フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-03
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キャスリン・ビグロー『ハート・ロッカー』●MOVIEレビュー

 あの『アバター』を抑えて第82回アカデミー賞の作品賞を受賞したらしいが、正直「下駄を履かせすぎでは?」と冷やかなことを言いたくなる出来栄え。

 すでにアカデミー賞の最有力候補と騒がれている時期に載った日本のマスメディアのPR記事では盛んに「ドキュメンタリータッチの撮影手法」だの「起承転結のない物語展開」だの「主人公がヒーローではない」だの「戦争映画に新たな道を切り拓いた」だのと持ち上げていたのだが、ちょっと待て。

 その程度の特色を兼ね備えた映画など、過去から現在に至るまで世界の映画を見渡せばいくらでも散見されるだろう。したがって、そんなことを「目新しい」と騒ぐほどにハリウッド製映画というのは後進的だったのかと驚いてしまった。

 また、イラクで爆弾処理にあたる米軍兵士の感じる不条理にばかり視点が寄り添いすぎており、現地のイラク市民がまるで「虫」のような描写に留まってしまっている。「それこそが兵士が感じる主観なのだ」と言いたいのかもしれないが、本来は「その視点を持ってしまう構造」をこそ、最も鋭く批判すべきではないのか?

 この物語に「ヒーローがいない」だの「起承転結がない」だのというのは大ウソだ。不死身のヒーローが出て来ているではないか。爆弾処理にあたる彼の活躍を、ハリウッド映画に定番のいつも通りの仰々しいBGMとドキュメンタリー風味を装った卓越したカメラワークで、観客の共感を彼の内面に収れんさせるべく映し出しているではないか。

 映画を観ている間、観客の感情は「彼が死にませんように」と願う方向に誘導させられる。その構造を映画が持ってしまうと、彼が生き残ることを妨害する他の全てのものは単なる「障害物」あるいは「敵」としてしか感じ取れなくなってしまう。つまり、ハリウッド映画が繰り返し繰り返し行ってきたこれまでの手法どおり。そして「アメリカ」が世界中で繰り返し繰り返し行ってきた振る舞いどおりなのだ。

 この程度の表現がアカデミー作品賞を獲るほどに社会的インパクトを持ち得た(と判断された)ってことは・・・裏を返せば、米軍兵士がいかに人道的で人間としての尊厳を保ちながら任務に当たっていると、多くの人が思わされていたのかということ。ただし、アメリカ国内限定で。国家というシステムを維持するためのプロパガンダというのは本当に恐ろしい。アメリカに、あの「北朝鮮」を笑えるのだろうか?

 イラクの人たちがこの映画を観て「自分たちが人間として描かれている」と感じるだろうか?。そもそもこの映画、イラクで公開することを少しでも想定した上で制作されているのだろうか?・・・なにがグローバリズムだ、笑わせるな。なぜにいつも「アメリカ映画」の制作者たちは、他の文化や宗教を基盤に暮らす地域に対して、自らの視点を絶対視して描き出せてしまうのだろう。頼むからもっと物事を相対化する視点を獲得し、違う価値観や文化で生きている者の声を聴こうとし、人間として描こうとして欲しい。

 米軍兵士が不条理を感じているのなら、そんな米軍兵士が駐留している地で市民生活を送っている人々も、別の種類の不条理を感じているはずなのだ。そのことを描かずに逃げてしまった単純な映画が、こうして(アメリカ的価値観の中での)最上級の「下駄」を履かされ、もてはやされている状況には怒りすら憶える。他者を発見することを放棄したこの映画は決して、戦争を止めはしない。FC2 同性愛 Blog Ranking
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イ・チュンニョル「牛の鈴音」●ついった~コピペMOVIEレビュー

 韓国のドキュメンタリー映画『牛の鈴音』。ボロボロ老いぼれヨタヨタ状態の牛が、とにかく可愛くて萌え~。そんな牛と老いた夫に対してブツブツと愚痴をこぼし続けているオバちゃんが愛らしくてナイスキャラ♪でも最後はお客さんが何人も声を出して号泣していた。なんなのこの映画・・・名画すぎるっ!

ついった~からのコピペのまんまでスイマセン。

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スティーブン・オカザキ「ヒロシマナガサキ~White Light/Black Rain」●MOVIEレビュー

 いい映画を観ると生き返る。映像の可能性を信じてみようと思えるからだ。

 まだまだ出来ることはたくさんある。奇を衒わなくてもいい。独創的なスタイルを生み出そうと背伸びしなくてもいい。等身大でかまわないから自らの視点を確認しつつ、新たな出会いによってもたらされた発見を素直に租借し、その度に自らの視点を疑い、壊し続けて行くことなんだ。その繰り返しはきっと止むことなく永遠に続いて行く。そのリズムを掴み、そっと作品に定着できた時にこそ、「生き物」として一人歩きの出来るドキュメンタリー映画が誕生する。

Steven Okazaki「White Light/Black Rain The Documentation」
日本公開版「ヒロシマナガサキ」公式サイト

 多くの被爆者と「出会った」気分になった。インタビュー映像の断片から、その人生の物語が静かに、なおかつ生々しく立ち上がって来るような気がして引き込まれた。決して感情的に激することなく平静なテンションで語られるからこそ、逆に内面のマグマの濃度が感じられる。観客の想像力を信じた編集の「節度」が心地いい。

●YouTubeより~映画「ヒロシマナガサキ」予告篇
  

 映画を観ている最中での安易な「感情同化」を、観客に決して起こさせない編集のテンポが絶妙。これが最も大事なのだ。人は「感動」というカタルシスを得てしまうと簡単に「スッキリ」してしまう生き物だから。

 このリズムやテンポを選択したところに監督の強靭な意志を感じた。被爆者が味わった経験というものは、他者が簡単に同化したり感動したりして「わかったような気」になってカタルシスを得て、スッキリして忘れ行く質のものではないからだ。じんわりといつまでも心の奥底にこびりついて離れなくなる粘着質のようなもの。そんなものを僕は映画を観終わった今でも、現に引きずり続けている。それは僕を不幸にするものでもなければ幸福にするものでもないだろう。ただ、僕に「なにかしらの原動力を植え付けてくれる」ものに、これからなることは確かである。

 このところ沈みがちだった気分がなぜか、この映画によって救われた。この映画は凡百の「反戦映画」が陥りがちだった限界を飛び越えることが出来ている。さまざまな政治的なイデオロギーによる色眼鏡を外して、まずは虚心にスクリーンと向き合うこと。そのことの大切さを、やさしく教えてくれる映画だ。FC2 同性愛Blog Ranking

ジャック・ベッケル「モンパルナスの灯」●MOVIEレビュー

 ジェラ-ル・フィリップ人気の根強さ

 1959年に亡くなったフランスの俳優ジェラ-ル・フィリップ。最近、彼の映画祭が頻繁に開催されている。先日、池袋の新文芸坐で行われていた映画祭に、はじめて出かけてみたのだが驚いた。超満員なのである。しかも客席のほとんどを中・高年の方々が埋めている。女性が圧倒的に多いのだが男性もけっこういる。ジェラ-ル・フィリップとともに1950年代の映画全盛期を体験した世代なのだろうか。絶世の美男子であり、理知的な名俳優だった彼にスクリーンで会うべく、今でもワクワクしながら出かける人たちがこれほどたくさんいる。そのことにまず感動した。

 余白の豊かさ

 映画は画家モディリアーニの生涯を描いたものなのだが、どうしても以前見たミック・デイヴィス監督の「モディリアーニ~真実の愛~」と比較しながら見てしまう。「モディリアーニ」の方は最近の映画なので予算をふんだんにかけ、ロケ・セットも豪華に組みエキストラも大量に動員しながら、めくるめく映像技術を駆使して彼の人生絵巻を派手に具現化していた。

 それに比べ「モンパルナスの灯」は地味である。ドラマティックな展開は最小限に抑えられ、過度なBGMを抑制し、主演のジェラ-ル・フィリップの演技に観客の視線が集中できるように作られている。きっと余計な小細工などは必要ないのだ、一人の名優さえいれば。

 そう言ってしまえるほど、ジェラ-ル・フィリップの存在感と演技には魅せられた。この映画の翌年に36歳で彼は急逝してしまうのだが、肝臓癌に侵されている俳優自身の不健康な顔色が皮肉にも、貧困にあえぎ続けたモディリアーニを演じるのにふさわしい風貌を実現させている。モディリアーニ自身も絶世の美男子だったらしいので、とてもリアリティーのある形でスクリーンの中に「息づいて」いるのだ。

 この映画はモノクロであり、セットも美術も最小限。物語としてもモディリアーニが晩年、貧しさの中で芸術家であり続けようと格闘した姿を丁寧に繊細な芝居で見せている。演出には程よい抑制が効いていて、余白や「間」がたくさんあるから観客は自由に想像の翼を羽ばたかせることができる。

 めくるめく映像技術の発達とリアリティー表現の追求が名画を生み出すとは限らない。むしろ表現技術の追求ばかりに目が眩み、映画の表現を「貧困」なものにしてしまっている場合もある。「モンパルナスの灯」は素朴な映像技術で簡素に作られているので余白がたくさんある。しかし余白が観客に提供してくれる精神性の豊かさについて気付かせてくれる映画でもある。

 死ぬのを待たれていた画家

 数々のモディリアーニ伝説の中でも「モンパルナスの灯」で監督が浮かび上がらせたのは、当時の美術界の「闇」の部分である。モディリアーニは生前、ほとんど評価されなかった。しかし実は彼の才能に目を付けていた画商がいたのである。

 リノ・ヴァンチュラが演じた画商モレルは、モディリアーニが評価されそうになるとわざと悪評を振りまき、つぶして廻る。しかし内心では彼の才能を評価していて、画家本人が死んだら安値で買い取り、高く売り出すことを企んでいたのだ。無表情でじわじわと、モディリアーニを邪魔し続ける彼の存在感。その策略家ぶりは身震いするほどリアリティーがある。

 画商の企み通り、モディリアーニは貧しさの中で死ぬ。そして企みどおり、画商が巨万の富を得ることが暗示されて映画は終わる。真っ直ぐすぎる人間はこうして小賢しい人間の犠牲になる。そうしたこの世の真理の一面を衝いているからこそ「モディリアーニ伝説」は今でも人々の心を打ち続けている。


ジャック・ベッケル「モンパルナスの灯」

ジューン・ローズ「モディリアーニ―夢を守りつづけたボヘミアン」

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ガス・ヴァン・サント「ラストデイズ」●MOVIEレビュー

 自死を想像することの不可能をそのままに

 ゲイの映画監督であるガス・ヴァン・サント監督の作品。1994年に自ら命を絶ったニルヴァーナのボーカリスト、カート・コパーンの「最期の二日間」を、彼なりに想像して描き出した、シンプルな描写が冴える映画だ。

 人が自殺をした時。テレビのニュースやワイドショーでは、「なぜ彼は自殺した?」「なにが原因で?」と騒ぎ立てる。センセーショナルでドラマティックな物語を勝手に想像し、勝手に意味を捏造する。今や我々は誰かの自殺すらも、一時の好奇心を気まぐれに満たす娯楽として消費してしまうようになってしまった。「テレビ的」な表層的な想像力で満足してしまう癖を身につけてしまった。

 この映画では「ドラマ」は全く描かれない。主人公が他者との交流を拒み、独りで殻に閉じこもって彷徨う姿をただ映し出す。どこか孤独を楽しんでいるかのような彼の風情。観客は静謐な時空間を、ただ一緒に味わうだけだ。

 繊細な感性で彼と寄り添うカメラの態度は、主人公を突き放しているようでいて、実はあたたかく包み込むようでもある。その絶妙な距離感が最もスリリングで、この映画の最大の見所である。

 「なぜ彼は死んだのか?」 
 「なにが原因で?」
 原因も結果も提示しない。答えを示すことなどそもそも不可能。安易な正解は人を着地させるだけ。着地してしまった思考と想像力は歩みを止めてしまう。映画は、頑なな態度で着地を拒む。強靭で強固な意志が全体を支配する。

 描かれるのはただ、主人公の現在。観客は彼の生きた空気を吸い、彼と一緒に森をさまよい、彼と一緒に大自然と戯れる。その快楽を共有すればいい。彼に刺さる棘と毒の味を、ほんの少しでも共有できればいい。

 共有し、結局は断絶を突きつけられる。彼は逝ってしまったのだから。

 たくさんの矛盾の中で、観客は宙空へ放り投げられる。
 激しい混乱と混沌の渦に呑まれそうになる。
 しかし、映画が終れば自らの足で歩き出す。またいつもの日常へ。
 自分を必要としてくれる人がいるのだと
 信じられる幸せを噛みしめながら。


「ラストデイズ」(LAST DAYS)
監督:ガス・ヴァン・サント
出演:マイケル・ピット  他
LASTDAYS公式サイト…全国順次公開中

ガス・ヴァン・サント「ラストデイズ」

●ガス・ヴァン・サント監督は、アメリカでゲイを公表している著名な映画監督。2003年には「エレファント」がカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞。今年のカンヌ映画祭ではホモセクシュアルを扱ったデビュー作『Mala Noche』が、「監督週間」部門で特別上映されました。
FLIX MOVIE SITE「名匠ガス・ヴァン・サント監督に拍手!」

●このブログで以前紹介したゲイ映画「ターネーション」(ジョナサン・カウエット監督)のエグゼクティブ・プロデューサーでもあります。

ガス・ヴァン・サント監督ロングインタビュー(アメリカを知る19本)

 ニルヴァーナと言えばやっぱ「NEVERMIND」でしょう!

 赤ん坊が札束めがけて両手を広げているジャケットを見た途端、衝動的に「ジャケ買い」してしまったNIRVANAの「NEVERMIND」。
 なによりもヴォーカルの声がいいっ!透き通ってて耳に心地良く、麻薬性があるんです。サウンドはハードなパンクロックなのですが、彼の天性の声の魅力と、実はしっかりと構築されているメロディラインが多くの人に支持された秘密でしょう。彼は「ポップ」とは何かを心得た、すごく頭のいい人だったんだと思います。
Nirvana「Nevermind」

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トニー・ガトリフ「愛より強い旅」●MOVIEレビュー

ザラザラした心の襞まで映し出そうとする執念バンザイ

 パリでの都会生活に安住することが出来ず、飛び出すように旅に出た若い男女のカップル。それぞれに捨ててしまいたい過去がある。これから見据えようとする未来がある。だからこそ、旅に出る。

 旅というのは日常のしがらみから解放され、裸の心で全てと向き合える至福の時。しかし本当の旅は至福のままでいられるほど生易しいものではない。新たな文化や、新たな人々と本当に出会ってしまった時、裸の自分に直接突き刺さってくるさまざまな棘。ぱっくりと口を開ける傷。そのマゾヒスティクな快感。

 時に反発し、時に共感もし、時には投げやりになり、時には狂いもする直情垂れ流しの濃密な瞬間の積み重ね。濃密に飽きたら怠惰にもなれる。自分で自分の時間をコントロールできる旅とは、なんと自由で甘美で厳しいものなんだろう。

 流行りの「パック・ツアー」でパックされたままの旅では味わえない、危険と隣り合わせの旅。不安もある。先が見えない不安定な状態が日常になる。だからこそ、乗り越えられたときには自らの生命力を発見し、強さを発見できる。本当の意味での自信が獲得できるのだ。

 滑らかに生きるより、ザラザラと尖ったままで生きようよ。そんなロック魂にあふれた映画である。

トランスしてみたっていいじゃない

 奔放な性。
 旅路のあちこちで主人公の女性は、男に対して開けっぴろげに性的な欲求をする。品がないだとか、女らしくないだとかいうプレッシャーでがんじがらめの、堅苦しい都会生活で封じ込められていた欲望が解放され、爆発しまくっている。そんな野性的な姿はものすごく可愛らしくて人間っぽい。いいじゃない、つまらないプライドや、つまらない枠組みなんか捨てて、そのまんまの自分で大声あげて泣き叫んだって。それを受けとめてあげる男の寛容さがまた、たまらなくセクシー。

 旅の終着地では異質な文化に適応できず、ふさぎ込んでしまう彼女。しかし、ある酒場で民族音楽に誘われて踊ってみたらさあ大変。みるみるうちにハイ・テンションになりやがてはトランス状態に。毒がどんどん発散し、そこらに散らばり消えて行く。観てるこちらにも彼女のトランスが転移してきて吸い込まれるかのような感覚。これぞ映画的マジックであり音楽の魅惑。ハッと我に返った僕は、映画館でただ座ってそれを見ているだけの自分に気が付いた。つまんね~。今すぐにでも全てを投げ打って旅に出てしまいたい。マジでそう思ってしまったかなりキケンな映画。FC2 同性愛Blog Ranking


「愛より強い旅」(EXILES)
2004/フランス
第57回カンヌ国際映画祭 最優秀監督賞受賞
監督:トニー・ガトリフ
出演:ロマン・デュリス、ルブナ・アザバル、レイラ・マクルフ

「愛より強い旅 サウンド・トラック」

トニー・ガトリフ監督フィルモグラフィー

ジョシュア・マーストン「そして、ひと粒のひかり」●MOVIEレビュー

 麻薬を運ぶ。自分の身体を入れ物にして。

 大きなブドウのような粒にして飲み込み、胃の中に何十個も貯めて飛行機に乗り、アメリカに持ち込んで大金を得る。17歳のコロンビアの女の子が何となく手を出してしまった「大金を得る方法」。日常から非日常への魅惑に誘われるまま、いつのまにか様々なトラブルに巻き込まれながら逞しく乗り越えて行く若い彼女の心情に、ずっと寄り添い続ける物語。

 か細くて、折れそうな体型のモデルのように美しい女の子が、麻薬を何十個も必死に飲み込む姿が壮絶かつドラマティック。彼女が逃げ出したかったコロンビアの田舎町での浮かない日常。大金を得ればすべてが変わる。自由が手に出来る。

 そんなに「アメリカ」はまぶしいのか。

 コロンビアでは、彼女のような商売に手を出す人のことを「ミュール(麻薬の運び屋)」と呼ぶそうだ。近年、社会問題化しているらしい。それにしたって、こんなにも日常の中に犯罪組織からの誘惑が忍び寄り「一般化」しているのだろうか。そして、そんなにまでして「自由の国」アメリカに憧れてしまうものなのだろうか。

 ミュールは、かなりリスクの高い仕事だ。失敗すると胃の中で粒が破裂し、命を落とす危険がある。彼女たちは必死で身を挺して大金を得ようとする。まるで宝くじで一攫千金を狙うかのように。その背後には、不条理に貧しい生活環境と、必要以上に理想化されたアメリカ的ライフスタイルの誘惑があるようだ。

 自分の国の文化に誇りが持てず、一見きらびやかで豊かに見える「アメリカ」というイメージに囚われてしまうことこそ実は不条理。なんで我々はこんな風になってしまったのか。世界中どこも同じじゃないか。

 その環境にはその環境なりの「幸せ」があって「不幸」もある。「アメリカ」とは所詮、経済至上主義が作り出す幻想に過ぎず、実体などない。そもそも「幸せ」には実体などないのだ。

 そのことに気付いた時、絶望するのか希望を持つのか。なにを自分の「幸せ」だと思うのか。
 犯罪に手を染めながら結果的に彼女は「旅」をしたのだった。そのことを否定も肯定もせずに、見つめる。一人の女の子のオリジナルな人生の軌跡として。FC2 同性愛Blog Ranking


「そして、ひと粒のひかり」
(MARIA FULL OF GRACE)
2004年 アメリカ=コロンビア
監督:ジョシュア・マーストン
出演:カタリーナ・サンディノ・モレノ 、イェニー・パオラ・ベガ 、
ギリエド・ロペス 、ホン・アレックス・トロ 、パトリシア・ラエ

「そして、ひと粒のひかり」DVD

ジュシュア・マーストン著「そして、ひと粒のひかり」

イ・チャンドン「オアシス」●MOVIEレビュー

刑務所帰りの男が一人、自宅へ戻ろうとする。しかし家族は転居していた。要するに彼の帰宅は歓迎されていないのだ。
男はわざと無銭飲食をして警察に捕まり、保護者として家族は呼び出される。そんな奇妙な場面からこの映画は始まる。

「ペパーミント・キャンディー」のイ・チャンドン監督と俳優ソル・ギョングが次に挑んだのは「社会的に排斥されがちな者同士の恋」だった。
我々の常識を根底から徹底的に揺さぶろうとする野心と、社会風刺的な視線。そして鋭いユーモア感覚は前作よりもさらにパワーアップし、韓国社会の有り様に対して強烈なパンチを喰らわせている。いや~、この監督は本当にスゴイ。本物の芸術家だ。

兄の罪をかぶり、刑務所へ

ソル・ギョングが演じた主人公は、世間ではいわゆる「ちょっと頭が足りない」「知恵遅れ」と揶揄されるタイプの人。自分の欲望を抑えることができず、衝動的な行動をしてしまう。物事の計画性というものを持てない。兄からは「大人になれ」と叱られ続け、弟からは「僕の人生を壊さないで」と非難され、母親からは「息子ではない」と排斥される。それでも彼は、他に行くあてもないので家族と一緒に暮らしはじめる。
彼は表面上はいつも夢見心地で生きている(ように見える)ので「打算」があるように感じさせない。そのため他人から利用もされてしまう。なんと兄弟からも。
怖ろしいことに、映画の冒頭で刑務所帰りである理由は、実は兄が起こした交通死亡事故の罪を被り、代わりに刑務所に入ってあげていたのだ。「俺はどうせ前科があるし、兄さんは家族もあるし。」と、事故の直後に彼が機転を利かせて自ら罪を被ってあげたのだ。

被害者宅での運命的な出会い

そんな主人公はある日、花束を持ってある市民住宅を訪ねる。そこはなんと一年前に兄がひき殺した男性の家族が住むところ。ドアを開けるとそこには、重度の身心障害を抱える女性が暮らしていた。(たぶん事故の怪我によるものだと思われる。)
そして・・・あろうことか彼は彼女に恋をしたっ!
この先はぜひ映画を見て欲しいので書かないのだが・・・二人はついにはセックスまでしちゃうのだっ!(←書いちゃった。笑)。このことを「ありえね~っ」と思うかどうか。この映画を見てから判断してください。

価値の転換

彼ら二人のような「はみ出し者」を人間としては見ず、「排斥する」ことで秩序を保つ現代社会。そして「家族の名誉」という表面的な部分のみを取り繕うことが最優先される欺瞞性を徹底的に暴きだす監督の手腕は見事。

しかし、こうしたテーマを扱う作品にありがちな「啓蒙性」の押し付けがましさや嘘臭さは、この映画には全くない。なぜなら、誰も「聖人」は出てこないからだ。主人公もヒロインも、ずるい所もあれば嫌な面もある。衝動の赴くままに欲望をむき出しにする瞬間もある。ごく当たり前の、聖も俗も併せ持った存在としてちゃんと描かれているから人間描写として深いのだ。なおかつエンターテインメントとしても成り立っている。見ていて楽しいしドキドキ出来るのだ。これはイ・チャンドン監督ならではの絶妙なバランス感覚なのだろう。彼は「他者に開いて行く」ことを自己の哲学として大切にしているのだろうと思う。

演技が見事っ!

この映画の主人公とヒロインは、実は「ペパーミント・キャンディー」で初恋の恋人同士を演じたコンビ。そのイメージのあまりにも強烈な変貌ぶりには圧倒されるものがある。主人公の「能天気な男」を演じたソル・ギョングの変身ぶりもすごいが、「重度の障害」を抱える女性を全編に渡って演じ続けた女優ムン・ソリは本当にすごい!。顔を歪ませ手を反らせ、身体を硬直させながら全身を使って声を絞り出す。彼女の登場シーンでは正直、「嫌悪感」に近いものを感じた。あまりにも徹底しているので直視するのが憚られる感覚に襲われるからだ。しかし、映画を見続けると、そんなことを感じた自分の「美醜意識」も見事に反転させられる。

正常と異常

「障害者」だとか「反社会的人間」というレッテルは、見方を変えたり視点を変えれば本来的には誰に対しても当てはまるものだと思う。だからこそ、表面上わかりやすい形で表出している人たちのことを「異常者」だと簡単に排斥してはならない。誰もが聖と俗、様々なものを共存させて生きている当たり前の人間なのだ。

他人を「異常」だと言って偉そうに説教垂れたり啓蒙しようとする方というのは、いつの世にも存在して人気を得やすいものなのだが、本当に本人は「正常」なのか。「正常」な部分のみで出来ている「聖人」なのか・・・。
自分のことを「正常」だと言い切って善人ヅラする人間ほど異常な奴はいない。本当にそう思う。

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イ・チャンドン「ペパーミント・キャンディー」●MOVIEレビュー

人生をさかのぼる列車に乗って

妻子と別れた。会社も解雇された。今では河原でホームレスとしての生活。いわゆる「社会から落ちこぼれて」しまった主人公ヨンホ。
ピストルを手に入れ自殺しようとするものの、やはり出来ない。だったら自分の人生を狂わせた裏切り者を殺してから死のうとするが、それも出来ない。

そこへ、見知らぬ中年男が訪ねてくる。ヨンホの初恋相手であるユン・スニムの現在の旦那。なんとユン・スニムが事故で瀕死の状態になり、ヨンホにしきりに会いたがっているという。病院に駆けつける途中でヨンホは「ペパーミント・キャンディー(はっか飴)」を買う。かつて軍隊にいた時、手紙と一緒にいつも一粒ずつ彼女が入れてくれた飴。せめて、叶わなかった恋の思い出話でもしようかと思ったのだが、時すでに遅し。彼女の意識は戻らなかった。

ペパーミント・キャンディーという「物」から連想され、過去の記憶が次々と呼び覚まされる、いわば「記憶の旅」。過去へ過去へと掘り進む過程に浮かび上がるのは、すぐに情緒不安定で暴力的になり、人間関係を壊してきてしまったヨンホの哀しい道のり。彼はいつからそんな性質を持つようになってしまったのか。

特に刑事として民主化運動をする学生たちを弾圧して取り調べる際に、彼の暴力性は遺憾なく発揮される。他人に暴力を振るうとき、間違いなくそれは自分の痛みとしても蓄積される。なぜそんなことを繰り返してしまうのか。

記憶を辿ったその先に出現した過去は、彼をこの世に踏みとどまらせることの不可能性を物語っていた。

最近「ウォンビン兵役報道に思う」という記事を書いた時にこの映画を思い出し、グッドタイミングで新文芸坐での上映があったので、5年ぶりにスクリーンで再見した。

5年前には感激のあまり2回見たので今回で3回目になるのだが、やはりよく出来ている。
特に、何度も挟み込まれる印象的な線路の風景は、韓国の牧歌的な田園風景を美しく映し出しながら実は「逆廻し」であり、この映画全体を象徴する秀逸なイメージショットになっている。このイメージの持つものすごい吸引力で、一気に映画の世界に引き込まれるのだ。映画は、一つでもいいから「その映画全体を象徴する画」を獲得した時に、間違いなく成功する。

未来から過去へと時系列を逆に辿る構成であるため、一度見ただけでは細部が繋がりにくい部分がある。だからこそ何度も見たくなるし、見るたびに主人公の心の闇への理解が増す。なにより、映画では説明されないその「本当の原因」について、観客の自発的な思考を促す節度を保っているところがいい。
主演俳優ソル・ギョングの繊細かつ大胆な演技と、イ・チャンドン監督の中に静かに燻る韓国という国の持つ偽善的側面への反逆精神が呼応し合い、奇跡的な成果を上げた。このコンビで3年後に制作された「オアシス」も、さらに過激に進化した素晴らしい映画だった。
長年いがみ合ってきた日韓の最初の文化的共同事業が、こんなに素晴らしい映画だったという原点を忘れてはならないと思う。
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ヴィム・ヴェンダース「ランド・オブ・プレンティ」●MOVIEレビュー①

「9・11」というトラウマを抱えて

「ベルリン・天使の詩」「パリ、テキサス」「さすらい」など、ヴィム・ヴェンダース監督のフィルモグラフィーには、ため息が出るほどの名作が多い。社会や同時代と正面から向き合い、常に誠実で刺激的な問題作を発表してきた数少ない「映画作家」の一人だろう。そんな彼がついに「9・11」と向き合った作品を発表した。

現在公開中の「ランド・オブ・プレンティ」は、なんと偶然生まれた作品だという。
2月に日本公開される次回作「アメリカ、家族のいる風景」の撮影が延期になり、空いた期間で突然思い付いて16日間で撮影してしまったらしい。なにかにとり付かれるかのように出来上がったこの映画は、そのエネルギーと切実な思いが詰まった、まさに「今、本当に必要な映画」となった。

世界はまだ「9・11」を克服できていない。その後起こった様々な出来事にも、どう対処していいのかわからない。そんなどうしようもない現代の苦悩に対して、映画作家として何が発言できるのか。ヴィム・ヴェンダースらしい誠実な問いかけが、この作品にはちゃんと詰まっている。
●公開情報:
現在シネカノン有楽町で1/13(金)までモーニング公開中(連日10:45~)
1/21~27、目黒シネマで一週間限定公開(12:30~ / 17:15~ )

マイケル・ムーアへの静かな批判

「9・11」以後、事件を題材に様々な映画が作られては来た。中でも特に有名なのがマイケル・ムーア監督の「華氏911」だろう。アメリカ大統領選を前に公開され、カンヌ映画祭のパルムドールを受賞し、世界中にセンセーショナルな話題を振りまいた。
しかし映画としては何という幼稚な表現だっただろう。ブッシュ大統領を完全に「悪魔」視し、告発することしかしない。ドキュメンタリーの手法を借りてはいるが、作者の政治的な主張に満ちた「戦闘的プロパガンダ映画」としか言えない代物だった。

僕は、あの映画は逆にブッシュ支持者を刺激して、その意思を強固なものにしてしまったのではないかとさえ思う。確かに描かれている内容や告発されるべき大統領の姿は「知っておくべき戦慄すべき事実」ではあるが、あそこまであからさまに戦闘姿勢を前面に押し出してしまうと、描かれた事実が感情的に誇大化されたものなのではないかと思われてしまうからだ。
さらに言えば、戦闘的な表現というものは観客にカタルシスを与えてしまう危険を内包している。感覚的に「やっぱりそうか」と思わせるだけで、観客の思考を「終わらせてしまう」のだ。
「華氏911」を観た後、まるでエンターテインメント娯楽大作を見た後と同じような、妙な爽快さを感じて背筋が寒くなってしまったのは、僕だけではないだろう。

戦いの姿勢は、新たな戦いしか呼び起こさない

あれは「プロパガンダ映画」そのものだ。「プロパガンダ映画」とは、映画と同じ政治的主張を受け入れる人たちの意見を補強することには長けているが、反対意見を持っている人々の心には決して響かない。それどころか反発心を増長させ、意志を強固にさせてしまうだけなのである。
「戦い」の姿勢をとり続ける限り、そこからは新たな「戦い」しか生まれない。
「戦い」というのは、思考を単純化させなければ出来ない行為である。
そもそも「賛成」「反対」という態度表明自体、思考の単純化の産物であるのだから。そのことに無自覚な者に、芸術表現をする資格はない。自らの思考を固めてしまうことへの畏れがない者に、映画を作る資格はない。

映画というものは油断をすると簡単に「戦い」の論理に巻き込まれてしまう危険な装置だ。マイケル・ムーアはあまりにも無邪気に映画を「道具」にしてしまった。

映画はもっと大人であるべきだ。
ヴィム・ヴェンダースはこの映画で、そう言っているように思う。
複雑な物事から逃げずに、先行きの見えない不安を受け入れながら生きること。自らの不安によって他者を必要以上に悪魔視し、「敵」を勝手に作り出してしまう愚かな精神構造から解放されること。そんな当たり前の状態に、世界を戻さなければならない。

この「ささやかな物語」は、静かな語り口だからこそ、ゆっくり心に染み渡って来る。
世界が子どもになろうとしている今だからこそ、映画は大人であるべきだ。FC2 同性愛Blog Ranking

ロン・ハワード「シンデレラマン」●MOVIEレビュー

ハリウッド映画への食わず嫌いを反省

あまり良くないことだが、僕はつい「ハリウッドの大資本が作った映画」というだけで食わず嫌いをしてしまう傾向がある。しかしこの映画には驚かされた。すごく良かったからだ。(1/13まで上映中)(☆公式サイト)

嬉しい点としては、映像表現やBGMが適度に抑制されていること。
だから暑苦しくて押し付けがましい、あの「ザ・ハリウッド」的なクドい体臭が大嫌いな僕でも、わりと取っ付きやすいので嫌悪感を持たずに済んだ。
そしてなにより主人公がいわゆる派手派手しい「アメリカン・ドリーム」の体現者としてのヒーローではなく、ヒーローではあるのだけれど「ささやかに生きること」を選択した男であるのがいい。

きっと主演のラッセル・クロウの演技力がとても素晴らしいのだと思う。生活感があって泥臭いのだけれど凛とした、人物としての確固たる「芯」を持つ主人公を丁寧に演じきっている。
実は・・・恥ずかしながら僕は、今までこの俳優のことを知らなかった(←ホントに。全然見てないし興味がないから情報としても自分の中に入って来ないんです。極端な性格なので。笑)。そのことを素直に反省し、せめてこの人の出演作位は見直してみてもいいのかもしれないと思った。

直言派、「ラッセル・クロウ」という個性

監督のロン・ハワードは、主演のラッセル・クロウのことをインタビューでこう語っている。
(パンフレットより)
「ラッセルは魅力的な意味で矛盾を抱えた男だ。彼は頭に浮かんだことは何でも素直に口にする。そのせいでときにはイヤな思いをさせられることもある。だが、その一方で彼は、いい仕事をするために、それこそ献身的に努力する。あくまで観客に喜んでもらうため、ストーリーをきちんと語るためだ。」
当のラッセル本人も自分のそうした面を認めている。
「僕はキャラクターを構築していく過程をとても楽しんでいるんだよ。ただし、そのキャラクターや映画は、僕自身が信じられるものに限られる。ただの仕事だとは割り切ったりしないんだ。そういう風だから、ハリウッドの人たちからは厄介なヤツと思われているようだけどね(笑)。でも、だからこそ僕は朝の4時に起きて、1日14時間働くことが出来る。自分の信念がないと、そんなことは出来ないと思うよ。映画は自分のボディとソウルを捧げなきゃ出来ない仕事だと僕は考えているからね。この業界で働いている人たちで、大した映画じゃないと思っているのに、朝の4時に起きなきゃいけない人たちを哀れに思うよ。彼らがなぜ、そんなことが出来るのか、僕にはわからない。」
・・・ズバズバ言ってますね~(笑)。
こういう、自分の意見をはっきり言う「直言タイプの人」というのは、表現者として魂がある何よりの証拠であり、それは演技にも如実に反映される。ただし八方美人ではないから、周囲の人にとっては厄介な「トラブル・メーカー」なのかもしれないが(笑)。いいなぁ、こういう人。

大恐慌時代、「食うために」ボクシングで稼いだ男の物語

1929年10月24日の「ブラック・サーズデー」いわゆる金融大恐慌は、想像に勝る悲惨な状況をアメリカの市井の人々にもたらした。当時はなんと4人に1人が失業者となり貧しい生活を強いられたという。映画ではそんな時代の状況を丁寧にしっかりと描き出していて、重要な見所になっている。

物語としての冒頭では、主人公がボクサーとして順調に成長する姿が描かれる。しかし怪我を負ったことから試合に出られなくなり、稼げなくなってしまう。妻子を抱え、生活に困った彼は、生きるために大恐慌の荒波の中、港湾労働者として日銭を稼ぐようになる。しかしなかなか思うように稼げないので、貧しさは募るばかり。
冬なのに自宅の電気が止められて子どもたちが病気になる。妻とも喧嘩する。精神的にも追い詰められ、ついに彼は「男」としてのプライドを捨てて、かつての仲間に物乞いをしに出かける。政府からの生活援助も甘んじて受ける。映画はそんな彼の「格好悪いけれども生きることに必死な姿」を真摯に描き出す。背に腹は代えられなくなった時の人間の強さを真っ直ぐに見つめる。

街には、彼のように目をギラギラさせて仕事を求める男たちが溢れかえっている。資本主義経済の破綻により、これほどまで急激に当時のアメリカの一般市民は追い詰められたのだ。その生活感覚の一端が垣間見られるだけでも価値ある映像体験である。
そして、この貧しさからの脱却願望が、第二次大戦やその後へと繋がるアメリカ市民の精神的背景にもなっている。

必要以上に感情を煽り立てないボクシング場面

底辺でギリギリの生活に明け暮れていたある日のこと。主人公にボクサーとしての復帰のチャンスが訪れる。彼のことをボクサーとして愛しているトレーナーの献身的な支えにより、復帰戦に出場できることになったのだ。
しかし対戦相手は、凶暴な殺人ボクサー。反則技を繰り出し、リング上で相手を殺したこともある怖ろしい人間。しかし主人公は「生活費を稼ぐために」リングで戦うことを選ぶ。名声のためではなく、生きるためにリングに上がるのだ。

試合での死闘も描かれるのだが、ボクシング映画にありがちなセンセーショナルな騒々しさはない。必要以上に観客の感情を煽り立てないから、シンプルな「人間同士のぶつかり合い」として眺めることが出来る。なにより俳優ラッセル・クロウがとてもリアルに役を生きているから、余計な小細工は必要なかったのだろう。
この映画は、チャンピオンになった後「無名に生きる」ことを選択した実在の人物の物語だ。権威や金や名声に溺れるのではなく、自分の人生を自分の価値観で選んだ真摯な男の物語。

いい役者と、「描かれるべき物語」さえあれば、制作者たち一人一人の思いが結集し、丁寧で心のこもった映画が出来る。そんなすがすがしさを感じさせてくれる、好感の持てる「ハリウッド映画」だった。FC2 同性愛Blog Ranking

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