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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2023-09
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女性が女性性を誇張したドラァグ・クイーンに萌えるゲイの不思議、人の不可思議

  今日は『しみじみと歩いてる』上映会終了後すぐに東京都写真美術館にsakuraさんと移動し、マダムボンジュール・ジャンジさんが構成・演出したイベント「Living Together/STAND ALONE」を観たのですが・・・。終わった後、僕は常軌を完全に逸する状態に陥りまして。

 つまり、ものすご~く気持ちがハイになっていたんですね。恵比寿駅までの動く歩道上で、Ronさんsakuraさんに向かって僕は超~ハイテンションで今日の興奮を語っていました。その理由はなんといっても、ジャンジさんがものすご~く色っぽかった、官能的だったからなんです僕にとって。

 女性のドラァグ・クイーンとしてのジャンジさんのパフォーマンスを観るのは初めてだったのですが、なんていうんでしょう。これまで少なからずのゲイイベントで「男性がドラァグ・クイーン」を演じているのを観ては来たのですが、それとは明らかに異質なものがあるんです。男性が「女性性を誇張」した時に醸しだされる批評性と、女性が「女性性を誇張」した時に、その存在から醸しだされるものって、かなり違うんですよ。

 儚さがある。孤独感をより強く感じる。世界に対して必死で屹立している人間の「孤独」が、ジャンジさんのパフォーマンスや舞台での「立ち方」から、物凄く色濃く滲み出ているんですね。しかし露出されている肉体は、紛れも無く「女性性」を強く感じさせるものであり・・・。

 ぶっちゃけ普段、日常生活の中で女性が女性の身体性を露出していても「なんとも思わない」からこそ自分がゲイなんだなぁと感じている僕ではあるのですが、今日のジャンジさんのパフォーマンスを観ていて「ものっすご~く色っぽい!」と感じたんです。特に、丈の短いスカートの下から見えている肉感的で綺麗な脚に。そして、独特の退廃感を漂わせる、ドラァグ・メイクの表情に。

 パフォーマンス・アーティストとして、コンテンポラリー・ダンスの鍛錬を相当に積まれて来ていることがわかる統制の取れた身体表現が生み出す世界観と、そのルックスの魅力にかなり魅せられてしまいまして・・・。隣の席の友人によると上演中の僕、ほぼ固まったまま舞台を凝視しまくっていたようです。

 自分でもその意識がないくらいに集中して舞台上のジャンジさんに、ただただ魅せられていた時間でした。そしてふと、「こんなに女性が女性性を前面に出している様子に官能するとは、僕は果たしてゲイなのか?」というアイデンティティ・クライシスが頭をよぎりもしましたが、これは自分の中に潜んでいる根源的な欲求・欲望のようなものと直結していることかもしれないので、相手が「女性か、男性か」というだけではなく、さらに細分化された様々な要素に人は「萌える」あるいは「官能する」ということを発見したということなのかもしれません。

 前回のジャンジさんのパフォーマンスを観て衝撃を受けたというRonさんのおかげで、12月18日にジャンジさんとトークをする機会があるわけですが、今日感じた、この「新しい感覚」についても率直に話してみたいと思っていますが・・・冷静さを保てるかどうかわかりません(笑)。

 自分の内面の奥底から揺さぶられる不思議な「萌え」を発見し、忘れられない映像がたくさん脳裏に焼き付いてしばらく脳内映像リフレインが中毒のように止まらないかも~と軽い混乱を楽しんでいる僕は、いったいどうなっちゃうんでしょうか?FC2 同性愛 Blog Ranking


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新日曜美術館「画家 小山田二郎 鳥女の肖像」を見て

 僕が今までに出会った絵の中で、最も衝撃を受けたのは小山田二郎さんの絵でした。

 一年前の展覧会ではじめて見たのですが、一気に世界に引き込まれたのです。改造前の古めかしい赤レンガで覆われた薄暗い東京ステーションギャラリーの雰囲気と、グロテスクな彼の絵は見事にマッチしていました。

 彼の描く絵の中では、繊細かつ大胆な線と色彩によって描き出された幽霊のような異形の者たちが、額縁の中で静止しているのではなく、見ている者のイメージの中で息づき自由自在に動き回るのです。その生命力の強さには圧倒されましたし、心の中に鋭くダイレクトに浸透して来るものを感じました。

 「異形」を糧にする精神

 今日、NHK教育テレビ「新日曜美術館」では彼の生涯を紹介していましたが、印象的なエピソードがいくつかありました。彼は病気によってグロテスクになってしまった「自分の顔」を否定せず、むしろ芸術家として受け入れていたのです。なんと絵を制作するときには、自分の顔を鏡に映しながら描いていたそうです。彼の絵はすべて、自画像だとも言えるのですね。

 コメンテーターのねじめ正一さんも語っていましたが、彼の顔は他者からしてみれば「怖い顔」だし、本人も「人から怖がられる顔」だという自覚は充分すぎるほどにあったことでしょう。でも、そういう顔をしていたからこそ感じられることがある。他者からそう見られることによって、自らの内面に蓄積する様々な毒や棘がある。彼はそれを否定するのではなく芸術表現の養分として生かし、自身の内面を掘り下げて抉り出すことで作品に昇華した。「障害」と語られがちな「異形」である肉体を、決して「障害」だとは見做さずに芸術表現の「糧」にして活用した。その精神力の強さには驚きました。

 それに、彼が描いた「舞踏」という絵が描かれた背景には、戦争の暗い影があったということも見逃せません。東京大空襲でこの世の地獄を見てしまったこと。その後の世の中の急激な変化をも体験してしまったこと。取り残された感覚。孤独。そうした記憶の堆積が、彼の中には積もっていた。彼は自己の内面を見つめてばかりいたという印象があったのですが、実はそれを極めることは社会性のある表現の獲得に繋がることでもあるわけですね。

 いや~それにしても・・・。
 まさか奥さんの小山田チカエさんと、失踪時に生活を共にされた小掘令子さんの姿を同じ番組内で見ることが出来るとは思いませんでした。両人とも、とても生き生きと嬉しそうに亡き画家のことを語っていましたし、芸術を愛する人に独特の「精神の若さ」が滲み出ている人柄で素敵だと思いました。

 東京の八重洲にある「文京アート」では、6月30日まで「小山田二郎 油彩・水彩展-1950年代~'70年代-」が開催されています。テレビというものはどうしても、おせっかいにも一つ一つの絵について「解説」をして「意味付け」をしてしまいます。それは本来、芸術作品に対する接し方としては邪道です。また、実際の絵の質感とか大きさ、彼の絵に特有の「引っかき傷」の生々しさや繊細な色彩を映像で映し出すことはできません。

 小山田二郎さんの絵は実際に見ると、一つ一つがまるで宇宙のような広がりのある世界を確立しています。わかりやすい言葉では簡単に解釈できない、多様な印象をもたらしてくれる豊かな作品です。もし機会がある時には、ぜひ見てみてください。

 今回の放送がきっかけとなって、再び大規模な展覧会が開かれないかと期待しています。個人美術館が作られてもいい位の素晴らしい芸術家だと思います。画集や伝記すら出版されていないという事実が不思議です。FC2 同性愛Blog Ranking

関連記事
異形の幻視力~小山田二郎展(東京ステーションギャラリー)
ふたたび小山田二郎展へ・・・完全に虜と化す。

画家・小山田二郎特集をNHK「新・日曜美術館」が放送

 以前、このブログのARTレビューで紹介した画家・小山田二郎さんについての特集が、本日のNHK「新・日曜美術館」で放送されます。
NHK教育テレビ公式サイト

 僕は以前、彼の展覧会を見て衝撃を受けました。そのときの記事はこちらです。
異形の幻視力~小山田二郎展(東京ステーションギャラリー)
ふたたび小山田二郎展へ・・・完全に虜と化す。
 放送は朝8時からと、夜8時からの2回です。興味のある方はぜひ。FC2 同性愛Blog Ranking

ジャン・コクトー展~サヴァリン・ワンダーマン・コレクション●ARTレビュー

まぎれもなく同性愛者。コクトーよ、あなたは存在が面白い。

ジャン・コクトーのことはあまり知らなかった。
名前を聞いてまず浮かぶのは、
モノクロ映画「美女と野獣」の監督であるということ。僕が大尊敬する女優・岸恵子さんはこの映画を少女の頃に見て、その魔術的な映像に魅せられて映画の虜になったという。

また、同性愛者であったことでも有名だ。以前、本屋の美術書コーナーでこの人の画いたスケッチ集を見かけたことがあるのだが、めくってみて驚いた。なんと若い男の裸のスケッチばかりなのである。しかも局部までが露に忠実に、かなりの数が書かれているのだ。
そういった主旨で編集された画集だったので当然だが、これだけの著名人がこんなに堂々と画いていて、それが出版されていることに驚いた。そしてかなり興奮した。すごくエロティックで生々しかったから(笑)。その後、なかなかあのスケッチ集をみつけることができない。あぁ、あの時買えば良かったのに。絶対に探し出してやる(笑)。

三越マダムに大人気

日本橋三越といえば東京駅からは離れているので「三越前」という地下鉄の駅がわざわざあるくらい。すなわち「三越に買い物に行く」という強い目的意識を持った人たちが集まる特異な場所である。ふらっと歩いていて立ち寄る感覚とは一線を画した、着飾った印象の人たちでいっぱい。平日の昼間なのに大盛況。観客の9割は上品なご婦人方だった。
ポスターやチラシの絵を見ても、女性に人気があることはある意味納得。タッチが上品だし、色使いが綺麗だし、ポップな感覚もある。さすがアート界における「大ブランド」コクトーである。

しかしこの人たちは、コクトーがバリバリの同性愛者であったことについてはどう考えているのだろう。
「芸術家はやっぱり、変わったところがあるからいいのよねぇ~」とあっけらかんと認知されているのだろうか。「コクトーだからべつにいいのよ。」とすんなり受け入れられているのだろうか。それとも知らないのだろうか(そんな人、いるとは思えないが。)思わずインタビューをして廻りたくなる衝動を抑えながら僕は、明らかに浮いた存在のままマダム達に囲まれて「作品」を鑑賞した。

コクトー・マニアが集めたコレクションの数々

この展覧会は、コクトーの作品収集に取り憑かれたお金持ちのマニア、サヴァリン・ワンダーマン氏(コルム社CEO)のコレクションを展示するというもの。今世紀初頭、パリのモンパルナスのカフェに集った芸術家仲間たちによるコクトーの肖像画の数々が華やかに入り口を飾る。
その中でもひときわ目を引いたのがモディリアーニ。何を書いてもやっぱりモディリアーニ調。期待通り細長い顔で首をかしげたコクトー像である。アンディ・ウォーホルはやっぱりカラフルでポップ。コクトーというブランドの確立されていた様子を作品によって揶揄している。

ナルシストは芸術家の条件

それにしてもコクトー自身が書く自画像のハンサムなこと。他の作品も総じて男は彼の若い頃の顔に似ている。
やっぱり優れた芸術家の第一条件は「自分が好き」だということなんだと再確認。
「自分が好きだからこそ」他者とのコミュニケーション不全について過敏になり、なんとか克服しようというエネルギーが作品として結晶化するのではなかろうか。それこそが芸術家の基本条件なのだと僕は思う。だからと言ってただのエゴイストではいけない。その過敏な感受性を統御する理性と野心がなければならないのだ。

「ナルシスト」というと醜いものであるかのようなイメージがあるが、芸術的に戦略を持った上でのナルシストならば、僕は素晴らしいとさえ思う。世間の常識と芸術における常識は、しばしば反転するものだ。その点、コクトーはやはり並外れている。自分が惹きつけられた人物や物語のモチーフには強烈にこだわり、何度でも作品化して挑んでいる。そして作品には必ず、自分を投影させている。ちょっとあざとい所もあるのだが(笑)。
子どものような感受性と「創作に挑む」ことへの喜び。生涯ワクワクして過ごし続けたであろうコクトーの無邪気なエネルギーが次第に伝わってきた。

男を画かせりゃやっぱりエロティック

彼の嗜好を象徴する絵があった。
「ジプシーの踊り手」という1947年の作品で、男女の踊り子が舞台上で肌もあらわに踊っている絵だ。それを見る観客の男性が一人、画面右下に画かれているのだが、目球が飛び出しそうになって凝視しているのは女ではなく男の方なのだ。
こういう絵において女性を描いたものは数多く見かけるが、男性をあからさまに際立たせ、しかも女性とあえて並ばせて描き、観客の視点を男性に集中させているところにコクトーの主張を感じる。
コクトーといえども、若い頃はなかなか世間的に性的嗜好を明らかにできなかったのだろうから、こうした形で思いを開放することに、至上の喜びを感じたことだろう。絵の前で思わず苦笑してしまった。

エロスの神「獣神」に自分の姿を託す

小山田次郎氏の「鳥女」と同じくコクトーにも、生涯にわたってこだわりつづけたキャラクターがある。
「牧神」だ。
「牧神」とはギリシャ神話に出てくる神々のうちの一人で、上半身は人間、下半身は山羊である好色の半獣神。彼が画くとあらわな下半身が非常にエロティック。人間の「理性」と下半身の「性欲」の密接なつながりがこのキャラクターで象徴されているようだ。

日常生活で、ほぼ男を切らさなかったという彼の生涯を物語ってもいるのだろう。彼のそばには常に屈強でハンサムな若い男の恋人がいた。数ある映画で主演させているジャン・マレーもその一人。ディアギレフ率いるロシア・バレエ団の踊り手ニジン・スキーもその一人だという。
もともとお金には困らない裕福な境遇に生れたコクトーは、その境遇ゆえの無邪気さを生かして様々な芸術家と親交を結んだ。正直、彼と寝ることによって資金を得た芸術家もたくさんいたことだろう。
生前から多大なる知名度と影響力を誇った彼はある意味その権力を活用し、やりたいことをやりつづけたのだとも言える。そして彼によって結びついた性の垣根を越えた芸術家のネットワークは様々な分野で化学反応を起こし、革新をもたらしたのだ。
その権力がもたらした功罪もあるのだろうが、ジャンルの垣根を軽々と跳び越えて人々を結びつけたコクトーという人物がもしいなかったら、現在のアートシーンは全く別のものになっていたであろう。いやはや、そういった意味では巨人である。

彼の生涯や作品を知るにつけ、なんとなく三島由紀夫に似ているのかな、と思った。彼もジャンルの垣根を軽々と越えて活躍したし、自己のブランドを確立することに情熱を燃やし、その権力を利用してさらに自らを伝説化することに腐心した。同性愛者でもあり、強烈なナルシシズムが創作の源泉だったことまで似ている。三島はきっとコクトーを意識していたことだろう。

巨人の中に垣間見える影。透き通ったシンプルな表現。

ひとつだけ、僕が思わず立ち止まっていつまでも見ていたくなる絵があった。
「眠る女」というタイトルのその絵は、シンプルな構成の小さな油彩画。
黒のバックが透き通るように美しい。その中で目を閉じる女の姿が強烈な静けさを感じさせる。
「強烈」で「静か」なんてことはおかしい表現ではあるのだが、その矛盾しあった二つの感覚が見事に同居しているような絵なのだ。ブルーとグリーンの色使いも美しく、彼の色彩感覚のセンスに驚いた。
彼の絵画は、自分の詩や小説の「挿絵画家」としての作品が多く、色が付いていなかったりスケッチのような作品が多いらしいのだが非常にもったいない。もっとたくさんの、彼の「色つきの」作品を見てみたくなった。

とても社交的で華やかな大人物のようでいて、実は誰よりも孤独を恐れる弱く繊細な魂を持っていた人なのだと思う。そういう人ほど、そんな自分と戦うために並外れたエネルギーで自己をアピールしたがるものなのかもしれない。

岸恵子さんを通して名前を知り、同性愛者であるということから深まったコクトーへの興味。今後さらに深めて行こうと思う。


「ジャン・コクトー展」7/20(水)~31(日) 日本橋三越本店ギャラリー(終了)
<今後の巡回予定>
●2005年8/6~9/7山梨県立博物館
●2005年9/14~9/26大丸ミュージアムKOBE
●2006年4/8~5/21岩手県立美術館

関連記事
ミック・デイヴィス「モディリアーニ~真実の愛~」●MOVIEレビュー

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☆資料画像は展覧会パンフの表・裏表紙です。

ふたたび小山田二郎展へ・・・完全に虜と化す。

いいと思ったものは、何度でも見る。自分にとって本当に優れていると感じた物は、そのたびに新しい発見をさせてくれるからだ。
小山田二郎の絵はきっとそのはず。そんな確信を抱いて再び東京ステーションギャラリーへ。

確信は正解だった。二回目だというのに、まるで全く別の展覧会を見に行ったかのように新鮮だった。

なんなんだろう・・・この人の絵は。絵と向き合う時間が嬉しくてしょうがない。
時間が許せばいつまででも見ていられる。出来るものなら自分のものにしてしまいたい。
完全に、彼の絵の虜になってしまった・・・。

遺作は、孤独だけど自由な姿

今回は二回目ということもあり、あえて順路を逆から辿る。遺作「舞踏」から見てみたかったから。
・・・学芸員の人は不審な目で見ていたけど(笑)。
最後の部屋にひっそりかかっていた遺作は、未完のようにも思えてしまう作品。穏やかな光を感じさせる色彩の中、3人の人物が各々の舞踏を踊る姿がスケッチのように描かれる。
彼がこの絵を、死を予期して描いたかどうかはわからない。しかし最後の最後まで、人間の孤独を表現しようとしていたことが確認できる。
三人三様でバラバラな踊り。しかし、ささやかながら自由を享受しているかのような爽快感を漂わせているのが印象的だった。

大作を乗り越えた「殺された」

今回ひときわ僕の目を引いた絵があった。1969年に描かれた「殺された」という作品。
赤いショールをかぶった母親らしき人物が、殺されて青くなった子どもを抱えている。
この構図と主題、どこかで見たことがある。そうだ、展覧会のチラシの表紙に使われている「ピエタ」と、とてもよく似ているのだ。
(チラシは前回の記事参照)

「ピエタ」は1955年、彼が41歳の時のもの。油彩で描かれた大作で、彼の評価を決定付けたであろう作品。
その14年後、55歳の時に描いた「殺された」はささやかな水彩画ではあるのだが、僕にはこちらの方がずっと心に迫ってきた。
「ピエタ」での母親は、嘆き悲しむ表情を露にして天空を仰いでいる。そこからは突き放された空虚感の中で、なおも生きて行かなければならない母親の存在が大きく迫ってくる。
それに対して「殺された」での母親は無表情で殺された子どもを見つめている。
ただ、見つめることしか出来なくなっている。
子どもを抱える母親の手も、力なく青ざめてきている。
まるで、母と子が混ざり合って一つになり行く過程を見ているかのようなのだ。

小山田二郎は「殺された」で「ピエタ」を乗り越えたかったのかもしれないと・・・僕は勝手に想像した。「殺された」での表現の方が、より生々しいし具体的かつ人間的なのだ。「ピエタ」に見られるような絵画としての気取りもない。正直、僕は「ピエタ」を見てもなんの感動もおぼえなかったのだが、その理由がわかったような気がした。
やはりこの人は誠実に、過去の自分までをも脱ぎ捨てて常に生まれ変わるということを意識的に行なっていたのだと思う。
彼ほどの才能のある画家が長く続けていると、いつの間にか周囲の賞賛や画壇の権威と無縁ではいられなくなるものだ。そうしたものとはきっぱり縁を切っていたであろう彼の、絵画への志の高さを尊敬せずにはいられない。

血を求めた作家

彼の絵には、夜を連想させる青黒い色調の他に、赤も多用されている。闇の中で浮かび上がる鮮烈な赤は、時に炎のようでもあり、血のようでもある。
特に水彩画での「染み」のような赤の表現は、血痕のようだ。

油彩画ではあまり赤は使われていないのだが、近づいて見てみると、合板に描かれた作品には無数のひっかき傷が加えられている。一度描いた絵をわざわざ汚すために、かなりの力を込めてひっかいたに違いない。まるで絵の中から血が滲み出てくるのを求めて、執拗に引っかき続けたかのようだ。
どの絵も、血が通っている。そして、血を流しているのだ。
血は、生き物としての本性。
彼は暴力的なまでに血を求めた作家である。

鳥女の恐怖。女性への畏怖

彼は頻繁に「鳥女」というタイトルで、グロテスクな鳥を擬人化して描いた。くちばしは鋭く今にも突っついて来そうな凶暴さ。ふくよかで強欲そうに着飾った鳥女。
怖い。
まるで、僕が普段「女性性」というものに対して本質的に感じてしまう嫌悪や恐怖が表現されているかのようであり・・・背筋が寒くなった。
男性としての身体を持つものが、女性に本質的に感じてしまう異質感、恐れ。自分を産み落とした肉体への畏怖。でもそれは尊敬心の裏返しでもあるのだが。
女性というものをこれほど忠実に表現した絵は、かつて見たことがない。そして、本質が露わな分、どんな美しい(とされる)ヴィーナス像よりも美しい。
彼の画家としての生涯では常に、女性が傍らでサポートし続けた。身近な他者から受ける本能的な感覚が鬱積され、「絵」として表現せずにはいられなかったのだろう。
僕には鳥女の絵は怖い。怖いけど、どうしても逃れられない「母親」というものへの複雑な気持ちを想起させられた。
・・・鋭いくちばしで攻撃され、肉をほじくり出されそうな恐怖心。
息子というものは母親に、こうした感情も抱えている。

作品は、作家の排泄物だ

人は、他者や世界との関わりなしには生きられない。
小山田二郎という人間が日常を生きるにあたって鬱積された、たくさんの毒。
それを絵という形で排泄しないと、彼は生きて行かれなかったのだろう。そうしたことを意識的に忠実に行なうのが、本物の「作家」である。
彼の毒と僕の中の毒は、かなりの割合で共鳴し合った。僕の中にも排泄されずに鬱積する毒がある。また、それは生きている以上誰の心にもあるものだ。

排泄されたがっている毒を、どうやって排泄するのか。
そのことを考えはじめた時に、人は作家になる。
生きていれば誰だって作家になる素質を持っている。
日々鬱積される毒と、正直に向き合えばいいのだ。

表現方法はなんでもいい。
自分に向いたもので、無理せずやればいいのだ。
そして、毒を自分なりの方法で排泄していれば、
本当の意味で健康に生きて行けるのだと思う。


●「異形の幻視力~小山田二郎展」5/28~7/3東京ステーションギャラリー
●前回6/27に見たときの感想はこちらです。
文京アートのホームページに、小山田二郎情報があります。
●奥さんの小山田チカエさんへのインタビュー記事を見つけました。
本を散歩する雑誌スムース
「小山田チカエさんに聞く」

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異形の幻視力~小山田二郎展(東京ステーションギャラリー)

まっすぐすぎるくらい、まっすぐな人

東京駅周辺に貼られていた美術展のポスター。その異様なグロテスクさに魅かれて入ってみた。東京ステーションギャラリーは東京駅の丸の内側。あの赤レンガ造りのレトロな雰囲気を上手く生かした洒落た空間だった。ゴツゴツとしたレンガの地肌がむき出しにされている壁には、この人の、それこそむき出しの絵はとてもよく似合っていた。

小山田二郎さん。
この人は経歴が面白い。大正生まれで、父親の反対を押し切り苦学しながら絵を書き続けるものの、せっかく書きためた絵はすべて戦争で焼失してしまう。そして31歳の時に終戦を迎える。
31歳といえば今の僕。その時の彼の気持ちを思うと胸が痛む。大切な、それこそ身を削って描いたであろう、みずみずしい20代の時の作品がすべて失われてしまったのだ。なんということだろう。
しかも彼は戦時中は絵を描くのをやめていた。周囲の多くの画家が戦争画に手を染める流れに乗りたくなかったからだ。虎視眈々と戦争が終わるのを待っていたに違いない。それだけになおさら、過去の蓄積を奪われた31歳の喪失感は、計り知れないものだっただろう。
戦後、そうした戦争体験から蓄積された内面の毒や膿みを、彼は見事に作品として結晶化させる。そして画家としての地位を築き上げるわけだが・・・57歳の時に妻子を捨てて突然失踪する。そして死ぬまでの20年間はまったく社会の表舞台に姿を現さず、知り合いのギャラリーに作品のみを送り続けた。

なんていうか・・・自分に嘘がつけなかった人なんだと思う。そういうのをわがままと評価する人もいるのだろうが、こうした性格の彼だからこそ描けたであろう作品を実際に目の当たりにしてみると、そんな常識的な道徳観なんてどうでもよく思えてくる。長所は短所。短所は長所なのだ。少なくともこうした作品を描きつづけたということは、彼は人生から逃げなかったということ。自分の性格的な弱さが巻き起こしてしまうことを実は真摯に受けとめ、表現し続けたのだ。
失踪中の絵には、逃避する人物像が頻繁に描かれる。まるで絵の中で贖罪しているかのようだ。そんなところが人間っぽくていい。そして死ぬまで描くことをやめなかったという事実が、生涯、画家としての自分と向き合い続けたことを証明している。

生涯を賭けて、自画像を描き続けた人

彼は生まれつき顔に赤アザがあったという。先天性ウェーバー氏病というらしいのだが。つまり彼は・・・ストレートに言ってしまえばグロテスクな顔をしていたのだ。
だからという風に短絡的に結びつけるのもなんなのだが、それでも「やっぱりな・・・」と思える位、彼の残した絵はすべてグロテスク。「さわやか」「すがすがしい」という言葉からはいちばん遠いところにあるようなものばかり。
しかし、その絵をしばらく見ていると「醜い」と感じた第一印象はどんどん変化してくる。そして、細部の微妙な色使いや、引っかき傷のような荒々しい線の動きに、いつの間にか心を奪われはじめる。
特に彼が30~40代の頃に描いたという、小さいサイズの水彩画が僕には強烈に迫ってきた。
ちっとも可愛くはない「子ども」という絵。ちっとも美しくはない「花園」という絵。だいたいの絵が、タイトルが表象する一般的なイメージを覆す醜さを持つのだが、その暗さの中に目を凝らすと、なんだか痛い。例えると、長いトンネルのずっと先の方に小さく見えてくる出口の光を見つけたときに感じるまぶしさ。そのまぶしさが目にもたらす痛み・・・。痛いけれど、その痛さは実は快感でもある。痛さを感じるというのは生きているという証拠。彼の絵は、麻薬のように病み付きになりそうな中毒性を帯びている。
・・・これは、ヤバい画家と出逢ってしまった。正直そう思った。

自画像は他画像

こんなグロテスクなものを表現し続けなければいられなかった彼の生涯。いわば自画像を描き続けた生涯だったと言えるだろう。しかし、その自画像は自画像にとどまらず、恐ろしいことに世界というものを表象してしまえる普遍性を持ってしまった。
彼の内面に鬱積された様々な毒は、まぎれもなくあの時代の日本社会とも密接に関係していたのだと僕は思う。「野火」という絵は有名な戦争記をモデルに書いたのではと感じられたし、「老人像」という絵からは虚飾を身にまとわりつけて老醜をさらしている人間の姿を感じた。
彼の絵には、実はしっかりと社会に棹さす強烈な風刺も込められているのだ。

そして、失踪後の大型の油絵では・・・カラフルなのだがグロテスクな糸のようなものがまとわりついて、息苦しそうにしている人や鳥がたくさん描かれている。
・・・まるで、自信過剰になって欲望を剥き出しにし、身の程を知らずにエスカレートし、結局ハジけてしまった「金の亡者ども」の慢心の行く末を暗示しているかのようだ。
彼は幻を見ていたのではなく、鋭敏なリアリストだったのかもしれない。

彼の絵を見て痛いのは、見る者の心の内にも棲む慢心や毒を射抜かれ、見透かされてえぐられるからなのかもしれない。
いわば、彼の絵は水俣湾のヘドロなのである。
現代に生きる誰の心にも、知らず知らず鬱積しているであろう、心の中のヘドロの姿なのである。


●「異形の幻視力~小山田二郎展」5/28~7/3東京ステーションギャラリー

●6日後、再び見に行ったときの感想はこちら↓
「ふたたび小山田二郎展へ・・・完全に虜と化す」 (7月2日付「アートを語ってみる」)

文京アートのホームページに、小山田二郎情報があります。

●奥さんの小山田チカエさんへのインタビュー記事を見つけました。
本を散歩する雑誌スムース内「sumus special 「小山田チカエさんに聞く」

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大竹伸朗展 inベイスギャラリー●アートを語ってみる

今日、一人の芸術家の存在を知るが・・・。

会社の先輩が、「大竹伸朗って知ってるか?」と話しかけてきた。
ん?・・・どこかで聞いた名前だ。すぐに活字が思い浮かぶ。そうだ美術家だ。
昨日(6/15)の毎日新聞夕刊の美術欄でギャラリーの個展が紹介されていた人だ。
その先輩はかなり年配なのだがサブカルチャーに詳しく、作家に知り合いも多くいるらしい。
以前、知り合いだという三上寛のライブに誘われて一緒に行ったことがある。そのライブはノイズ・ミュージック系の大音響で、そうしたものに慣れていない僕としては鼓膜がバリバリ言って正直疲れ果てたのだが、先輩は実に心地よさそうに聞いていた(笑)。先輩は大竹伸朗氏とも面識があるらしく、その経歴をいろいろと教えてくれた。
前衛美術で革命的なことをやり、ミュージシャンとしても活躍したこと。鉄で出来たオブジェの凄いものを作り、それを見たときには感動したということなど。
先輩がとても楽しそうに語るので大竹氏に興味が出てきた。記事を見るとギャラリーは会社からわりと近い。
さっそく仕事帰りに自転車で出かけてみた。

無造作に並べられた作品たち

ギャラリーでの個展というのはそういうものかなのか?
・・・そもそも「展覧会」ではないのだ。いわゆる篤志家に買い付けてもらうために展示されているのだろう。ちょっと拍子抜けするくらい無造作に壁に掛けられた作品たち。上下二段にわたり、数は40点ほどだろうか。
一通り見たが残念ながら、今日の僕にとっては心を魅かれる絵はなかった。どれも抽象画なのだがイマイチ心に引っかかって来ない。この作家とは感覚の種類が違うのかもしれない。
観覧者名簿を見ると、北海道や京都など、遠方からもファンが足を運んでいるらしい。わざわざ来ても、こんなに素っ気無い展示だったらがっかりするだろうに。いや、ファンだったら原画が見れただけでも感動ものなのかもしれないけれど。
・・・今、無造作に並べられているこの絵たちも、しかるべき人に買われ、しかるべき所に展示されれば、今とは違って輝き出すのかもしれない。薄暗い小さなギャラリーでは、せっかくの個性的な絵たちがお互いに相殺しあって、可愛そうだった。

知らない街を知る興奮

ギャラリーのある日本橋の茅場町といえば証券マンの町だということは、行ってみて気がついた。すぐ近くには、あの東京証券取引所の建物が威容を誇って聳え、他のビルも見事に「○○証券」の看板だらけ。街行く人たちも、テレビでよく見る証券マンといったタイプが本当に多い。めがねをかけてせかせか歩いているような・・・まさにイメージそのもの。
定食を食べに入った食堂の中は、そんな証券マンたちの社員食堂といった雰囲気。
・・・それにしても、職種によって人はこんなにも雰囲気が似てしまうものなのか?。
TシャツとGパンでうろついている自分が、ここでは異邦人になった気がした。

アートとのつきあい方

今日は、東京の知らなかった顔を発見することができた。
残念だが大竹伸朗さんへの興味は湧かなかったが・・・。会社のあの先輩が推薦するものに、次回からは乗らないようにしよう、ということは学んだ(笑)。
僕は「アート」に対しては、嘘のない距離感を保ちたいと思っている。
その日の「現在の」僕の心に響いてくるもの・・・それが僕にとっての価値あるアート。
次の日にもそうなのかどうかは、次の日になってみないとわからない。
僕というものは刻々と変わり行くものだから。

●大竹伸朗展 日本橋茅場町ベイスギャラリー 8月8日まで
☆この記事は6/16に書いたものです。

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岡本太郎さんの巨大壁画「明日の神話」が修復へ

その場にいるだけでパッと場を華やかにさせる人がいる。
その華は何から発せられるのだろう。
岡本太郎さんの養女として生きた岡本敏子さん(故人)を見たとき、考えた。

▲長年行方不明だった岡本太郎氏の壁画が発見され、ついに修復されることになった。
「asahi.com」(2005年5月7日) 「中国新聞ニュース」(2005年5月7日)


夢に照れない、いさぎよさ

一昨年の秋、あるイベントで岡本敏子さんの挨拶をビデオ撮影したことがある。ちょうど壁画がみつかった直後だったらしく、軽く挨拶をした彼女は突然・・・
「この前ね、ずぅ~っと探してたタローの壁画が出てきたのよ。す~っごく大きいのよぉ~びっくりするくらい。タローが原爆のことを思って書いたのね。も~う、泣いちゃうわよ~。」と、大きなジェスチャーとともに喋りはじめた。
彼女のキャラを知らなかった僕は最初、呆気にとられたが、その語り口の「アツさ」と「パワー」に圧倒され、目が釘付けになった。
そして、「でもねェ~、バラバラになっちゃってて、直さなきゃならないのよぉ~。すっごくお金がかかるのよねぇ。だれかいい人いないかしらぁ~。」と、ちゃっかりPRまでして帰られたのでした。イベントの主旨とは関係なく(笑)。

嵐のように去って行った彼女を見て、「いいなぁ」と思った。だって、結構なお年のはずなのにまるで子どものよう。顔をくしゃくしゃにして笑いながら全身で語る姿は、過去の映像でたまに見かける岡本太郎氏を彷彿とさせるものがあって・・・本当に太郎氏のことが好きなんだなぁ~と、うらやましく思った。

太郎氏が亡くなった後、敏子さんは岡本太郎美術館の館長となり、巨大壁画さがしに残りの生涯を賭けた。他人に「人生を賭けさせる」ほどの情熱を与えられた太郎氏は・・・やっぱりスゴかったんだなぁ。二人の過去は本当に「アツい」ものだったんだろう。「幸せ」という言葉があるとして、ある意味、人間の生き方としての幸せって、こういう情熱を持って生きられるかどうかなんだろうな。

岡本敏子さん。
「あんな風に歳をとって行きたい」と、僕に思わせてくれてありがとう。長年の夢が叶う瞬間を見れずに亡くなっちゃって残念だけど・・・その方が逆に幸せだったのかもしれませんね。ずっとワクワクし続けられたんだから。

▼リンク切れに備え、asahi.comのニュースを全文、引用させていただきます。

美術家・岡本太郎(1911~96)がメキシコで描いた巨大壁画「明日の神話」が日本で修復・公開されることになった。30年以上も所在が分からなくなっていた傑作で、再生の道を探っていた岡本太郎記念現代芸術振興財団が取得した。
壁画は縦5.5メートル、横30メートル。岡本の絵画としては最大で、68~69年に制作された。題材は核が炸裂(さくれつ)する瞬間で、中央には火に焼かれる骸骨(がいこつ)。コンクリート板にアクリル絵の具で描かれている。
メキシコ市に開業するホテルのために制作されたが、経営状態の悪化で開業せず、壁画は行方不明に。岡本太郎の養女で、4月に亡くなった岡本敏子さんが03年9月、同市近郊の資材置き場にあるのを確認した。
何度も保管場所が変わるなど保存状態は悪く、一部は欠落している。
5月末に日本に運ばれた。今後は愛媛の工場で1年から1年半かけて修復される。プロジェクトには数億円かかる見込みで、財団は企業や個人の寄付を募っている。修復後に壁画を公開し、恒久展示する団体などに寄贈する予定だ。


▼リンク切れに備え、中国新聞ニュースを全文、引用させていただきます。

「明日の神話」わが街に '05/6/7

平和を訴える作品をぜひわが街に―。芸術家故岡本太郎氏の壁画「明日の神話」がメキシコから日本に到着したとの知らせに、作品の誘致運動を進めてきた広島の市民らは期待を高める。自治体の判断も注目されそうだ。
「夢が一つ実現した」と、四、五月に壁画の下絵を展示した広島市中区のギャラリーGの運営企画実行委員長、井沢光徳さん(41)。「『太郎と作品の存在を最もアピールできるのは広島』と強調されていた」と、開催中に急逝した太郎氏の養女岡本敏子さんをしのぶ。
太郎氏、敏子さんと親しかった市現代美術館の竹沢雄三副館長(61)は「作品のテーマからも恒久設置するのにふさわしいのは、やはり広島」と誘致機運の高まりを期待する。「敏子さんが望んだのは平和記念公園近くだが、現代美術館でも展示は可能」と語った。
広島市は一昨年、岡本太郎記念現代芸術振興財団側から展示について打診を受けたものの、現在は具体的な動きはしていない。市民局の松出由美文化担当課長は「大きいので展示場所など課題は多い」と慎重で、「現段階ではコメントできない」と他の自治体の動向を見守る構えだ。
一方、誘致を表明している尾道市の亀田良一市長はこの日、東京に出張中。花谷慶孝・市長公室室長は「市長は当然、強い関心を持っているが、今日は詳しい状況を知り得ていないので、あらためてコメントすることになりそう」としている。

■施設整備 熱意問われる

メキシコで「ヒロシマナガサキ」の名で呼ばれ、岡本太郎氏の最高傑作とも評される「明日の神話」がついに日本にやってきた。岡本太郎記念現代芸術振興財団は修復後、作品にふさわしい受け入れ先に寄贈すると表明。理念からすれば広島市は最適地であり、展示施設の整備などに向けた地元の熱意が問われる。
壁画は長く放置されたため傷みが激しく、百ピース以上に割れ、欠損部もあるという。修復費を中心とする再生プロジェクト全体の事業費は四億円を超えそうだ。
しかし財団は、協賛企業の開拓や募金でそれをまかない、「(作品を原則として売らなかった)岡本太郎流にいく」(平野暁臣ゼネラルプロデューサー)方針を決めた。経済行為ではなく、壁画の持つメッセージを広げる芸術運動として事業を進める決意だ。
修復は、いわば協賛企業の第一号が名乗り出た愛媛県東温市で始まるが、プロジェクトは運動の広がりと盛り上がりによってのみ完遂される。広島がそれを傍観する手はない。 (道面雅量)


本文中の写真は、下記のWebより引用させていただきました。
NEC教育プラザ内 Interview「子どもたちとは人間どうしとして向き合うことが大切」
Sponichi Annex(2005年6月7日)
DAZED&Excite「恋愛芸術家のススメ」

こちらにもこのニュースの掲載があります。
ほぼ日刊イトイ新聞「なんだ、コレは! -岡本太郎は生きている-」

関連リンク
川崎市岡本太郎美術館
南青山岡本太郎記念館
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