フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-03
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記憶について・・・2●洪水の記憶②

その保育園は川沿いにあるため洪水を想定して設計され、床が高く作られていた。
玄関に行くには地上から1.5メートル高いバルコニーまで階段を上がる必要があった。
僕が濁流を目撃し、興奮して飛び出して行ったのはそのバルコニーの部分。水はあと階段2段分位まで迫っていただろうか。なにしろ1歳児なので危険を察知できないまま、濁流に向かって飛び出して行ったのだ。
外は土砂降り。バルコニーに激しく打ちつける雨。
僕は目の前で波打つ泥水が面白くて、さらに階段を下りて水を触りに行こうとした。
動き出そうとしたその時、ツルッと滑って転んだ。
足元が濡れていたので、かなり派手に尻餅をついた。転んだショックで、僕は大声で泣きだした。

その泣き声ではじめて、昼寝をしていた保母さんが目覚めた。
彼女は僕を見るや否や、咄嗟に「動いちゃダメー!!」と、ものすごい声で叫びながら飛び出してきた。そのまま抱かかえられ、僕は雨の中から救出されたのだった。

あの時あそこで転ばなかったら僕は水を触りに行き、滑って落ちて濁流に呑まれていたかもしれない・・・危機一髪だった。

保母さんの胸でしばらくワァワァ泣いた後、泣き疲れて今度こそ昼寝をしたらしい。気がついた時にはすでに避難の準備が整い、たくさんの消防士さんが保育園に集まっていた。
それから彼らに肩車をされ、門のところに用意されたボートまで運ばれた。
水は大人の胸のあたりまで来ていただろうか。流れは激しくはなかった。
あたり一面が泥水色になっている光景に、僕はまたしても無邪気にはしゃいだ。乗せてくれている消防のお兄さんも、上下にゆすって一緒にはしゃいでくれた。
ボートに乗ってからも姉と一緒に騒ぎ続け、避難先の農家に着いてからはラジオを聴いて過ごした。
その時にご馳走してもらった「ミニあんパン」が忘れられない。今でも、コンビニで6個入りの小さなあんパンを見かけると、あの時のおいしさを思い出す。

僕らが無邪気にはしゃいでいるその頃、道路の通行止めで保育園に辿りつけなくなった父と母は気が気ではなかったという。今のように携帯電話で連絡を取り合うこともできなかった時代。情報がつかめなかったらしい。父は思わず泥水の中を泳いで行こうとして止められたという。

避難先の農家から出るときも、再びボートに乗った。
心配そうに待っている人々の中に両親の笑顔を見つけて、またしても姉と二人で騒いだ。
その時の、若かった両親の笑顔は鮮明に覚えている。

小さい頃から我が家では、夏が来るたびにこの話題が繰り返された。想起される度ごとに映像は鮮明に塗り替えられ、記憶として強化されてきたのだろう。まるで昨日の事のようにすべてが鮮明なのは、そのせいだと思われる。

記憶とは、事実ではない。
現在までの人生において、どれだけ想起し塗り替える機会があったのか。・・・その間の人生の経過をも物語るものである。

今年も世界のあちこちで水害が頻発した。僕にとっては笑い話で済んだ水害の記憶だが、笑えない記憶になってしまった人たちの事を思うとやりきれない。
その人たちはこれから生き続ける限り、夏が来るたびに辛い記憶として想起してしまう。家族と離れ離れになったり、住み慣れた家が破壊されたり・・・その精神的ショックに繰り返し襲われてしまう。その度に塗り替えられて鮮明に心に残り続けるだなんて、どんなに辛いことだろう。

人間は良くも悪くも記憶の呪縛から解き放たれることはない。それは生きている証でもある。
しかしその功罪は、とても一言で語り尽くせるような単純なものではない。だから僕は興味がある。
記憶について考え続け、発見をし続けたい。

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記憶について・・・1●洪水の記憶①

記憶。
それはとても不思議な現象だ。

自己というものを、時に無理やりにでも定義したくなるのが人間としての悲しい性(さが)。その際に、まず手がかりにするのは自分の中に蓄積された自分だけの記憶なのではなかろうか。

自分が自分であるという認識は、どうやら「記憶を想起する」という脳の働きがもたらしているようである。しかし実は、記憶ほど曖昧で頼りないものもない。
・・・ということは自己という認識も実は曖昧模糊なものなのか?
ここでは、こうしたことを曖昧なまま、未整理なままで書いてみようと思う。


僕にとっての、いちばん古い記憶。
それは1歳の時に遭遇した洪水の記憶。

人にこの話をすると「1歳の時の記憶なんてあるわけないじゃないか」とよく言われるのだが、実際あるのだからしょうがない。しかも、まるで昨日のことのように鮮明に思い浮かべることが出来る。何故なんだろう。
家族とは事あるごとに、何十回も「あの日」のことを話してきた。笑い話として、家族団らんの一つの「ネタ」になるからだ。
「ネタ」になる度にこの記憶は更新され、作り変えられながら補強されてきたのだろう。
想起されなければ忘れて行くし、想起の機会が多ければ多いほどより鮮明になって行く。
記憶とは本来、そういうものではなかろうか。

毎年夏から秋にかけて必ずどこかで水害が起こる。荒れ狂う海の波しぶきや河川が氾濫しそうな様子をわざわざ映し出すテレビ。それらのイメージはいつも僕の頭にフラッシュバック現象を引き起こす。
1歳の夏。
あの日、僕は死んでいたのかもしれない。
それは保育園に預けられていた時の出来事だ。

両親が共働きだったため、僕は0歳の時から昼間は保育園に預けられていた。
まだ「0歳児保育」が一般化していなかった時代。母親達の世代が行政に働きかけたため、やっと制度が確立されたという。だから僕はその町のいわば「0歳児保育第一号」として実験的に預けられ、最年少者として保育園中からかなり可愛がられていたらしい。

その日は台風のために朝から雷雨が激しくなり、「洪水警報」が発令されていた。
僕の通う保育園は川のすぐそばの低地にあったため、園児たちの多くは午前中から母親が迎えに来て、早めに帰宅させられていた。

僕と2つ違いの姉とは、いつもの如く遅い母の迎えを待っていた。
母はこういう時に人様の子どもたちを帰宅させなければならない仕事に就いていたため、自分の子どものことは後回しにせざるを得ない。だから普段から、最後まで保育園に残って遊んでいるのは僕らだった。

まだ迎えが来ない数人の園児達と皆で、テレビの「ウルトラマンセブン」を見ている時のことだった。セブンが怪獣と戦っている時、突然大音響とともにピンク色の閃光が走った。同時にテレビが「プツッ」と音を立てて切れた。近くに落雷があり停電してしまったのだ。
仕方がないから保母さんたちと昼寝をすることになったのだが、僕は異常事態にワクワクして寝付けなかったらしい。しばらく一人で窓の外を見ていた。

その窓からは保育園の門と、その向こうに川の堤防が見えていたのだが・・・なんと突然川から水が溢れ出し、みるみるうちにこちらに迫ってくる光景を僕は見てしまった。水の先端は浮世絵の波濤のように荒れ狂い、黄土色の濁流が保育園の門を越え、こちらに迫ってくるのである。
この時の波の様子や色を僕は今でも鮮明に細部まで思い描くことが出来る。園庭にあったプールは水に沈み、滑り台も波に呑まれ、あっという間にあたり一面が泥水で覆われてしまったのだ。
保母さんたちは誰も気付かずに昼寝をしている。
僕は目の前の光景に興奮し、一人で扉を開けて外に飛び出してしまった。

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