は荒んでいた母。受け入れられない純真な娘。

そんなシアワセの絶頂を描いた後は、期待を裏切らずに(笑)この二人の関係は崩壊へ。
当たり前だ。女一人で普通に稼いでいたんでは、大邸宅に住み娘をアメリカ留学へ出せる資金など調達できるはずもないのだ。実は母親はキャバレーを経営し、田舎から出てくる女たちに売春をさせて稼いでいたのである。
母親の本当の姿を知り、うろたえる娘。
そして、娘が恋をした男・池部良との交際を反対する母。
それは恋愛が許されない関係だったからなのだ。(詳しくは映画をご覧あれ。)
荒んだ母親の二面性。
クライマックスではこの母娘が対決する。とても見ごたえのある演技対決にもなっている。

売春が社会問題化した年、1957年。

終戦から12年目。搾取するものと搾取されるものの貧富の差が、ますます顕在化して来た世の中。高度経済成長前夜の「拝金主義」が、いよいよ芽生えてきた社会というものを風刺してもいる作品。
この頃は女性の地位向上といっても、本質的に男に頼らざるを得ない現実だったらしい。結局女性は「女」を武器にしなければ、競争社会を這い上がることはできなかった。売春はかなり広く行われていて、売春業者もたくさんあった時代なのだ。そんな、生きるためにギラギラせざるを得なかった女たちがたくさん出てくるのもこの映画の特徴。
たとえ娘に軽蔑されようが、そうした道を選んでしまった女の業。そのやるせなさを、淡島千景さんが「汚れ演技」で見事に表現した。
品の悪さの中に見え隠れする弱さ。ズルさ。母としての強さ。エゴ。
いろんな顔を持ち、肩肘張っている強欲な女。
ついには最愛の娘に去られても変われない女・・・悲しすぎる。
彼女の行く末に待つものは、どんな結末なんだろう・・・。

この映画の結末は、一つの答えを押し付けない。
だから観終わっても観客は、心の中でこの映画を育て続けられる。
そして、淡島千景ファンなら絶対に見逃せない、隠れた名作である。



「夕凪」1957.09.15公開
製作=宝塚映画 配給=東宝

製作 ................  佐藤一郎 垣内田鶴
監督 ................  豊田四郎
脚本 ................  八住利雄
撮影 ................  安本淳
音楽 ................  芥川也寸志
美術 ................  伊藤憙朔
録音 ................  山之内樹一
照明 ................  高島利雄
スチール ............. 秦大三 岩井隆志

出演
淡島千景 若尾文子 志村喬 池部良
千石規子 市原悦子

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工藤静香「BREAK OF STILL」 ●アルバム「月影」レビュー06


人の視線を追いかけ 空の色さえ気づかない
小さなカゴではばたく そんなStyle似合わない
分かれ道照らす太陽 波は歩くように近づく
鼓動は高まり響いた 今がすべてさeverything


「BREAK OF STILL」
words:川村サイコ
music,arrangement:Jin Nakamura
●POEM by.akaboshi●
「これってチャンス・・・!」
気づいた瞬間の武者震い。
逃げ出したくなる心との葛藤。

「怖い。」
年齢や時間のせいにして
踏み出す一歩を躊躇する自己保身。

いつから臆病になった。
いつから
「飛んでみる」ことをしなくなった。
軽やかで
欲望は剥き出しで
ギラギラと
自由な僕。
それが僕だった。

すぐ現実のせいにする。
すぐ誰かのせいにする。
都合のいい人間だね、お前。
わかってんだろ。
カッコつけんなよ。

お前のせいだろ。
そう挑発するもう一つの心。
こいつが居る限り、
僕はまだ死んじゃいない。

死んでたまるか。


「月影」
information

PONY CANYONサイトで試聴できます。
●「Fe-MAIL」にアルバムについてのインタビューあり。
・・・連載『工藤静香 SHE SEA SEE』Vol.1.2.3.4
Real Guideに動画インタビューあり。
音楽大好き!T2U音楽研究所に「月影」特集ページあり。

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大学時代、ゲイを演じることになり・・・04

演劇部では役者がどの役を演じるのかは、本読みをした後で演出家が決めていました。

キャストが発表される日というのは、朝からとても緊張します。なにしろ、その日から本番が終わるまでの50日間、自分がどんな人間の内面を理解し身体を使って演じるのか・・その役割が宣告されるわけですから。
演出家は女性の先輩。とても繊細で鋭い感性を持った人でした。一応どの役をやりたいのか希望は聞いてくれるのですが、他の役との組み合わせや出番の都合などによって、必ず希望が叶うわけではありません。僕はそれまで「やりたくない役」をやってばかりだったので、なおさら「今度こそは」と緊張していました。
演目は、その女性演出家が自分で書いたオリジナル脚本。天使と悪魔が狂言回しのように登場する中、人間たちが「死」をどう迎えるのかをオムニバス形式で描くというものでした。

僕には、本読みの段階から不思議と魅かれる役がありました。その役だけ、なぜか余計な事を考えなくてもスッと読めてしまうのです、しかもとても自然に。
そんなことははじめてだったから、ぜひその役がやりたかった。でも主役級の役なので、へたくそな僕では役不足かもしれないと思いつつ、演出家との面接で、僕にしてはめずらしくそのことを主張しました。その時、演出家はなぜか僕を凝視するだけでした。普段から突然そういうことのある人だったので、その時はあまり気にはしなかったのですが。
そして、キャスト発表・・・。

その役は僕に回って来ました。
僕に割り振られた役は男子高校生。男2人、女1人の仲良し3人組でいつも行動している普通の高校生。ただちょっと変わっているとすれば、三角関係であるということ。しかも女の子を巡ってではなく、男子をめぐっての三角関係が、微妙なニュアンスで描かれているものでした。
演出家がこっそりと僕に近づいてきて言いました。
「この役は、キミがやるということを想定して、当て書きしたものだから。」
「えっ・・・」
「じゃあ。」
それだけ言って、彼女は帰って行きました。

次の日から、稽古が始まりました。


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異形の幻視力~小山田二郎展(東京ステーションギャラリー)

まっすぐすぎるくらい、まっすぐな人

東京駅周辺に貼られていた美術展のポスター。その異様なグロテスクさに魅かれて入ってみた。東京ステーションギャラリーは東京駅の丸の内側。あの赤レンガ造りのレトロな雰囲気を上手く生かした洒落た空間だった。ゴツゴツとしたレンガの地肌がむき出しにされている壁には、この人の、それこそむき出しの絵はとてもよく似合っていた。

小山田二郎さん。
この人は経歴が面白い。大正生まれで、父親の反対を押し切り苦学しながら絵を書き続けるものの、せっかく書きためた絵はすべて戦争で焼失してしまう。そして31歳の時に終戦を迎える。
31歳といえば今の僕。その時の彼の気持ちを思うと胸が痛む。大切な、それこそ身を削って描いたであろう、みずみずしい20代の時の作品がすべて失われてしまったのだ。なんということだろう。
しかも彼は戦時中は絵を描くのをやめていた。周囲の多くの画家が戦争画に手を染める流れに乗りたくなかったからだ。虎視眈々と戦争が終わるのを待っていたに違いない。それだけになおさら、過去の蓄積を奪われた31歳の喪失感は、計り知れないものだっただろう。
戦後、そうした戦争体験から蓄積された内面の毒や膿みを、彼は見事に作品として結晶化させる。そして画家としての地位を築き上げるわけだが・・・57歳の時に妻子を捨てて突然失踪する。そして死ぬまでの20年間はまったく社会の表舞台に姿を現さず、知り合いのギャラリーに作品のみを送り続けた。

なんていうか・・・自分に嘘がつけなかった人なんだと思う。そういうのをわがままと評価する人もいるのだろうが、こうした性格の彼だからこそ描けたであろう作品を実際に目の当たりにしてみると、そんな常識的な道徳観なんてどうでもよく思えてくる。長所は短所。短所は長所なのだ。少なくともこうした作品を描きつづけたということは、彼は人生から逃げなかったということ。自分の性格的な弱さが巻き起こしてしまうことを実は真摯に受けとめ、表現し続けたのだ。
失踪中の絵には、逃避する人物像が頻繁に描かれる。まるで絵の中で贖罪しているかのようだ。そんなところが人間っぽくていい。そして死ぬまで描くことをやめなかったという事実が、生涯、画家としての自分と向き合い続けたことを証明している。

生涯を賭けて、自画像を描き続けた人

彼は生まれつき顔に赤アザがあったという。先天性ウェーバー氏病というらしいのだが。つまり彼は・・・ストレートに言ってしまえばグロテスクな顔をしていたのだ。
だからという風に短絡的に結びつけるのもなんなのだが、それでも「やっぱりな・・・」と思える位、彼の残した絵はすべてグロテスク。「さわやか」「すがすがしい」という言葉からはいちばん遠いところにあるようなものばかり。
しかし、その絵をしばらく見ていると「醜い」と感じた第一印象はどんどん変化してくる。そして、細部の微妙な色使いや、引っかき傷のような荒々しい線の動きに、いつの間にか心を奪われはじめる。
特に彼が30~40代の頃に描いたという、小さいサイズの水彩画が僕には強烈に迫ってきた。
ちっとも可愛くはない「子ども」という絵。ちっとも美しくはない「花園」という絵。だいたいの絵が、タイトルが表象する一般的なイメージを覆す醜さを持つのだが、その暗さの中に目を凝らすと、なんだか痛い。例えると、長いトンネルのずっと先の方に小さく見えてくる出口の光を見つけたときに感じるまぶしさ。そのまぶしさが目にもたらす痛み・・・。痛いけれど、その痛さは実は快感でもある。痛さを感じるというのは生きているという証拠。彼の絵は、麻薬のように病み付きになりそうな中毒性を帯びている。
・・・これは、ヤバい画家と出逢ってしまった。正直そう思った。

自画像は他画像

こんなグロテスクなものを表現し続けなければいられなかった彼の生涯。いわば自画像を描き続けた生涯だったと言えるだろう。しかし、その自画像は自画像にとどまらず、恐ろしいことに世界というものを表象してしまえる普遍性を持ってしまった。
彼の内面に鬱積された様々な毒は、まぎれもなくあの時代の日本社会とも密接に関係していたのだと僕は思う。「野火」という絵は有名な戦争記をモデルに書いたのではと感じられたし、「老人像」という絵からは虚飾を身にまとわりつけて老醜をさらしている人間の姿を感じた。
彼の絵には、実はしっかりと社会に棹さす強烈な風刺も込められているのだ。

そして、失踪後の大型の油絵では・・・カラフルなのだがグロテスクな糸のようなものがまとわりついて、息苦しそうにしている人や鳥がたくさん描かれている。
・・・まるで、自信過剰になって欲望を剥き出しにし、身の程を知らずにエスカレートし、結局ハジけてしまった「金の亡者ども」の慢心の行く末を暗示しているかのようだ。
彼は幻を見ていたのではなく、鋭敏なリアリストだったのかもしれない。

彼の絵を見て痛いのは、見る者の心の内にも棲む慢心や毒を射抜かれ、見透かされてえぐられるからなのかもしれない。
いわば、彼の絵は水俣湾のヘドロなのである。
現代に生きる誰の心にも、知らず知らず鬱積しているであろう、心の中のヘドロの姿なのである。


●「異形の幻視力~小山田二郎展」5/28~7/3東京ステーションギャラリー

●6日後、再び見に行ったときの感想はこちら↓
「ふたたび小山田二郎展へ・・・完全に虜と化す」 (7月2日付「アートを語ってみる」)

文京アートのホームページに、小山田二郎情報があります。

●奥さんの小山田チカエさんへのインタビュー記事を見つけました。
本を散歩する雑誌スムース内「sumus special 「小山田チカエさんに聞く」

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