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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2020-07
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長谷部安春「(秘)ハネムーン 暴行列車」●MOVIEレビュー

70年代の男臭さ、女臭さで腹いっぱい(笑)

結婚式場の隣に強盗に入った男二人が、ひょんなことから他人の花嫁と一緒に逃亡することになるロードムービー。
貨物列車に乗っての逃避行なのだが、一人の男は大けがをして動けない。だから食料や生活物資を調達しに、もう一人の男と花嫁が町へ繰り出すのだが・・・そこはさすがに日活ロマンポルノ。
男は町の女を強姦して品物を調達。花嫁は「女」を武器に身体を売って食料を調達・・・と、「そんなのあり?」な強引な展開のオンパレード。
西部劇に流れてきそうなカントリー音楽に乗せてなんとなく異国情緒を漂わせながらも、映し出されるのは紛れもなく70年代のニッポン。
山口百恵やピンクレディーが流行っていた頃のファッションと髪型。男は挑発でパンタロン。女は百恵カットで正直ケバい。恥ずかしいくらいのヒロイズム、ヒロイニズム。ちょうど今の50代の人たちの青春時代が記録されているのだ。
もう、これでもかというくらいの「ザ・70年代」な香りに満ち満ちた映画で、かなり暑苦しかった(笑)。

男に都合のよい女性像・・・犯されると無条件に恍惚の表情に・・・

とにかく男はあちこちでやりまくって、しまいには共に逃避行中の花嫁(アカの他人)ともヤッテしまう。
この映画に出てくる女は始めは皆、強姦という状況に激しく抵抗をするのだが、乳首をもまれていよいよ挿入・・・となると、途端に恍惚の表情へ。そしてついには身を任せ、もだえ喜ぶ。
いくらなんでもそのパターンの連続だと・・・見ていて食傷気味。
女性というものをあまりにも単純視しすぎているし、展開が都合良すぎる。
まあ、男のファンタジーなのだと割り切って見てしまえば楽しめるのだが、この映画は「ピンク映画のパターン」から飛躍できていないのかな・・・と思った。
興行的な制約上、こういう展開で男性観客を興奮させなければならないことは事実だが、それを突き抜ける狂気を徹底すると映画は飛躍する。この映画は今一歩・・・というところか。

極楽的状況へ強引に持って行き、最後は破滅へ。

大けがをした男は貨物列車の中でずっと身動きできないのだが、ある時ついに花嫁(アカの他人)とヤッテしまう。身体を拭いてもらっている時に「お願い」するのだ。もうその頃にはすっかり身体が穢れまくった花嫁は、喜んで身を差し出す。そこへ、食糧調達から帰ってきた男も加わり、3人で喜び合うという極楽的状況へ。もう、貨物列車の中は桃源郷(笑)。
観客が想像できる限りのエロスを追及しまくり、究極のところまで強引に展開するところはある意味アッパレ。しかしその後は、やはり観客の期待通り破滅へ向かう。
このベタベタさ加減を楽しめる人には、期待を充分に満たしてくれるのだろう。

徹底的に「男を喜ばす」ことで生きている女。男の願望の塊。

しかし僕としては、もう少し意表をついた展開なり狂気が見たかった。
結局最後まで「男が思い描くファンタジー」のレベルを抜けきらなかったのではないだろうか。なぜなら・・・出てくる女性(特に主人公の花嫁)が、男にとって都合のいい女でしかなく、男から見た可愛さしか持っていないからだ。彼女には自我がまったく感じられない。男を喜ばせることだけが、彼女の存在理由なのである・・・「中味」が感じられないのだ、彼女には。

「エロビ」なんて無かった時代の特権的なエロ娯楽。

そうはいっても、当時毎週のように量産されたであろうピンク映画の中では、予算もかけ、丁寧に作られている方だろう。
思えば70年代といえば家庭にビデオがまだ普及せず、レンタルビデオなんて無かった時代。
当時の若者はこういうエロを見たければ、成人映画館にこっそり行くしかなかったわけだ。
成人映画館には、まず女性は怖くて入れない。そこは男のパラダイス。
だからこうした映画が成立できたのだろう。
女の子でも気軽にAVを手に入れて見ることが出来るようになったのって、ごく最近のことなのだ、考えてみれば。

男たち「のみ」の特権であったピンク映画。
その願望を満たすには、充分にエロすぎる映画ではある。
そして、70年代ベタベタの風俗が記録されているという意味で、貴重な映像資料でもある。


「(秘)ハネムーン 暴行列車」
製作=日活 1977.10.15公開
製作 ................  栗林茂
監督 ................  長谷部安春
助監督 .............  川崎善広
脚本 ................  桂千穂 長谷部安春
撮影 ................  森勝
音楽 ................  坂田晃一
美術 ................  菊川芳江
照明 ................  直井勝正
編集 ................  井上治
出演 ................  加藤寿 阿部徳昭 八城夏子 渡辺とく子 影山英俊

「桂千穂の危ない悦楽映画図鑑」関連・MOVIEレビューBACK NUMBER
長谷部安春監督「レイプ25時 暴姦」

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豊田四郎監督「波影」●MOVIEレビュー

若尾文子の色気満開

瀬戸内の貧しい島で育ち、娼妓となって身体を売り生きて行く女の物語。時代は戦前から戦後。公娼制度の移り変わりも盛り込まれている。
主人公の若尾文子がとにかく魅力的。ジメジメしそうな物語なのに、この人が画面に映っているだけでその場が華やぐ。
まるで四六時中、男を誘惑し続けているのではないかと思うほど発散される「若尾文子フェロモン」ならではの説得力に満ちた映画となっている。

岡崎宏三カメラマン渾身の傑作

映画はファースト・カットの掴みが勝負である。この映画では、はじまりから岡崎宏三カメラマンが非常にいい仕事をしていて見事に引き込まれた。
瀬戸内海に浮かぶ島の小さな船着場。
なんでもない光景だけれども、静かな波頭が無数に揺らめき、これから起こる映画の波乱をすべて暗示させるような不安を喚起させる。
こんなファースト・カットはめったにない。
モノクロで横長のワイド画面に瀬戸内海の平べったい光景は実によく合う。そして、ラストのカットも見事にファースト・カットと連動しており、作品の円環構造を象徴する素晴らしいカットとなっている・・・これはもう、ため息が出るほどの「いい仕事」ぶりである。

フィルムセンターのパンフレットでは、本人もこの作品がいちばん納得できた仕事だと発言しているらしい。
僕はそれを知らずに見たのだが、納得した。
全編にわたり緊張感に満ちた画面構成と気配りの効いたフレーム移動を貫き、その実力はこの映画を「映画」たらしめるのに多大なる貢献を果たしていると思う。

乙羽信子の実力炸裂

若尾文子が「陽」を体現するのなら、この映画での「陰」は乙羽信子。女郎屋の女将をコケティッシュに魅力いっぱいに演じている。
商売人ならではの調子の良さ、兵隊に志願する息子を思う母の気持ち。そして、怪我をして自暴自棄になり帰ってきた息子を心配する甘い母親。いろんな顔を見せるが、しっかりと地に足を付けてたくましく生きる人間像を重厚に表現している。
特に若尾文子が自分の思い通りにならなくなった場面での対立では、身の毛もよだつほどの迫力で女将としての醜さを表現する。
心に潜む醜い部分をここまでストレートに表現できる女優さんって、なかなかいない。本能として綺麗に写ろうとしたがるのが女優というものだからである。乙羽信子さんからはそうした気取りを感じない。本当に綺麗であるということはどういうことなのか、ちゃんとわかった本物の女優さんだったんだな、と再発見した。
乙羽信子さんは、その生き様が演技からにじみ出る素晴らしい表現者だったのだ。

明るさの中に潜む儚さ・・・豊田監督のこだわり

豊田四郎監督はどうやら、深刻なテーマを深刻にジメジメと描くよりは、さらっと明るいテーストで描いておいて、その中で垣間見える影というものを大事にしているように思う。
この映画でも、お得意の「突き抜けた明るい場面」があり、やっぱり最高に爽快感のある素敵な表現になっていた。
女郎屋の商売が順調な頃、若尾文子を含む女郎たちが、ピクニックと称して海水浴に出かける。子どもに戻ったかのごとく無邪気に服を脱ぎ捨てて海に駆けて行く女郎たち。
衣服を脱ぎ捨て裸になった時、そこにいるのは女郎ではなく普通に生きてる普通の人間。海に入れば満面の笑顔ではしゃぐかわいらしい人間なのだ。
そして、画面全体から伝わる突き抜けた明るさがまぶしければまぶしいほど、涙が出そうになるほど哀しい。そうした明るさの儚さが、自然と観客の心に浮かび上がるからだ。
とにかく、どの映画でも必ずといっていいほど、こうして登場人物がおもいっきり無邪気にはしゃぐ場面が出てくる。
豊田四郎監督の作家性は、ここにある。

公娼制度の光と影

戦後、GHQや新憲法による政府の方針転換で、公娼制度は廃止になる。乙羽信子演じる女将はそれでも図太く商売を続けて生きて行く。しかし若尾文子は長年の身体の酷使がたたり、病の床に伏せる。
この映画で唯一、若尾文子が暗い表情を見せる場面になる。
それまでは、どんなに辛い状況下でも不自然な位に明るく華やかに振る舞っていたのだが、ここぞとばかり暗く陰惨に描かれる。観客としては予期せぬ暗さにおののきつつも、そのギャップの強烈さに引き込まれずにはいられない。
それまでの展開で「な~んだ。娼婦ってのもなかなかいい商売じゃん」と思わされていた心が、見事に打ち砕かれるのだ。
この演出テクニックにまんまと乗せられ、最終カットまでとにかく、息つく暇も無く引き込まれっぱなし。
完全に、やられた。

そしていつもの如く、テーマの回答を映画は語らない。
観客の心の中でこれから育つように種が蒔かれた状態で、映画館を出ることができるのだ。


「波影」
製作=東京映画 配給=東宝
1965.01.31公開
製作 ................  佐藤一郎 金原文雄
監督 ................  豊田四郎
脚本 ................  八住利雄
原作 ................  水上勉
撮影 ................  岡崎宏三
音楽 ................  芥川也寸志
美術 ................  伊藤憙朔
録音 ................  原島俊男
照明 ................  榊原庸介

出演:若尾文子、中村賀津雄、大空真弓、春川ますみ、乙羽信子 ほか

●豊田四郎監督作品レビュー
BACK NUMBER
「夫婦善哉」 (1955年)
「夕凪」 (1957年)
「男性飼育法」 (1959年)

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長谷部安春「レイプ25時 暴姦」●映画レビュー

日活ロマンポルノは愛の宝庫だ

「桂千穂の危ない悦楽映画図鑑」というレイトショーが開催中。
大林宣彦監督の「HOUSE ハウス」の脚本家だという桂千穂さん。「HOUSE」は大林監督の劇場映画デビュー作であり、いちばん彼の魅力が凝縮されているスゴイ映画。あんな毒々しいパラレルワールドを展開する人が、日活ロマンポルノで多数脚本を手がけていたという・・・これはもう、期待せずにはいられない。

「ロマンポルノ」というと、食わず嫌いの人にはなかなか近寄れないジャンルかもしれない。
僕も最初はそうだった。

20代前半の頃の僕は、いくつかの映画館の年間パスポートを持ち、連日のようにハシゴして、なんでもかんでも見まくっていた。当時、高田馬場と池袋にあった「ACT」という名画座では、ほぼ日替わりの特集上映があり、日活ロマンポルノもやっていたので恐る恐る見に行った。
・・・最初はその刺激と毒気にフラフラするほど衝撃を受けたが、だんだん衝撃は快感になった(笑)。そして、ただのピンク映画ではなく、中には相当オモシロイ作品があることも知った。なにより人間の欲望・暴力・本性が剥き出しに表現され、あからまな姿で提示されるというのが魅力だろう。
中には、あからさまな表現を突き抜けて普遍的な人間の姿が表現されている傑作もある。

一皮剥けば愛に飢え、それぞれの愛の渇きを埋めるためにもがき苦しむのが人間というもの。
薄っぺらなハリウッド映画よりもずっと確かに、そして誠実に、人間本来の姿が描かれている。


暴力というのは、濃厚なコミュニケーションの究極の形かもしれない。

ガソリンスタンドで働いている冴えない男が、或る日、赤いジャンパーの男をかくまったところ物語は始まる。赤いジャンパーの男は、ゲイの男の追跡を逃れながら、あちこちで女性を強姦しているらしい。冴えない男は、彼と行動を共にするうちその退廃的で虚無的な生き方の虜になり、一見善良な顔をした女性を強姦することに病みつきになって行く。

世間の倫理・道徳からしたらこのような行為はもちろん犯罪。この映画はそうした世界をフィクションの中でリアルに描く。その妄想めいた世界に圧倒されながらも、犯し犯され、殺し殺しあうバイオレンスの中で見え隠れする、登場人物たちの一瞬の恍惚の表情が印象に残る。

例えば純粋無垢の象徴としてバレリーナの若い女性が登場するのだが、窓から侵入してきた男二人に輪姦され、血まみれになり泣き叫びながらもやがて彼らの虜になる。果ては金を払ってまで行為を要求するようになる。一度知ってしまった快楽は、人を虜にする麻薬のようなものなのだ。赤いジャンパーの男は、あちこちでそうした虜を作りながらも、何者にも執着しない。ただ一瞬の快楽を求めてさまようのだ。

強姦や殺人という暴力は、生身の人間同士が行う以上、どちらにも強烈な痛みが生じる。
それってもしかしたら、濃密なコミュニケーションの究極の形なのかもしれない。
正しいとか正しくないとかいう道徳的な問題は別として、そうしたものの虜になって依存症になり退廃して行く姿というものに、僕はものすごく人間らしさを感じる。

そうしたものを包み隠さずフィルムに定着させる人たちに、人間というものへの
嘘偽りない、まっすぐなまなざしを感じた。


「レイプ25時 暴姦」
製作=日活 1977.01.22 公開
製作 ................  伊藤亮爾
企画 ................  奥村幸士
監督 ................  長谷部安春
助監督 .............  浅田真男
脚本 ................  白坂依志夫 桂千穂
撮影 ................  森勝
音楽 ................  月見里太一
美術 ................  川崎軍二
照明 ................  土田守保
編集 ................  鈴木晄
出演 ................  山科ゆり 石山雄大 高橋明 塚田末人 八城夏子 田畑善彦

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豊田四郎「夫婦善哉」●映画レビュー

すごいゾ・・・大人気!

開映30分前に行ったのに危うく入れなくなりそうだった(笑)。いつも閑散としているはずのフィルムセンターには行列が出来ていて場内はすでに満員。やはり愛されている作品はちがうなあ。上映を見たら・・・なるほど。人気の理由が充分すぎるほどわかった。

場内に漂うあたたかな一体感

いくら衛星放送やDVDが普及しようとも絶対に家庭では再現できないこと。それは劇場で観客同士が作り出す一体感だ。おかしい時に笑い、悲しいときに涙する。周りの皆が笑うから一緒におもいっきり笑える。だから一人で観るより何倍も感情が発散される。一つの映画が、見知らぬ人と人とを結び付けるチカラを持つ。
この暖かい雰囲気は、かつて銀座にあった並木座を彷彿とさせるものがあった。
こうした雰囲気を作り出せるチカラを持つ映画は、そうたくさんあるものじゃない。
この映画は、その条件を見事に満たした稀有な作品である。

役者が楽しんで演じていると、奇跡が起こる

脚本が良くても演じている役者が楽しんでいないと作品に生気は生まれない。その点この映画は素晴らしいキャスティング。
森繁久弥演じる情けないボンボン旦那と、淡島千景演じる快活な芸者。二人の駆け落ちからはじまり、その後巻き起こる様々な泥臭い生活の情景が描かれる。
関西弁でなされる二人の会話が実に小気味良い。まるで夫婦漫才を見ているかのよう。特に森繁氏は、たとえシリアスなシーンでも絶対に素直には演じない。わざとカッコ悪く崩して、ユーモラスに演じるのだ。

カッコ悪い人間にこそ、人は親しみを持つものだ。
この映画の成功は、主人公の二人に観客がどれだけ親しみを感じ、人間の滑稽さを笑い飛ばせるかにかかっていると思う。森繁氏の力量でその点を見事にクリア出来たからこそ、この作品は50年後の今でもなお、人々に愛され続ける名画と成り得たのだ。

カッコつけることって容姿さえあれば馬鹿でも出来るけど、カッコ悪く演じるには知性が要る。一見感覚的にやっているように見えるが、実は相当に計算した上でないと成立させることは難しい。馬鹿は馬鹿には演じられない。森繁氏のこの演技は、もう職人芸の域!である。
それに対してこの映画での淡島千景さんは、一生懸命役を演じているという感じが拭えない。その真摯な姿が魅力的であり目が離せないという別の効果をもたらしてはいるのだが(笑)、
もう少し亭主を尻に敷く女の底力という感じの風格があっても良かったのかなぁと・・・淡島千景ファンとしては思ってしまうのであった(笑)。でも、かえって若い芸者の瑞々しさが可愛く表現されているから、その一生懸命さは良かったのかもしれない(爆)。←ファンの甘い採点をお許しあれ。

総じて、この映画には「映画の神様」が舞い降りてきているという奇跡を感じた。
機会があれば劇場で見るべき。劇場で、大勢で見てこそ、この映画は本当に光り輝くのだ。

言葉に出来ない愛情表現・・・豊田演出の真骨頂

何本か見て来て気が付いたのだが、豊田四郎監督は、言葉では表現できない身体全体を使った演技の演出がとても上手い。特に喜びを全身で表現させると、俄然役者が生き生きと輝き出す。
この映画で特に印象に残ったのは、淡島千景さん演じる妻の身体演技だった。
いつもフラフラと居なくなりがちな亭主が、久々に戻ってきたことに気付いた妻。玄関に亭主の草履があったのだ。それを見るやいなやパーっと顔が明るくなり、軽やかな足取りで階段を駆け上がる。でも、そのまま会うのはちょっと悔しい。
亭主に声をかける直前、ふすま越しに体勢を整え、わざとツンとすましてから悪態をつく。亭主もそんな妻の気持ちをわかっていて、悪態を返す。一通り挨拶代わりの小競り合いが済んだ後、妻は障子戸を閉めて亭主に「おねだり」をする・・・(笑)。
この一連の演技が実にかわいらしい。そして、なんだかジーンとくる。
親しければ親しいほど、照れてしまってなかなか愛情表現が素直には出来ないものだ。こうした、決して台詞では表現できない微妙な心理の襞が、アクションで生き生きと表現される。
きっとこの監督は、人間同士の友愛や、愛情表現というものに対する繊細で鋭い感性を持っていたのだと思う。

ラストの二人はサイコーに可愛い。

いろんな波乱万丈があって、心機一転、新しい商売をたくましく始めようという二人。ラストシーンは雪のそぼ降る中を、肩を寄せ合って、いつものように悪態を付き合いながらお参りする二人が描かれる。
こうした場面も実に軽くサラっと流すように描かれるのだが・・・なぜだかジーンと来てしまうのだ。
いいなあ・・・こんな風にワイワイ言い合いながら雨風を乗り越えて行けるパートナーがいたら暖かいだろうな。
まぁ、この二人の場合は一緒にいればまた苦労は続きそうだけど(笑)
人生を楽しむってこういうことなのかも・・・と、愛すべき可愛い二人の姿を見ながらそう思えてしまうのであった。
この映画の人気の秘密は・・・そこに夢があるから、ということなのだろう。
文句なし!森繁久弥の代表作。
文句なし!淡島千景の代表作。
文句なし!豊田四郎の代表作。
これぞまさしく日本映画の良心。

「夫婦善哉」
製作=東宝 1955.09.13公開

製作 ................  佐藤一郎
監督 ................  豊田四郎
監督助手 ...........  中村積
脚本 ................  八住利雄
原作 ................  織田作之助
撮影 ................  三浦光雄
音楽 ................  團伊玖磨
美術 ................  伊藤憙朔
録音 ................  藤好昌生
照明 ................  石川緑郎
編集 ................  岩下広一
製作担当者.........  馬場和夫

配役    
維康柳吉 ...........  森繁久彌
蝶子 ................  淡島千景
柳吉の妹・筆子.....  司葉子
おきん ..............  浪花千栄子 他

●豊田四郎監督作品レビューBACK NUMBER
「夕凪」 (1957年)
「男性飼育法」 (1959年)

●織田作之助著「夫婦善哉」読書レビュー

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豊田四郎「夕凪」●映画レビュー

前回「男性飼育法」を観て淡島千景さんのファンになったため(笑)、再び豊田四郎監督の特集上映に行ってきた。
僕は、サバサバと早口でしゃべる姉御肌の女性が好きなので、この頃の淡島千景さんはまさに理想どおり(笑)。更に、まだ駆け出しの頃の若尾文子さんが娘役で出ていて、すでに妙な色気も漂わせているではないか。
これぞ夢の母娘競演っ!!を充分に堪能できた・・・。シアワセ~。

母娘再会シーンの濃厚さは、エロ寸前っ!

4年間のアメリカ留学から娘が帰ってくる。母親役の淡島さんは嬉しそうにソワソワ。湘南の海が見える立派な大邸宅で、母娘は抱き合って再会を喜ぶ。
実はこの再会の表現が・・・「えっ、そこまでやるの?」と思うくらい濃厚でドキドキさせられる。
立派に卒業して帰って来た娘を愛おしむあまり、母は娘を抱いたままベッドにもつれ込む。そして「ほんのちょっと前まではアタシのオッパイをちょうだいちょうだいって触ってたのにねえ・・」と言いながら娘に胸を触らせる。嬉しそうに触る娘。親子の情愛の表現として素直に見ればいいのだが、かなり長く丁寧に描くので、それ以上の色気まで感じてきてしまう。だって大人の女性同士だし・・・(笑)。
きっと監督はこの表現に命を賭けたに違いない。その後の展開が悲惨なだけになおさら。
この映画の中でも最も美しく、ジーンと胸に迫る素敵な場面になっていた。
親と子がここまで素直に愛の感情を表現し抱き合えるなんて、うらやましいなぁ~。
こんな風に、友達同士のようなイチャイチャした関係を親子が築けたとしたら
・・・それこそが「シアワセ」っていうんだろうなぁ。
淡島さんのアッケラカンとした明るさがそんな母親像にちゃんとリアリティーを持たせていて
・・・気付いたら、ちょっと涙が出てました。いいです、この場面本当に。

実は荒んでいた母。受け入れられない純真な娘。

そんなシアワセの絶頂を描いた後は、期待を裏切らずに(笑)この二人の関係は崩壊へ。
当たり前だ。女一人で普通に稼いでいたんでは、大邸宅に住み娘をアメリカ留学へ出せる資金など調達できるはずもないのだ。実は母親はキャバレーを経営し、田舎から出てくる女たちに売春をさせて稼いでいたのである。
母親の本当の姿を知り、うろたえる娘。
そして、娘が恋をした男・池部良との交際を反対する母。
それは恋愛が許されない関係だったからなのだ。(詳しくは映画をご覧あれ。)
荒んだ母親の二面性。
クライマックスではこの母娘が対決する。とても見ごたえのある演技対決にもなっている。

売春が社会問題化した年、1957年。

終戦から12年目。搾取するものと搾取されるものの貧富の差が、ますます顕在化して来た世の中。高度経済成長前夜の「拝金主義」が、いよいよ芽生えてきた社会というものを風刺してもいる作品。
この頃は女性の地位向上といっても、本質的に男に頼らざるを得ない現実だったらしい。結局女性は「女」を武器にしなければ、競争社会を這い上がることはできなかった。売春はかなり広く行われていて、売春業者もたくさんあった時代なのだ。そんな、生きるためにギラギラせざるを得なかった女たちがたくさん出てくるのもこの映画の特徴。
たとえ娘に軽蔑されようが、そうした道を選んでしまった女の業。そのやるせなさを、淡島千景さんが「汚れ演技」で見事に表現した。
品の悪さの中に見え隠れする弱さ。ズルさ。母としての強さ。エゴ。
いろんな顔を持ち、肩肘張っている強欲な女。
ついには最愛の娘に去られても変われない女・・・悲しすぎる。
彼女の行く末に待つものは、どんな結末なんだろう・・・。

この映画の結末は、一つの答えを押し付けない。
だから観終わっても観客は、心の中でこの映画を育て続けられる。
そして、淡島千景ファンなら絶対に見逃せない、隠れた名作である。



「夕凪」1957.09.15公開
製作=宝塚映画 配給=東宝

製作 ................  佐藤一郎 垣内田鶴
監督 ................  豊田四郎
脚本 ................  八住利雄
撮影 ................  安本淳
音楽 ................  芥川也寸志
美術 ................  伊藤憙朔
録音 ................  山之内樹一
照明 ................  高島利雄
スチール ............. 秦大三 岩井隆志

出演
淡島千景 若尾文子 志村喬 池部良
千石規子 市原悦子

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豊田四郎「男性飼育法」●映画レビュー

セックス・ストライキって・・・なんじゃそりゃ。

フィルムセンターは年配の方々でいっぱいだった。
日本映画の黄金期。この監督が活躍した時代に映画青年だった世代なのだろう。
森繁久弥に淡島千景とくれば当時の大スター。僕にとっても尊敬すべき俳優さん。
しかも監督は豊田四郎。
僕はかつて、岸恵子目当てでこの監督の「雪国」を見てから、この時代の日本映画に熱中したことがある。そんなことを思い出しながら、一風変わったタイトルと、「セックス・ストライキ」という言葉に惹かれ(笑)、この映画を見に行った。

チープさも、徹底すれば芸になる。

三組の夫婦。夫は仕事に忙しく、妻を放ったらかしな日々。
人間扱いされていないと感じた妻たちは結託し、「セックス・ストライキ」を起こし夫を振り向かせようとする・・・という設定。
普通のホームドラマ調なのかと思いきや・・・突然、劇中劇としてギリシャ悲劇の「女の平和」を登場人物たちが舞台で演じるシーンが挿入される。「セックス・ストライキ」という設定が「女の平和」からの引用だからだ。その場面が面白い。かなり徹底して作りこんでパロディにしていて、この映画の最大の見所となっている。
なにせ本物の舞台セットで、にぎにぎしくギリシャ的な紛争をした淡島千景や森繁久弥が、大げさな身振り手振りでギリシャ悲劇を大真面目に演じてしまうのだ。そんなものが見られるだけでもかなり得した気分♪。しかも、ちゃんとコロス(のような踊り子たち)まで周りにはべらし、女王様のような淡島千景が舞い踊るだなんて・・・ただただ唖然(やりすぎだろーっ!笑)。
こういうパロディーって、真面目にやればやるほど見ている観客は「失笑」できる。その点、この映画全体から漂う「チープさ」との相乗効果でかなりブラックに失笑できたから、まあ許すとしよう(夢に出てきそうだが・・・)。
いわゆる名作を潤沢な予算で作る巨匠監督だったら、こんなベタな演出はしないだろう。でもそこが豊田四郎。B級映画スレスレのグレーゾーンで見事に楽しませてくれる(笑)。またその「チープさ」を俳優が楽しんで演じているのが伝わってきて・・・当時の日本映画界の懐の深さと余裕が感じられて・・・ある意味好感が持てた。

男が男であり、女が女であった時代の「揺らぎ」を刻印

1959年といえば皇太子成婚パレードがあった年。
パレードをきっかけにテレビがどんどん普及し始め、映画界が斜陽に向かう兆しが見えはじめた頃に作られた作品だが、撮影所システムによるスタッフワークがきっちり機能し、低予算ながらもシュールな演出で工夫している様子が伺える。そして、当時の「男性観(亭主関白)」の揺らぎと「ウーマンリブ(女性の自己主張)」がどの程度進行していたのかも、読み取ることが出来る。
俳優たちの演技スタイルからして、今と比べるとはるかに男は男として振る舞い、女は女らしく甲斐甲斐しく振る舞う。男の身の周りの世話は妻が貞淑に行い、ご婦人方の普段着は割烹着で外出時は着物を来ている人が多い。喋り方も男は威勢がよく、女はおしとやかでつつましい。しかし男も女も・・・どこかぎこちない。
そうした社会的な男らしさ/女らしさが揺らいできていた時代だからこそ、この映画は風刺コメディーとして企画されたのだろう。おそらく当時の観客の深層意識に、その揺らぎは感じられ始めていた。だからこそ、映画館の暗闇の中で笑い飛ばせたのだ。日頃感じはじめていたストレスを。
こうした男らしさと女らしさが絶滅に瀕している現代の目から見ると、この映画全体が、まるで劇中劇のギリシャ神話のシーンと同じく大げさに誇張されているようなおかしみさえ感じる。男らしい森繁久弥と女らしい淡島千景が、とても滑稽に思えてくるのだ。

女性蔑視の名残り

物語の中で「セックス・ストライキ」を妻たちが始めた時・・・はじめて夫は妻を「女」として見つめ返す。しかしなかなか素直にそれを表現できない。妻たちは、なかなか夫が作戦に乗ってきてくれないことにいらだつ。
しかし、その表現の中で気になった描き方があった。
セックスを長い間していないことへの欲求不満で、妻がついに鼻血を出してしまう場面があったのだが、この描き方は明らかに男性作家(監督)による女性蔑視だろう。女性はセックスをしないと鼻血が出るものなのか?(その辺は、男としての身体を持つ僕にはわかりようがないが・・・笑)。
そこだけではなく、他にも男性的な「上からの視点」で女性を低脳であるかのように描いている部分がかなり目に付いた。女性を蔑むことで笑いをとるのだ。公開当時の男性達は、こうした場面を見て「胸のすく思い」をしたのかもしれないが、女性としてはどれだけ不快な思いで見ていたことだろう。
現代でこの描写を真面目にしたら、婦人団体によるチケット不買運動が起こってもおかしくない。昔の映画からは、そうした「今との違い」を発見することも出来るから面白い。

安定すると、人は不安定を求める。

ギリシャ悲劇の「女の平和」では、性欲を封じられた結果男たちは降参し、戦うことをやめる。
いわゆる女たちが勝利する壮大な反戦劇として有名なわけだが、この映画ではそこに至るまでの過程を日常の細々とした描写で描き出す。
妻はあの手この手で夫にやきもちを焼かせ、自分を性の対象として見るように仕向けるのだ。その心理の綾を淡島千景と森繁久弥がユーモラスに演じていて、さすがだなぁと思った。この二人はたくさんの作品でコンビを組んでいるのだが、飄々とした味を醸し出す名コンビだと思う。

やっぱり人は愛されたいのだ。

「結婚」という制度で社会的にパートナーシップを公言したとしても、夫は別の種類の癒しを求めて浮気をするし、妻は夫からの癒しを過剰に求める。その逆だってあり得る。安定すると人は不安定を求めてしまうのかもしれない。そんな夫婦というものの「どうしようもなさ」を描くという点では、なかなかいい線行ってる映画だと思う。
ただ・・・やっぱりチープだ(笑)。低予算で忙しいスターのスケジュールをやっとおさえ、短期間で作ったであろう制作者たちの苦労が伝わってきてしまう出来具合なのが残念。(今で言うとテレビの2時間ドラマみたいな感じ。)

余談だが・・・GAYである僕の視点から見ると、男たちに対して「セックス・ストライキ」なんてしても無駄無駄。(←意味・・・わかります?)

「男性飼育法」 1959.05.19公開
製作=東京映画 配給=東宝

製作 ................  佐藤一郎
監督 ................  豊田四郎
助監督 .............  平山昭夫
脚本 ................  八住利雄
原案 ................  三宅艶子
撮影 ................  安本淳
音楽 ................  芥川也寸志
美術 ................  伊藤憙朔
録音 ................  長岡憲治
照明 ................  今泉千仞
編集 ................  岩下広一

出演
森繁久彌、 淡島千景、 花菱アチャコ、 淡路恵子、 小林桂樹、 水谷良重、 市原悦子 他
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