羽田澄子「歌舞伎役者 片岡仁佐衛門 孫右衛門の巻」●MOVIEレビュー

文化映画と呼ばれる映画がある。
商業映画とは一線を画し、映像の記録性に着目し、文化を映画として保存する目的で作られる映画。
これは、ある一人の歌舞伎役者の晩年の一断面を切り取った文化映画である。歌舞伎ファン、十三代片岡仁佐衛門ファンにとっては、おそらく涙モノの映像なのではなかろうか。
この映画は6部構成で、なんと11時間に及ぶ大長編。
1992年に岩波ホールで公開されたものを、現在ポレポレ東中野で再上映している。
僕はそのうちの一部しか見ていないが、とても印象的な場面があったので紹介したい。
老いと向き合う日々、それを支える人々

稽古場に入る老いた役者の姿が痛々しい。タクシーから下りても、杖をついてやっとゆっくり歩ける程度。付き人がいないと歩道を横切ることすらままならない。この時すでに84歳。私生活ではかなり不自由な状態であることが窺える。
老齢に達した役者が芸能活動を続けるには周囲の人間の献身がなければ成り立たない。逆に言えば、周囲の人間から慕われるような人格でなければ舞台に立ち続けるのは不可能だということでもある。
それでも、いったん稽古場に入れば老人の顔は生き生きと輝きを放ち、役者・片岡仁佐衛門の顔になる。自分の頭と肉体で記憶している芸の所作や作品に込められた精神を、若手に少しでも伝授しようと身体を使って示している先輩役者の輝いた目。
そこで交わされている言葉は理論や理屈ではない。音楽的な感覚や、美学的な「見せ方」を伝授する。戯曲の解釈や人物の心理描写を論理によって組み立てようとする近代劇の稽古場とは一線を画した、歌舞伎の稽古場ならではの光景である。

いよいよ舞台稽古。歌舞伎座の花道の後ろから、片岡仁佐衛門が杖をつきながらゆっくりと舞台へ向かう姿が長廻しで記録されている。演技をしながら足下を見ることすら困難なようで、狭い花道から落ちてしまうのではないかと思われる位に危なっかしい。どこからが舞台なのか、周りから言葉で言ってもらえないとわからないほどである。
しかし舞台本番の映像では、よぼよぼの老人を誇張した演技をしながら、見事に花道を歩き通す。そして舞台では堂々と安定感のある演技を繰り広げる。
役の人物と、役者本人の「虚と実」が混ざり合い、見る者に理屈を超えた感銘を与える名場面である。
舞台というのは、役者が役者として「生きられる」場所。そこへ向かう花道は、現実から舞台という虚構への橋渡し。
役者は生きるために花道を進むのである。その象徴的な意味をこれほど感じさせてくれる場面を、僕は今まで見たことがない。客席からは、多くのすすり泣きが漏れていた。
しかし役者という生き物は、どうしてここまでして自分を追い込み、虚構の人物を演じようとするのだろう。そして、なぜに人はその情熱を見て、感動するものなのだろう。
スクリーンの中の、今は亡き老役者が懸命に輝こうとする生命力。
その圧倒的な強さには、ただ圧倒されるばかりだった。
「歌舞伎役者 片岡仁佐衛門 孫右衛門の巻」「歌舞伎役者 片岡仁佐衛門」全6部作・急遽追加上映決定。ポレポレ東中野
制作:工藤充/演出:羽田澄子
・・・平成元年10月、歌舞伎座で『恋飛脚大和往来』が上映された時、仁左衛門が「封印切(ふういんきり)」と「新口村(にのくちむら)」の稽古を見る姿と、孫右衛門を演じる姿の記録。
①若鮎の巻(1時間42分)・・・10/8(土)9:40・10/12(水)9:40
②人と芸の巻㊤(1時間34分)・・・10/8(土)11:30・10/12(水)11:30
③人と芸の巻㊥(1時間41分)・・・10/9(日)9:40
④人と芸の巻㊦(1時間45分)・・・10/9(日)11:30・10/13(木)9:40
⑤孫右衛門の巻(1時間26分)・・・10/10(月)9:40・10/13(木)11:30
⑥登仙の巻(2時間38分)・・・10/1(土)~7(金)15:30・17:30
・・・追加上映→10/11(火)・14(金)9:40・11:40
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水木荘也「わたし達はこんなに働いている」●MOVIEレビュー

『戦後60年 日本映画のたどった道
ショートフィルムの60年』
という企画上映に通ってこれらの作品を見ている。とても吟味されたプログラム構成が素晴らしい。(選定者:大久保正氏・・・社団法人映像文化製作者連盟)
しか~しっ!
連日、客席には一ケタの観客しかいないというのはど~いうこっちゃ(怒)。 「上海」 を観た時などは客席に僕一人だったし。僕が見に行かなかったら、あの上映はなかったと言うことか・・・?
「或る保母の記録」のスタッフが、こんなものを作らざるを得なかった悲劇
あれほど豊かで人間性に満ちた名作を作ることの出来たスタッフたちが、2年後にはバリバリの国策映画に手を染めざるを得なかったことを知り、ショックを受けた。
「わたし達はこんなに働いている」とても同じ人たちが作ったとは思えない。この映画は戦意高揚映画そのものだからである。
構成:厚木たか/監督:水木荘也
1945年、朝日映画社、18分
絶望へとひた走る姿を、図らずも刻印

10代の若い乙女たちが、ものすごいテンションで布を裁断し、すさまじい早業でミシン掛けをする様子が勇ましく描かれる。
流れ作業で「きびきび」と、背筋を伸ばして規則正しく。そこに映っているのは人間ではない。機械と化した奴隷である。
「私たちがこんなに働いているのに、なぜサイパン島では玉砕してしまったのだろう」

「なぜサイパンは玉砕したの?」
↓
「私たちの頑張りが足りなかったから」
↓
「戦地の兵隊さんと同じように、私たちもここで、命がけで働いて戦いに参加するべきなのよっ!」
・・・こういう思考パターンである。
そして、まだまだ自己犠牲が足りないからもっと身を挺してお国に奉仕しなさいというマインドコントロールが実行されて行く。
サイパン島の玉砕は1944年のことであり、「戦勝報道」一色の中にいた人々に大きなショックを与えた出来事。しかし政府情報局はそれすらも逆手に取り、更なる「挺身」を国民に強いたのである。なんというしたたかさ。
敗色の濃くなった戦局を乗り切るには、あとは精神力だけ。観客の情に訴え、さらなる頑張りを喚起させようとする自虐精神。・・・こんなキャンペーンを政府が行なわなければならなかった時点ですでに末期症状だと言えるだろう。
今の視点から見ると「マジかよ・・・」という寒気とともに、失礼ながら思わず苦笑してしまうほどの異常なテンションに満ちている。そんなあの時代の空気が記録されているという点では、とても重要な映画ではある。
真面目すぎる・・・

絶対的な正義を強いられる環境の下では、いつの間にか人間性よりも「正義という大義の保持」こそが優先されるようになる。オウム真理教事件を、我々は笑えないのである。
人間性よりも生産性が重視されていたあの時代。人間は完全に機械の一部になるしかなかった。破滅への予感を誰もが感じていながら「頑張ればなんとかなる」と神風の奇跡を信じ、国中が血走っていた。その悲壮感が見事に記録された貴重な映画である。
ただのプロパガンダ生産者に堕した映画人

作業の合間に見せる彼女たちのあくびや、工程を間違って照れ笑いする様子。終業の時間に帰宅する解放された生き生きした表情などを巧みに盛り込んだに違いない。
いくら彼女達が真面目さを強いられる環境にあったとしても、四六時中、目を血走らせていたわけではないはずだ。そこを掬いとって人間というものを多面的に捉えるのが、本来のドキュメンタリー映画である。世界を捉えて描き出すというのは、そういうことであるはずなのだ。
しかし1944年の時点では、亀井氏は治安維持法で逮捕され獄中にあった。映画製作者たちが生活するためには、国策に従った作品を真面目に作るしかなかった。結果、国威発揚のためのプロパガンダ映画を量産し、国民を破滅へと導くのに大きな役割を果たしてしまった。
そのことの悲劇を思う。
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☆本文中の画像は、この映画のものではありません。
水木荘也「或る保姆の記録」●MOVIEレビュー
これは本当に戦時下の映画なのか?
驚いた。1942年という戦争真っ盛りの軍国主義「右ならえ」の時代に、亀井文夫氏以外にも、映画でささやかな抵抗を実践していた映画人がいたのだ。僕にとってリスペクトするべき新たな映画人を発見した喜びに、心が躍った。
戦時下にも関わらずフツーの日常をそのままに活写
この映画は、なんの変哲もないどこにでもあるような保育園にカメラを持ち込み、どこにでもいる保母さんの仕事の様子を、なんのメッセージ性もなく描いている。
なにがすごいのかと言えば、「お国のために死にましょう」というメッセージを込めないと映画が作れなかったあの時代に、メッセージのない映画をつくることなど、ほぼあり得ないことだからである。
1942年と言えば真珠湾攻撃の直後であり、日本がいちばん戦勝ムードに沸き立っていた頃。皇国思想を喧伝するものでなければ「軟弱」であり「意味のないもの」として切り捨てられていた。
「ハワイ・マレー沖海戦」や 「加藤隼戦闘隊」のような「勇敢」で戦意を高揚させるために「意味のある」表現でなければ「女々しい」ものとして断罪されてしまう。
そんな中、戦局とはまったく無関係に日常を過ごす無辜の民のなんでもない日常を描く。なんという勇気だろう。
やはり政府の圧力を受けていた
上映を観た下北沢TOLLYWOODのパンフレットから、この映画の解説を紹介する。
戦後の再編集の謎
ただし、映画の冒頭に次のような但し書きが付けられていた事も注意しなければならない。
「この映画は戦後に再編集されたものであり、実際よりも短くなっている。」
ひょっとしたら、公開時には政府の圧力に従わざるを得なくて、戦時教育的内容を足した形のものが上映されたのかもしれない。そうだとしたら、それはどういうシーンだったのだろう。
もし戦時教育的な内容が足されていたのだとしても、制作者達が作品に込めたかった心意気は少しも揺るがない。この映画は撮影方法そのものが、当時の映画界の奔流から外れた、まさにラディカルな方法だったと言えるからである。
驚くべきカメラの透明性。取材者たちの粘り腰の結晶
人は、カメラを向けられると緊張するものだ。
フツーの人々は俳優ではない。「自然に見せるための訓練」を受けていない。
フツーの人々がカメラの前で自然に振る舞うためには、カメラに慣れる時間が必要だし、取材者達との人間的信頼関係が成り立っていないと難しい。
しかしこの映画の園児たちは、驚くべきほど自然に生き生きとカメラの前で振舞っており、主人公の保母さんもまったく緊張していない。
よほどの粘り腰で長期取材した成果であろう事が伺える。
当時の撮影機材はすべてがデカかった
当時は、今のようなデジタルカメラとは違ってカメラは重く、フィルムも高価なので経済的な事情から言っても「無駄に廻す」ことが非常に難しかった。しかもカメラを廻すと「カタカタカタ・・・」と大きな音がするので気配を消すことも難しい。
さらにカメラで同時録音は出来なかったので、録音には大きなマイクとテープレコーダーが必要だった。屋内撮影のためには照明機材も必要だし、かなり大きかったはずだ。
現場での撮影スタッフ達の存在感・威圧感は相当に大きかったことだろう。そう考えると、これほどまでにリラックスした情景を撮影できたことは、奇跡に近い技である。
大人の「意味世界」とは関係なく、自由な子どもたちの姿
輪になって歌を歌っていても、子どもたちの表情は千差万別。
はちきれんばかりの笑顔の子。
となりの女の子にちょっかいを出している男の子。
マイペースにボーっとしている子。
大あくびをしている子。
・・・そこには男女の区別もなければ、大人の都合により強制される感情もない。
子ども本来の姿というものはそういうものだし、人は誰でもそういう時代があったのだ。
( 「上海」 に出てきた、日本語の唄を無理やり歌わされている中国の子供たちの死んだ表情とはまるで対照的である。)
しかし成長するにつれて「男」や「女」という役割を背負わされ、「兵隊」や「皇国の子を産む母親」としての人生を強制される。それが60年前のこの国が、国民に強いた生き方なのである。
いつの時代にも、人は時代の要請する枠組に組み込まれてしまうもの。それを「成長」と呼ぶ。
しかしこの映画のこの子どもたちの姿は、そうした常識さえも反転させてしまうほどに、人間として魅力的な姿を見せてくれる。
記録しといてくれてありがとう
この映画がこうした「あたりまえの日常」の「あたりまえの人間の姿」を記録しておいてくれたおかげで、今日の我々は戦時下の人たちのことを「狂信的」で「盲目的」な人たちだったという大雑把な先入観から解放される。いつの時代にも、フツーの庶民はフツーに生きていたのだということを確認できる。
優れた映画は、人と人との余計な垣根を取っ払う。
本来あるべき人間としての自由で豊かな境地の存在を思い出させてくれる。
映画というものが発明されて良かった。
映像というものは、こういう風に活用されるべきものなのである。

9/28(水)15:00・9/30(金)20:00
10/8(土)13:45・10/9(日)16:30
10/12(水)15:00・10/14(金)20:00
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驚いた。1942年という戦争真っ盛りの軍国主義「右ならえ」の時代に、亀井文夫氏以外にも、映画でささやかな抵抗を実践していた映画人がいたのだ。僕にとってリスペクトするべき新たな映画人を発見した喜びに、心が躍った。
戦時下にも関わらずフツーの日常をそのままに活写

なにがすごいのかと言えば、「お国のために死にましょう」というメッセージを込めないと映画が作れなかったあの時代に、メッセージのない映画をつくることなど、ほぼあり得ないことだからである。
1942年と言えば真珠湾攻撃の直後であり、日本がいちばん戦勝ムードに沸き立っていた頃。皇国思想を喧伝するものでなければ「軟弱」であり「意味のないもの」として切り捨てられていた。
「ハワイ・マレー沖海戦」や 「加藤隼戦闘隊」のような「勇敢」で戦意を高揚させるために「意味のある」表現でなければ「女々しい」ものとして断罪されてしまう。
そんな中、戦局とはまったく無関係に日常を過ごす無辜の民のなんでもない日常を描く。なんという勇気だろう。
やはり政府の圧力を受けていた
上映を観た下北沢TOLLYWOODのパンフレットから、この映画の解説を紹介する。
「厚木たかが、戦時下の働く母と子供達の生活を、東京大井の労働者街の私立保育所を舞台に見つめた。厚木は「映画統制委員会」から呼び出され、シナリオに戦時教育的内容を加えるよう圧力を受けている。」厚木たか氏とは、この映画の構成者。監督は水木荘也氏。政府の圧力をどう切り抜けて、この映画を制作し公開したのか・・・。反響はどうだったのだろう。これから知って行こうと思う。
戦後の再編集の謎
ただし、映画の冒頭に次のような但し書きが付けられていた事も注意しなければならない。
「この映画は戦後に再編集されたものであり、実際よりも短くなっている。」
ひょっとしたら、公開時には政府の圧力に従わざるを得なくて、戦時教育的内容を足した形のものが上映されたのかもしれない。そうだとしたら、それはどういうシーンだったのだろう。
もし戦時教育的な内容が足されていたのだとしても、制作者達が作品に込めたかった心意気は少しも揺るがない。この映画は撮影方法そのものが、当時の映画界の奔流から外れた、まさにラディカルな方法だったと言えるからである。

人は、カメラを向けられると緊張するものだ。
フツーの人々は俳優ではない。「自然に見せるための訓練」を受けていない。
フツーの人々がカメラの前で自然に振る舞うためには、カメラに慣れる時間が必要だし、取材者達との人間的信頼関係が成り立っていないと難しい。
しかしこの映画の園児たちは、驚くべきほど自然に生き生きとカメラの前で振舞っており、主人公の保母さんもまったく緊張していない。
よほどの粘り腰で長期取材した成果であろう事が伺える。
当時の撮影機材はすべてがデカかった
当時は、今のようなデジタルカメラとは違ってカメラは重く、フィルムも高価なので経済的な事情から言っても「無駄に廻す」ことが非常に難しかった。しかもカメラを廻すと「カタカタカタ・・・」と大きな音がするので気配を消すことも難しい。
さらにカメラで同時録音は出来なかったので、録音には大きなマイクとテープレコーダーが必要だった。屋内撮影のためには照明機材も必要だし、かなり大きかったはずだ。
現場での撮影スタッフ達の存在感・威圧感は相当に大きかったことだろう。そう考えると、これほどまでにリラックスした情景を撮影できたことは、奇跡に近い技である。
大人の「意味世界」とは関係なく、自由な子どもたちの姿

はちきれんばかりの笑顔の子。
となりの女の子にちょっかいを出している男の子。
マイペースにボーっとしている子。
大あくびをしている子。
・・・そこには男女の区別もなければ、大人の都合により強制される感情もない。
子ども本来の姿というものはそういうものだし、人は誰でもそういう時代があったのだ。
( 「上海」 に出てきた、日本語の唄を無理やり歌わされている中国の子供たちの死んだ表情とはまるで対照的である。)
しかし成長するにつれて「男」や「女」という役割を背負わされ、「兵隊」や「皇国の子を産む母親」としての人生を強制される。それが60年前のこの国が、国民に強いた生き方なのである。
いつの時代にも、人は時代の要請する枠組に組み込まれてしまうもの。それを「成長」と呼ぶ。
しかしこの映画のこの子どもたちの姿は、そうした常識さえも反転させてしまうほどに、人間として魅力的な姿を見せてくれる。
記録しといてくれてありがとう
この映画がこうした「あたりまえの日常」の「あたりまえの人間の姿」を記録しておいてくれたおかげで、今日の我々は戦時下の人たちのことを「狂信的」で「盲目的」な人たちだったという大雑把な先入観から解放される。いつの時代にも、フツーの庶民はフツーに生きていたのだということを確認できる。
優れた映画は、人と人との余計な垣根を取っ払う。
本来あるべき人間としての自由で豊かな境地の存在を思い出させてくれる。
映画というものが発明されて良かった。
映像というものは、こういう風に活用されるべきものなのである。

「或る保姆の記録」下北沢TOLLYWOODでの上映予定
1942年、 芸術映画社、35分
構成:厚木たか
監督:水木荘也
9/28(水)15:00・9/30(金)20:00
10/8(土)13:45・10/9(日)16:30
10/12(水)15:00・10/14(金)20:00
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亀井文夫「支那事変後方記録 上海」●MOVIEレビュー
戦争を「茶化す」
映像というものは言葉ではない。
言葉以上に多くのものを観客に喚起させ、想像力を刺激する。
この映画は戦意高揚の目的で企画されたはずなのに、カメラマンと編集者の巧妙な知恵により、結果的に戦争を冷静に批判することに成功した稀有な作品である。しかも予想を上回る大ヒット。
かつての日本にはこういう気骨のある映画人がいたということを、ちゃんと確認しておきたい。
1937年、中国で第二次上海事変が勃発。
それから1945年の終戦まで、日本と中国との大規模な戦闘状態が続くことになった。
この映画は事変の翌年1938年にカメラマンの三木茂が現地へ赴き撮影。編集は当時30歳の亀井文夫。
翌年には有名な「戦ふ兵隊」(1939年)という厭戦気分をさらに増した傑作を作るのだが、今度は検閲に引っかかり治安維持法で逮捕・投獄されてしまう。映画人で当時投獄されたのは彼しかいない。沈黙するか、戦意高揚映画を作るかしか選択肢のない時代に、彼は作りたいものを作り続ける姿勢を貫いたと言えるだろう。
そんな彼ならではの豊かな諧謔精神に満ちた映画である。
戦時下に、当たり前の視点を保ち続けた勇気
なにが豊かなのかといえば、世界観が豊かなのである。単純ではないのである。
おそらく彼は、なにものに対しても距離が保てる性格の持ち主だったのだろう。言い換えれば、周りがどんなに熱狂しても常に「冷静で普通な視点」を保ち、物事を斜めから見つめることのできる人だったのだろうと思う。あの時代において、その視点を維持しながら映画を創り続けることは自殺行為に等しい。しかし彼は実行していた。なぜ、それが出来たのだろう。
検閲を切り抜けた知恵
当時、映画はすべて「映画法」によって検閲を受け、大日本帝国の国策に合わないものや批判的な表現が含まれているとみなされた場合は上映が不可能だった。
しかし、その検閲には抜け道があった。
検閲官は主に「言葉」によって検閲する。シナリオに書かれたト書きや、登場人物が話す「言葉」。字幕やナレーションで提示される「言葉」をもってしか、彼らは検閲できない。そのことを鋭敏に察知していた亀井文夫は、ナレーションや登場人物の話す言葉には「戦意高揚」的な文言を使うけれども、同時に映像表現でそれを裏切ってみせたのだ。
頭が悪く、物事を単純に文字通りにしか受け取れない検閲官は、そのことに気が付かない。
結果、この映画は見事に検閲を通過し上映され、大ヒットを記録することが出来たのである。
むろん当時の観客のうちどれだけの人が、この映画の諧謔精神を読み取っていたのかはわからない。多くの人が、映される実写フィルムの中に家族や知人が映っている事を願い、切実な思いを抱えて映画館に足を運んだという。
そりゃそうだ。今と違ってテレビはないし、新聞やラジオは勇ましい大局的な「戦勝」ばかりを知らせ続ける。「肉親の消息」という、フツーの人々がいちばん知りたい情報を知らせてくれるメディアは無かったのである。
だから当時は、劇映画と併映されるニュース映画やこうした「文化映画」(当時の呼称)が実用的な意味で支持された。しかも、ただ勇ましく戦果を喧伝するだけの凡庸な「文化映画」とは一線を画したこの映画の登場が大反響を巻き起こしたという事実は、とても健全な出来事であったと思う。
映像は言葉を裏切る
カメラマンの三木茂は、戦争の最前線ではなく、すでに戦い終わった部隊が駐留し続けている「後方」に取材をした。結果として、激しい戦闘によって破壊し尽くされた町の瓦礫を多く撮影することになる。彼としても意識的に、現地のありのままをフィルムに収めたのであろう。
兵士たちもたくさん登場するが、すでに戦闘の緊張感からは解放されているので全然勇ましく感じられない。軍服姿で椅子に座り「いやぁ~、あの時の戦闘は勇ましかったなぁ~」などと語ってはいるのだが、まるでそのへんのおっちゃんが世間話をしているかのような雰囲気(笑)。
画面から感じられることは、現地のゆったりと流れる時間と、彼らのリラックスした日常。語っている内容など、どうでもいいのである。「映像」として、言葉よりももっと深く豊かな、彼らのそのままの人間性を映しとることに成功している秀逸な場面である。
NGカットの人間らしさ
日本人女性が、死亡した兵士の手記を朗読する場面も出てくる。
彼女は勇ましい言葉を朗々と読み上げているのだが、ここでも見事に映像が言葉を裏切っている。彼女の読んでいる言葉の内容よりも、その読み方のぎこちなや、緊張で上ずった声の震え、カメラを前にした恥じらいの仕草、文字を読み間違って言い淀んだ照れた様子など・・・些細などうでも良いことの方が魅力的なので、どうしても観客としてはそちらに目が奪われてしまうのだ。
普通だったらNGカットとして捨ててしまうだろうそうした場面を、亀井文夫は編集であえて残している。彼のその戦略が見事に功を奏し、この映画は戦意高揚映画の体裁を整えながらも、それを裏切ってしまう豊かな表現を獲得したのだ。・・・いやはや、恐れ入った。
日本語で「唄わされている」子どもの複雑な表情
映画は終盤になって、現地の中国の人たちを映し出す。彼らは日本軍の兵士に素直に従っているかの様子で画面に登場する。
子どもたちが日本語で日本の童謡を歌っている場面があった。半数の子はカメラ目線で唄っているのだが、どうも画面の下半分で座っている子どもたちの視線が、カメラの下を泳いでいる。いわゆる「カンぺ」(文字の書かれたカンニングペーパー)を見ながら唄っているのだろう。
すぐに画面を切り替えてしまえば気が付かないのだが、この場面は妙に長く使用されているものだから、「カンペ」とカメラの両方にチラチラと視線を移動させている子どもたちの不安げな心情までが、観客には読み取れてしまうのだ。子どもの表情というものは正直である。
ラストの犬に込められた攻撃性
ラストカットでドキッとした。
彼がものすごい皮肉を込めたのではないかと感じられたからだ。
立っている軍人の足の部分と、鎖につながれ足下に寄り添う犬。
ほんの数秒しかないこのカットから、僕は亀井文夫が込めたメッセージを読み取った。
なぜならその犬は、従順に主人に従っているのかと思いきや、不敵な様子で急にプイッとそっぽを向いてしまうのだ。その途端に「終」の文字が現れ、映画はあっけなく終わって行く。
しかもその直前のカットまでは、いわゆる「意味のあるカット」の連続だったのに、いきなりこうした「何の変哲も無いイメージショット」が出てくるので、よけいに観客としては不意を突かれる。印象深く感じられるように巧妙に計算された上で、ラストに配置されているとしか思えない。
したたかな映画人魂
通常、映画のファースト・カットとラスト・カットというものは、映画全体を象徴してしまう位に大切な意味合いを持っているものである。ソビエト留学で映画のモンタージュを学んだ亀井文夫がそのことに無自覚であるわけがない。
ここから先は僕の勝手な「推理」。
彼は、このカットの軍人には「日本軍」を。足下の犬には「中国の民衆」を象徴させたかったのではなかろうか。
鎖につながれ、一見従順に主人に従っているようでいながらも、したたかさなたくましさを感じさせる犬のイメージ。彼が感じた中国の民衆の姿がそこに投影されているように思われてならなかった。
最後の最後でまた、亀井文夫のしたたかさに恐れ入ったのである。

「日本短編映画のたどった道 ショートフィルムの60年」
9/19(月)16:30・9/24(土)16:30
9/26(月)15:00・9/29(木)20:00
10/8(土)16:30・10/10(月)15:00
10/13(木)20:00
●→DVDが発売されています。
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言葉以上に多くのものを観客に喚起させ、想像力を刺激する。
この映画は戦意高揚の目的で企画されたはずなのに、カメラマンと編集者の巧妙な知恵により、結果的に戦争を冷静に批判することに成功した稀有な作品である。しかも予想を上回る大ヒット。
かつての日本にはこういう気骨のある映画人がいたということを、ちゃんと確認しておきたい。
1937年、中国で第二次上海事変が勃発。
それから1945年の終戦まで、日本と中国との大規模な戦闘状態が続くことになった。
この映画は事変の翌年1938年にカメラマンの三木茂が現地へ赴き撮影。編集は当時30歳の亀井文夫。
翌年には有名な「戦ふ兵隊」(1939年)という厭戦気分をさらに増した傑作を作るのだが、今度は検閲に引っかかり治安維持法で逮捕・投獄されてしまう。映画人で当時投獄されたのは彼しかいない。沈黙するか、戦意高揚映画を作るかしか選択肢のない時代に、彼は作りたいものを作り続ける姿勢を貫いたと言えるだろう。
そんな彼ならではの豊かな諧謔精神に満ちた映画である。
戦時下に、当たり前の視点を保ち続けた勇気
なにが豊かなのかといえば、世界観が豊かなのである。単純ではないのである。
おそらく彼は、なにものに対しても距離が保てる性格の持ち主だったのだろう。言い換えれば、周りがどんなに熱狂しても常に「冷静で普通な視点」を保ち、物事を斜めから見つめることのできる人だったのだろうと思う。あの時代において、その視点を維持しながら映画を創り続けることは自殺行為に等しい。しかし彼は実行していた。なぜ、それが出来たのだろう。
検閲を切り抜けた知恵

しかし、その検閲には抜け道があった。
検閲官は主に「言葉」によって検閲する。シナリオに書かれたト書きや、登場人物が話す「言葉」。字幕やナレーションで提示される「言葉」をもってしか、彼らは検閲できない。そのことを鋭敏に察知していた亀井文夫は、ナレーションや登場人物の話す言葉には「戦意高揚」的な文言を使うけれども、同時に映像表現でそれを裏切ってみせたのだ。
頭が悪く、物事を単純に文字通りにしか受け取れない検閲官は、そのことに気が付かない。
結果、この映画は見事に検閲を通過し上映され、大ヒットを記録することが出来たのである。
むろん当時の観客のうちどれだけの人が、この映画の諧謔精神を読み取っていたのかはわからない。多くの人が、映される実写フィルムの中に家族や知人が映っている事を願い、切実な思いを抱えて映画館に足を運んだという。
そりゃそうだ。今と違ってテレビはないし、新聞やラジオは勇ましい大局的な「戦勝」ばかりを知らせ続ける。「肉親の消息」という、フツーの人々がいちばん知りたい情報を知らせてくれるメディアは無かったのである。
だから当時は、劇映画と併映されるニュース映画やこうした「文化映画」(当時の呼称)が実用的な意味で支持された。しかも、ただ勇ましく戦果を喧伝するだけの凡庸な「文化映画」とは一線を画したこの映画の登場が大反響を巻き起こしたという事実は、とても健全な出来事であったと思う。
映像は言葉を裏切る

兵士たちもたくさん登場するが、すでに戦闘の緊張感からは解放されているので全然勇ましく感じられない。軍服姿で椅子に座り「いやぁ~、あの時の戦闘は勇ましかったなぁ~」などと語ってはいるのだが、まるでそのへんのおっちゃんが世間話をしているかのような雰囲気(笑)。
画面から感じられることは、現地のゆったりと流れる時間と、彼らのリラックスした日常。語っている内容など、どうでもいいのである。「映像」として、言葉よりももっと深く豊かな、彼らのそのままの人間性を映しとることに成功している秀逸な場面である。
NGカットの人間らしさ
日本人女性が、死亡した兵士の手記を朗読する場面も出てくる。
彼女は勇ましい言葉を朗々と読み上げているのだが、ここでも見事に映像が言葉を裏切っている。彼女の読んでいる言葉の内容よりも、その読み方のぎこちなや、緊張で上ずった声の震え、カメラを前にした恥じらいの仕草、文字を読み間違って言い淀んだ照れた様子など・・・些細などうでも良いことの方が魅力的なので、どうしても観客としてはそちらに目が奪われてしまうのだ。
普通だったらNGカットとして捨ててしまうだろうそうした場面を、亀井文夫は編集であえて残している。彼のその戦略が見事に功を奏し、この映画は戦意高揚映画の体裁を整えながらも、それを裏切ってしまう豊かな表現を獲得したのだ。・・・いやはや、恐れ入った。
日本語で「唄わされている」子どもの複雑な表情
映画は終盤になって、現地の中国の人たちを映し出す。彼らは日本軍の兵士に素直に従っているかの様子で画面に登場する。
子どもたちが日本語で日本の童謡を歌っている場面があった。半数の子はカメラ目線で唄っているのだが、どうも画面の下半分で座っている子どもたちの視線が、カメラの下を泳いでいる。いわゆる「カンぺ」(文字の書かれたカンニングペーパー)を見ながら唄っているのだろう。
すぐに画面を切り替えてしまえば気が付かないのだが、この場面は妙に長く使用されているものだから、「カンペ」とカメラの両方にチラチラと視線を移動させている子どもたちの不安げな心情までが、観客には読み取れてしまうのだ。子どもの表情というものは正直である。
ラストの犬に込められた攻撃性
ラストカットでドキッとした。
彼がものすごい皮肉を込めたのではないかと感じられたからだ。
立っている軍人の足の部分と、鎖につながれ足下に寄り添う犬。
ほんの数秒しかないこのカットから、僕は亀井文夫が込めたメッセージを読み取った。
なぜならその犬は、従順に主人に従っているのかと思いきや、不敵な様子で急にプイッとそっぽを向いてしまうのだ。その途端に「終」の文字が現れ、映画はあっけなく終わって行く。
しかもその直前のカットまでは、いわゆる「意味のあるカット」の連続だったのに、いきなりこうした「何の変哲も無いイメージショット」が出てくるので、よけいに観客としては不意を突かれる。印象深く感じられるように巧妙に計算された上で、ラストに配置されているとしか思えない。
したたかな映画人魂
通常、映画のファースト・カットとラスト・カットというものは、映画全体を象徴してしまう位に大切な意味合いを持っているものである。ソビエト留学で映画のモンタージュを学んだ亀井文夫がそのことに無自覚であるわけがない。
ここから先は僕の勝手な「推理」。
彼は、このカットの軍人には「日本軍」を。足下の犬には「中国の民衆」を象徴させたかったのではなかろうか。
鎖につながれ、一見従順に主人に従っているようでいながらも、したたかさなたくましさを感じさせる犬のイメージ。彼が感じた中国の民衆の姿がそこに投影されているように思われてならなかった。
最後の最後でまた、亀井文夫のしたたかさに恐れ入ったのである。

「支那事変後方記録 上海」●下北沢TOLLYWOODでの上映予定
1938年、東宝文化映画部、77分
監督:亀井文夫
撮影:三木茂
「日本短編映画のたどった道 ショートフィルムの60年」
9/19(月)16:30・9/24(土)16:30
9/26(月)15:00・9/29(木)20:00
10/8(土)16:30・10/10(月)15:00
10/13(木)20:00
●→DVDが発売されています。
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深作欣二「軍旗はためく下に」●MOVIEレビュー
夫はどうして死んだのか。真相を求める妻の執念。
しあわせな結婚生活も束の間。わずか半年後に夫が召集され戦場へと出征して行く。
無事な帰還を祈る日々もむなしく・・・。
終戦後、夫はなかなか戻らず、ある日紙切れ一枚となって帰還する。「戦死」ではなく手書きで「死亡」としか書かれていない粗末な紙切れ一枚となって。死亡した場所も、死因も不明。
「そんな馬鹿なことがあってたまるか」と厚生省に通い続ける彼女だが、そうしたケースは山のようにあるためなかなか調査は進まない。
しかも「戦死」扱いではないため補償も受けられない。最愛の夫の死を受け入れられず、宙ぶらりんなまま過ごしてしまった彼女の二十数年。
8月15日。
毎年、まるで儀式であるかのように彼女は厚生省を訪ねる。
主演の左幸子の鋭い眼光が、この女の静かさの中に秘められたナイフの鋭さを感じさせて目が離せない。
人によって食い違う証言。謎は深まるばかり。
その年、やっと厚生省が動いてくれていた。関係者に手紙で聞き取りをしたという。特にめぼしい情報はなかったが、3人だけ返事を寄越さなかった人がいるという。彼女は早速その人たちに会いに行く。
一人目は、ごみ貯めのような埋立地に一人で豚を飼っている男。
彼の証言では、夫は南方の島で勇敢に部隊を指揮し、立派な戦死だったという。
嬉しさに涙がこみ上げるものの、もっと詳しく知りたくなった彼女は2人目、3人目と会って行く。するとどうだろう。まったく違う事実が証言されて行くのだ。
どうやら終戦後、島に残っていた日本軍の内部で軍法会議にかけられ、夫は処刑されたらしい。だから「戦死」ではなく「死亡」なのだ。
彼女は衝撃を受け理由を問いただす。現在は平和な暮らしをしている証言者たちは、なかなか語ろうとはしない。語っていることも本当のことなのかはわからない。
しかし、彼女の心中に潜むナイフの鋭さに圧され、次第に語りだす。
そして、おそるべき戦場の実態と軍隊の腐敗、人間としての極限状況が浮かびあがるのだ。
死人に口なし。戦場の実態は、生き残ったわずかな帰還者が都合よく語れてしまう。
南方の激戦地で生き残り帰還した者といえども、戦後30年も経てば日常をフツーに暮らしているものだ。
実際に戦場でなにがあったのか。戦友たちがどうして死に、自分はどうして生き残ることが出来たのか。語ることが出来るのは、ほんの一握りの生還者しかいない。
証言の食い違いは、そうしたこととも関係しているのだろうか。「記憶」とか「証言」と言ったものの信憑性は、かなり疑ってかからなければならないものである。
そして彼女は気付いて行く。夫の死因は、「語ってはいけないもの」「語ることにより誰かの不正が明かされてしまうもの」・・・そうした種類のものだということを。
人間としての極限。人肉食。
食糧が尽き飢餓状態になれば、日本軍では敗残兵たちの間で「人肉食」が行なわれることも珍しくなかったという。亡くなったばかりの戦友の尻や腕の肉、内臓などを煮て食ってしまうのだ。
これは数々の戦記物や生還者達の証言によって語られていることであり、事実であると言っていい。
ある証言者は彼女にそうした話を語って聞かせ、夫がその罪で罰せられたかのように印象付ける。彼女は衝撃を受けるが、すでに証言というものの信憑性を疑っている彼女は簡単には信じない。証言のどれもが、自分の夫のことを言っているのか、似たような境遇の別人のことを言っているのかすら判断できない、じつに曖昧なものなのだ。
英雄として戦死したのか。
人肉食の罪で処刑されたのか。
それとももっと別の、隠されなければならない事情によるものなのか。
やがて彼女は真相を知る。
それは、最初に会いに行った豚を飼う男の口から語られる。
英雄談はやっぱり嘘だった。
そして彼女は、なんともやりきれない不条理に辿り着いてしまうのだ。
深作欣二監督のグロテスク・ワールド炸裂。どんなに残酷だろうが視覚化して提示。
この映画では色んなパターンの証言を、徹底して映像化し観客に提示する。英雄になったり人肉食者になったりと、様々な状況における夫の姿を丹波哲郎が演じわける。
カメラマンはドキュメンタリー映画界の瀬川浩。柔軟に動くカメラの運動神経はまるで実写を見ているかのようで迫真力がある。
現代の平穏な日々と、極限状況にある戦場との、時間も空間も遠く隔たった距離感を見事に観客に印象付けることに成功している。本当に、いい仕事をしていると思う。
深作欣二監督といえば「仁義なき戦い」や「バトル・ロワイヤル」でもわかるとおり、徹底的に暴力や人間の残酷さをグロテスクに乾いたタッチで提示する名人。この映画でもその持ち味は充分に生かされ、人間の本質が内臓から抉り出されるかのような迫力に満ちた作品に仕上げている。
浜辺で悶える左幸子がすごい。動物としての「女」を強烈に表現。
中でも凄かったのが、主演の左幸子が帰らぬ夫を思って浜辺で波に紛れながら身悶えする場面。
激しく打ち寄せる波打ち際で、火照る「女」の体は夫の愛撫を求めて激しく波と戯れる。
叶わぬ激情に身を焦がし、夫を思い叫びながら浜辺でマスターベーションをしているかのような強烈な求愛の表現に、女というものの持つあたりまえの「業」が刻印されている。そして、夫以外の男には絶対に身体を許さず「後家」として生きる決意をした女の悲しさと強さが、情念の塊となって強烈に表現されている。
僕は今まで女優としての左幸子をあまり知らなかったが、この場面で発散される彼女のエネルギーには圧倒され、素晴らしい女優さんだと驚かされた。彼女の女優人生の中でも代表されるべき名演技なのではなかろうか。
鋭い眼光といい、小柄で生活感あふれる体つきといい、彼女以外にこの役は考えられなかっただろう。
謎解きのサスペンス。謎の先にはさらなる謎が。
観客は主人公と一緒に、遠い戦場の真相を知るべく謎解きを愉しむことが出来る。深入りするほどに衝撃は大きくなり目が離せなくなる。
そしてこの映画のすごいところは、謎が解かれたからといってそこで「解決」するわけではなく、さらに大きな迷宮の存在に気付かされ呆気にとられるしかなくなるということだ。
戦争というもの。軍隊というもの。この国の在りよう。そして人間というもの。
複雑に絡まりあうそれらの糸に、がんじがらめにされたまま死んだ夫。真相を突き止めたところで、いまさら彼女の二十数年は戻ってこない。
浜辺で身悶えた女の情念は、誰が受けとめてくれたというのだろう。
今年は戦後60年。
この映画の主人公達の世代は確実に死期が迫っている。
生々しい情念を持って戦争の時代を生き抜き、愛する者の不条理な死を体験した数々の人生の行く末が、せめてあたたかさに包まれていることを願う。
忘れられないものは、忘れられないものだけど。
監督・・・深作欣二
脚本・・・新藤兼人
原作・・・結城昌治
撮影・・・瀬川浩
音楽・・・林光
美術・・・入野達弥
録音・・・大橋鉄矢
照明・・・平田光治
編集・・・浦岡敬一
出演・・・丹波哲郎 左幸子 中村翫右衛門 江原真二郎 夏八木勲 山本耕一
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無事な帰還を祈る日々もむなしく・・・。
終戦後、夫はなかなか戻らず、ある日紙切れ一枚となって帰還する。「戦死」ではなく手書きで「死亡」としか書かれていない粗末な紙切れ一枚となって。死亡した場所も、死因も不明。
「そんな馬鹿なことがあってたまるか」と厚生省に通い続ける彼女だが、そうしたケースは山のようにあるためなかなか調査は進まない。
しかも「戦死」扱いではないため補償も受けられない。最愛の夫の死を受け入れられず、宙ぶらりんなまま過ごしてしまった彼女の二十数年。
8月15日。
毎年、まるで儀式であるかのように彼女は厚生省を訪ねる。
主演の左幸子の鋭い眼光が、この女の静かさの中に秘められたナイフの鋭さを感じさせて目が離せない。
人によって食い違う証言。謎は深まるばかり。

一人目は、ごみ貯めのような埋立地に一人で豚を飼っている男。
彼の証言では、夫は南方の島で勇敢に部隊を指揮し、立派な戦死だったという。
嬉しさに涙がこみ上げるものの、もっと詳しく知りたくなった彼女は2人目、3人目と会って行く。するとどうだろう。まったく違う事実が証言されて行くのだ。
どうやら終戦後、島に残っていた日本軍の内部で軍法会議にかけられ、夫は処刑されたらしい。だから「戦死」ではなく「死亡」なのだ。
彼女は衝撃を受け理由を問いただす。現在は平和な暮らしをしている証言者たちは、なかなか語ろうとはしない。語っていることも本当のことなのかはわからない。
しかし、彼女の心中に潜むナイフの鋭さに圧され、次第に語りだす。
そして、おそるべき戦場の実態と軍隊の腐敗、人間としての極限状況が浮かびあがるのだ。
死人に口なし。戦場の実態は、生き残ったわずかな帰還者が都合よく語れてしまう。

実際に戦場でなにがあったのか。戦友たちがどうして死に、自分はどうして生き残ることが出来たのか。語ることが出来るのは、ほんの一握りの生還者しかいない。
証言の食い違いは、そうしたこととも関係しているのだろうか。「記憶」とか「証言」と言ったものの信憑性は、かなり疑ってかからなければならないものである。
そして彼女は気付いて行く。夫の死因は、「語ってはいけないもの」「語ることにより誰かの不正が明かされてしまうもの」・・・そうした種類のものだということを。
人間としての極限。人肉食。

これは数々の戦記物や生還者達の証言によって語られていることであり、事実であると言っていい。
ある証言者は彼女にそうした話を語って聞かせ、夫がその罪で罰せられたかのように印象付ける。彼女は衝撃を受けるが、すでに証言というものの信憑性を疑っている彼女は簡単には信じない。証言のどれもが、自分の夫のことを言っているのか、似たような境遇の別人のことを言っているのかすら判断できない、じつに曖昧なものなのだ。
英雄として戦死したのか。
人肉食の罪で処刑されたのか。
それとももっと別の、隠されなければならない事情によるものなのか。
やがて彼女は真相を知る。
それは、最初に会いに行った豚を飼う男の口から語られる。
英雄談はやっぱり嘘だった。
そして彼女は、なんともやりきれない不条理に辿り着いてしまうのだ。
深作欣二監督のグロテスク・ワールド炸裂。どんなに残酷だろうが視覚化して提示。

カメラマンはドキュメンタリー映画界の瀬川浩。柔軟に動くカメラの運動神経はまるで実写を見ているかのようで迫真力がある。
現代の平穏な日々と、極限状況にある戦場との、時間も空間も遠く隔たった距離感を見事に観客に印象付けることに成功している。本当に、いい仕事をしていると思う。
深作欣二監督といえば「仁義なき戦い」や「バトル・ロワイヤル」でもわかるとおり、徹底的に暴力や人間の残酷さをグロテスクに乾いたタッチで提示する名人。この映画でもその持ち味は充分に生かされ、人間の本質が内臓から抉り出されるかのような迫力に満ちた作品に仕上げている。
浜辺で悶える左幸子がすごい。動物としての「女」を強烈に表現。

激しく打ち寄せる波打ち際で、火照る「女」の体は夫の愛撫を求めて激しく波と戯れる。
叶わぬ激情に身を焦がし、夫を思い叫びながら浜辺でマスターベーションをしているかのような強烈な求愛の表現に、女というものの持つあたりまえの「業」が刻印されている。そして、夫以外の男には絶対に身体を許さず「後家」として生きる決意をした女の悲しさと強さが、情念の塊となって強烈に表現されている。
僕は今まで女優としての左幸子をあまり知らなかったが、この場面で発散される彼女のエネルギーには圧倒され、素晴らしい女優さんだと驚かされた。彼女の女優人生の中でも代表されるべき名演技なのではなかろうか。
鋭い眼光といい、小柄で生活感あふれる体つきといい、彼女以外にこの役は考えられなかっただろう。
謎解きのサスペンス。謎の先にはさらなる謎が。

そしてこの映画のすごいところは、謎が解かれたからといってそこで「解決」するわけではなく、さらに大きな迷宮の存在に気付かされ呆気にとられるしかなくなるということだ。
戦争というもの。軍隊というもの。この国の在りよう。そして人間というもの。
複雑に絡まりあうそれらの糸に、がんじがらめにされたまま死んだ夫。真相を突き止めたところで、いまさら彼女の二十数年は戻ってこない。
浜辺で身悶えた女の情念は、誰が受けとめてくれたというのだろう。
今年は戦後60年。
この映画の主人公達の世代は確実に死期が迫っている。
生々しい情念を持って戦争の時代を生き抜き、愛する者の不条理な死を体験した数々の人生の行く末が、せめてあたたかさに包まれていることを願う。
忘れられないものは、忘れられないものだけど。

「軍旗はためく下に」製作・・・松丸青史 時実象平
製作=東宝=新星映画社
1972.03.12公開 97分
カラー シネマスコープ
監督・・・深作欣二
脚本・・・新藤兼人
原作・・・結城昌治
撮影・・・瀬川浩
音楽・・・林光
美術・・・入野達弥
録音・・・大橋鉄矢
照明・・・平田光治
編集・・・浦岡敬一
出演・・・丹波哲郎 左幸子 中村翫右衛門 江原真二郎 夏八木勲 山本耕一
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山本薩夫「真空地帯」●MOVIEレビュー
軍隊生活の陰湿な実態を暴露。もう「美化」することなど出来なくなる。
軍隊生活。規則正しく美しく整然と行進をするあのイメージ映像どおりの世界なのかと思いきや。
この映画で描かれるかつての日本陸軍の軍隊生活のひどさは目も当てられない。
少年兵は、先輩への命令には絶対服従。常に姿勢を正して命令に従っていなければならない。誰かがミスをすれば連帯責任として同じ班の全員が殴られる。いじめやイビリなんて日常茶飯事。理不尽なことで殴られたり、柱にしがみついて蝉の鳴きまねをさせられたり・・・。朝起きてから夜寝るまで、一日中ひたすらその責め苦に耐えなければならないのだ。これを生き地獄と言わずして何と言おう。
「ハワイ・マレー沖海戦」や「加藤隼決死隊」などの戦意高揚映画で描かれた美しい英雄的な軍隊というものが、いかに絵空事で嘘っぱちだったか。浮かれた気持ちで見ていると完膚なきまでに打ちのめされる恐るべき映画。
軍隊経験のあるスタッフ・キャストが「絶対に作りたかった」というエネルギーでいっぱい。
「真空地帯」は作家・野間宏氏が実際の軍隊体験を元にして書いた小説。同じく軍隊経験を持つ山本薩夫監督らスタッフ・キャストが集結して1952年に独立プロダクションの制作で映画化された。
戦後の東宝争議きっかけにして、大手の制作に頼らずに自分達の映画を作ろうとした、当時の映画人たちの並々ならぬ情熱に満ちた映画となっている。画面から伝わってくるその気迫たるやすさまじい。目が離せなくなる。
1952年はサンフランシスコ講和条約が発効した年。アメリカによる占領から解放され、GHQによる言論統制からも解放され、続々と戦争時代の真実が文学や映画で噴出し始めた頃だ。その鬱積されたエネルギーの噴出が結晶したかのような映画と言えよう。
なんといっても見所は軍隊生活の描写。実際の体験者たちが、まだ記憶が鮮明なうちにリアルに描いておきたかったのだろう。軍隊という組織における人間関係の理不尽さを細部にまでとことんこだわって再現している。
男って閉鎖社会で集団化すると「女々しく」なる。
しかし・・・群れる男たちほど馬鹿っぽいものはないと思う。「先輩」だの「後輩」だのといった、その組織内でしか通用しないヒエラルキーを設けて理不尽なルールに従わなければならないなんて、エネルギーの浪費以外のなにものでもないではないか。そのアホらしさを徹底して見せてくれるから、ものすごくグロテスク。
逆らったら殴られる。自分の意志を持つものは自ら思考を停止するしかない。どうでもいいようなことでお互いに牽制し合い、上官へのご機嫌とりでは嫉妬が渦巻く。その姿は男らしいどころか、ジメジメと自閉していて、あまり使いたくない言葉ではあるが「女々しい」としか言いようがない。
兵隊という「殺人マシーン」を製造するには、こうしたシステムが必要なのだろうか。人間って、こうも醜いシステムを作り上げなければ組織化できないものだろうか。
なにもこれは軍隊の中に限ったことではなく、現代社会を見渡してみても、いくらでもこうした集団のあり方は維持されている。封建主義と精神主義の亡霊どもだ。こんなもの、どこが男らしいんだ。「女々しさ」とは、勘違いした男らしさを身につけてしまった馬鹿な男どものことを言うのだと思う。情けなくって頭にくる。
そういえば義務教育で、似たような「集団教育」を受けさせられたなぁ・・・。
映画を見ながら思い出したのが、自分の小学・中学時代。いわゆる「義務教育」の期間に受けさせられた「集団教育」である。
先生が入ってきたら一斉に「起立」して「礼」をする。しかも皆が揃って。週に一度の朝会では「行進」をする。一糸乱れず皆が歩調を合わせて。部活では後輩は先輩に従う。たとえ理不尽な命令でも。つまらない標語を大声で言わされる。全員で声を合わせて。
これみんな、この映画に出てくる軍隊で行われていた少年兵への教育とそっくりである。この「集団教育」によってなにが得られるというのだろう。
今も教育現場に巣食う、軍隊時代の「権威主義」の名残り。
週に一度の朝会や集会、運動会のたびにやらされたのが、この映画に出てくる軍隊でも強要されている、意味のない「行進」というもの。なんなのあれ。
あれは要するに、統率する「教師」や「教育制度」の権威を誇示するための自己満足ではなかろうか。生徒の集団性を育むなんていうお題目は単なる嘘っぱちの偽善。自分達の「統率力」を目に見える形で示したいだけでしょ。現に今の僕の日常には、あの行進の経験は全く活用されていない。行進が上手くなったからといって、他人とのコミュニケーションが上手くなるとも思えない。ただ習慣として「今までやってきたから」やってるだけでしょ、あんなもん。
僕は在学当時から「理不尽に強制される学校内だけのルール」が嫌だった。しかし反抗したりグレたりできるほどの勇気も根性もなかったので、素直に従っている「ふり」はしていた。
だから自分の心を押し隠して嘘をつくための訓練には役立ったとは言えるのかも。本心では、グレて反抗できる「不良」と呼ばれる人たちの事が羨ましかった。偽善で生徒に嘘を強要する教師達よりも、思ったことを素直に表現できる「不良」たちの方が、ずっと人間らしく健康的に思えたけどなぁ。
軍隊というムラ社会。学校というムラ社会。わけのわからない「ムラでしか通用しない」理不尽なルールを強要されるという点では、程度の差こそあれ「同じだな」と思う。
そもそも先生だとか先輩だとか「他人を尊敬する」ということは、「尊敬する側が自分から自発的に」行うものだ。その順番を逆にして、頭ごなしに「強制によって尊敬させる」から無理が生じるのである。
そこのところを理解せずシステムとして「尊敬させようとする」馬鹿な教師や先輩方が多すぎる。本当に尊敬される人は、強制などせずとも自然に尊敬されるものだから、尊敬を強要する人間というものは、自分に自信がないかわいそうな人たちなんだと思うようにしている。
軍隊組織自体の腐敗。
さて「真空地帯」に話を戻そう。この映画では果敢にも、軍隊組織の腐敗構造にまでメスを入れて抉り出す。
兵学校から誰を戦地へ送るか。(=誰を先に殺すか)。誰を出世させるか。(=誰を生かしておくか)。その決定には利権が複雑に絡み合い、上層部では食糧や金銭の裏取引がまかり通る。国からの税金を握る経理部を中心に組織は腐敗する。
この映画では、そうした利権構造の真実を知ってしまった主人公の視点から、クールに生々しく実態が暴露されて行く。こうした腐敗は組織が大きくなれば当然出てくる問題であって、ありふれているといえばありふれている。しかし「大東亜共栄圏の建設」「天皇陛下のため」という絶対的なお題目の下、国家ぐるみで組織化された軍隊で当たり前のようにまかり通っていたという事実は衝撃的だ。
武士の時代からの封建的な精神構造が明治維新によって屈折し、そのまま軍隊に持ち込まれて陰湿な形で露呈し人々を苦しめていたのだ。当時の陸軍の軍人たちがこんな無駄かつ理不尽なことで神経や体力をすり減らしていたのだとしたら、物量面以前に「人間的な組織のあり方として」日本はすでに負けていた。この国の歴史を考える上で、この事実は本気で肝に銘じておかなければならないことだと思う。
生き延びるためには、カラダの取引もあったのでは。
この映画で描かれた軍隊というものは「先輩である」というただそれだけのことで、後輩に対してやりたい放題に振る舞える環境である。当然の事として、時には男同士のカラダの取引もあったのではなかろうか。
この映画では直接的にはそういう描写は出てこない。これほどの「タブー」視される事柄を、ストレートに描くことなど当時としてはあり得なかっただろう。しかし、少年兵の教育の場面で「ボンボン、今夜抱いて寝てやろうか?」という上官からのからかいの言葉があったことによって、僕はそのような想像力を持った。
軍隊のヒエラルキーでは同性愛行為も「強制化」するのではないだろうかという危惧。
お気に入りの可愛い下士官は、戦地に送って死なせたくない。いつまでも自分のそばに置いておきたい。そうした時に上官は、権力を武器に下士官のカラダさえも好きに出来たであろう。それはいつの時代でも、権力を握った者の特権だ。
男だらけの軍隊において日常的に同性愛的感情のやりとりが行われるのは至極当然のことではあるのだが、権力によって強いられていたとしたら恐ろしいことだ。この映画ではそのタブーに、この時代としては異例の「演出」によって踏み込んでいることに驚かされる。
これは現代でも軍隊という組織が必然的に抱えている問題であろう。徴兵制が敷かれている韓国の父親が「あんな同性愛の蔓延する軍隊に息子を入隊させたくない。」と、自分の時の経験から抗議していることを記事で見かけたことがある。
僕はもちろん同性愛を否定してこういうことを言っているのではない。それが軍隊というヒエラルキーの中で権力によって強いられることの非道さを、指摘しておきたいだけだ。そして、権力構造の中で理不尽に強いられた同性愛がまかり通っているから、ホモフォビア(同性愛嫌悪)が増長されてしまうのだと危惧する。
死ぬことと引き換えだったら、人間、なんでもしてしまうのではなかろうか。「軍隊の腐敗」と「同性愛」。語られずに葬り去られたであろう数々の出来事が、きっとたくさんあったはずだ。
これを「不朽の名作」と呼ばずしてなんと呼ぶ。
あまり映画の筋に触れなかったのだが、それはこの映画から触発されて考えさせられることが多岐に渡ったからだ。それは名作と呼ばれる物の条件でもある。
この映画は1952年という時代の産み落とした、いわば「鬼っ子」である。1952年だからこそ、ここまで鮮烈な内容のものを、独立プロという厳しい制作条件でも実現させるパワーが制作者達に満ちあふれていたのだ。よくぞ作っておいてくれたと思う。そして、ちゃんと正当に評価されてヒットしたという現実には感動を覚える。
この映画の訴求力は今でもまったく色あせていない。上映された新文芸坐は大混雑だった。強烈なインパクトと共に、人間の弱さと軍隊組織や日本型精神主義の危険性を訴えかけてくる。さらに、見ていて飽きさせない娯楽性も兼ね備えている。
この映画のことを「不朽の名作」と呼ぶことに僕は躊躇しない。戦争や軍隊を語る上で、そして人間を語る上で、見ておかなければならない映画だと思う。
制作・・・嵯峨善兵/岩崎昶
原作・・・野間宏
脚本・・・山形雄策
撮影・・・前田実
音楽・・・団伊玖磨
美術・・・川島泰三/平川透徹
録音・・・空閑昌敏
照明・・・伊藤一男
出演・・・木村功 利根はる恵 神田隆 加藤嘉 下元勉 西村晃 ほか
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少年兵は、先輩への命令には絶対服従。常に姿勢を正して命令に従っていなければならない。誰かがミスをすれば連帯責任として同じ班の全員が殴られる。いじめやイビリなんて日常茶飯事。理不尽なことで殴られたり、柱にしがみついて蝉の鳴きまねをさせられたり・・・。朝起きてから夜寝るまで、一日中ひたすらその責め苦に耐えなければならないのだ。これを生き地獄と言わずして何と言おう。
「ハワイ・マレー沖海戦」や「加藤隼決死隊」などの戦意高揚映画で描かれた美しい英雄的な軍隊というものが、いかに絵空事で嘘っぱちだったか。浮かれた気持ちで見ていると完膚なきまでに打ちのめされる恐るべき映画。
軍隊経験のあるスタッフ・キャストが「絶対に作りたかった」というエネルギーでいっぱい。

戦後の東宝争議きっかけにして、大手の制作に頼らずに自分達の映画を作ろうとした、当時の映画人たちの並々ならぬ情熱に満ちた映画となっている。画面から伝わってくるその気迫たるやすさまじい。目が離せなくなる。
1952年はサンフランシスコ講和条約が発効した年。アメリカによる占領から解放され、GHQによる言論統制からも解放され、続々と戦争時代の真実が文学や映画で噴出し始めた頃だ。その鬱積されたエネルギーの噴出が結晶したかのような映画と言えよう。
なんといっても見所は軍隊生活の描写。実際の体験者たちが、まだ記憶が鮮明なうちにリアルに描いておきたかったのだろう。軍隊という組織における人間関係の理不尽さを細部にまでとことんこだわって再現している。
男って閉鎖社会で集団化すると「女々しく」なる。

逆らったら殴られる。自分の意志を持つものは自ら思考を停止するしかない。どうでもいいようなことでお互いに牽制し合い、上官へのご機嫌とりでは嫉妬が渦巻く。その姿は男らしいどころか、ジメジメと自閉していて、あまり使いたくない言葉ではあるが「女々しい」としか言いようがない。
兵隊という「殺人マシーン」を製造するには、こうしたシステムが必要なのだろうか。人間って、こうも醜いシステムを作り上げなければ組織化できないものだろうか。
なにもこれは軍隊の中に限ったことではなく、現代社会を見渡してみても、いくらでもこうした集団のあり方は維持されている。封建主義と精神主義の亡霊どもだ。こんなもの、どこが男らしいんだ。「女々しさ」とは、勘違いした男らしさを身につけてしまった馬鹿な男どものことを言うのだと思う。情けなくって頭にくる。
そういえば義務教育で、似たような「集団教育」を受けさせられたなぁ・・・。

先生が入ってきたら一斉に「起立」して「礼」をする。しかも皆が揃って。週に一度の朝会では「行進」をする。一糸乱れず皆が歩調を合わせて。部活では後輩は先輩に従う。たとえ理不尽な命令でも。つまらない標語を大声で言わされる。全員で声を合わせて。
これみんな、この映画に出てくる軍隊で行われていた少年兵への教育とそっくりである。この「集団教育」によってなにが得られるというのだろう。
今も教育現場に巣食う、軍隊時代の「権威主義」の名残り。

あれは要するに、統率する「教師」や「教育制度」の権威を誇示するための自己満足ではなかろうか。生徒の集団性を育むなんていうお題目は単なる嘘っぱちの偽善。自分達の「統率力」を目に見える形で示したいだけでしょ。現に今の僕の日常には、あの行進の経験は全く活用されていない。行進が上手くなったからといって、他人とのコミュニケーションが上手くなるとも思えない。ただ習慣として「今までやってきたから」やってるだけでしょ、あんなもん。
僕は在学当時から「理不尽に強制される学校内だけのルール」が嫌だった。しかし反抗したりグレたりできるほどの勇気も根性もなかったので、素直に従っている「ふり」はしていた。
だから自分の心を押し隠して嘘をつくための訓練には役立ったとは言えるのかも。本心では、グレて反抗できる「不良」と呼ばれる人たちの事が羨ましかった。偽善で生徒に嘘を強要する教師達よりも、思ったことを素直に表現できる「不良」たちの方が、ずっと人間らしく健康的に思えたけどなぁ。
軍隊というムラ社会。学校というムラ社会。わけのわからない「ムラでしか通用しない」理不尽なルールを強要されるという点では、程度の差こそあれ「同じだな」と思う。

そこのところを理解せずシステムとして「尊敬させようとする」馬鹿な教師や先輩方が多すぎる。本当に尊敬される人は、強制などせずとも自然に尊敬されるものだから、尊敬を強要する人間というものは、自分に自信がないかわいそうな人たちなんだと思うようにしている。
軍隊組織自体の腐敗。

兵学校から誰を戦地へ送るか。(=誰を先に殺すか)。誰を出世させるか。(=誰を生かしておくか)。その決定には利権が複雑に絡み合い、上層部では食糧や金銭の裏取引がまかり通る。国からの税金を握る経理部を中心に組織は腐敗する。
この映画では、そうした利権構造の真実を知ってしまった主人公の視点から、クールに生々しく実態が暴露されて行く。こうした腐敗は組織が大きくなれば当然出てくる問題であって、ありふれているといえばありふれている。しかし「大東亜共栄圏の建設」「天皇陛下のため」という絶対的なお題目の下、国家ぐるみで組織化された軍隊で当たり前のようにまかり通っていたという事実は衝撃的だ。
武士の時代からの封建的な精神構造が明治維新によって屈折し、そのまま軍隊に持ち込まれて陰湿な形で露呈し人々を苦しめていたのだ。当時の陸軍の軍人たちがこんな無駄かつ理不尽なことで神経や体力をすり減らしていたのだとしたら、物量面以前に「人間的な組織のあり方として」日本はすでに負けていた。この国の歴史を考える上で、この事実は本気で肝に銘じておかなければならないことだと思う。
生き延びるためには、カラダの取引もあったのでは。

この映画では直接的にはそういう描写は出てこない。これほどの「タブー」視される事柄を、ストレートに描くことなど当時としてはあり得なかっただろう。しかし、少年兵の教育の場面で「ボンボン、今夜抱いて寝てやろうか?」という上官からのからかいの言葉があったことによって、僕はそのような想像力を持った。
軍隊のヒエラルキーでは同性愛行為も「強制化」するのではないだろうかという危惧。

男だらけの軍隊において日常的に同性愛的感情のやりとりが行われるのは至極当然のことではあるのだが、権力によって強いられていたとしたら恐ろしいことだ。この映画ではそのタブーに、この時代としては異例の「演出」によって踏み込んでいることに驚かされる。
これは現代でも軍隊という組織が必然的に抱えている問題であろう。徴兵制が敷かれている韓国の父親が「あんな同性愛の蔓延する軍隊に息子を入隊させたくない。」と、自分の時の経験から抗議していることを記事で見かけたことがある。
僕はもちろん同性愛を否定してこういうことを言っているのではない。それが軍隊というヒエラルキーの中で権力によって強いられることの非道さを、指摘しておきたいだけだ。そして、権力構造の中で理不尽に強いられた同性愛がまかり通っているから、ホモフォビア(同性愛嫌悪)が増長されてしまうのだと危惧する。
死ぬことと引き換えだったら、人間、なんでもしてしまうのではなかろうか。「軍隊の腐敗」と「同性愛」。語られずに葬り去られたであろう数々の出来事が、きっとたくさんあったはずだ。
これを「不朽の名作」と呼ばずしてなんと呼ぶ。

この映画は1952年という時代の産み落とした、いわば「鬼っ子」である。1952年だからこそ、ここまで鮮烈な内容のものを、独立プロという厳しい制作条件でも実現させるパワーが制作者達に満ちあふれていたのだ。よくぞ作っておいてくれたと思う。そして、ちゃんと正当に評価されてヒットしたという現実には感動を覚える。
この映画の訴求力は今でもまったく色あせていない。上映された新文芸坐は大混雑だった。強烈なインパクトと共に、人間の弱さと軍隊組織や日本型精神主義の危険性を訴えかけてくる。さらに、見ていて飽きさせない娯楽性も兼ね備えている。
この映画のことを「不朽の名作」と呼ぶことに僕は躊躇しない。戦争や軍隊を語る上で、そして人間を語る上で、見ておかなければならない映画だと思う。

「真空地帯」監督・・・山本薩夫
製作=新星映画 配給=北星
1952.12.15公開 白黒 129分
制作・・・嵯峨善兵/岩崎昶
原作・・・野間宏
脚本・・・山形雄策
撮影・・・前田実
音楽・・・団伊玖磨
美術・・・川島泰三/平川透徹
録音・・・空閑昌敏
照明・・・伊藤一男
出演・・・木村功 利根はる恵 神田隆 加藤嘉 下元勉 西村晃 ほか
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山本嘉次郎「ハワイ・マレー沖海戦」●MOVIEレビュー
のっけから精神主義的な台詞のオンパレード
田舎町の清純な少年が、従弟に憧れて海軍兵学校に入り成長する姿を軸に描く戦意高揚映画。
笑ってしまう位に次から次へと精神主義的な台詞が繰り出され、頭がクラクラしてくる。
●重たいカバンも、気合があれば持てる。(←まぁ許せる。)
●暑くても水分摂取を我慢すれば、気合で汗はかかない体になる。(←死ぬって!)
●危険な滝つぼにも、気合があれば飛び込める(←そこで怪我しちゃ意味ねーだろ!)
と、冒頭の牧歌的な田舎の場面から「気合で」物事を解決しようとする日本型精神主義が
おだやかな語り口で強調される。ある意味突っ込みたくなる場面満載。
原節子が若いのに成熟しているつまらなさ。
映画ファンとして、この映画の見所といえば若き原節子の姿だろう。
主人公の姉として登場するのだが、若くてとても美しい。
しかしすでにあの独特の喋り方と微笑み方、演技スタイルは確立されていてつまらない。
すでに大物の風格なのだ。「ずっと変わらない人」だったんだなぁと驚いた。
彼女は、この賑々しい映画の中で「癒し」としての役割を担わされて頻繁に登場する。
故郷で弟の活躍を健気に祈り続ける清純な姉。その現実離れした美しさと紋切り型の演技は
食傷気味でもある。
年齢的にも青春スターとして伸び盛りの時期だっただろうに、大切な5年間を戦意高揚映画のヒロインとして「徴用」されてしまったのだ。もったいない。
人間の表面的な美しい部分しか表現することを許されないシナリオにおいては、役者の存在というのは単なるマシーンに成り下がってしまう。スターといえども国家の暴力の前ではこんなにも無力で小さな存在なのだ。
そういえば今でも「スペクタクル映画」と言われるものって、演技は「添え物」になっていて安っぽいのが定番だ。この映画はその
「元祖」だと思えばいいのかもしれない。
血が通っているようには思えない人物たち。
「加藤隼攻撃隊」を観た際にも感じたのだが、戦意高揚映画で演技部分を担当する役者たちは、どうしてこうも芝居が下手なのだろう。うまい役者はみんな徴用されてしまったのだろうか。それとも主体性のある役者は出演を拒否したのだろうか(それは難しい情勢だったとは思うが)。
登場人物すべての演技が紋切り型。真実味もなにもあったもんじゃない。
「戦時」という熱に浮かされた状態にいる観客たちには、これがリアルに感じられたのだろうか。それとも心の底では「こんなの嘘っぱちだ」という思いを抱えながらも口にはしなかっただけなのだろうか。
空での訓練や戦闘シーンのスペクタクルだけが、かろうじて映画としての体裁を保っている。円谷英二の技術の結晶だ。そこに凝った分、芝居部分にエネルギーが注げなかったのだろうか。
未曾有の大ヒット!真珠湾攻撃の成功を、イメージとして定着させてしまった。
この映画は大本営海軍報道部が企画し東宝が全力を傾け、
真珠湾攻撃一周年を記念して1942年に公開した。
まだ「勝った勝った」と国中が浮かれている時期でもあり、日本映画史上空前の大ヒットを記録した。(一説には観客動員一億人とも言われているが・・・それはないだろう。笑)
117分もある映画を見ていられたわけだから、まだ空襲の恐怖にもさらされていなかった頃。
当時の徹底した情報統制の下では、本土にいる人々が映像として戦争を視覚化できるのは映画だけ。 人々は「ひょっとしたら肉親の元気な姿が映っているかもしれない」という希望を抱いてニュース映画を観に出かけていたという。
そこで公開されたこの大スペクタクル。
その影響力・イメージとしての浸透力は計り知れないものだったろう。
政府の計略はまんまと成功し、国民は現実を知らされないまま、破滅へと突き進んだのである。
企画 ・・・ 大本営海軍報道部
製作責任・・・森田信義 平木政之助
演出・・・山本嘉次郎
製作主任・・・小田基義 藤原杉雄
演出助手・・・大岩弘明 毛利正樹 今藤茂樹
脚本・・・山崎謙太 山本嘉次郎
撮影・・・三村明 三浦光雄 鈴木博
音楽・・・鈴木静一
美術・・・松山宗 渡辺武 北猛夫
造形美術・・・奥野文四郎
調音・・・藤井慎一 樋口智久
効果・・・成田梅吉 河野秋和
照明・・・大沼正喜
編集・・・畑房雄
現像・・・西川悦二
後援・・・海軍省
出演・・・伊東薫 英百合子 原節子 加藤照子
中村彰 汐見洋 井上千枝子 大崎時一郎 音羽久米子 徳永文六 藤田進 河野秋武
大河内伝次郎 木村功 花沢徳衛 進藤英太郎 ほか
●DVD発売中
●ビデオ発売中
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笑ってしまう位に次から次へと精神主義的な台詞が繰り出され、頭がクラクラしてくる。
●重たいカバンも、気合があれば持てる。(←まぁ許せる。)
●暑くても水分摂取を我慢すれば、気合で汗はかかない体になる。(←死ぬって!)
●危険な滝つぼにも、気合があれば飛び込める(←そこで怪我しちゃ意味ねーだろ!)
と、冒頭の牧歌的な田舎の場面から「気合で」物事を解決しようとする日本型精神主義が
おだやかな語り口で強調される。ある意味突っ込みたくなる場面満載。
原節子が若いのに成熟しているつまらなさ。
映画ファンとして、この映画の見所といえば若き原節子の姿だろう。
主人公の姉として登場するのだが、若くてとても美しい。
しかしすでにあの独特の喋り方と微笑み方、演技スタイルは確立されていてつまらない。
すでに大物の風格なのだ。「ずっと変わらない人」だったんだなぁと驚いた。
彼女は、この賑々しい映画の中で「癒し」としての役割を担わされて頻繁に登場する。
故郷で弟の活躍を健気に祈り続ける清純な姉。その現実離れした美しさと紋切り型の演技は
食傷気味でもある。
年齢的にも青春スターとして伸び盛りの時期だっただろうに、大切な5年間を戦意高揚映画のヒロインとして「徴用」されてしまったのだ。もったいない。

そういえば今でも「スペクタクル映画」と言われるものって、演技は「添え物」になっていて安っぽいのが定番だ。この映画はその
「元祖」だと思えばいいのかもしれない。
血が通っているようには思えない人物たち。
「加藤隼攻撃隊」を観た際にも感じたのだが、戦意高揚映画で演技部分を担当する役者たちは、どうしてこうも芝居が下手なのだろう。うまい役者はみんな徴用されてしまったのだろうか。それとも主体性のある役者は出演を拒否したのだろうか(それは難しい情勢だったとは思うが)。
登場人物すべての演技が紋切り型。真実味もなにもあったもんじゃない。
「戦時」という熱に浮かされた状態にいる観客たちには、これがリアルに感じられたのだろうか。それとも心の底では「こんなの嘘っぱちだ」という思いを抱えながらも口にはしなかっただけなのだろうか。
空での訓練や戦闘シーンのスペクタクルだけが、かろうじて映画としての体裁を保っている。円谷英二の技術の結晶だ。そこに凝った分、芝居部分にエネルギーが注げなかったのだろうか。
未曾有の大ヒット!真珠湾攻撃の成功を、イメージとして定着させてしまった。

真珠湾攻撃一周年を記念して1942年に公開した。
まだ「勝った勝った」と国中が浮かれている時期でもあり、日本映画史上空前の大ヒットを記録した。(一説には観客動員一億人とも言われているが・・・それはないだろう。笑)
117分もある映画を見ていられたわけだから、まだ空襲の恐怖にもさらされていなかった頃。
当時の徹底した情報統制の下では、本土にいる人々が映像として戦争を視覚化できるのは映画だけ。 人々は「ひょっとしたら肉親の元気な姿が映っているかもしれない」という希望を抱いてニュース映画を観に出かけていたという。
そこで公開されたこの大スペクタクル。
その影響力・イメージとしての浸透力は計り知れないものだったろう。
政府の計略はまんまと成功し、国民は現実を知らされないまま、破滅へと突き進んだのである。
「ハワイ・マレー沖海戦」
製作=東宝映画 配給=映画配給社
1942.12.03公開 117分 白黒

製作責任・・・森田信義 平木政之助
演出・・・山本嘉次郎
製作主任・・・小田基義 藤原杉雄
演出助手・・・大岩弘明 毛利正樹 今藤茂樹
脚本・・・山崎謙太 山本嘉次郎
撮影・・・三村明 三浦光雄 鈴木博
音楽・・・鈴木静一
美術・・・松山宗 渡辺武 北猛夫
造形美術・・・奥野文四郎
調音・・・藤井慎一 樋口智久
効果・・・成田梅吉 河野秋和
照明・・・大沼正喜
編集・・・畑房雄
現像・・・西川悦二
後援・・・海軍省
出演・・・伊東薫 英百合子 原節子 加藤照子
中村彰 汐見洋 井上千枝子 大崎時一郎 音羽久米子 徳永文六 藤田進 河野秋武
大河内伝次郎 木村功 花沢徳衛 進藤英太郎 ほか
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山本嘉次郎「加藤隼戦闘隊」●MOVIEレビュー
戦意高揚映画は、2本立てで観るもんじゃない・・・。
8月になるとあちこちで戦争ものの特集が行われる。
池袋の新文芸座では「映画を通して戦争を語り継ぐ」と題して日替わりで戦争にまつわる映画の特集上映を開催中だ。
以前から見逃していた有名な「ハワイ・マレー沖海戦」が見たくて出かけたが、
とんでもない疲労感に襲われた。
ただでさえ、国民を洗脳しようという目的で作られた戦意高揚映画である。しかも各々びっちり2時間にわたって華々しく賑々しくジャンジャカジャンジャカとやかましく迫ってくるもんだから、見ているだけでもうヘトヘト。脳の吸収容量を超え、完全に思考停止してしまった。
こんな暑苦しいものを命令で見させられて「燃えたぎらされた」当時の人々の辛さを、ほんの少しだが味わった体験だった。
戦闘シーンは円谷英二の本領発揮。
黒澤明監督の「姿三四郎」で有名な藤田進が主演である「加藤隼戦闘隊」は、いよいよ戦局が厳しくなりつつあった1944年の公開。主人公の加藤建夫中佐がいかに明朗快活でたくましく素晴らしい人物であったか。実話をもとに彼の伝説を美化する映画。彼を慕い勇猛果敢に戦う兵隊たちの日々が、派手な空中戦闘シーンと交互に描かれる。
戦闘シーンは迫力十分。よくもまあ戦時中にこれだけの予算をかけて丁寧にしっかり作ったもんだと感心してしまう。アクション映画として見れば一見の価値あり。
戦後「ウルトラマンシリーズ」で名を馳せる円谷英二が特殊技術スタッフとして協力。他にも数多くの戦意高揚映画を手がけた彼は、戦後になって公職追放され、円谷特殊技術研究所を創ることになる。その後ゴジラやウルトラマンで活用される技術は、こうした現場で培ったものだったのだ。
落下傘の降下場面は映画史上の魔物。美しすぎて怖い。
戦闘場面で特に印象的なのが落下傘部隊の一斉降下。
何百人という兵隊が飛行機から、規則正し次々とく白い落下傘で降下する。青空一面に浮かぶ白い落下傘は、まるでタンポポの綿毛が飛ぶのをスローモーションで見ているかのよう。地上に降りたら敵との戦闘が待っているという厳しい現実を忘れさせてしまうほどだ。
実際の戦闘現場では、あれだけ呑気にふわふわと浮いていたら、敵の地上からの機銃掃射で打ち落とされてしまうのではなかろうか。この美しさは、はっきり言って罪である。
ナチスの命によりレニ・リーフェンシュタールが監督した「民族の祭典」に並ぶ、映画史上で特筆されるべき美的プロパガンダ場面だと言ってもいいだろう。
美しさとは人を幻惑し狂気に走らせる魔物である。このイメージは、どれだけの人々を狂気に走らせたのだろうか。
それにしても芝居がひどい。「やらされている感」ありあり。
戦闘場面の充実ぶりに反して、芝居の場面が恐ろしいくらいに冗長で下手。
軍隊調の格式ばった言葉がまったく板についていない俳優たちが無理やり喋らされているような感じで、不自然極まりない。見ていてむず痒くなってくる。
加藤中佐のあたたかい人柄を表現するべく冗談を言って笑いあう場面が多く出てくるのだが、全然面白いとは思えない。シナリオにそう書かれているから指示通りに
「はっはっは」と笑っているふりをしているようにしか見えないのだ。作り笑顔が引きつっていて痛々しい。
これは主演の藤田進にしても例外ではない。こんなに下手な役者だったっけと驚いてしまう位だ。
役者が納得できないものを無理やりやらされているものを見るほど辛いものはない。もしかして彼らは下手に演じることで、せめてもの抵抗をしたのだろうか?。その辺りはわからない。
しかもただ一面的に「清く正しく美しい」面のみをアピールするだけのシナリオだから、面白く演じられないのも無理はない。そんなことでは人間は描けないではないか。映画人としてのプライドはどこへ忘れてきてしまったのか。
ん?・・・そうか、思い出した。これは戦意高揚を目的とした映画。人間を描くということは最初から目的ではないのだ。国策を国民に刷り込みさえすれば役割を全うする種類のものなのである。
しかし、こんな低レベルな表現で本当に国民は「刷り込まれた」のだろうか・・・。
それとも「刷り込まれた」ふりをして、腹の底では嘲笑っていたのだろうか・・・。
複雑な気持ちで観ていた人も少なくはなかったんじゃないだろうか・・・そう思いたい。
不自然に作り上げられたファンタジーの世界。
主人公を演じる藤田進は常に男っぽく背筋を伸ばし、たくましさをアピールするように力んだ体の姿勢を崩さない。他の登場人物も総じてピシッとした体勢を維持して画面に登場する。
あんな状態で日常を過ごしていたら、無駄な体力を使いまくって疲れるだろうに・・・と同情したくなる。かなり浮世離れした光景だ。頭がおかしい人たちのようにも思えてくる。
本当に当時の男たちは日常からああだったのか?
・・・待てよ。また思い出した。これは政府が予算を援助して作らせた戦意高揚映画。
「男たるものこうであらねばならない」というモデル・ケースとしての表現であり、こういう国民を作り上げたいという政府のファンタジーを映像化したものなのだ。なるほど現実離れしていて当然である。
軍隊も徹底的に美しく表現。
軍隊では上官は下士官を「貴様」呼ばわりし、下士官は上官の命令には絶対服従。そうした生活を当たり前のように、まるで教科書のように美しく実践する登場人物たち。刃向かう者は一人も出てこない。なんと優秀で従順で素直な人たちなんだろう。
たまたまこの映画の主人公である加藤中佐は好人物だから美しい光景として成り立っているのだが、中には陰険な人や腹黒い人も上官になっていたことであろう。現実の軍隊ではもっと人間関係がドロドロしていて陰湿な世界であっただろうことは容易に想像がつく。
逆の見方をすると、こうしたファンタジーを必死で作り上げて鼓舞しなければ国民が動かないと思っていたこと自体、当時の大日本帝国政府の焦りと欺瞞を物語っているとは言えないだろうか。
1944年といえば戦局はすでに泥沼化。そろそろ本土空襲もはじまろうかという時にこんなものを真面目に作って、殉死した人物を英雄に祀り上げて賛美してしまえるそのセンス。
かなり病的なものだと言わざるを得ない。
「素直」ということのおそろしさ。
こういう軍隊ものを見ていて思い知らされるのが、
「素直」「従順」というものを美徳とする考え方の恐ろしさだ。軍隊というものは人間から「自主性・主体性」を奪い、機械の部品や歯車の一部であるかのように「素直に」働けるように改造するところ。当時の人々は健康な男子であるというだけで命令によって徴兵されたのだから、その時点ですでに個人の意思は無視される。入隊後も「天子さま(天皇)のご命令」である上官の命令には絶対服従。
だけど皆、あたりまえに「自我」を持った一人の人間であったはずである。どんなに辛かっただろうか。
いくら当時の皇民化教育が徹底していたからといって、そう簡単に自我を消し去れるほど、人間というものは脆いものなのだろうか。一面的に教育のせいにする言説もあるが、そう単純なことではなかったはずだ。少なくとも日本は「大正デモクラシー」を経験し、日露戦争の頃には堂々と反戦詩が流行したりもした。そうコロッと人は変われるものなのだろうか。
やっぱりわからない、この時代の「狂気」の実態。
どれだけこの時代の人々の書き記した書物や話を聞いても、これほど皆が病に冒されていた状況の実態が僕にはなかなか想像がつかないし共感も出来ない。
この時代の人々は、理不尽なことを無理やり自分に納得させるために虚勢を張っていたのではないかとしか思えないのだ。
虚勢も、張り続ければ本当のことになる。そうした個人の小さな思い込みや妥協の集積が積もり積もって、結果として集団としての盲目状態を作り出したのではないか?。
だから責任が見えにくいのである。いや、本当は皆に責任があったのではないだろうか。
これは現代の視点から見た考え方である。
あたりまえだ。僕は紛れもなく現代に生きる現代の人間だから。
当時の状況を体験していないから、「そうだったんですか・・・」と思うことは出来ても、共感など出来るはずがないのだ。出来たらそれは嘘である。
だからこそ逆に知りたいと思うし、考え続けて行きたい。
どうしてあんなことがかつて、この同じ土地の上で起こってしまったのかということを。
ちゃんと見つめなければ、簡単に繰り返されてしまうように思うから。
僕は今、こうしたことを自由に考えてブログに書ける時代に生きている。
ありがたいことだ。たっぷり享受して活用しようと思う。
そして、これは決して当たり前のことではなく、意識して守らなければ簡単に消え行く、儚いものであることを肝に銘じ続けようと思う。
簡単に「素直」になってはいけない。「当たり前」を常に疑い続けること。
そうでなければいつの間にか、貴重な才能がこうした映画に浪費される時代がまたやってきてしまう。
今のままでは案外簡単に、それはやってきてしまうだろうから。

監督・・・山本嘉次郎
脚本・・・山崎謙太 山本嘉次郎
撮影・・・三村明
音楽・・・鈴木静一
美術・・・松山宗
録音・・・樋口智久
照明・・・西川鶴三
特殊技術・・・・・円谷英二
出演・・・藤田進 黒川弥太郎 沼崎勲 中村彰
高田稔 大河内伝次郎 河野秋武 灰田勝彦
志村喬 ほか
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池袋の新文芸座では「映画を通して戦争を語り継ぐ」と題して日替わりで戦争にまつわる映画の特集上映を開催中だ。
以前から見逃していた有名な「ハワイ・マレー沖海戦」が見たくて出かけたが、
とんでもない疲労感に襲われた。
ただでさえ、国民を洗脳しようという目的で作られた戦意高揚映画である。しかも各々びっちり2時間にわたって華々しく賑々しくジャンジャカジャンジャカとやかましく迫ってくるもんだから、見ているだけでもうヘトヘト。脳の吸収容量を超え、完全に思考停止してしまった。
こんな暑苦しいものを命令で見させられて「燃えたぎらされた」当時の人々の辛さを、ほんの少しだが味わった体験だった。
戦闘シーンは円谷英二の本領発揮。

戦闘シーンは迫力十分。よくもまあ戦時中にこれだけの予算をかけて丁寧にしっかり作ったもんだと感心してしまう。アクション映画として見れば一見の価値あり。
戦後「ウルトラマンシリーズ」で名を馳せる円谷英二が特殊技術スタッフとして協力。他にも数多くの戦意高揚映画を手がけた彼は、戦後になって公職追放され、円谷特殊技術研究所を創ることになる。その後ゴジラやウルトラマンで活用される技術は、こうした現場で培ったものだったのだ。
落下傘の降下場面は映画史上の魔物。美しすぎて怖い。
戦闘場面で特に印象的なのが落下傘部隊の一斉降下。
何百人という兵隊が飛行機から、規則正し次々とく白い落下傘で降下する。青空一面に浮かぶ白い落下傘は、まるでタンポポの綿毛が飛ぶのをスローモーションで見ているかのよう。地上に降りたら敵との戦闘が待っているという厳しい現実を忘れさせてしまうほどだ。
実際の戦闘現場では、あれだけ呑気にふわふわと浮いていたら、敵の地上からの機銃掃射で打ち落とされてしまうのではなかろうか。この美しさは、はっきり言って罪である。
ナチスの命によりレニ・リーフェンシュタールが監督した「民族の祭典」に並ぶ、映画史上で特筆されるべき美的プロパガンダ場面だと言ってもいいだろう。
美しさとは人を幻惑し狂気に走らせる魔物である。このイメージは、どれだけの人々を狂気に走らせたのだろうか。
それにしても芝居がひどい。「やらされている感」ありあり。

軍隊調の格式ばった言葉がまったく板についていない俳優たちが無理やり喋らされているような感じで、不自然極まりない。見ていてむず痒くなってくる。
加藤中佐のあたたかい人柄を表現するべく冗談を言って笑いあう場面が多く出てくるのだが、全然面白いとは思えない。シナリオにそう書かれているから指示通りに
「はっはっは」と笑っているふりをしているようにしか見えないのだ。作り笑顔が引きつっていて痛々しい。
これは主演の藤田進にしても例外ではない。こんなに下手な役者だったっけと驚いてしまう位だ。
役者が納得できないものを無理やりやらされているものを見るほど辛いものはない。もしかして彼らは下手に演じることで、せめてもの抵抗をしたのだろうか?。その辺りはわからない。
しかもただ一面的に「清く正しく美しい」面のみをアピールするだけのシナリオだから、面白く演じられないのも無理はない。そんなことでは人間は描けないではないか。映画人としてのプライドはどこへ忘れてきてしまったのか。
ん?・・・そうか、思い出した。これは戦意高揚を目的とした映画。人間を描くということは最初から目的ではないのだ。国策を国民に刷り込みさえすれば役割を全うする種類のものなのである。
しかし、こんな低レベルな表現で本当に国民は「刷り込まれた」のだろうか・・・。
それとも「刷り込まれた」ふりをして、腹の底では嘲笑っていたのだろうか・・・。
複雑な気持ちで観ていた人も少なくはなかったんじゃないだろうか・・・そう思いたい。
不自然に作り上げられたファンタジーの世界。

あんな状態で日常を過ごしていたら、無駄な体力を使いまくって疲れるだろうに・・・と同情したくなる。かなり浮世離れした光景だ。頭がおかしい人たちのようにも思えてくる。
本当に当時の男たちは日常からああだったのか?
・・・待てよ。また思い出した。これは政府が予算を援助して作らせた戦意高揚映画。
「男たるものこうであらねばならない」というモデル・ケースとしての表現であり、こういう国民を作り上げたいという政府のファンタジーを映像化したものなのだ。なるほど現実離れしていて当然である。
軍隊も徹底的に美しく表現。
軍隊では上官は下士官を「貴様」呼ばわりし、下士官は上官の命令には絶対服従。そうした生活を当たり前のように、まるで教科書のように美しく実践する登場人物たち。刃向かう者は一人も出てこない。なんと優秀で従順で素直な人たちなんだろう。
たまたまこの映画の主人公である加藤中佐は好人物だから美しい光景として成り立っているのだが、中には陰険な人や腹黒い人も上官になっていたことであろう。現実の軍隊ではもっと人間関係がドロドロしていて陰湿な世界であっただろうことは容易に想像がつく。
逆の見方をすると、こうしたファンタジーを必死で作り上げて鼓舞しなければ国民が動かないと思っていたこと自体、当時の大日本帝国政府の焦りと欺瞞を物語っているとは言えないだろうか。
1944年といえば戦局はすでに泥沼化。そろそろ本土空襲もはじまろうかという時にこんなものを真面目に作って、殉死した人物を英雄に祀り上げて賛美してしまえるそのセンス。
かなり病的なものだと言わざるを得ない。
「素直」ということのおそろしさ。

「素直」「従順」というものを美徳とする考え方の恐ろしさだ。軍隊というものは人間から「自主性・主体性」を奪い、機械の部品や歯車の一部であるかのように「素直に」働けるように改造するところ。当時の人々は健康な男子であるというだけで命令によって徴兵されたのだから、その時点ですでに個人の意思は無視される。入隊後も「天子さま(天皇)のご命令」である上官の命令には絶対服従。
だけど皆、あたりまえに「自我」を持った一人の人間であったはずである。どんなに辛かっただろうか。
いくら当時の皇民化教育が徹底していたからといって、そう簡単に自我を消し去れるほど、人間というものは脆いものなのだろうか。一面的に教育のせいにする言説もあるが、そう単純なことではなかったはずだ。少なくとも日本は「大正デモクラシー」を経験し、日露戦争の頃には堂々と反戦詩が流行したりもした。そうコロッと人は変われるものなのだろうか。
やっぱりわからない、この時代の「狂気」の実態。
どれだけこの時代の人々の書き記した書物や話を聞いても、これほど皆が病に冒されていた状況の実態が僕にはなかなか想像がつかないし共感も出来ない。
この時代の人々は、理不尽なことを無理やり自分に納得させるために虚勢を張っていたのではないかとしか思えないのだ。
虚勢も、張り続ければ本当のことになる。そうした個人の小さな思い込みや妥協の集積が積もり積もって、結果として集団としての盲目状態を作り出したのではないか?。
だから責任が見えにくいのである。いや、本当は皆に責任があったのではないだろうか。
これは現代の視点から見た考え方である。
あたりまえだ。僕は紛れもなく現代に生きる現代の人間だから。
当時の状況を体験していないから、「そうだったんですか・・・」と思うことは出来ても、共感など出来るはずがないのだ。出来たらそれは嘘である。
だからこそ逆に知りたいと思うし、考え続けて行きたい。
どうしてあんなことがかつて、この同じ土地の上で起こってしまったのかということを。
ちゃんと見つめなければ、簡単に繰り返されてしまうように思うから。
僕は今、こうしたことを自由に考えてブログに書ける時代に生きている。
ありがたいことだ。たっぷり享受して活用しようと思う。
そして、これは決して当たり前のことではなく、意識して守らなければ簡単に消え行く、儚いものであることを肝に銘じ続けようと思う。
簡単に「素直」になってはいけない。「当たり前」を常に疑い続けること。
そうでなければいつの間にか、貴重な才能がこうした映画に浪費される時代がまたやってきてしまう。
今のままでは案外簡単に、それはやってきてしまうだろうから。

「加藤隼戦闘隊」製作・・・村治夫
製作=東宝
1944.03.09公開 111分 白黒
監督・・・山本嘉次郎
脚本・・・山崎謙太 山本嘉次郎
撮影・・・三村明
音楽・・・鈴木静一
美術・・・松山宗
録音・・・樋口智久
照明・・・西川鶴三
特殊技術・・・・・円谷英二
出演・・・藤田進 黒川弥太郎 沼崎勲 中村彰
高田稔 大河内伝次郎 河野秋武 灰田勝彦
志村喬 ほか
●DVD発売中
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千葉泰樹「姿なき敵」●『発掘された映画たち』MOVIEレビュー
NHKの協力のもと、こんなトンデモ映画が作られていた。
「放送決死隊」と呼ばれる人たちがいた。
アジアの「敵」に向けて、さらにはこれから日本が攻め入ろうとするアジアの国々の人たちに対して、東京のNHKから様々な国の言葉で大日本帝国の主張をラジオでプロパガンダ放送していたのだ。
扱う言語はかなりの数。それぞれにアナウンサーがいて言語別に電波を振り分けていたらしい。
この映画では、寝食を忘れてアナウンサー業務に打ち込む日本人の男と、献身的に支える妻の姿を中心に描く。
1945年に公開されたのだが、戦局が悪化する中でどれだけ上映され、どれほどの効果があったのだろうか。一家の大黒柱は戦争に取られ、日々の暮らしに追われている一般の人々にとってはプロパガンダ映画を見ている場合ではなかっただろうに。そんな中でも美男俳優、美人女優を使って豪華にこんな映画をつくってしまうのだから、NHKというのは昔も今も、とことんわけのわからない組織である。
きっと大して上映もされずにお蔵入りし、最近やっと発掘されたのである。
なんという壮大な無駄だろう。
そもそも「放送決死隊」って・・・役に立ったの?
人は自分に都合のよいものを本能的に求めるし、自分に有益な情報を選択して摂取するものだ。
特に戦時中に「熱く」なっている時にわざわざ敵国のプロパガンダに耳を傾ける人などいるのだろうか。数あるラジオ放送の中でたまたま耳にしたとしても、ムカつくだけだからすぐダイヤルをひねってしまうだろうに。
・・・そんな疑問を感じながら、僕はこの映画を見た。
もし効果がないのだとすると「放送決死隊」自体、単なる自己満足ではないか。
いくら「メディア戦争」が活発化していたとは言え、当時の日本軍の自己中心的な主張がどれだけの人の心を「改心」させ得たのだろうか?。精神的な鎖国状態にあった国内の人々は騙せても、もっと健全なメディアが発達している海外の人々までは騙せないだろう。日本がいかに世界情勢に疎く閉塞状況に陥っていたのかを物語る、象徴的なエピソードではある。
しかしこの映画に出てくる「決死隊」の面々は、まるで貧しい者達に布教して歩く宣教師でもあるかのような情熱に燃え、まっすぐに純真な瞳を輝かせて美しく仕事に燃えている。そして、ことさらに恵まれた贅沢な環境で放送が行われていることが強調されるのだ。
例えば、放送で流れるBGMはなんと生演奏。スタジオの中に50人のオーケストラを編成し、華麗な音楽に乗せてアナウンサーが原稿を読む。
・・・いくらなんでも現実離れのしすぎではなかろうか。
おそらく戦争捕虜である外国人が多数出演させられている。
この映画にはたくさんの西洋人やアジアの人々が俳優として登場するのだが、1945年という時期から考えると、彼らは「戦争捕虜」なのではないかとも推測される。
なぜなら彼らの演技はたどたどしく素人っぽい。映画慣れしていない。無理に出演させられているという気配が濃厚なのだ。
映像は、俳優の内面までも定着させる恐ろしいものでもある。観客としてその気配を感じた途端、この映画が表層的に装っているスタイルの格好よさや明るさが、すべて空々しいものに変貌して感じられるのだから皮肉なものである。
しかし、これだけのものを作ることが出来る当時の日本映画界の人材・技術が、こんな形で浪費されてしまったのかと思うともったいない。海の向こうではディズニーは「ファンタジア」を作り、チャップリンは「独裁者」を作っていたのである。その時点ですでに負けている。
アジアを解放しに出かける主人公
主人公は英語放送を担当するハンサムな日本人男性。常にダンディーな背広で髪型をビシッと決め、婦人も美しく申し分のない暮らし。戦況の変化で仕事は忙しくなり睡眠もままならない主人公。しかしこの俳優が演じていると苦労が苦労に感じられないという難点あり。ある意味、浮世離れした味わいを醸し出すことには成功しているのだが(笑)。
彼は東京の放送局でインド人のアナウンサーとお友達。そのインド・アナウンサーは祖国の解放に従事するため帰国することになる。盛大に送り出す「放送決死隊」の面々(ホントかよ。)
やがて主人公はアジアの「解放戦争」の現場を取材するため戦場へ赴く。従軍しながら爆弾が飛び交う中で生々しい戦況をリポートする彼。東京で心配そうに彼を思う妻。リポートの成果を喜ぶ同僚たち。この戦場シーンのセットが安っぽく、戦場なのに牧歌的なのがかなり笑えた。
そしてインドで活躍中のインド・アナウンサーと再会し、互いの活躍を喜び合う。
日本がいかに現地で歓迎され、人々の生活向上に役立っているのかを美しく描き出すための物語展開。それが、あまりにも無邪気に明るいトーンで順調に展開するからある意味スゴイ。
プロパガンダさえすれば人心は塗り替えられると考える傲慢さ
この映画全体から受ける印象は、とにかく明るく無邪気だということ。
当時の最先端メディアであるラジオの格好よさと、それを武器として活用し、いかに「お国のために」役立っているかをアピールしたかったNHKの企みを裏にはらんだ無邪気さ。主人公たちの清潔感・清涼感がかえって不気味だ。
一方的に放送を流しさえすれば人心は塗り替えられると盲目的に信じてしまうことの、なんと浅はかなことだろう。ジャーナリズム魂を簡単に捨て、大本営発表を無批判に垂れ流していた当時のNHKの姿勢は、こうした「浅はかさ」から来ているのだと確認した。その姿勢が結果的に国内においては大いなる効果をもたらし、国民を破滅へと導くのに多大なる貢献を果したことを考えると恐ろしい。
浅はかさというのは、大衆蔑視という「傲慢さ」から来ているのだということを忘れてはならないだろう。今でもNHKやマスコミがはらむ構造的な本質に、この浅はかさは潜んでいるように思えてならない。
傲慢な方々の浅はかな戦略に乗っからないように鋭くあるためにも、プロパガンダ映画を見てその傾向を分析することはとても意味のあることである。
現代のマスメディアとの共通点も見つけられて、かなり笑えること請け合い(笑)。
そしてなによりも、そんな風に笑えるということにまず感謝せねばならないことに気がついた。

原作・・・並木亮
脚本・・・小川記正
撮影・・・秋野栄久
美術・・・高橋康一
録音・・・横田昌久
出演・・・宇佐美淳、佐伯秀男、山本冬郷、北龍二、見明凡太朗、大井正夫、花布辰男、隅田一男、石黒達也、岩村英子、平井岐代子、村田知英子
・・・太平洋戦争下、アジア各地で対敵プロパガンダ放送に従事した「放送決死隊」の活躍を描いたもので、メディア戦争の系譜を知る上で貴重な作品。日本放送協会(NHK)の協力のもとに製作された。主人公がラジオ放送によって反日運動に参加している中国人を説得するシーンの一部が欠落しているが、話の流れをつかむことは可能である。(National Film Center Webより)
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☆記事中の画像は、映画とは直接関係はありません。

アジアの「敵」に向けて、さらにはこれから日本が攻め入ろうとするアジアの国々の人たちに対して、東京のNHKから様々な国の言葉で大日本帝国の主張をラジオでプロパガンダ放送していたのだ。
扱う言語はかなりの数。それぞれにアナウンサーがいて言語別に電波を振り分けていたらしい。
この映画では、寝食を忘れてアナウンサー業務に打ち込む日本人の男と、献身的に支える妻の姿を中心に描く。
1945年に公開されたのだが、戦局が悪化する中でどれだけ上映され、どれほどの効果があったのだろうか。一家の大黒柱は戦争に取られ、日々の暮らしに追われている一般の人々にとってはプロパガンダ映画を見ている場合ではなかっただろうに。そんな中でも美男俳優、美人女優を使って豪華にこんな映画をつくってしまうのだから、NHKというのは昔も今も、とことんわけのわからない組織である。
きっと大して上映もされずにお蔵入りし、最近やっと発掘されたのである。
なんという壮大な無駄だろう。
そもそも「放送決死隊」って・・・役に立ったの?

特に戦時中に「熱く」なっている時にわざわざ敵国のプロパガンダに耳を傾ける人などいるのだろうか。数あるラジオ放送の中でたまたま耳にしたとしても、ムカつくだけだからすぐダイヤルをひねってしまうだろうに。
・・・そんな疑問を感じながら、僕はこの映画を見た。
もし効果がないのだとすると「放送決死隊」自体、単なる自己満足ではないか。
いくら「メディア戦争」が活発化していたとは言え、当時の日本軍の自己中心的な主張がどれだけの人の心を「改心」させ得たのだろうか?。精神的な鎖国状態にあった国内の人々は騙せても、もっと健全なメディアが発達している海外の人々までは騙せないだろう。日本がいかに世界情勢に疎く閉塞状況に陥っていたのかを物語る、象徴的なエピソードではある。
しかしこの映画に出てくる「決死隊」の面々は、まるで貧しい者達に布教して歩く宣教師でもあるかのような情熱に燃え、まっすぐに純真な瞳を輝かせて美しく仕事に燃えている。そして、ことさらに恵まれた贅沢な環境で放送が行われていることが強調されるのだ。
例えば、放送で流れるBGMはなんと生演奏。スタジオの中に50人のオーケストラを編成し、華麗な音楽に乗せてアナウンサーが原稿を読む。
・・・いくらなんでも現実離れのしすぎではなかろうか。
おそらく戦争捕虜である外国人が多数出演させられている。
この映画にはたくさんの西洋人やアジアの人々が俳優として登場するのだが、1945年という時期から考えると、彼らは「戦争捕虜」なのではないかとも推測される。
なぜなら彼らの演技はたどたどしく素人っぽい。映画慣れしていない。無理に出演させられているという気配が濃厚なのだ。
映像は、俳優の内面までも定着させる恐ろしいものでもある。観客としてその気配を感じた途端、この映画が表層的に装っているスタイルの格好よさや明るさが、すべて空々しいものに変貌して感じられるのだから皮肉なものである。
しかし、これだけのものを作ることが出来る当時の日本映画界の人材・技術が、こんな形で浪費されてしまったのかと思うともったいない。海の向こうではディズニーは「ファンタジア」を作り、チャップリンは「独裁者」を作っていたのである。その時点ですでに負けている。
アジアを解放しに出かける主人公

彼は東京の放送局でインド人のアナウンサーとお友達。そのインド・アナウンサーは祖国の解放に従事するため帰国することになる。盛大に送り出す「放送決死隊」の面々(ホントかよ。)
やがて主人公はアジアの「解放戦争」の現場を取材するため戦場へ赴く。従軍しながら爆弾が飛び交う中で生々しい戦況をリポートする彼。東京で心配そうに彼を思う妻。リポートの成果を喜ぶ同僚たち。この戦場シーンのセットが安っぽく、戦場なのに牧歌的なのがかなり笑えた。
そしてインドで活躍中のインド・アナウンサーと再会し、互いの活躍を喜び合う。
日本がいかに現地で歓迎され、人々の生活向上に役立っているのかを美しく描き出すための物語展開。それが、あまりにも無邪気に明るいトーンで順調に展開するからある意味スゴイ。
プロパガンダさえすれば人心は塗り替えられると考える傲慢さ

当時の最先端メディアであるラジオの格好よさと、それを武器として活用し、いかに「お国のために」役立っているかをアピールしたかったNHKの企みを裏にはらんだ無邪気さ。主人公たちの清潔感・清涼感がかえって不気味だ。
一方的に放送を流しさえすれば人心は塗り替えられると盲目的に信じてしまうことの、なんと浅はかなことだろう。ジャーナリズム魂を簡単に捨て、大本営発表を無批判に垂れ流していた当時のNHKの姿勢は、こうした「浅はかさ」から来ているのだと確認した。その姿勢が結果的に国内においては大いなる効果をもたらし、国民を破滅へと導くのに多大なる貢献を果したことを考えると恐ろしい。
浅はかさというのは、大衆蔑視という「傲慢さ」から来ているのだということを忘れてはならないだろう。今でもNHKやマスコミがはらむ構造的な本質に、この浅はかさは潜んでいるように思えてならない。
傲慢な方々の浅はかな戦略に乗っからないように鋭くあるためにも、プロパガンダ映画を見てその傾向を分析することはとても意味のあることである。
現代のマスメディアとの共通点も見つけられて、かなり笑えること請け合い(笑)。
そしてなによりも、そんな風に笑えるということにまず感謝せねばならないことに気がついた。

「姿なき敵」監督・・・千葉泰樹
52分・35mm・白黒・不完全
1945年 大映東京
原作・・・並木亮
脚本・・・小川記正
撮影・・・秋野栄久
美術・・・高橋康一
録音・・・横田昌久
出演・・・宇佐美淳、佐伯秀男、山本冬郷、北龍二、見明凡太朗、大井正夫、花布辰男、隅田一男、石黒達也、岩村英子、平井岐代子、村田知英子
・・・太平洋戦争下、アジア各地で対敵プロパガンダ放送に従事した「放送決死隊」の活躍を描いたもので、メディア戦争の系譜を知る上で貴重な作品。日本放送協会(NHK)の協力のもとに製作された。主人公がラジオ放送によって反日運動に参加している中国人を説得するシーンの一部が欠落しているが、話の流れをつかむことは可能である。(National Film Center Webより)
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市川哲夫「別離傷心」●『発掘された映画たち』 MOVIEレビュー
京橋のフィルムセンターで開催中の「発掘された映画たち」では、戦時中に日本政府の命令により制作された、戦意高揚プロパガンダ映画も数多く上映されている。
やはり日本人たるもの、60年前に自分の国が何をやっていたのか知っておく必要があるだろう。今日は、ロシアのゴスフィルモフォンドが収蔵していたという1941年(昭和16年)の映画を見に行った。
日本軍と中国人との「心の交流」をプロパガンダ
そもそも「プロパガンダ映画」とは、国民を政府の都合の良い方向へ仕向けるために、政府が号令をかけて作らせるものである。人々が最初から自然にそう振る舞っているのだったら、最初からプロパガンダ映画など作る必要はない。
この映画が作られた1941年といえば、
12月8日に日本軍が真珠湾攻撃を行いアメリカと戦争を開始した年。
すでに1931年から中国大陸やアジアへの進軍は大規模に行われていたので、時はまさしく戦時中である。この映画は政府が国民に、中国大陸に日本軍が進軍することの「正当性」を喧伝するために制作されたものだ。
主人公は中国人女性。彼女の町に日本軍がやってきて駐屯をはじめる。
中国の人たちは執拗に抵抗するが、やがて日本軍と人間的な交流が始まり、次第に打ち解け合い始める。主人公は最後まで抵抗を続けるのだが、ついには心を開き、日本軍を尊敬するようになる・・・というのが大まかなストーリー。
スタジオセットやロケ撮影など、かなり予算をかけて丁寧に制作されている。
あたりまえのように日本語を話す中国の人たち・・・
この映画でまずおかしいのが、中国の人たちが日本語を、まるで「ネイティブ・スピーカー」のように流暢に話すことだ。まずはそこに違和感を覚える。
日本人俳優を使って日本の撮影所で撮影されたらしいので無理もないのだが・・・。
実際の戦場ではもちろん日本軍と中国の人たちの言葉は通じなかっただろうし、抵抗運動も激しく血で血を洗う悲惨な光景が繰り広げられただろう。
そもそも抵抗運動を行う人たちが日本語を進んで使うはずがないのだ。現実の血生臭さに蓋をしたまま、映画はあくまでも綺麗に格好よく、きちっとした身なりの日本軍が順調に町を支配して行く。
当時の観客はこの点について疑問を持たずに見ていたのだろうか。今とは違ってテレビはなく、情報といえば新聞やラジオからの大本営発表のみ。「映像」という形で人のイメージに直接働きかけるものは、映画しかなかった時代である。やはり素直に、見てしまっていたのだろうか。
軍規を乱す者は日本の兵士でも射殺する→尊敬される。
全般を通して単純に美しいエピソードに終始するのかと思いきや、意外にも日本軍の苦戦ぶりが描かれたり、日本兵の中にも悪い奴を登場させて波乱が巻き起こる。
なるほど現実というものはそうは簡単に運ぶものではない。プロパガンダ映画といえどもリアリティーは必要だ。
主人公の中国人女性は美しい日本の女優が演じる。彼女はとても魅力的な美しいチャイナドレスを着こなしていて、色気満点である。(←これ自体、おかしいいのだが・・・笑)。
ある時草むらで、若い日本兵士と二人っきりになったとき、兵士が欲情して彼女を強姦しようとする。彼女は必死で逃げるがあわや・・・というときに、上官が見つけて兵士は射殺される。
「軍規を乱す者は日本人といえども殺されて当然」という観客への教育効果と共に、中国の人から尊敬されるようになるその後の展開に信憑性を持たせる、よくできたエピソードだ。
・・・実際に現地で「権力」を握った兵士たちがどう振る舞っていたのかはわからない。この映画ではあくまでも軍の規律と理性を忠実に保ち続ける日本兵の姿を観客の脳裏に焼き付ける。
ついには日本軍を応援するようになる中国の人々
物語のクライマックス。別の町から中国人ゲリラの攻撃を受けて日本軍がピンチに陥る。
主人公を含む町の中国の人たちは安全な場所に集められ待機しながら、戦ってくれている日本軍の一人一人のことを心配する。普段日本語を教えてくれる日本兵、われわれを守ってくれている日本兵が危険にさらされながらも命を賭けて町を守ってくれている。・・・彼らは感謝の気持ちでいっぱい。すでに町の人たちは「皇民化」されているのだ。
そしてついには、頑なだった主人公の女性の心も日本軍の虜になって行く・・・。
「別離傷心」というタイトルからして、その後きっとこの女性は日本人将校に恋をして、やがては別れるという展開になるのだろうが、残念ながらフィルムは中途半端にここで終わる。後半部分はいまだに行方不明なのだろう。
「良いこと」ばかりではなく「悪いこと」も含めて描くプロパガンダ映画。
逆境を乗り越え、軍規のためなら自己犠牲をもいとわない大和魂の尊さを強調する。
しかし、この物語が語るヒーロー像に魅せられて、どれだけの若者が戦地へ夢を持って旅立ったのだろう。どれだけの母親が、息子の戦地での活躍を思い、涙を流したことだろう。
人間心理を巧妙に計算した、じつによく出来たプロパガンダ映画だ。
戦時中の日本映画。もっと見られるべき。
こうした映画界の「負の遺産」が、つい最近までロシアで眠っていたということ自体が驚きである。本来ならばこうしたものこそ自分たちで保存して、戒めのためにも繰り返し見ておくべきである。後世のわれわれが道を誤りそうになった時の抑止力として、もっと活用されるべきだ。
イデオロギーから自由になった今、われわれの世代だからこそ出来ること。
僕は1973年生まれである。敗戦から28年目に生まれた。
父は8歳の時に、当時「満州」と呼ばれていた中国東北部の「ハルピン」で生まれた。
母は敗戦5日後に、釜山で生まれた。両親とも、いわゆる「大陸からの引揚げ者」である。
僕は幼い頃から両親のそうした体験を聞かされて育ったため、「あの戦争」を身近に感じることができる。しかし同世代の多くはそうではないことも知っている。
祖父の世代が行っていたこと。
それに反発して否定するエネルギーに燃えた、両親の世代。
そのどちらでもない僕の世代。
僕らの世代は戦争を体験していない。そして親の世代ほどの反抗心もない。生まれたときから平和を享受してきた。だからこそ感情的にならずに、冷静に歴史を見つめることが出来る。それが僕らの世代の特権なのだ。
ある特定のイデオロギーによる「色眼鏡」で見ないように。
残された記録や記憶に触れ、あくまでも素直にみつめること。
そこから謙虚に学び、未来を考えること。
・・・僕らの世代だからこそ、やっと「冷静に」 出来るようになった。
やっと、これからなのだ。
原作・・・伊地知進
脚本・・・岡田豊
撮影・・・山崎安一朗
録音・・・飯田景応
出演・・・山田耕子、永田靖、水島道太郎、鳴海浄、井東日出夫、大町文夫、小峰千代子
・・・中国大陸の村落を支配する日本軍人と村民の“心の交流”を描いた戦時下のプロパガンダ映画。日本人に敵意を抱いて反日ゲリラに協力する中国人女性が、日本軍人の”温情“に触れて徐々に日本軍を受け入れてゆく。監督の市川哲夫は女優市川春代の弟。原作の伊地知進は第12回直木賞候補に選ばれた文学者で、翌1942年には『将軍と参謀と兵』を書いて映画史に名を刻んだ。(National Film Center Webより)
●この映画は8/11(木)15:00からも上映されます。
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やはり日本人たるもの、60年前に自分の国が何をやっていたのか知っておく必要があるだろう。今日は、ロシアのゴスフィルモフォンドが収蔵していたという1941年(昭和16年)の映画を見に行った。
日本軍と中国人との「心の交流」をプロパガンダ

この映画が作られた1941年といえば、
12月8日に日本軍が真珠湾攻撃を行いアメリカと戦争を開始した年。
すでに1931年から中国大陸やアジアへの進軍は大規模に行われていたので、時はまさしく戦時中である。この映画は政府が国民に、中国大陸に日本軍が進軍することの「正当性」を喧伝するために制作されたものだ。
主人公は中国人女性。彼女の町に日本軍がやってきて駐屯をはじめる。
中国の人たちは執拗に抵抗するが、やがて日本軍と人間的な交流が始まり、次第に打ち解け合い始める。主人公は最後まで抵抗を続けるのだが、ついには心を開き、日本軍を尊敬するようになる・・・というのが大まかなストーリー。
スタジオセットやロケ撮影など、かなり予算をかけて丁寧に制作されている。
あたりまえのように日本語を話す中国の人たち・・・

日本人俳優を使って日本の撮影所で撮影されたらしいので無理もないのだが・・・。
実際の戦場ではもちろん日本軍と中国の人たちの言葉は通じなかっただろうし、抵抗運動も激しく血で血を洗う悲惨な光景が繰り広げられただろう。
そもそも抵抗運動を行う人たちが日本語を進んで使うはずがないのだ。現実の血生臭さに蓋をしたまま、映画はあくまでも綺麗に格好よく、きちっとした身なりの日本軍が順調に町を支配して行く。
当時の観客はこの点について疑問を持たずに見ていたのだろうか。今とは違ってテレビはなく、情報といえば新聞やラジオからの大本営発表のみ。「映像」という形で人のイメージに直接働きかけるものは、映画しかなかった時代である。やはり素直に、見てしまっていたのだろうか。
軍規を乱す者は日本の兵士でも射殺する→尊敬される。

なるほど現実というものはそうは簡単に運ぶものではない。プロパガンダ映画といえどもリアリティーは必要だ。
主人公の中国人女性は美しい日本の女優が演じる。彼女はとても魅力的な美しいチャイナドレスを着こなしていて、色気満点である。(←これ自体、おかしいいのだが・・・笑)。
ある時草むらで、若い日本兵士と二人っきりになったとき、兵士が欲情して彼女を強姦しようとする。彼女は必死で逃げるがあわや・・・というときに、上官が見つけて兵士は射殺される。
「軍規を乱す者は日本人といえども殺されて当然」という観客への教育効果と共に、中国の人から尊敬されるようになるその後の展開に信憑性を持たせる、よくできたエピソードだ。
・・・実際に現地で「権力」を握った兵士たちがどう振る舞っていたのかはわからない。この映画ではあくまでも軍の規律と理性を忠実に保ち続ける日本兵の姿を観客の脳裏に焼き付ける。
ついには日本軍を応援するようになる中国の人々
物語のクライマックス。別の町から中国人ゲリラの攻撃を受けて日本軍がピンチに陥る。
主人公を含む町の中国の人たちは安全な場所に集められ待機しながら、戦ってくれている日本軍の一人一人のことを心配する。普段日本語を教えてくれる日本兵、われわれを守ってくれている日本兵が危険にさらされながらも命を賭けて町を守ってくれている。・・・彼らは感謝の気持ちでいっぱい。すでに町の人たちは「皇民化」されているのだ。
そしてついには、頑なだった主人公の女性の心も日本軍の虜になって行く・・・。
「別離傷心」というタイトルからして、その後きっとこの女性は日本人将校に恋をして、やがては別れるという展開になるのだろうが、残念ながらフィルムは中途半端にここで終わる。後半部分はいまだに行方不明なのだろう。
「良いこと」ばかりではなく「悪いこと」も含めて描くプロパガンダ映画。
逆境を乗り越え、軍規のためなら自己犠牲をもいとわない大和魂の尊さを強調する。
しかし、この物語が語るヒーロー像に魅せられて、どれだけの若者が戦地へ夢を持って旅立ったのだろう。どれだけの母親が、息子の戦地での活躍を思い、涙を流したことだろう。
人間心理を巧妙に計算した、じつによく出来たプロパガンダ映画だ。
戦時中の日本映画。もっと見られるべき。
こうした映画界の「負の遺産」が、つい最近までロシアで眠っていたということ自体が驚きである。本来ならばこうしたものこそ自分たちで保存して、戒めのためにも繰り返し見ておくべきである。後世のわれわれが道を誤りそうになった時の抑止力として、もっと活用されるべきだ。
イデオロギーから自由になった今、われわれの世代だからこそ出来ること。

父は8歳の時に、当時「満州」と呼ばれていた中国東北部の「ハルピン」で生まれた。
母は敗戦5日後に、釜山で生まれた。両親とも、いわゆる「大陸からの引揚げ者」である。
僕は幼い頃から両親のそうした体験を聞かされて育ったため、「あの戦争」を身近に感じることができる。しかし同世代の多くはそうではないことも知っている。
祖父の世代が行っていたこと。
それに反発して否定するエネルギーに燃えた、両親の世代。
そのどちらでもない僕の世代。
僕らの世代は戦争を体験していない。そして親の世代ほどの反抗心もない。生まれたときから平和を享受してきた。だからこそ感情的にならずに、冷静に歴史を見つめることが出来る。それが僕らの世代の特権なのだ。
ある特定のイデオロギーによる「色眼鏡」で見ないように。
残された記録や記憶に触れ、あくまでも素直にみつめること。
そこから謙虚に学び、未来を考えること。
・・・僕らの世代だからこそ、やっと「冷静に」 出来るようになった。
やっと、これからなのだ。

「別離傷心」監督・・・市川哲夫
46分・35mm・白黒・不完全
1941年 日活多摩川
原作・・・伊地知進
脚本・・・岡田豊
撮影・・・山崎安一朗
録音・・・飯田景応
出演・・・山田耕子、永田靖、水島道太郎、鳴海浄、井東日出夫、大町文夫、小峰千代子
・・・中国大陸の村落を支配する日本軍人と村民の“心の交流”を描いた戦時下のプロパガンダ映画。日本人に敵意を抱いて反日ゲリラに協力する中国人女性が、日本軍人の”温情“に触れて徐々に日本軍を受け入れてゆく。監督の市川哲夫は女優市川春代の弟。原作の伊地知進は第12回直木賞候補に選ばれた文学者で、翌1942年には『将軍と参謀と兵』を書いて映画史に名を刻んだ。(National Film Center Webより)
●この映画は8/11(木)15:00からも上映されます。
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「関東大震災実況」●『発掘された映画たち』 MOVIEレビュー
東京の近未来の姿か
フィルムセンターで、「発掘された映画たち2005」という特集上映がはじまった。
その第一回。8本の古い短篇記録映画の中でやはり衝撃的だったのは「関東大震災実況」。
震災直後の混乱する人々や潰滅した東京の姿がモノクロフィルムに刻印されていた。
着の身着のままで焼け出された人々が、大通りで唖然としている様子。家財道具を持ってそそくさと非難する若者。疲れきった子どもを背負う父親。みんな必死だ。
今まで「言葉として」あるいは「写真として」しか知らなかった震災直後の様子が、動く映像として生々しく目の前に出現する衝撃。
特に、フィルムセンターのある「京橋・銀座」の姿が映った時には慄然とした。完全に潰滅し、焼け野原。原爆映画の広島の焼け野原みたいだ。賑やかに軒を連ねていたであろう商店は崩壊し、瓦礫の山である。今まさに映画を観ているその場所でかつて、たしかにあった光景なのだ。
信じたくない。
そろそろ起こるかもしれない東京での大震災。・・・78年前の映像が、一瞬「近い将来」とダブって見えた。
燃えつづける浅草の十二階。隅田川沿岸の様子。
しかし・・・このカメラマンはとても行動的である。短期間に東京のあちこちで惨状を撮影して廻っている。交通機関も寸断されている中を移動するだけでも大変だっただろうに。
特に浅草ではまだ街が燃えている様子を撮影している。
当時の繁栄のシンボルだった「浅草十二階」の内部は完全に崩れ去り、外壁の骨組みだけを残してあとは崩れ去ろうとしている。その映像からは「絶望」という言葉しか連想されない。非常に象徴的で物悲しい光景だった。地震の時に中にいた人はひとたまりもなかっただろう。周囲の繁華街も見る影がなく崩れ去っている。
・・・人間の営みなんて、儚いものなんだなあ。
隅田川沿岸の被害の様子を、船上から撮影してもいる。
無残に崩れ去った橋。川面に浮かぶ死体。
しかしそんな中でも生き残った人々はたくましい。小船を連ねて板を渡し、急ごしらえの橋を作って往来している。町のあちこちでも、瓦礫の中で洗濯物をしていたり臨時のポストを作ったり、すでに日常生活が芽生えはじめている。
生き残った者は生きなければならぬ。悲しんでいる場合じゃないのだ。
死体の山。
本所・深川地区の壊滅状態は、まさに地獄絵図。
ほかの地域に比べてあきらかに建物の破壊度が高い。もともと地盤が弱く木造住宅がひしめき合っていたから大火災が起こり、すべて焼き尽くされてしまったのだ。
最も悲惨な被害が生じたことで有名な「本所被服廠跡」も撮影されていた。
3万人もの黒焦げ死体の山。
必死で逃げて広場に集まったものの、熱風が吹いてそこにいた人々の全員が焼き尽くされてしまったのだ。まるで、ナチスの強制収容所に積み重なる死体の山を撮影した記録映画のような光景。
さすがにカメラマンはアップでは撮れなかったのだろう。
風景を遠景で映しとるように全体像を捉えた画面。モノクロで不鮮明なのがせめてもの救いである。見渡す限りのすべてが死体・・・。なにしろ3万人だ。
個人の意志とか思いとか、愛する者への愛情とか、そういったものでいっぱいだったかけがえのない人生が、こんなにもたくさん、しかも同時に焼かれたのか。
当時の人々の生態を映像で見ると、とても親近感が湧く。それだけに、動かない死体の山の衝撃は胸に応えた。
・・・映像をただ見つめるしかない。言葉が出ない。そんな光景。
関東大震災の「負の歴史」
あちこちの公共施設が急ごしらえの死体安置所になっていて、割烹着姿の奥さんや子ども達が不安そうな顔で集まっている姿も登場する。
白い布にくるまれて地面に並べられた死体。それを整理する憲兵らしき人の姿。
戦争映画とかでよく出てくる、ちょっと威張った感じの憲兵。
そのいでたちを見て、そういえば関東大震災では「朝鮮人がこの機に乗じて井戸に毒を流して反乱を起こす」というデマが流された。人々は恐怖のあまり暴徒と化し、朝鮮人と見るや片っ端から殺した。たくさんの朝鮮半島出身者が、理由もなく虐殺されている。
混乱した状況下での民衆の狂気というものは恐ろしい。今と違って通信手段もあまりなく、噂が噂を呼んでエスカレートした。でもその狂気は震災前から日常において蓄積されていた。
朝鮮半島出身者を普段から差別的に扱っていたため、日本人の多くが潜在的に彼らの反乱を恐れていたのだ。そこへ、震災のパニック。人々は簡単にデマを信じた。
実はその後の研究により、そのデマは当時の官憲が意図的に流したものだということがわかっている。
当時警察官僚だった正力松太郎氏らが画策したらしい。
パニック状況下では、民衆の狂気は政府に向かう可能性もある。それをかわすために朝鮮人暴動説を流布したのだ。なにも知らない国民は、まんまとコントロールされた。
関東大震災は、そうした「負の歴史」でもあることも忘れてはならないだろう。
映画の残酷。
この映画は、二人のカメラマンがとにかく「記録すべき」という熱情に取りつかれて撮影した。
無垢な気持ちで撮影したそのフィルムは、歳月と共に魔物となった。
ここに映っているのはほぼ全員、もうこの世にはいない亡霊たち。
過去の亡霊たちの姿が刻印されているのが、映画というものだ。
亡霊の映像。そのものが生き物となって現代に噛みついてくる。
その力は恐ろしい。
自然による大量殺戮の不条理と、それでもしぶとく生き抜こうとする人間のむき出しの生命力を包み隠さず開けっぴろげに提示する。
そして・・・
それを暗闇で冷静に、ジッと見つめる私たち。
好奇心いっぱいの無防備なまなざしに、鋭く噛みつく映画のおそろしさ。
映画はおそろしい。
見た者の脳裏に住みつき、もう離れることはない。
今日、僕の悪夢のレパートリーが、またひとつ増えることになってしまった。

・・・関東大震災発生直後の映像としては、東京シネマ商会版と日活版の2本が「決死的映像」として名高いが、これまで現存しないと考えられていた後者が、一部ではあるが山形の映画館で発見された。日本橋、京橋、浅草、本所被服廠跡、蔵前、安田邸などの様子が赤や青の染色映像で鮮明に映し出される。撮影済みのフィルムを携えた高坂は9月7日に京都の日活大将軍撮影所へ到着してフィルムを現像し、即日京都帝国館で公開したという。本プリントには部分的に重複するショットや字体の異なる字幕が見られ、兵阪新聞社『東京関東地方大震災惨害實況』など別作品の混入が確認されるが、今回はそのまま上映する。
(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)
(National Film Center Webより)
●この映画は8/6(土)16:00からも上映されます。
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フィルムセンターで、「発掘された映画たち2005」という特集上映がはじまった。
その第一回。8本の古い短篇記録映画の中でやはり衝撃的だったのは「関東大震災実況」。
震災直後の混乱する人々や潰滅した東京の姿がモノクロフィルムに刻印されていた。
着の身着のままで焼け出された人々が、大通りで唖然としている様子。家財道具を持ってそそくさと非難する若者。疲れきった子どもを背負う父親。みんな必死だ。
今まで「言葉として」あるいは「写真として」しか知らなかった震災直後の様子が、動く映像として生々しく目の前に出現する衝撃。
特に、フィルムセンターのある「京橋・銀座」の姿が映った時には慄然とした。完全に潰滅し、焼け野原。原爆映画の広島の焼け野原みたいだ。賑やかに軒を連ねていたであろう商店は崩壊し、瓦礫の山である。今まさに映画を観ているその場所でかつて、たしかにあった光景なのだ。
信じたくない。
そろそろ起こるかもしれない東京での大震災。・・・78年前の映像が、一瞬「近い将来」とダブって見えた。
燃えつづける浅草の十二階。隅田川沿岸の様子。

特に浅草ではまだ街が燃えている様子を撮影している。
当時の繁栄のシンボルだった「浅草十二階」の内部は完全に崩れ去り、外壁の骨組みだけを残してあとは崩れ去ろうとしている。その映像からは「絶望」という言葉しか連想されない。非常に象徴的で物悲しい光景だった。地震の時に中にいた人はひとたまりもなかっただろう。周囲の繁華街も見る影がなく崩れ去っている。
・・・人間の営みなんて、儚いものなんだなあ。
隅田川沿岸の被害の様子を、船上から撮影してもいる。
無残に崩れ去った橋。川面に浮かぶ死体。
しかしそんな中でも生き残った人々はたくましい。小船を連ねて板を渡し、急ごしらえの橋を作って往来している。町のあちこちでも、瓦礫の中で洗濯物をしていたり臨時のポストを作ったり、すでに日常生活が芽生えはじめている。
生き残った者は生きなければならぬ。悲しんでいる場合じゃないのだ。
死体の山。
本所・深川地区の壊滅状態は、まさに地獄絵図。
ほかの地域に比べてあきらかに建物の破壊度が高い。もともと地盤が弱く木造住宅がひしめき合っていたから大火災が起こり、すべて焼き尽くされてしまったのだ。
最も悲惨な被害が生じたことで有名な「本所被服廠跡」も撮影されていた。
3万人もの黒焦げ死体の山。
必死で逃げて広場に集まったものの、熱風が吹いてそこにいた人々の全員が焼き尽くされてしまったのだ。まるで、ナチスの強制収容所に積み重なる死体の山を撮影した記録映画のような光景。
さすがにカメラマンはアップでは撮れなかったのだろう。
風景を遠景で映しとるように全体像を捉えた画面。モノクロで不鮮明なのがせめてもの救いである。見渡す限りのすべてが死体・・・。なにしろ3万人だ。
個人の意志とか思いとか、愛する者への愛情とか、そういったものでいっぱいだったかけがえのない人生が、こんなにもたくさん、しかも同時に焼かれたのか。
当時の人々の生態を映像で見ると、とても親近感が湧く。それだけに、動かない死体の山の衝撃は胸に応えた。
・・・映像をただ見つめるしかない。言葉が出ない。そんな光景。
関東大震災の「負の歴史」
あちこちの公共施設が急ごしらえの死体安置所になっていて、割烹着姿の奥さんや子ども達が不安そうな顔で集まっている姿も登場する。
白い布にくるまれて地面に並べられた死体。それを整理する憲兵らしき人の姿。
戦争映画とかでよく出てくる、ちょっと威張った感じの憲兵。
そのいでたちを見て、そういえば関東大震災では「朝鮮人がこの機に乗じて井戸に毒を流して反乱を起こす」というデマが流された。人々は恐怖のあまり暴徒と化し、朝鮮人と見るや片っ端から殺した。たくさんの朝鮮半島出身者が、理由もなく虐殺されている。
混乱した状況下での民衆の狂気というものは恐ろしい。今と違って通信手段もあまりなく、噂が噂を呼んでエスカレートした。でもその狂気は震災前から日常において蓄積されていた。
朝鮮半島出身者を普段から差別的に扱っていたため、日本人の多くが潜在的に彼らの反乱を恐れていたのだ。そこへ、震災のパニック。人々は簡単にデマを信じた。
実はその後の研究により、そのデマは当時の官憲が意図的に流したものだということがわかっている。
当時警察官僚だった正力松太郎氏らが画策したらしい。
パニック状況下では、民衆の狂気は政府に向かう可能性もある。それをかわすために朝鮮人暴動説を流布したのだ。なにも知らない国民は、まんまとコントロールされた。
関東大震災は、そうした「負の歴史」でもあることも忘れてはならないだろう。
映画の残酷。
この映画は、二人のカメラマンがとにかく「記録すべき」という熱情に取りつかれて撮影した。
無垢な気持ちで撮影したそのフィルムは、歳月と共に魔物となった。
ここに映っているのはほぼ全員、もうこの世にはいない亡霊たち。
過去の亡霊たちの姿が刻印されているのが、映画というものだ。
亡霊の映像。そのものが生き物となって現代に噛みついてくる。
その力は恐ろしい。
自然による大量殺戮の不条理と、それでもしぶとく生き抜こうとする人間のむき出しの生命力を包み隠さず開けっぴろげに提示する。
そして・・・
それを暗闇で冷静に、ジッと見つめる私たち。
好奇心いっぱいの無防備なまなざしに、鋭く噛みつく映画のおそろしさ。
映画はおそろしい。
見た者の脳裏に住みつき、もう離れることはない。
今日、僕の悪夢のレパートリーが、またひとつ増えることになってしまった。

「関東大震災実況」撮影・・・・高阪利光、伊佐山三郎
1923年 日活向島
18分(染色・無声・不完全)
・・・関東大震災発生直後の映像としては、東京シネマ商会版と日活版の2本が「決死的映像」として名高いが、これまで現存しないと考えられていた後者が、一部ではあるが山形の映画館で発見された。日本橋、京橋、浅草、本所被服廠跡、蔵前、安田邸などの様子が赤や青の染色映像で鮮明に映し出される。撮影済みのフィルムを携えた高坂は9月7日に京都の日活大将軍撮影所へ到着してフィルムを現像し、即日京都帝国館で公開したという。本プリントには部分的に重複するショットや字体の異なる字幕が見られ、兵阪新聞社『東京関東地方大震災惨害實況』など別作品の混入が確認されるが、今回はそのまま上映する。
(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)
(National Film Center Webより)
●この映画は8/6(土)16:00からも上映されます。
関連記事
● 市川哲夫「別離傷心」●『発掘された映画たち』 MOVIEレビュー
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