メディアと性的マイノリティ17●90年代の番組を録画したビデオは劣化して見れなくなります。早急なデジタル・アーカイブ化を!

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
いよいよ最後の掲載となります。トークの最後に「まとめ」の言葉として語られた中にも、重要な指摘が数々ありました。
メディアと性的マイノリティ17●早急なデジタル・アーカイブ化を!
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(性社会・文化史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
★こちらの記事からの続きになります。
島田暁
それでは予定時間になりましたのでこれで終わりにさせていただきますが、最後に、手短に今後の活動ですとか今やられている活動について、ありますか?

特にないんですけれども、本当はね、最後の問題というのは、それだけをテーマにして話がいっぱい出来るくらいに難しい問題をいっぱい抱えていて。まず、同じLGBTといってもそれぞれ抱えている問題が違う。もっと言えばゲイの中でも一人一人違う人が、どうやってネットワークを作って行くかという、すごく大きな問題なので、それはかなり、あんまりうまく行っていないという現実を、自分の反省も含めて認めざるを得ないところがあって。
そのためにどういうことをやって行くかということを、これからも模索しながらやって行きたいと思ってますので、とりあえず「すこたんソーシャルサービス」でどんな活動をしているかを見ていただけますし、mixiの方をやられている方がいましたら、mixiの方がわかりやすく書いてありますので、興味と関心がお有りの方はコミュニティをネットで・・・。ここでも「ネットで」としか言えないところがいつも悩ましくてね。だったらば出している本を読んでください、図書館で見てくださいになってしまうという。結局、なんだかんだ言ってネットに頼っている自分というのがあって、そこからの脱却も課題だと思っています。
島田暁
ありがとうございました。
三橋順子
あの、ずっとこんな話をしていて最後にこんなことを言うのはアレなんですが、私、運動は大嫌いなんですね。だから自分が運動家だとは全く思わないんで。私は歴史研究者であるっていうことが第一義だし、場を与えられれば「教育」という形で社会還元をするというのが私の役割だと思って・・・まぁ文筆的にもっと大きく社会に還元するということもやってますけれども。だから正直言って、自分が運動する気はさらさら無いんです。すごい無責任な話ですけど。

そういう形で、いわゆるテレビで流れた番組・情報を、アーカイブっていう形で共有化する。いくら私がその頃の話をする、伊藤さんがいくら「あんな酷い番組があって」と言っても、それを今の方たちが確かめる術が今のところ無いんですね。これはやっぱり早急に、それぞれお忙しいでしょうけれども、私も含めて自分の持っている映像資料というものを、少なくともリスト化し、さらにビデオテープをDVDにして、ある程度の共有財産化をしないと、メディア・リテラシーが出来ないんですよ。
さらに言うと、日本でメディア・リテラシーがなぜ進まないか。テレビメディアの批判がなぜ進まないかと言うと、テレビメディアが自分でその証拠を残さないんです。「あの時あんな酷いことを言ったじゃないか」って言ったってテレビ局にアーカイブが無いから映像が残ってないんですよ。「そんなこと言いましたっけ?」ってとぼけられたらそれまでなんですよ。
それをさせないためには私たちが、過去のいいもの、悪いものを含めた映像情報をちゃんと共有化して行くことが、メディア・リテラシーの基礎として絶対に必要なんだなということを今日、特に思いました。まあ、いつになるか約束は出来ないんですが、自分が持っているものを早急にリスト化し、自分のブログなりなんなりに早急に上げようと思います。

ありがとうございました。僕も三橋さんのそのご提案、自分に出来る範囲で関わって行きたいと思っていますし、今日がそのスタートの日になればと思ってます。ものすごく大切だと思うのはなぜかと言うと、早くとりかからないと危ないんですね。90年代のあたりのビデオというのはそろそろ劣化が進み、再生できなくなるんです。だから早急にデジタル化を進める必要があって。誰がどのあたりの番組を持っていて、デジタル化を誰がするのかということを、もう具体的に進めなきゃいけないんじゃないかと思っております。
そうですね僕も半分、活動みたいなものに足を突っ込んでいるのですが、自分としては映画を作って行きたいと最初から思いながらブログも書いてきているのですけれども。この後ここで『ジェンダー・セクシュアリティ』絡みの映画の上映がありまして、そこで上映するのが『竜超の現代狂養講座 同性愛とテレビジョン』というものがありまして。
90年代の中盤にNHKの衛星第2で、深夜に4回シリーズでゲイ・レズビアンに特化した番組を、ゲイ・レズビアンの当事者達と相談しながら企画段階から作り上げて放送しようとした番組があったんです。
三橋順子
へぇ~。しようとしたんだ。
島田暁
それで、1回目は放送したのですが、1回目を放送した後、2回目3回目4回目の撮影もほぼ進んでいたにも関わらず、お蔵入りになってしまったという事件がありまして。その担当ディレクターの方が2年前に、ゲイ雑誌の付録用として作ったDVDで、当時の思いですとか今どう思うか等、真相を語ってくださっているものを25分にまとめたものが上映されますので、もしよろしかったら御覧ください。
●同性愛とテレビジョン●NHK放送中止事件の真相
◆この作品は2009年に東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映されました。
◆『竜超の現代狂養講座 同性愛とテレビジョン』『しみじみと歩いてる』の上映希望受付中。お問い合わせは「akaboshi企画」まで→ akaboshi07@gmail.com
あと、個人的な宣伝で申し訳ないのですが、『しみじみと歩いてる』というタイトルの長編のドキュメンタリー作品を初めて制作しまして、上映会がありますでので、ご興味があられる方はぜひ、お越しください。
それでは、本日はこのテーマで話せたこと、とても有意義だったと思っていますので、今後への具体的な動きに繋げていければと思います。それでは皆さん、ありがとうございました。
「メディアと性的マイノリティ」トークを振り返って
僕は大学時代、マスメディア志望でメディア研究を専攻していたということもあり、メディア分析をするのは大好きなんです。そこで「性的マイノリティのメディア表現」というテーマに絞ると自分の関心度がさらに凝縮されて高まるわけで、このテーマにこだわることは今後も続けようと思います。そして、伊藤悟さんと三橋順子さんとは、たとえば1年に1度くらいのペースでトークを開催したりしながら、メディア・リテラシーを高めるための組織づくりを少しずつ進展させていければと思いました。
昨年10月開催のトークだったにも関わらず掲載終了が翌年3月ということになってしまいましたが、でもこれって、このブログではまだ「マシな方」なんですよーっ!(←開き直り。笑)。きっとまたこうした企画をやることになるでしょうし、メディア・アーカイブのプロジェクトも始めたいと本気で思っていますので、どうぞよろしくお願いします!→FC2 同性愛 Blog Ranking

『しみじみと歩いてる』
★3月に東京で自主上映会を開催します。
3月21日(祝)13:20/15:20(2回上映入替制/1200円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分■制作:akaboshi企画
2006年10月から、大阪の御堂筋を性的マイノリティとその友人たちが歩く『関西レインボーパレード』に通いながら出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤、苦しみ、そして喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。
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メディアと性的マイノリティ16●レズビアン・ゲイの世界っていうのは、90年代に持ってた「社会性」「社会的な働きかけ性」みたいなものを、どうして失って行ってしまったのか? #ishihara_kougi

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
性同一性障害関連の活動家に比べ、ゲイ・レズビアン等の活動家あるいは「社会に働きかけよう」という運動が、停滞してしまっているように感じられるという三橋さん。その話に関連して僕は、2007年の尾辻選挙での経験を思わず「トラウマ」と表現してしまったわけですが・・・現在の石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会などに繋がる貴重な体験だったと、今の時点からは肯定的に振り返ることができます。
石原発言の「以前」と「以後」では、ものすごく大きな意識変革が今、僕の中で起きていることに気付きます。この時に三橋さんに発破をかけられたことも、少なからず影響しているような気もしています。
●メディアと性的マイノリティ16●レズビアン・ゲイの世界っていうのはなぜ
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(性社会・文化史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
★こちらの記事からの続きになります。

以前ゲイの方でけっこうそれ(メディアチェック)小まめにやってらした方いらっしゃいましたよね。
島田暁
あの方関西の方ですよね、馬場(英行)さん。亡くなられちゃいました。
三橋順子
やっぱり亡くなられたんだ。私、あれが切れちゃったのがやっぱりすごく残念だったんですよね。
島田暁
90年代ですか?馬場さんがやられてたのは。
伊藤悟
90年代の後半、ずっとチェックして。すごく本格的に。
三橋順子
けっこう細かくね、(メディアを)チェックされて。いちいちその問題点を指摘されてた。

インターネットのわりと初期の頃に『ゲイと政治』というタイトルでサイトを作り、そこに発表されてたんですよね。
★関連記事
→LGBT可視化に向けて050●LGBTの家族と友人をつなぐ会・初参加(2007年1月17日)
伊藤悟
そうですね。
三橋順子
ああいうことっていうのはやっぱり手間暇を惜しまず、それぞれ番組を観て気付いた人がやらないといけないと思うんです。
島田暁
その方も関連してると思うんですけど、その頃「G-FRONT関西」という名前で今もある、「ゲイフロント関西」と当時言っていた活動団体が、先ほど伊藤さんのお話にも出てきましたし、僕がトラウマを抱えた元凶である日本テレビの「解禁テレビ」というところで放送された、二丁目のゲイカップルをまるで犯罪者のように扱った番組があったんですけれども。
『週刊金曜日』の過去の資料を見たところ、6ページくらい、それに関する後日談ような特集が組まれていて、そのうち伊藤さんが書かれている部分もあるんですけれども、「ゲイ・フロント関西」の当時わりと活発に活動されていた方が、どこをどうおかしいと思ってどういうふうに抗議して、結果的にそれは番組のプロデューサーとかに謝罪をさせることに繋がっていて。きっとそれが影響してその後、同じようなタイトルのものがなかなか放送されにくくなることに繋がっていたりとかしてますので。
当時は「こういうことをやりました」という情報が載るのはやっぱり紙媒体がメインだった。けれども今は誰でもブログとかにも出せますし、それをTwitterで「広めてください」とやれば広まる可能性とかもあるので、どんどんそういうことをやるといいんじゃないかなと思います。

あのね。前から思ってるんだけど、これはオフレコなのかもしれないけど。テレビ業界なんて、ゲイの人すごく多いはずなんです。
伊藤悟
うん。
三橋順子
少なくとも私が得てる情報的には多いと思う。
伊藤悟
多いと思う。はい。
三橋順子
その人たちがなにも仕事場でカミングアウトする必要は無いんだけど、ゲイのネットワークの中で、そういう人たちを動かすようなことって出来ないのかな?
島田暁
動いてないですよねぇ・・・。
三橋順子
逆に自分がゲイだから余計にそういうものには関わらないような姿勢を取っちゃうのかな?
島田暁
立場を追われること、リスクを・・・
三橋順子
立場を追われることが嫌なんで・・・
島田暁
リスクを考える率が高いから動いて無いんじゃないでしょうか。

だから、実際に「男社会」ですからテレビ業界は。たとえば「ゲイに関心がある」と言っただけで「お前はホモか」みたいなツッコミというのは今だにあるから、それで・・・
三橋順子
徹底的に隠さなきゃいけないから逆にまったく動けないんだね。
伊藤悟
っていうこと。それと、たとえばさっき馬場さんという単語が出て、ここもオフレコになるのかな、わからないけど。馬場さんはすごくテレビのメディアチェックをしてた方なんですけど、ゲイの中で馬場さんが評価されてないことが私は非常に残念なんですね。「ただ抗議だけをしてた人」というイメージを持たれてるんですよ、コミュニティに。でも「抗議だけ」って言ってもその中身は充実していたものがある。もちろん行き過ぎていた面もあるけれども。
なんか今、「抗議」とかいったもの、そういうのは一切よろしからぬものというような雰囲気があって。その中で馬場さんが地道にテレビの中の問題点をやってきたことっていうのが評価されてないと。その辺がさっき「LGが今、どうして?」というのは、そういう内部的な問題もたぶんあって、なにかそういう「活動的なことをすること」に対する拒否感が行き過ぎているのではないかなと思うところもあるんですよね。
三橋順子
だからそこが結構私は知りたい部分で。トランスジェンダーのコミュニティっていうのは、特に性同一性障害の人たちの影響を受けたからなのかもしれないですが。以前はね、まあ自分たちの世界だけで好き勝手やってればそれでハッピーだというような感覚があったんだけど。やっぱり世の中に出て行こうと思った場合には、いろいろ厄介なことがあるわけじゃないですか。それを実感するから「なんとかしよう」っていう動きはあって、けっこう社会性が出来てきてるんですよ、この10年間で。
だけど逆にレズビアン・ゲイの世界っていうのは、90年代に持ってた「社会性」「社会的な働きかけ性」みたいなものを、どうして失って行ってしまったのか。コミュニティの中で希薄化して行っちゃったのか。それがすごく不思議。

聞きながら耳が痛いんですけども(苦笑)。あのー、僕もちょっと活動的なことに、あまりにも真っ直ぐに行くことにすごく抵抗を感じた時期があって。今はまたそこから抜けて来ているんですけど。それは僕の場合は尾辻かな子さんの選挙に関わって、撮影とか、キャンペーンとかにも関わった成果が実らなかったことのトラウマで、自分を責める気持ちも混じりながら・・・というのがあったんです。当時やっぱりすごくバッシングされたんですよ。そういうことをやっていることに。
三橋順子
だからね、選挙の話あんまりするのもあれなんですけど。選挙の規模が違うわけですよ、世田谷区議会議員と参議院議員とでは。だけど、上川が5000票?で、尾辻さんが6万票?
島田暁
いや、えーっと、3万9000とか、4万近く。
三橋順子
4万票?・・・だからもっとマズいよね。なんで世田谷区で5000票取れて、全国で4万票?。それはないだろうと、私は尾辻さんの選挙の後の自分のブログに書いたんだけど。それってやっぱりなんなの?っていう。それはやはり、尾辻さん側の思惑も外れたんだよね。たとえば日本中に100人に数人ゲイ・レズビアンが居て、そのうちの100人に1人が投票しても充分通るはずなんだよ。
島田暁
そうですね。

全員が投票したら大変なトップ当選になるわけだけどさ、そんなことはあり得ないわけだけど。それすら無かったというのはなんだったんだろう。私はやっぱり、すごくそれが不思議で。
島田暁
いろーんな原因が絡まってて一言では言えないんですが。
三橋順子
今そういう場じゃないからアレだけど。
島田暁
僕、いま一つ言えることは、「カミングアウト推奨選挙」になってしまっていた。「カミングアウト啓蒙選挙」になっていたことも一つの原因かなとは思います。「レズビアン、国会へ一撃!」と選挙のポスターや葉書の全てに「レズビアン」ってかなり目立つ所に入れていたので、今までの話にも何度も出てきたんですけれども、いわゆる性的マイノリティのことを取り上げるとか、それを人に薦める=「あなたがそうなの?」って言われることに関して、すごくまだためらいを覚える当事者が多いこの日本社会の中において、あれをやるっていうのは、進めた選挙対策本部自体に、「これをやることによって、更なる可視化を進めていこう。だから選挙に関わって尾辻かな子さんを人に薦めるという、当事者達の自己開示に繋げていこうという目論見が無かったと言えば、嘘になると重います。
だからそこがちょっと、広げられなかった。家族とか友人とか「誰に投票するかわからない人」っていうのは、友人から薦められたから、家族から薦められたから「だから登場しよう」っていうのは、一定数いるらしいんですね。だから4万人が投票したとして、一人にでも広げられていたら8万人になっていたわけで、そうすると当選ラインに入ってるんですよ。だから、そこの壁ってやっぱり高かった。選挙運動員になりきれない・・・。「なる」=自分がセクシュアル・マイノリティであることを開示するということのハードルが高かったということが見えていたのかなと、僕は思います。それだけではないですけれどもね。

選挙好きなのでついね。私ももちろん、尾辻さんに入れて。まぁ正直に言って「当選はつらいかな」。だけども、当選ラインのすぐ下くらいには来るかな?要するに繰り上げ当選があれば入るくらいのところに来るかなぁなんて、けっこう自信を持って予想してたら、私の予想の半分の票だったんです。そのくらいから・・・えっとあれは何年でしたっけ?
島田暁
えっと、2007年です。
三橋順子
そのくらいから、「社会運動」なんて大げさじゃなくていいから、「社会に関わること」の抵抗感というか、あんまりやりたがらない傾向が、どうも隣り村はあるんじゃないかな、と思ってて。
島田暁
でも、そろそろそれがまた抜けてきてる・・・
三橋順子
抜けて来て欲しいんです。
島田暁
なって来てると感じますね。同性婚・同性パートナー法のネット署名がすごい早く集まってたり。
三橋順子
わかりやすく言うと性同一性障害の人たちが戸籍の性別変更を制度化して、かつ最初は「子なし要件」の制約がきつかったのを、万全じゃないですけど運動をやって、だいぶ弛めて。次に残ってくるのが、順番はどっちかわからないけど手術要件か婚姻要件なんですよ。婚姻要件に関しては完全に同性婚の問題で引っかかってるわけだから、それをやろうとすると、いよいよトランスジェンダーの方も、同性パートナーシップなり同性婚の法制化ってことを求めざるを得ない。
だけどそれは本来、トランスジェンダーや性同一性障害が本気で運動することではなくて、同性愛の人たちが本気で運動すべきことだと思う。だけど、いつまで経っても動かないんだと、やっぱりこっちが本気でやらざるを得ない状況になってくる。今年、来年あたりが本当に「分かれ目」になるかもしれないです。
やっぱりいろんなショックがあるんだけど、学術論文調べてて、ゲイで研究者で社会学者の方が「同性婚反対」の論文を出しちゃってるんですね。もちろん学術的にはそれは意味のあることかもしれないけれども、運動的にはやっぱり、どうなんだろうなぁと思ったりね。うん。まあ、隣り村が複雑だってことはわかってるんですけれども。

(苦笑)
三橋順子
もうちょっと、なんかな、というのが今日の本音です。
島田暁
はい、ありがとうございました。→FC2 同性愛 Blog Ranking
☆三橋順子さんイベント出演情報・・・3月5日(土)19時開催
『石原発言とメディア ~日本のマスメディアはなぜ、あの発言を許すのか?』→詳細はこちら。

『しみじみと歩いてる』
★3月に東京で自主上映会を開催します。
3月21日(祝)13:20/15:20(2回上映入替制/1200円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分■制作:akaboshi企画
2006年10月から、大阪の御堂筋を性的マイノリティとその友人たちが歩く『関西レインボーパレード』に通いながら出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤、苦しみ、そして喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。
メディアと性的マイノリティ15●ネット普及は草の根的には広がるが、マスメディアのような巨大なものに突破口を開くことにはつながらない?

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
あれっ?この連載終わってたんじゃないの?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、まだ3回分も映像が残っていたんですね~。このシリーズの前回の掲載は昨年の12月7日、つまり見事に石原都知事が同性愛者差別発言の第2弾を放った日を最後に中断していたわけですが、ようやく再開できる運びとなりました。あの発言のおかげでレギュラー連載が中断を余儀なくされてしまったこのブログ、載せようと思っていた映像がどれだけ溜まっているのか考えるのも嫌になるくらい大量にあるわけですが、焦らず徐々に復旧して行こうと思います。
さて。このシリーズ連載は質疑応答の場面になります。次から次へと新たな方法が開発され普及していくインターネットというメディア状況の特性と不足点、両面を考える機会になりました。なお、このトークは昨年10月に行われたものであり、その後の石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会などの動向はまだ「まったく予期していない」時期に当たるため、現実分析面において若干、現在の感覚とは違うと感じられる箇所があるかと思います。それだけ年末から今日に至る間の変化って、大きかったという事なのかもしれないですね。
●メディアと性的マイノリティ15●ネット普及は草の根的には広がるが・・
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
★こちらの記事からの続きになります。

皆さん御本をお書きになったりとか、YouTubeをお上げになったりとか、ある程度マスコミ的なものを・・・YouTubeはマスコミと言えるかどうかわからないですけども、探せば見れるようなものを発信なさっているんですが、ここ数年ですが、形として残るものではなくて、生放送で放送するということがけっこう流行っていて。Twitterなんかでも、以前だともうちょっと、プライベートだけど放送しているというか、Ustreamとかあったんですが、それがもっともっと私的なものになってきていて。
今、Twitcastingというのがあって、それを同時でなんて言うかというと「モイする」と言うんですけれども、Twitcastingというのが流行っていて、特に若いんですよ、10代か20代のゲイの子たちが自分たちの生活をi-Phoneで流しているんですね。それは、何か可能性があるのか。あるいは、流行って廃れて行くのか。お考えのところがおありでしょうか。
三橋順子
さっきakaboshiさんがおっしゃった「インターネットの時代になってからの流れ」というのは、たしかに個人が発信することが容易になってきた、誰でも自分の思いなり自分の生活を発信できるようになってきたという点では、たしかに凄い進歩だと思うんですよね。で、今御紹介いただいたような事例は、それはもうどんどん究極に行ってる形だろうと思うんです。だけども、私なんかはインターネットの前の、いわゆるパソコン通信時代、BBS時代からの人間なんで、その違いはすごくわかるんですけど。

akaboshi(島田暁)
そうですね、ブログの新着記事が。(GBrのこと)。でもそれもブログでしかも「ゲイ特化」なので、他のセクシュアリティが入ってない。
三橋順子
だからそうやって個別分散化して行くっていうことが、今日のテーマに即して行くと。セクシュアルマイノリティが社会に働きかけていく時に、草の根的には広がっているけども、何か大きな、マスメディアみたいな巨大なものに対して皆で力を合わせて突破口を開いていくようなことには、私はちょっと繋がらないのかなと。むしろ、分散化・希薄化しちゃってることが、この何年間の、事態が一向に改善しないことの一つの原因かなぁって、思ってしまうんですね。悲観的ですけれども。

私もほぼ同じ意見なんですね。もちろん可能性があるっていうか、ネットのおかげで出会いが簡単になったりとか、メリットも無くはないどころか、ものすごくあって。たとえば今、私がやっているNPOのワークショップだってネットで宣伝をするから人が来てくれるということはあって。そういう意味においてはネットの活用というのは、されていると思うんですけれども。でも今、三橋さんがおっしゃったこととほぼ同意見なので、それを違う角度から言うと。
今、個人が発信するために情報の混乱というのが起きているんですよね。たとえば今までは情報が少ないが故に、たとえば、すこたんソーシャルサービスがウェブサイトを作った時が1997年なんですけれども、まだゲイ関係、レズビアン関係のサイトっていうのは全部一日でネットサーフィンできるくらいしかなかった。その頃は、比べたりして、それこそリテラシーですよね。どの情報がもっともらしいか判断することは難しくなかった。
だけど今はもう、あまりに膨大に各個人が発信してるから、比べようと言っても大変だから、時々、思い込みで信じちゃう子がいるわけですね。たとえばワークショップをやってると、ネットとかで見たんだけれども「ゲイは2丁目に行かないと一人前じゃないんですか?」とかって。いやいや別に2丁目の良い所悪い所があるわけで、一人前かどうかとは関係ないんで。

その中で「つながる」という時に、つながりを作っていくというのが逆に難しくなっている側面もあるので、どんどん、これから先必ずしも「良い方向」に向かっていくかどうかはわからないという面もあるので。だから、たとえば「どんな風にネットを活用するか」ということを、それはそれできちんと考えないといけないと強く思っています。
akaboshi(島田暁)
僕はたぶん、この3人の中ではいちばんネット接触率が高くネットで表現をしている者なので、少し聞いていて違うなと思ったのが、僕は悲観はしていない。むしろこれからもっともっと可能性が増えて行くだろうし、でもその時にインターネットだけでは確実に限界があるので、やっぱり既存のマスメディアですとか、そういう風に力を持ってこれまで情報を発信してきた人たちと、いかに連携しながら、相互相乗効果で「セクシュアル・マイノリティってこんなに世の中にいっぱい居るんだよ」というのを、まだまだ出していける余地がたくさんあると思います。

で、今質問された方がUstream、いわゆる映像が生中継でどんどん個人が発信できるようになって。今日たとえばこのトークもUstreamでやろうと思えば出来る、けれどもやっていない。それで何故僕がそれをやっていない、あるいは主催者にそれをやるように要望しなかったかというのは、僕の感覚ではまだ、セクシュアルマイノリティ絡みのことで、こういう公的な場で、公的に、不特定多数の誰が見に来るかわからない、誰がYouTubeを覗きに来るかわからないという形で発信するものに関しては、発信者として責任があると僕は思っていて。これを生中継でもし流した時に、たとえば、お二人が話している発言の内容に、「ちょっとこれは・・・」という本当に内部で知り得た情報で、個人名が入っていたりとかいうことが「ポロッ」と出る可能性がゼロではないと思うんですね。
なので今日も始まる前に「撮影させていただいてこれをYouTubeに載せさせていただきますが、もしオフレコ発言があったと御自身で気付かれましたら、その部分はカットさせていただきます」と言ってから始めてます。なので僕は生中継をすることには抵抗がありますし、やっぱりこれをYouTube化する時に、必ず何回か見ることになるんですね。1回目見て「どこで区切るか」というのを決めて、「本当にこれをこのまま載せていいのか」というのをもう一度見て、それで自分の中でOKが出たものだけを今まで載せてますので、そういう意味で僕はそこで発信者責任を持ってますので。

けれども、それをやっている友人というのはけっこう周りにいて、Twitterで「こういうのをやりました~」っていうのを日常的に見るようになっているんですけれども、そうするとまた新たに・・・今までブログ→mixi→Twitterという形で、どんどんセクシュアル・マイノリティが自己受容したり、周りの人たちとの関係を、自分がゲイです、レズビアンです、トランスジェンダーです、バイセクシュアルですというのを名乗った上での関係を築くのがどんどん楽になって行っているのと同じように、そこに映像を使いながら、今まで文章のテキストと画像だけだったところに動画、いわゆる「動いている自分」と「動いている自分の声」「映している人の声」というのが、よりリアリティをもった形で出て行くということに関しては、僕は可能性をすごく感じていますし、それを専門にやっている人たちが、その可能性を今後どんどん広げて行くだろうし、自分が楽になって、いろんな人と繋がるというのはどんどん始まっていると思うので、僕はそこのところは悲観ではないです。
で、何が問題かというとやっぱり「センター機能」的なものがインターネットというのは確実に無いですし、それを作るということはインターネット上では「よろしくない」。それはインターネットの特性とか役割とは違うと思うので、その「限界がある」というのを確実に認識できた人が、「じゃあ、もう少し不特定多数の人に届けられる方法として今、なにがあるんだろう」と考えたらやっぱり、いちばん大きな影響力を持っているのは明らかに今、テレビですので。テレビであり続けてるとは思います。地上波テレビが最大の影響力を持っているところ。

三橋順子
今けっこうインターネットのおかげでテレビ局も番組ごとに感想が送れるように、けっこうなってきてるじゃない?あれは使わない手はないんじゃないかと思いますよね。だから抗議のお電話よりも抗議のメール。抗議っていう形じゃなく、もうちょっと柔らかい感じでもいいから「あれはどうなんだ」っていう改善ポイントみたいなものを、それからメディアリテラシーみたいなものを、それぞれの人がやらないと、面倒くさがらずにやらないとダメじゃないですかね。→FC2 同性愛 Blog Ranking

『しみじみと歩いてる』
★3月に東京で自主上映会を開催します。
3月21日(祝)13:20/15:20(2回上映入替制/1200円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分■制作:akaboshi企画
2006年10月から、大阪の御堂筋を性的マイノリティとその友人たちが歩く『関西レインボーパレード』に通いながら出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤、苦しみ、そして喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。
メディアと性的マイノリティ14●「ホモ」「レズ」などの言葉について

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
会場にお越しいただいた方との質疑応答です。以前言及された『「オカマ」は差別か論争』にも関係しますが、「ホモ」「レズ」などの言葉について、他者への説明の方法や、使い方、使われ方について話が膨らみました。
14●「ホモ」「レズ」などの言葉について
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
★こちらの記事からの続きになります。

「ホモ」とか「レズ」とか、そういう言葉について、なにかお考えになることがあればお伺いしたいなと思いました。
伊藤悟
言葉遣いについては私は慎重に発言せざるを得ない立場に居るのですけれども、たとえば「その言葉を使わないでください」みたいなことを言うと、直ちに「言葉狩りだ」というようなことを・・・ネットなんかでもそうですけども、「言葉狩り」という言葉で、言い難くなってしまうところがあるんですけれども。自分は最近「使わないでください」「使ってほしくない」という言い方をしないで、どう伝えるのかな?と悩むわけですけれども。具体例主義ですね、自分は。たとえば授業とか他で話しに行くときには「こういう人が居ます」と。「こういう言葉を言われて、こういう傷ついた人が居ます」と。
たとえばさっきの「オカマ」で言えば最近の例で言うと。小学校4年生か5年生どっちだったかな?「オカマ」とからかわれている男の子が居たわけです、クラスに。担任の先生がたまたま急病で休んで代わりに教頭がその日の授業をやることになったと。そしたら教頭が来て朝一番に、「このクラスにはオカマがいるらしいな」と言って笑いをガーントと取って「掴みはOK」と言ったらしいんですね。・・・というようなことが学校現場で起こっているわけです。

つい最近も朝日新聞の投書欄で、教師が「絵が下手だ」と。下手の見本として自分の絵を黒板に貼り出されたという意見に、かなり投書の連鎖があって。同じように鉄棒の逆上がりの悪い例にされて傷ついたとか。
自分は教職をやっているので、子どもたちが、わからないところで傷ついた時に、「言ってしまわない」とか自己規制することを先に言わずに、そういう傷つけることがたくさんあり、そうして傷つけた時には自分がその子に謝るしかないっていう。教員だって傷つけたら謝らなければいけないと。そういう形で授業を展開するわけですけれども。
その意味で言えば、からかわれ方としては今ほとんど「ホモ」とか「レズ」とかっていう省略形自体が今、使われなくなってきて、もう「ゲイ・レズビアン」とか「ゲイとビアン」とかいうふうになってきているわけですけれども。これも難しくって。かなり、私自身も含めて「ホモ」という言葉しか言葉が無かった時代には「ホモ」と言っていたし。

だから、そういう意味では少なくとも、「この言葉では傷つきます」ということは言えます。という意味では「ホモ」も「レズ」も「オカマ」も、傷つく人がたくさんいる確率は高い。だったらマナーとして、傷つく人がいるかもしれない言葉は使わないで済むならいいんじゃないですかねえと。
その位のことは、やっぱり教員だったら考えてほしい。教員じゃなくてもメディアの人も考えてほしいというような、なんかとっても回りくどい言い方ですみません。「絶対」というような言葉は使いたくないので。少なくともそういう、傷つく人がいたら、そういう言葉っていうのは避けるのが一つのマナーとして確立できないかなぁということは思ってますけど。この辺は、言葉専門家として補足を。
三橋順子
いえ。補足をすることもない、おっしゃる通りだと思うんですけれども。たしかに、私もものを語り、ものを書く表現者ですので、言葉が狩られる、言葉が減って行くっていうのはマズイと思うんですね。だけどもやっぱり、言葉をどう使うかっていうことに関してはセンシティブに、より神経質に。今、伊藤さんがおっしゃったように「傷つく人がいるんだ」ということを常に念頭に置いて使わないといけない。

だけど、そうじゃない人が、ある特定の人を指さして「オカマ」だとか「ホモ」だとか「レズ」だとかという言い方をするのは、やはりそれは避けるのが、まあ、普通の感覚。だから「マナー」とおっしゃったのは、普通の礼儀だろうと思うんですよね。そこらへんをどうしても客観化したいならば、「男性が好きな男性」とか。そういう形に戻すしかない。説明的な言い方に戻すしかないってことです。
今の、伊藤さんが言った教頭さんっていうのは、酷いけど有るんですよね。私らの世代なんかは、体育の教師が、なぜか体育の教師が保健の先生を兼ねてたりして保健の授業で「いいか、お前たち。世の中にはなぁ、ホモっていうなぁ、男が好きな男がいるんだぞ」って、まさに笑いを取ろうとする。
akaboshi
その「世の中には」の世の中に、その当事者が「含まれていない」から言えることですよね。
三橋順子
そんな授業を、200人も男の子がいる学年でやれば、さっき言ったように100人に何人なんだから、当然いるわけですよ。その当時から中学校だから。その子たちの思いっていうのは何だったんだろうと思いますよね。
akaboshi
「世の中じゃないの?自分は」みたいな。

すごいスポイルだと思う。教育の現場ってのは、さっきakaboshiさんも言ったように、「いる」ってことを想定して、喋らないといけない。似たようなことは大学教育にもあって。私が「トランスジェンダーっていうのは1万人に1人、2人いるんですよ」と、大学の学生課の学生相談室の先生たちにレクチャーした時に、早稲田大学の先生が「いや、ウチにはいないと思います」と。
会場
(失笑)
三橋順子
私が「すみません。早稲田は在学生何人ですか?」と。「全部集めると6万人位。」「いなかったら、どういう選別をされてるんですか」と。もっとはっきり言いますと、早稲田出身の有名ニューハーフ挙げましょうか?と。・・・法政も「いない」って言ってましたね。法政は名門校ですよ。青江のママは法政学徒出陣。矢木沢まりに・・・そういう人は名前挙げてもいいですけどね。個人的に知ってる方はプライバシーであれかもしれないけれども。
そういう感覚っていうのは実はすごい怖いんです。「ウチにはいない」「ウチの学校にはいない」「ウチの町にはいない」。いないって、調べてないんだからわからないんですよ。「ウチの町にはいないと思いますけどお呼びしました」っていう講演ほど嫌な講演は無いですよね。まず最初に「いない」っていうことから壊さなきゃいけない。

私もありましたよ。高校の先生が集まっているところで一通り話をした後に質問が出て、定年近い先生だった。「私はもう何十年教師をやってまいりましたっ!」っていう感じなんですよ。で、「一度も、ゲイやレズビアンを見たことがありません。だから本当にいるんですかっ!?」って。あなたが見たことがないことがどうして証拠になるんだろうっていう。
三橋順子
あなたが見たことがあったら気付いてないだけ。
伊藤悟
そうそうそう。あるいは、その先生が信頼できないから、その子もカミングアウトしないだけじゃないかって、そこは穏やかに話すのが大変で、最後まで伝わらなかった感じがしましたけど。そういうのが一番怖いですね、たしかに。
三橋順子
教育はやっぱりすごく大事で、いちばんいいことは、こういう人を教室に呼ぶことです。
伊藤悟
そうですね。

なにも伊藤さんや私でなくてもいいけれども。目の前にそういう人たちがいて、その人が普通に喋って、普通に会話が成り立つ人たちだってことを知らせるのが、なにより効果的です。中学生だろうが、高校生だろうが大学生だろうが。ところが、「そういう人を呼んで伝染ったらどうするんですか」っていう父兄が必ず出てくるんです。・・・伝染病なんですよ。
伊藤悟
必ずありますね。「ウチの子がゲイになったらどうするんですか」みたいなね。
三橋順子
伝染るんですっていう・・・。<つづく>→FC2 同性愛 Blog Ranking

セクシュアルマイノリティである主人公の日常を、その姉が丁寧に撮影しながら制作された日本のドキュメンタリー映画の上映と、監督の中川あゆみさん、主人公のリョウさんをお迎えしてトークを開催。
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メディアと性的マイノリティ13●「ラスト・フレンズ」と「金八先生」の功罪

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」。)
インターネットを多くの人が利用している現代ですが、それでも相変わらず圧倒的にメディアとしての影響力を持っているのは「地上波テレビ」だと言っていいでしょう。実際、ネットで話題にされる事柄もテレビネタが非常に多く、会社や学校等で話題にされる「皆が知っている共通のネタ」は地上波テレビから発信されることが多いです。
特に、ヒットした連続ドラマがもたらす影響力と言うものは甚大なものがあり、21世紀になってからセクシュアル・マイノリティを描写した連続ドラマで、社会を変えるほどの影響力を持ち得たものは2つあります。2001年の『3年B組金八先生 第6シリーズ』(TBS系)。そして2008年の『ラスト・フレンズ』(フジテレビ系)。驚くべきことに、その影響力は実際に統計によって証明され、日本独自のセクマイ状況を生み出しているのです。今回は主に、その問題点や危険性を三橋順子さんが指摘します。
13●「ラスト・フレンズ」と「金八先生」の功罪
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
★こちらの記事からの続きになります。

すごく怖い差別、差別の中でも怖いことって言うのは、「居てもいない」。居るんだけども居ないことにされてるっていうのは、すごく怖い差別だと思います。日本のメディアの今の形っていうのは、だんだんそれに近付いてる。
さっき言ったようにゲイ・レズビアンの報道が極端に少ない。そうすると私の教えてる学生なんかは、特に私がそれを喋るまでは、信じ難い話ですけども、世の中にはゲイよりもMtFの方がずっと多いと思ってるんですよ。「普通の男性で男性が好きな人」と「女になりたい人」では「女になりたい人」がずっと多いと思ってる。それはなぜかと言ったら、まさに彼ら、彼女たちはメディアの情報を素直に受けてるから。メディアに登場する頻度がそのまま、世の中の頻度だと思うからそうなっちゃう。
なかなか数字で言うのは難しいけども、たぶん、桁が二桁違いますよ実際は。MtFっていうのは1万人に何人いるかっていう話なんです。ゲイ・レズビアンは100人に何人いるかっていう話なんです。
akaboshi
2~3人とかですよね。

2~3人だか、多い人は5人って言うし、ともかくだいたい2~3人、数人ってとこですよね。分母は100だと。トランスは分母は1万だと。って言うと、ものすごく驚くんです。これは本当に素朴な驚きで、「そんなことは思いもしなかった」。だってテレビであれだけMtFの人が出てるし。
MtFとFtMも同じなんです。FtMは全然テレビに出てこないから、ずっと少ないと思ってる。だけど実際に今、日本ではジェンダークリニックの受診者は、1対1か、場合によってはFtMの方が「ラスト・フレンズ現象」で、レズビアンもみんなFtMだみたいな誤った情報が流布したんで。本来レズビアン・カテゴリーに収まるはずの子がですね、みんなジェンダークリニックに来て「男性ホルモン打ってください」になっちゃうんですよ。上野樹里があまりにも上手く演じすぎたのかもしれないですけどね。
★『ラスト・フレンズ ディレクターズカット 完全版』 [DVD]
akaboshi
格好良かったというかね。
三橋順子
うん、格好良かったんで。それもだから当然、メディアの露出情報を学生は正直に受けますから。MtFは、はるな愛ちゃんが毎晩みたいに出てるから山ほど居る。FtMは、レズビアンはテレビで見たことがないから、ほとんど居ないんだろうと思ってるんですね。
akaboshi
『ラスト・フレンズ』でFtMが増えたってのは、もう少しさかのぼると『金八先生』とかにも関係が・・・。

『金八先生』ですね。『金八先生』で知ったと。『金八先生』で存在を知ったというのはね、大きいですね。
★『3年B組金八先生 第6シリーズ DVD-BOX』
akaboshi
それが2001年位。
三橋順子
2001年。ただ、『金八先生』の描き方っていうのは、上戸彩がやった役というのは、ある種、典型的なFtMを描いてたんで。要するに虎井さんがモデルなんで。
akaboshi
虎井まさ衛さん。
三橋順子
ぜんぜん違うじゃないかって文句言ってたんですけども。虎井さんあんなに可愛かったのかなぁ?そんなはずは無いんだけどなぁって、そんな陰口を叩いてたんですけども。まぁ、典型的だったんですよ。それがいい悪いはともかくね。ところが『ラスト・フレンズ』は、わざと「女の子が好きな女の子を描こう」としながら、それに「レズビアン」という名前を付けずに・・・。

「性同一性障害」だと思わせといて、さんざん思わせぶりをしておいて、いよいよ上野樹里演じる瑠可っていう子が、お父さんにカミングアウトするシーン。「私は、男の人が好きになれない。女が好きなんだ」っていう。要するに性的指向の問題を。
akaboshi
レズビアンじゃないですかねぇ。レズビアン・カミングアウト。
三橋順子
なんだレズビアンじゃないかと。FtMだったら「私は女じゃないんだ、男の子なんだ。私の心は男の子なんだ」ってカミングアウトすればまだ辻褄は合ったの。でも最後にまたそこで誤解を広めたわけです。だから、本当に「女の子が好きな女の子は性同一性障害なんだ」っていう・・・。視聴率20%位行きましたからね、最後の方は。

そこで医者が「あなたは女性同性愛で、レズビアンで、特に性同一性障害として治療する必要はありません」と、ちゃんと返せば被害はない。だけど中には、それで治療プログラムに入っちゃう人が居ると思うんですよ。で、男性ホルモン投与だなんて話になっちゃう。瑠可も男性ホルモンを欲しがってましたからね、番組の中で。そうなると今度は「医療過誤」になってくるんです実際は。誤診であり医療ミスです。
akaboshi
その「増えた人たち」っていうのが『ラスト・フレンズ』の影響を受けているのだとすると、要するに「女の子で生まれているのに女の子を好きになる。おかしい。じゃあ自分は男に・・・」っていう方向が強いという。

「性的指向が違う」っていうことが、病気にだんだん擦り替えられてくる。これは、アメリカや特にヨーロッパで同性愛が精神疾患カテゴリーから外れるために、どれだけの欧米のゲイやレズビアンが努力をして、やっとのことで1973年にアメリカの精神疾患のリストから外れたかってことを考えたら、とんでもない話だと思うんですよ。
もちろんそれは誤診なんですけれども、今まではレズビアンとFtMの混同ってのは『ラスト・フレンズ』以降、けっこうあったんです。だけど、さすがにゲイとMtFを取っち替えるってことは、まぁ無い。もともと、なんでレズビアンとFtMが混じっちゃうかっていうと、レズビアンのコミュニティの有りようが、ゲイ・コミュニティとMtFのコミュニティほどには明確に分かれていなかったという事情があるんですね。まだ分離が不充分なところに「性同一性障害」が流行っちゃった。だから誤解が生まれたってことはあるんだけど。
ゲイ・コミュニティとトランス・コミュニティってのは、90年代には、はっきりと分かれてる。早い話お店が違う。雑誌も違う。だから混じることは無いと思ってた。そしたらごく最近、ある医者から性同一性障害の専門医のところに「性同一性障害の患者さん」ってことで紹介状が送られて来た方を専門医が診断したら、典型的な男性同性愛だった。

akaboshi
先ほど始まる前に三橋さんとお話していて、びっくりしたんですけども、『ラスト・フレンズ』あるいはもっと遡ると『金八先生』効果と言える、日本独自の状況というのがあって、FtMとMtFの比率が、世界標準とかなりかけ離れて来ているという・・・
三橋順子
世界標準がね、これは本当に正しいデータかっていうのは、ちょっと「?」があるんですけれども。もともと、ヨーロッパかなんかのデータだと、MtF=3、FtM=1っていうのが教科書的な数字なんですよ。
akaboshi
MtFの方が圧倒的に多いと。

3倍多いと。圧倒的に多いと。で、日本で90年代後半に「性同一性障害問題」が浮上して、ある程度のデータが集まった90年代の終わり位の統計だと、MtF=2、FtM=1だったんですよ。なんで日本は3じゃなくて2なんだと、要するにMtFが少ないのかと。その時に私は「それはニューハーフの連中が病院に来てないからだ」と。なぜ来てないかと言ったら性同一性障害の診断カテゴリーからニューハーフをガイドラインで排除してるからなんですよね。商業的につながる人は受診させないという、診断しないというふうに排除してたわけだから、来るわけがないんですよ。「その部分が抜けてるから少ないんだろう」って解釈してた。
ところが2000年代の、要するに『ラスト・フレンズ』前ですね。2006年、2007年位のデータで、限りなく1:1に近付いた。1.3:1とか。まだMtFの方がちょっと多かった。ところが去年のデータだと、1:1か場合によっては1.2:1とかで、FtMの方が増えて来ちゃった。これ、世界趨勢からすると、日本のデータとして国際学会にもしそのデータを発表したら、質問攻めですよ。「なぜなんだ?」って。極めて奇異な現象が起こってる。
akaboshi
それで、面白いなと思うのが、FtMが増えてるから、じゃあレズビアンやFtMのタレントが日常的にテレビの中に居るかと言ったら全く居ないですよね。『金八先生』と『ラスト・フレンズ』位しか大きな影響を与えたものは無い。

ギャップはますます酷くなる。
akaboshi
じゃあなんでMtFはあれだけ引っ張りダコで毎日メディアに露出してるのに、MtFが増える方向には行ってないんだろう?
三橋順子
「私、はるな愛を目指して女になります」っていう子、私知らないですね。「愛ちゃんみたいにタレントになりたいです」っていう子は出てこないですね。
akaboshi
お笑いだからなんでしょうかね?ちょっとわからないんですけどね。不思議な現象が起きてるなという感じがします。<つづく>→FC2 同性愛 Blog Ranking

セクシュアルマイノリティである主人公の日常を、その姉が丁寧に撮影しながら制作された日本のドキュメンタリー映画の上映と、監督の中川あゆみさん、主人公のリョウさんをお迎えしてトークを開催。
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「ジャンジさんに聞く!パフォーマンスとHIV/AIDS」
女性のドラァグ・クイーンとして数々のパフォーマンスや映画等に出演し、新宿二丁目のcommunity center aktaでHIV/AIDSに関する活動をしているマダムボンジュール・ジャンジさんをゲストに迎え、Ronとakaboshiがパフォーマンスの秘密とHIV/AIDSの現状について直撃トーク!
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パフスペースにて。
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メディアと性的マイノリティ12●「オカマ」は差別でもある~ゲイ視点からだけで「オカマ」を肯定する問題点

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
今回は、2001年に起こった『「オカマ」は差別か論争』に関連して、三橋順子さんからの問題提起が行われます。伊藤悟さんが同論争後初めて、公開の記録される場で論争について語るという貴重な機会にもなりました。(予定されていなかったことなので、かなりドキドキしましたが。)

・週刊金曜日』に掲載された、東郷健のルポ「伝説のオカマ」のタイトルが差別かどうかをめぐって起こった論争。差別の判定を当事者に限ることに初めて当事者が異論を展開した。(Amazon書籍解説より)
・東郷健をルポした「伝説のオカマ愛欲と反逆に燃えたぎる」は差別なのか? 差別の判定は被差別者だけのものでいいのか、という視点にたって、2001年9月に開催されたシンポジウムの記録や、様々な意見をまとめる。(Amazon書籍解説より)
■伏見憲明、 野口勝三、黒川宣之、及川健二、松沢呉一、山中登志子『「オカマ」は差別か 『週刊金曜日』の「差別表現」事件―反差別論の再構築へ』
12●ゲイ視点だけでオカマを肯定する問題点
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
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『週刊金曜日』という雑誌が、東郷(健)さんのロングインタビューを載せた。なんだっけ、何を載せたんだっけ?
伊藤悟
うん。
akaboshi
人物記というかルポルタージュを・・・
伊藤悟
ルポルタージュですね。
三橋順子
ルポルタージュか。それの題に?
伊藤悟
「」なしに「オカマの東郷健さん」というのがタイトルにあって。

それの使用が・・・。『週刊金曜日』というのはやっぱり一応ね、一応、人権的な雑誌だという風になっていたのに、それを、そういう使い方をするということに関して、伊藤さんを始めとする方たちが抗議をして。ところが、それを受けて今度は、あるゲイの人たちが、「いやそれでいいんだ」っていうか。「構わないんだ」っていう。要するに「オカマって言葉をメディアの禁止用語にする必要は無いんだ」と。なぜならば「オカマ・アイデンティティを持っている私たちが居るんだから」っていう論法で、まぁ、「いいんだ。」ということにしちゃったんですよね、あれ結局。
akaboshi
言葉の使用範囲が拡大されて、いわゆる「体を売っている」ということの記号ではなく「オカマ」っていうのを、もう少し広い、軽い感覚で使う人たちが増え始めていたということを示してはいるんですね。
三橋順子
で、たとえば「差別的文脈でなければ使っていい」と。たとえば「オカマさん」とか。「オカマちゃん」とか。敬称付ければいいんですか?。じゃあ、さっき言った放送禁止になってる視覚障害や聴覚障害の方々の3文字言葉に「さん」や「ちゃん」を付ければ差別性は無いんですか?。あるいは、部落差別関係の差別用語に「さん」や「ちゃん」を付ければ許されるんですか?ってことですよ。だけど、女装で有名な某高校の先生なんかは「オカマの留美ちゃんと呼ばれたい」というようなことを平気で言う。
その時に私、すごく違和感があったのはゲイの方たちがやっぱり「オカマでいいんだ」。だけど、ゲイの人たちっていうのは道を歩いてて「あ、ゲイだ。オカマだ」とは言われないんですよ。視覚的に・・・
akaboshi
言わなければわかりにくい。

視覚的に見てもわからないから。見て、いちばんわかりやすくて、いちばん指さされて「あ、オカマだ」って言われるのはトランス(ジェンダー)なんですよ、私らなんですよ。どうして、私らがこれだけ嫌な思いをしてきて・・・。私ちゃんと調べたんですけど、1948年の段階で、昭和23年の段階で、上野の男娼たち、女装男娼たちが、「オカマ」って言われることに対してその時点で差別性を感じて「オカマ」じゃない言葉を自分たちで一生懸命、自分たちで考えようとしてるっていう位、差別性がある言葉なんですよ。
それを言われるのは私たち。だけど、それを私らがいくらメディアに「それはやめてくれ」と、「オカマ」って言葉はやめてくれと言っても、一方で、ゲイのある部分の人たちに「いや、それでいいんだ」と言われちゃうと、これは直らないんです。
おすぎさんやピーコさんが「私はおかまだから」って言うのはしょうがないにしても、「オカマ・アイデンティティ」も存在すれば尊重されなければいけないけど、少なくとも、そうじゃない芸人、ヘテロセクシュアルの芸人が面白がって「オカマ」って言うようなバラエティ番組はもうやめてくれということを言っても、やっぱり、意思統一がされてないんですよね。
向こうにしてみれば「だって『オカマでいい』って言うオカマが山ほどいるじゃないか」という風に言われちゃうわけですよ。そこらへんの、メディアへの対応の足並みの不揃いみたいなものは、つくづくこの15年間感じ続けましたね。
やっぱり、メディア側も変えたくないですからね。「どんな酷い馬鹿にされてもテレビに出られれば嬉しいです」という人が居れば、やっぱり変わらないんですよ。「オカマだろうがなんだろうが出してくれりゃあOKです」ってなっちゃう。

僕はゲイですが、「オカマ」という風に言われた経験や、それで傷ついて自分が生きていくのが辛いとかいうふうな経験が自分に無いので、たぶん三橋さんが同じ言葉を受けた時に感じられる、自分の奥深いところから沸き上がってくる感情ですとか、今まで積み重ねてきた記憶の厚みっていうのを共有は出来ないんですよ。でも、確実にそういう人がいて、同じ「セクシュアル・マイノリティ」のコミュ二ティという形で情報を共有し合ったりとか交流し合ったりしてる中に確実に居る。で、「オカマ(は差別か)論争」のことも文献で見たりして思ったんですけれども、「確実にそういう人たちが居る」ということの視点を、もう少し持った上での発言というのを、発言力のある人はしていかなきゃいけないと思います。
三橋順子
伊藤さんがさっきおっしゃった「らしい人」?。メディアが求めてる「○○らしい人」。要するにメディアが持ってる「オカマ像」に適合する人だけが、メディアに出てくる。それによってまた「オカマイメージ」が再生産されて行く。私が『週刊金曜日』で(書いたことですが)、なんで日本のメディアはゲイのタレントさんをあれだけ使いながら、ほとんど全部がいわゆる『おネエ系』と言われる、女性的な面を強調するゲイの人ばっかりなのか。ハードゲイは偽者が出てきたけれども本物は出てこないんです。
akaboshi
レイザーラモンHG。
三橋順子
レイザーラモンHGは偽者で、あれもとんでもない話だと思いますけども。なぜ、普通レベルに男性的なゲイの人がメディアに出ないのか。出られないのか、出ないのか。
akaboshi
実際、出ていてもカミングアウト出来ないのか。
三橋順子
出てるんですよ絶対に。だけどカミングアウト出来ない。だから当然、イメージはまさに「オカマイメージの再生産」が延々続けられる。その問題ですよね。

だから、あの時自分の中にあったのは、視野に入ってたのはゲイだけじゃないんですね。それは後に、さらにそういう気持ちは強いんですけれども。まぁ、当時自分の主張の仕方が良かったかどうかという検証は必要ですけれども。たとえば今、私も大学の非常勤講師をして教育原理、教職の科目をやっているので、自分のライフヒストリーを見直すとかっていう授業をやると、明らかに異性愛と思われる人でもやっぱり、ちょっと女性的である男性が「オカマ」と言われて、それがすごく辛かったというのが、たとえば今200人の学生さんを相手にしてて、毎年必ずいます。それも一人じゃないですね。4~5人は出てくるというか。
今、聞いて「なるほど」と思ったのは、80年代位から、学校の子どもたちの間で、男らしくない男の子を「オカマ」と言うのは当たり前になってるんですね。ちょっと中学校に一日いればわかります、間違いなく。必ずそういう子が1クラスに1人くらいいて、「あの子オカマでさぁ」みたいな話を。これはたぶん教職経験とか、実際に教室に居てみるとわかるんですよ。だから別にゲイだけの問題じゃないですよね。あの時はゲイだけの問題に矮小化されたような感じというのは持っていて・・・。
三橋順子
ヘテロセクシュアルでもなんとなく女性っぽい人は全部「オカマ」なんですよ。
伊藤悟
そうそうそう。
三橋順子
その位、拡大使用されている。

その言葉を使う背景には要するに「男なのに」っていう。「男であらなきゃいけない」「男なら男らしく、男っぽくあらなきゃいけないのに、あいつは外れてる」っていう、もう既に蔑視があるんですよね。
三橋順子
男らしい女の子は、けっこう「格好いい」とか言われたりして、いじめられるケースもありますけれども、必ずしもいじめられない。だけども、「女っぽい男」ってのは「女の子以下」なんですよ。これはニューハーフの人たちの語りを、学校時代の思い出を集めて。私の論文の中でいちばん読まれない『トランスジェンダーと学校教育』という論文を書いたんですけれども。
まず悲惨ですよ。いじめどころじゃない。性的暴力の世界ですから。クラス中で本当に男の子に性的な悪戯をされてる。酷いときにはそれに先生が加わる。そういう事すらあるわけで。書いてて本当に辛いような話があるんですよね。
akaboshi
それ、してる人たちは罪悪感を持たずに「オカマだから」と。
三橋順子
「オカマだからそれはしょうがない」と。
akaboshi
正当化されるわけですね。自分たちの加害性が。

だから「オカマ」っていう言葉の背景には、そういう問題が全部あるんだっていうことを考えないと。メディアはあれだけ「差別はいけない」「人は差別しちゃいけない」ってことを言いながら、性的マイノリティだけは別なんですよね。
「オカマだけは別」なんですよ。最後の差別カテゴリー。メディアにおける最後の差別カテゴリー。身体障害の方、部落関係の方、国籍の・・・在日の方、ともかく「ありとあらゆる差別はいかん。それを示すような言葉は出来るだけ使わない」。だけど「オカマだけは使っていいんだ」ってのが日本のテレビメディアの態度なんですよ。それはやっぱり日本の性的マイノリティは、もっと深刻に受け止めるべきだと私は思うんですけどね。
akaboshi
今、聞いてて思ったのは「私たちオカマだから、自分ってオカマだから」って自分発信で積極的に言える人っていうのは、セクシュアル・マイノリティである自分を結構肯定できていて、周りとの関係がわりと充実していて、たとえば東京近郊に住んでいて新宿二丁目によく出て行ける、ゲイバーで飲み歩ける、そういう、ある意味特権的な立場にいる人たちだと思うんですよ。でも日本って東京近郊だけではなく、東京近郊の人口は10分の1で、あとの90%はそうではない地域に住んでいるとか、都会と田舎における性的マイノリティの生きやすさの問題とかも絡んでる問題だと思うので。「オカマ」という言葉をどう感じるかという時にね。

東京で考えちゃ本当にいけないんですよね。昔からね、とにかく田舎では生きにくい、だから東京に出てくる。そうするとますます地方にはそういう人は居ないことになっちゃう。実際には居るんですよ、全員が東京に来られるわけじゃない。居ないことになっちゃう。差別の中でも怖いことっていうのは、「居てもいない」。<つづく>→FC2 同性愛 Blog Ranking
★『「オカマ」は差別か論争』については、ぜひ関連書籍を読み、過去の議論を知った上で誰に言われたことでもない、あなた自身の見解をお持ちください。大切なのは何に関しても「タブー視せずに再検証し、個々が自分の見解を持つこと」だと思います。
■伏見憲明、 野口勝三、黒川宣之、及川健二、松沢呉一、山中登志子『「オカマ」は差別か 『週刊金曜日』の「差別表現」事件―反差別論の再構築へ』
★今回の三橋さんのお話を聞き、映画『しみじみと歩いてる』や2010年1月のRonとakaboshiの直撃トークに出演したMtFレズビアンの綾さんのエピソードを思い出しました。シビアな話ですが再掲載します。
06●男子校の修学旅行で集団で
■綾さんに聞く!MtFレズビアンな恋バナ&SEX PLAYLIST
■初出ブログ記事(2010-04-16)

セクシュアルマイノリティである主人公の日常を、その姉が丁寧に撮影しながら制作された日本のドキュメンタリー映画の上映と、監督の中川あゆみさん、主人公のリョウさんをお迎えしてトークを開催。
■12月11日(土)開場18:30/開映19:00
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「ジャンジさんに聞く!パフォーマンスとHIV/AIDS」
女性のドラァグ・クイーンとして数々のパフォーマンスや映画等に出演し、新宿二丁目のcommunity center aktaでHIV/AIDSに関する活動をしているマダムボンジュール・ジャンジさんをゲストに迎え、Ronとakaboshiがパフォーマンスの秘密とHIV/AIDSの現状について直撃トーク!
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メディアと性的マイノリティ11●おネエMANSオーディションとオカマ論争

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
伊藤悟さんの電波少年アポなし直撃され体験もスゴかったですが、その後の三橋順子さんの「私、おネエMANSのオーディション受けたことがあるんです」という発言の続きも気になる~っ!そして更に話は週刊金曜日の『「オカマ」は差別か』論争にまで発展し・・・(濃すぎるがなっ!笑)
11●おネエMANSオーディションとオカマ論争
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
★こちらの記事からの続きになります。

私、『おネエMANS』のオーディション落ちてるんですよ。
akaboshi
受けたんですか?
三橋順子
いや、受けたって言うかね。「今度こういう番組を始めたいので御協力いただけないでしょうか」と言われて、しかもわざわざ局まで出向いて、プロデューサー・ディレクターと1時間半位お話をした。その時は「おネエという意味は何でしょうか」とかいうことを、さんざんレクチャーして、「放送始まりましたら是非またよろしく」というふうに言われて帰った。これ自費です私、交通費、車代なし。で、それっきし。どうもそれは、そういう形で向こうが出演者を見繕ってた。やっぱり私はダメ。・・・いや、ダメで良かったんだけど、うん。不合格だったということがありましたね。
私その時にも言ったんですけども、向こうはしきりに「そういう方たちを、いわゆるゴールデンタイムに出す」ということを非常に「どうだ、ありがたいだろう」というふうに言ってたんですね。だけどそれってやっぱり前提があって。テレビの、いろいろな局の「内規」って言うのかな、あるんですよ。ニューハーフ同類トランスジェンダーみたいなものは、昔は深夜枠じゃないと出られなかった。
私が昔、2000年頃だったか、もうちょっと前だったか、久米(宏)さんがやってる頃の『ニュースステーション』でコメントした時に聞いたんです。「大丈夫ですか?」って。そしたら「最後のところで、11時越えたところでやるんで大丈夫です」とか言って。その時にはね、でも、もうそれは無くなりました。だけどそれ以前はあったんです。もう皆さん知らないかもしれないけど『11PM』や『トゥナイト』には出られても、それよりも前の時間帯は出られなかったんです。要するに「存在自体が性的なもの」だという見做しだったんですね。それからは少し変わってきた。

局によっては全く問題なし。局によっては、テレビ朝日だったかな?「放送注意用語」。放送にあたって一応注意する用語という形にはなってるんです。だけども現実には、やっぱりバラエティ番組等の中に、平気で使われる。すごいダブルスタンダード。「オカマ」ってどういう意味だかわかって使ってるんですか?って。「オカマ」の語源っていうのはやっぱり、いろいろ語源説ありますけど、やっぱり一番妥当なところから言ったら肛門ですよ。お尻の穴ですよ。さらに言うと、元々、男性のセックスワーカー。特にアナルセックスをよくする人を指してた言葉が・・・。
実はこれ、私、全部「オカマ」って使ってる雑誌・メディア・文献を調べてわかったことなんですけれども、大体1980年位から、使用頻度と使用範囲、何を指すかっていう範囲がすごく拡大するんです。それまでは「オカマ」って言うのは、今言ったようにセックスワークの方、要するに昔の言葉で言うと男娼の人を指す言葉で。だから青江のママは自分をゲイボーイだと思ってるから、「オカマ」って言われると、追っかけてって下駄で殴ってたわけなんですよね。
akaboshi
それは「体を売っているわけではない」という

そこにも一つの差別性があるんですけどもね。でも少なくとも広くは使ってなかったんです。かなり限定的な言い方だった。それが、80年代位からメディアで、ともかく女性的な男性、もちろん女装してる男性、それから女性的な男性同性愛者、非常に範囲を拡大して「オカマ」っていう言葉を使うようになったんです。
akaboshi
それは何か原因があったんですか?たとえば「おすぎとピーコ」さんがその頃・・・あの2人はいつ位に・・・
三橋順子
もっと後。あの、やっぱり東郷さん。
akaboshi
あ、東郷健さん。・・・が、選挙に出馬する時に「おかまの東郷健です」と。
三橋順子
あれがきっかけだと思う。ダイレクトにその直後じゃないんですけど、そこらへん位しか考えられないんですよ、「オカマ」の使用のパターンが。で、それを受けて今度は、おすぎやピーコが「私たちおかまは」っていう自称としての「オカマ」をどんどん広めていく。だから美輪(明宏)さんはね、「自分はゲイだ」という言い方をするけど「自分はおかまだ」とは絶対に言わない。「オカマ」っていう言葉の使い方をメディアで広めちゃった、おすぎやピーコに対して美輪さんはやっぱり非常に不愉快に思ってる部分はどうもあるみたいですね。で、それで例の・・・あれは何年でしたっけ?
伊藤悟
2001年か2年位。
三橋順子
御存知ないかもしれませんけど『週間金曜日』っていう雑誌が、東郷さんのロングインタビュー・・・東郷健さんの何だっけ、何を載せたんだったっけ?<つづく>→FC2 同性愛 Blog Ranking

セクシュアルマイノリティである主人公の日常を、その姉が丁寧に撮影しながら制作された日本のドキュメンタリー映画の上映と、監督の中川あゆみさん、主人公のリョウさんをお迎えしてトークを開催。
■12月11日(土)開場18:30/開映19:00
→詳細はこちら。

「ジャンジさんに聞く!パフォーマンスとHIV/AIDS」
女性のドラァグ・クイーンとして数々のパフォーマンスや映画等に出演し、新宿二丁目のcommunity center aktaでHIV/AIDSに関する活動をしているマダムボンジュール・ジャンジさんをゲストに迎え、Ronとakaboshiがパフォーマンスの秘密とHIV/AIDSの現状について直撃トーク!
■12月18日(土)13:30開場/14:00開始
パフスペースにて。
→詳細はこちら。
メディアと性的マイノリティ10●進め!電波少年の松村邦洋が赤ちゃんで・・・「今晩一晩、お宅のお子さんにしてください」

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
休憩をはさんでから第二部のクロストークではまず、伊藤悟さんに『進め!電波少年』のアポなし直撃取材を受けた際のエピソードを伺ってみました。いろんな意味で、ポカ~ン。
10●進め!電波少年の松村邦洋が赤ちゃんで
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
★こちらの記事からの続きになります。

それでは第二部のクロストークを始めさせていただきます。先ほどのお二人のお話を聴きながら、もう少しここについて語っていただきたいなというところを、まず伊藤悟さんから。竜超という人が書いた『消える「新宿二丁目」』
伊藤悟
絶対それが来るだろうなとは思ってました。電波少年はかつて一世を風靡した凄い番組だったりするわけですけれども。アポなし突撃ですね、松村邦洋の。それがウチに来たことがあるというですね。あれは本当に・・・当時いろんな取材を受けながら最もびっくりしたものの一つです。
当時の状況は、『男ふたり暮らし』

ある晩。梁瀬は用事で出かけていて居ませんでした。で、突然チャイムが鳴りまして、自宅のドアを開けますと、そこになんと!ですね、巨大な・・・体のドでかい方がいらっしゃるわけですよね。どっかで見たことがあるなと思って。ほんとに突如そこに現れたのが・・・一瞬頭が真っ白になって、どっかで見たことがあるけどこの巨体はなんだろうということで、松村だということを認知するまでにちょっと時差がある位に頭が真っ白になりまして。
おまけに、普通の普段着とかスーツじゃないんですね、松村の格好がですね。赤ちゃんのような格好をしているわけですね。それで、「今晩一晩、お宅のお子さんにしてください」と言うんですよ。理解不能・・・な、なに?お子さんてっていう。
私しょうがないから、なんか危険も感じてですね。どんどん中に入って来ようとするわけですよね。その頃からだんだん気付いて「これはもしや電波少年かな?」と思って後ろを見るとカメラが居たりするんで、とりあえず家に入って勝手に撮られるのは嫌ですから、自宅ですからプライベートですから。押し戻すんですけども、松村氏ですので押し戻すのも大変で、押し戻すのもお腹の中に手が入っちゃったりなんかするっていう状態だったんですが。

当時、ダメだったのも流してたんですね。失敗作も、いわゆるNG集みたいに流してたんですが、「それにも使わないでください」と。
akaboshi
押し問答やってる最中もずっとカメラは廻ってて?
伊藤悟
廻っててそれを撮られていて、流されたら困るなと思って「それもやめてください」の念を押したりして。たぶん出てないと思いますけれども、チェックをしたので。
なんで幼児の格好をしていたかと言いますと、そこはすごい考え方で。その直前に週刊現代に2人の写真が出たんですね。それは「いろんな珍しいカップル」というか。一応それは真面目な企画で。「珍しい」というのはいわゆる世間の規範に合わないという意味ですね。そのカップルとして私と梁瀬が出た写真を見て、どうもネタを見つけたらしいんですが。
「どうして?」って聞いたら「ゲイカップル=子どもが出来ない=かわいそう→子どもになってあげる」という。やっとわかったんですね。なかなかそういう発想っていうのは・・・超余計なおせっかいなんですけれども。あれは、あまりにもビックリして。本当にアポなしで来るというのにはビックリしまして。こういう風にこの人は迷惑をずっとかけ続けているし、この番組はかけているんだろうなぁと、しみじみ思ったりなんかしましたけれども。ちょっと暴力的な感じさえしましたね。

あのねぇ。テレビ関係者に知人もいるんですけれども、テレビの中で生活しているということ、テレビの仕事をしているだけで感覚がおかしくなっちゃうんじゃないかと思う時があります。本当に傲慢になって、自分がやっていることが全智全能だっていう、そういう感じのテレビとかメディア関係者というのが多いという。メディアの仕組みも問題ですよね。デスクに言われるとタイトルを変えられないとか。
長いことね、細かいことなんですが、新聞とか雑誌の校閲係っていうのが、なかなかの難敵でして。「同性が好き」か「異性が好き」かの性的指向というのは『指向』って書くんですけども、みんな『指向』って書いて原稿書いたりインタビュー受けた時に性的指向っていう言葉を使っても・・・だから最近、性的指向っていう言葉を使わないで語ろうということもずっと心がけているんですけれども。さっきね、「性同一性障害ではなくて」ということと一緒なんですけれども。
じゃあどういう漢字を当てられるのかというとこれが趣味の『嗜好』。難しい字です。趣味っていう方なんですね。その趣味は無いよ、という風に趣味にされてしまうという。「趣味なんだから止めなさい」みたいな話になっちゃうんで、一応、字は「指向にしてください」と言うんですが校閲係がみんな・・・。記者は『指向』で書いても、そこで直してしまう。
akaboshi
趣味にされると、変えようと思えば簡単に軽い気持ちで変えられるというニュアンスが物凄く強くなる。

そうですね。実際にそういう風に書くとそういう風に言って来た人も当時いたので「出来ればメディアとしてはやってください」とお願いするんですが、「校閲係が勝手に直すんです」みたいな話に逃げるわけですね。
akaboshi
校閲係が初めて出会ったんですかね?『指向』っていう言葉に。知らなくって誤字かと思って直しちゃうという・・・。
伊藤悟
そうですね。ほとんど校閲係はそうでしたね。ほとんどというか、「多くの」と言いましょうか。
akaboshi
ありがとうございました。三橋さんってメディアとの付き合いで「これいい加減にしてよ」というのは、ありましたか?たとえば『週刊実話』とか。
三橋順子
『週刊実話』はね、雑誌自体がダメな雑誌だというのはわかってましたからいいんですけれども。最近・・・まぁ最近と言っても、もう数年前ですけれども。私、『おネエMANS』のオーディション、落ちてるんですよ。<つづく>→FC2 同性愛 Blog Ranking

■竜超『消える「新宿二丁目」―異端文化の花園の命脈を断つのは誰だ?』
・・・巻末にかなり詳細なインタビューが掲載されています。このディスカッションの際にも参考にしました。
●伊藤悟さん関連書籍
■『男ふたり暮らし―ぼくのゲイ・プライド宣言』
■『ゲイ・カップル 男と男の恋愛ノート―恋と暮らしと仕事のパートナーシップ』
■『同性愛者として生きる』
■『ひょっこりひょうたん島熱中ノート』
■『ひょうたん島から明日が見える―ガバチョと未来が変えられる10のヒント』

セクシュアルマイノリティである主人公の日常を、その姉が丁寧に撮影しながら制作された日本のドキュメンタリー映画の上映と、監督の中川あゆみさん、主人公のリョウさんをお迎えしてトークを開催。
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「ジャンジさんに聞く!パフォーマンスとHIV/AIDS」
女性のドラァグ・クイーンとして数々のパフォーマンスや映画等に出演し、新宿二丁目のcommunity center aktaでHIV/AIDSに関する活動をしているマダムボンジュール・ジャンジさんをゲストに迎え、Ronとakaboshiがパフォーマンスの秘密とHIV/AIDSの現状について直撃トーク!
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メディアと性的マイノリティ09●TV視聴者として想定されてないセクマイ

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
前回に続いてakaboshiによる「インターネットと性的マイノリティ」に関する分析です。ブログ→mixi→Twitterと新たな個人発信メディアが出現するたび、性的マイノリティの生活には多大な変化が促されていると僕は思っています。しかしテレビは・・・。
09●TV視聴者として想定されてないセクマイ
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
★こちらの記事からの続きになります。

その後、インターネットでブログもYouTubeも続けているんですが、尾辻さんの選挙の頃からmixiがネット上でブームになり始め、SNSと言われる会員制のサイトでして、閉じられた世界ではありますが、自分の個人情報をある程度登録した上で、ブログよりも更に、どういう背景の人が書いているかをお互いが知り合いながら交流するというのが始まっており、そこの内部では結構、セクシュアルマイノリティの人たちが自分のプロフィールのトップ画像に写真を載せて顔を出しているということが、かなり頻繁に行われているというのを目にするようになります。
まだその頃は僕も自分の顔を出すというのは躊躇してまして、たまに、こっそり出している程度だったんですけれども、mixiを使い始めて、その仲間達とお互いに顔を出し合っていたり、まぁイラストの方とかも居ますけれども、自分達が性的マイノリティとして感じている色々な感性をそこで濃密に言葉としてインターネット上に載っけるという経験が出来ていって。ブログよりも閉じられているからこそ語れることがあると思って活用していたんですが。
Twitterが最近出来始めて、mixiで、その面白さに気付いたセクシュアル・マイノリティの人たち、しかも、顔を出すことに躊躇がなくなって、mixiで免疫が出来た人たちが、Twitterにそのまんまmixiのプロフィール画像を、わりと顔を平気で出して最近載せ始めているな、という風に思っています。

僕はマスメディアとの付き合いというのは今まであまり無いんですけれども、インターネットを使っているユーザーとして、そこの中に映像を載っけたり、わりとインターネットを頻繁に覗いていることが毎日、癖づいているものとしては、2004年あたりからのインターネットによる個人発信ツールの普及によって、それはセクシュアル・マイノリティでなくてもそうなのかもしれませんが、特にセクシュアル・マイノリティにとっては、個人が「自分がこう感じている。自分がこう暮らしている。パートナーとこういうことを感じていて、今こういうことが日本で足りないよね」ということを発信したり、そういう社会的なことを発信しなくても、自分の日記を「レズビアンです」「ゲイです」「トランスジェンダーです」「バイセクシュアルです」と名乗りながら出すということに、本人達がどんどん楽になっていて。
それは個人単位の交流ではあるけれども実際に、性的マイノリティではない人たちも友達として、どんどん個人が発信しているメディアに読者として付いてますので、ジワジワジワジワ、インターネットが普及する以前よりも水面下で、「セクシュアル・マイノリティって世の中に当たり前に居て、こういう人のブログ、私読んでるわよ~」っていう人が世の中にいっぱい居る状況になってると思います。

特に、90年代に伊藤さんが出演した番組に付けられたタイトルですとか、タイトルに限らず、出演者に例えば、はるな愛さんとかマツコ・デラックスさんとかが出ていたとしても、それを見ている人が、いわゆる異性愛者しか居ない、ヘテロ・セクシュアル、シスジェンダーしか、いわゆる性的マイノリティではない人たちしか見て居ないという前提で、「この人たち変わってるよね~あはは」って笑ってるという状況がず~っと放送されている段階だと思うんです。
そこがインターネットとの違いになってるというか。インターネットの個人が発信しているメディアでは、性的マイノリティと、性的マイノリティが友達に居る人たちの世界観の中では当然、読んでいる人たちの中には性的マイノリティが「居る」という前提の言葉が交わされているんですよ。そこばっかりを見ていて、たま~にテレビを見ると、「なんて時代遅れな」という風に感じることが多いですね。
今日、後半のクロストークでもその辺が浮かび上がるかと思うのですが、僕は、前に比べるとテレビに接触する時間が減って来ていると自分でも感じるのですが、自分はやっぱり、「自分が居ないものとされている空気」には、出来れば触れたくないなと。インターネットで自分が好んで覗きに行くところでは、自分は「居ることになっている」という、当たり前の空気が吸えるという感じで発信して、人の情報も得ています。→FC2 同性愛 Blog Ranking

セクシュアルマイノリティである主人公の日常を、その姉が丁寧に撮影しながら制作された日本のドキュメンタリー映画の上映と、監督の中川あゆみさん、主人公のリョウさんをお迎えしてトークを開催。
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「ジャンジさんに聞く!パフォーマンスとHIV/AIDS」
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メディアと性的マイノリティ08●フツーに生きてるGAYの日常と尾辻選挙。ネットメディアの可能性と限界

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
続いては、akaboshiによる「インターネットと性的マイノリティの情報共有」に関する問題提起です。2005年5月27日に当ブログを開始して以来、現在に至るまでインターネットに情報を出し、他者と交流してきた上での体験談を主に語りました。
08●フツーに生きてるGAYの日常と尾辻選挙
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST

いわゆるインターネットというメディアを使いながら、自分がゲイ当事者だということを、どういう風に発信してきて、どういうことを感じているかということなんですけれども。
僕が自分がゲイであるということを、性的指向を自分で受け入れたのが20代の後半でした。それから3~4年後位に、その当時ブログがインターネットでブームになっていて、何の気なしに「あ。ブログってやってみたいな」と思った時に、ふっとそこで「ゲイである自分ということは表現するネタに使えるかも」と。ブログのネタに使えるというところから始めました。それで『フツーに生きてるGAYの日常』というタイトルを付けたんですけれども。
はじめて最初の1年間位は、自分が会社とか家族とか周りの環境に対して「自分がゲイである」ということを言えていない、で、なんでそれを「カミングアウト」っていうのを、わざわざ自分がいろんなストレスを抱えながら今後しなきゃいけないのかということを問いかける内容を書いていたりとか、好きなアイドルのネタを書いたりとか、そういうことでやっていたのですが。

それから、ゲイもブログをいっぱい始めているというのがだんだんわかり始めて。当然レズビアンとか他の性的マイノリティの人たちもブログを始めているのですが。その当時の僕もそうだったんですが、やっぱりブログ上に自分の顔を出したりとか実名を出すということには、まだまだ抵抗があった。だけど、ブログを始める時のいわゆる「ハンドルネーム」で会話をし合う、交流し合うというのが面白いということに気付き始めて。ゲイのブログが、皆がそこに登録をすると新着記事がトラックバックで表示される「GBr」というサイトがあるんですけれども。そこに登録をし始めたことで、他のゲイのブログを書いているゲイ当事者と交流が始まりました。
ブログを始めて半年後位までは、実はそこのブログのコメント欄に書いてくれた人と、実際に新宿二丁目で会って、しばらくお付き合いをしたりとか、付き合っている段階を、(読者に)女性が多いと想定しているブログですので、デートの経過とかを書いて、それに対して反応がワーッといっぱい来るのを楽しんだりしている時期だったんですけれども。

自分でショックだったのが、尾辻さんってその半年前に、東京レズビアン&ゲイパレードでカミングアウトをしてるんです。なのに僕は、ゲイブログを尾辻さんのカミングアウトより3ヶ月前から始めていたにも関わらず全く知らず、半年後にやっとNewsweekで知ったという。だからインターネットというのがいかに、自分が興味を持って覗きに行かないと、同じゲイとか同じ性的マイノリティ同士のニュースでさえ・・・。しかもその尾辻さんのカミングアウトって、日本で初めて現職の政治家が同性愛者であるということをカミングアウトした一大ニュースなんですね。・・・知らなかったんですよ。ちょっとショックを受けまして。
そこからだんだん社会的なこととか性的マイノリティのコミュニティの情報というのに興味を持ち始め、尾辻さんの講演会とかに行き始め、尾辻さんの記事を書いたら、だんだん尾辻さんの方からコンタクトが来るようになって。「今度札幌のパレードがあってakaboshiさんも行かれるみたいですから終わったら声かけてください」とか、それで御挨拶したりとかして交流が始まり・・・。

YouTube公開をその後始めて、『フツーに生きてるGAYの日常』というブログの記事の中にYouTubeの映像を含めるようになって行くのですが、それは映画として撮っていた関西レインボーパレードが、実行委員の人たちが思う以上に大成功したと。それを、なるべく多くの人たちに映像で知らせたいねという形になって。それを、事前の宣伝とかも含めて載せていたのですが、本格的にYouTubeに載せ始めたのはそこが初めで。
当時ブログブームの後、インターネットで高速回線が普及し光ファイバーの回線とかもだんだん浸透してきてますので、映像がインターネットでどんどん見られる。しかも自分たちでアップロードできるということで、YouTubeがその頃やっと認知度が高まって来た頃だったので、しかも性的マイノリティに関する映像をそのように載せている人がまだまだ少なかったので、関西レインボーパレードの映像も載せた途端に、かなりのアクセスが来ることがわかって。それが面白いと思い始め、尾辻さんの講演会を載せたり、上川あやさんが翌年選挙に出る時の街頭演説をYouTubeに載せたりとかいうことが始まりで、どんどん、のめり込んで行きました。映画製作はそのおかげでどんどん後回しになってしまったんですけれども。

その後、自分もやっぱり選挙結果には落胆もしますし、「あれはどうして受からなかったんだろう」ということ等も思いますが、一つ、原因としては。自分も「これだけインターネットで尾辻さんを出してれば」という過信をしていた部分というのはあると思うんですよ。尾辻さんの選挙対策本部としても、どんどんいろんなメディアに、尾辻さんが出ている(立候補している)ということをアピールして出したかったんですけれども、やっぱり大手メディアはなかなか難しかった。密着取材でずっと付いているテレビ局も2局ほどあったんですけれども、なかなか放送日が決まらず、いろんな事情があって、しかも選挙が迫れば迫るほど、ある特定の候補をこの時期に取り上げて放送するというのは、他との兼ね合いや自分達で設けているガイドラインに引っかかるということで、乗りにくかったり。


セクシュアルマイノリティである主人公の日常を、その姉が丁寧に撮影しながら制作された日本のドキュメンタリー映画の上映と、監督の中川あゆみさん、主人公のリョウさんをお迎えしてトークを開催。
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女性のドラァグ・クイーンとして数々のパフォーマンスや映画等に出演し、新宿二丁目のcommunity center aktaでHIV/AIDSに関する活動をしているマダムボンジュール・ジャンジさんをゲストに迎え、Ronとakaboshiがパフォーマンスの秘密とHIV/AIDSの現状について直撃トーク!
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メディアと性的マイノリティ07●中村中さんが紅白歌合戦に出た時に

2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」)
こちらとこちらから続く三橋順子さんのお話です。朝日新聞が今年(2010年)9月に夕刊で連載した『ニッポン人脈記 男と女の間には』では、多様なトランスジェンダーの生の有り様と周囲の人々との豊かな関係性が丁寧な取材で描かれました。前回の記事で言及されていたように、日本でも同性愛治療に電気ショックが用いられていたという事実を掘り起こした同シリーズ。他にもこんなエピソードが紹介されています。
07●中村中さんが紅白歌合戦に出た時に
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
■メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST
★以下、こちらの記事からの続きになります。

それから衝撃的だったのが、シンガーソングライターの中村中さんが紅白歌合戦に出た時に・・・2007年の大晦日ですね。いわゆる「性同一性障害に苦しまれて」っていうナレーションで紹介されて、お母さんの「ごめんなさいね」という手紙を鶴瓶かなんかが読み上げて、本当は中村さんはそこで涙を流しながら歌わなきゃいけなかったんですNHKの演出としては。
だけど中村さんはその時に「お涙頂戴なんてごめんだよ」と内心思いながら、涙一つ流さずに歌ったということを御本人が語っているのを朝日新聞がちゃんと書いたんですけども、これもやっぱり、すごく画期的なんですね。要するに、NHKも民放も皆、性同一性障害に対しては「お涙頂戴」でやって来たのを、当事者の中にも「それは嫌だよ」と。でも、プロダクションとNHKとの力関係でしょうがないと。だけど内心、自分は嫌だったんだと。
●中村中 友だちの詩
★中村中『友達の詩』

★能町みね子『オカマだけどOLやってます。』
今までそういう言説っていうのは実はメディアにほとんど出てこなかったです。要するに「性同一性障害っていうのは、かわいそうな人たちで、批判をしてはいけない」という形が、メディアで一般的だった。でもそれが崩れて来てる。「性同一性障害のおかしいところはおかしい」という形に、やっとメディアがなってきたという点でも、この特集は画期的だったかなと思うんですね。
私は最終回に出させていただいたんですけれども。私に関しては「一切、性同一性障害という文字は使うな」と。それだけが私の条件で。実際なにも出てこないんですけどね。まぁ、使わなくても記事になるんですよ。要するに性同一性障害という病理化のアイテムを使わなくてもトランスジェンダーは生きて行くわけですし、生きて行く世の中にしていかないといけない。私はずっとそういうことでやって来たし、この記事が一つの価値があるとすれば、そういう形を、いわゆるメディアの一面に取り上げてもらえるところまで、やっと来た。もちろん私個人の努力だけではなく、性同一性障害の方も含めて、ニューハーフの方も含めて、ニューハーフ、性同一性障害、トランスジェンダー。それぞれの人たちがそれぞれの主張でメディアに、この10年ずっと働きかけてきた。
性同一性障害の方たちも一方的に取材される時代ではなくて、自分たちの求めるものをメディアの中にどう反映させるかという戦略的な努力というのは、この何年間か、すごくされているんですね。山本蘭さんというgid.jpの代表の方はかなり戦略的な方ですので、それをかなりきっちりやられてる。

私と出会ったのは、さっき性教育問題の話が出ましたけれども、今から思うと不思議なんですけれども、足立区立十一中学校の文化祭。生徒会主催のシンポジウム「差異と差別を考える」。それのゲストが、三橋順子とはるな愛だったんです。それが2001年ですね。だから2001年位だとまだやれたんですよそういうこと。その後やれなくなった。
愛ちゃんがまだぜんぜん売れてない頃で、2008年頃から売れ始めたのかな?非常に「良かったなぁ」と思うのと同時に、さっきの(24時間テレビの)マラソンの時のスタジオの扱いなんてのは本当に酷いなと。彼女がどういう思いで生きてきて・・・。あの人は「女になりたい人」ですからね。子どもの時からそうだったんです。だけど、ああやってテレビに出るためには、自分の夢であるタレントになるためには割り切ってるんですよね。「男」性を暴かれることとか。「男」性を出すことを求められることとか。あれは完全に演出です。
『クイズタイムショック』で上をぐるぐるぐるって廻る時に、愛ちゃんは足を開くんですよ。スカートを履いてるのに足を開く。プロのニューハーフが、あの位の回転で足を開くようなことは絶対にあり得ないんです。カルーセルさんの時代じゃないですけど股に紙を挟んでトレーニングするような人たちですから。あれはもう完全に演出なんですね。求められる。あるいは、愛ちゃん頭いいから先に気付いてやる。そういうところを、なぜああいうメディは、どんどんどんどん拡大、クローズアップしないと、ああいう扱いが出来ないのか。

実を言うと私、今日ここに伺った目的の一つは、その一方でなぜ、ゲイ・レズビアンに関するメディアの報道のありようというのは、この10年間、質量ともに、むしろ落ちてるんじゃないかと思われる部分がある位、取り上げられないのか。いちばん端的に言えばちょうどこの朝日の記事が出た時のちょっと前ですね、8月の14日の東京プライドパレード、一度途絶してせっかく復活した。しかもakaboshiさんのブログやYouTubeを見ればわかるとおり、とても華やかに盛大にやってた。ところが、私ちゃんと調べたつもりなんですけど、一切新聞に載らない。全国紙にも載らない、東京の地方紙である東京新聞にも載らない、共同通信も配信しない。それはなんなんだろう?なぜなんだろう?正直不思議なんです。
もう一つ驚いたのが、それが14日ですよね。15日は終戦記念日で、もしかしたら載りにくいのかなぁとも思ったんですけども、毎日新聞は19日だったかな8月の。スウェーデンのストックホルムでの性的マイノリティのパレード、祭典の記事を、けっこう大きく載せてるんですよ。なぜスウェーデン、ストックホルムのことをこれだけ記事にし、あるいは、オーストラリアのメルボルンのマルティグラの記事は必ずこれくらいの写真とともに載ったりする。なぜ外国のそういう人たちのイベントは、少なくとも報道するのに、なぜお膝もとの東京のことは報道しないのか。そのカラクリこそ、すごくこれは重大な問題をはらんでる。
さっき言った「東京化粧男子宣言」なんて、規模はまだまだ小さいんですよ。だけども、新聞はまだ出してないけども、いずれ出ると思うんです、もうちょっとメジャーになってから。出す方向でやってます。戦略的に。いずれ、女性のミスコンの日本代表が決まるのと同じように。
あ、それで思い出した。はるな愛ちゃんがタイのミス・ティファニーで世界一になった時に、スポーツ写真は大々的にカラー写真で載せました。カラーコピーするのが大変だったんですけども。それだけじゃなくて、朝日新聞はこれ位の記事ですけども、写真入りで載せたんですよ。それを考えたら何故、東京のパレードが全く載らないかっていうのは、かなり不思議なことで、特に当事者性を持つ方は、かなり深刻に考えないといけないんじゃないかなというのを思ったんです。それで今日、両サイドにいらっしゃるお二方に「それはなんなんですか?」というのを質問したくて来たんで、後でちょっと教えてください。

ありがとうございました。「性的マイノリティ」と一言で言いましても、男女の二元論に当てはまらない「間」のところにいろんな人たちが居るんですけども、今、メディアに乗りやすくなっていると三橋順子さんが説明なさいましたトランスジェンダー、いわゆる世間では性同一性障害と語られることが多いトランスジェンダーの人たちは、「性自認」・・・自分や社会から自分の性がどう見られたいかというところが「間」に居たり、生まれたての性から越境したいという人たちです。その人たちの問題は取り上げられるんですが、「性的指向」・・・誰を好きになるかが、いわゆる異性愛ではない人たちのことが、なかなかメディアに乗りにくいということが今、実際日本で起きているメディアの一つの問題だと思います。
三橋順子
それって外国と逆なんですよね、たぶん。
akaboshi
よく聞くのではそうですね、ゲイ・レズビアンの方が可視化が進んでいて制度も・・・
三橋順子
いわゆる欧米では。まぁ欧米が何かっていうのもありますけども。
akaboshi
セクシュアル・マイノリティの活動が活発な国であればあるほど、レズビアン&ゲイがよく見えていて、トランスジェンダーの可視化をどう進めるかというのが、今、どんどん進められているというところで
三橋順子
遅れていたわけですよね。遅れているんです。
akaboshi
日本は逆行している現状があります。<つづく>→FC2 同性愛 Blog Ranking
【三橋順子さんのブログより『ニッポン解析』関連記事】
●共同通信配信「ニッポン解析:女装楽しむ『男の娘(こ)』」(2010-08-29)
【三橋順子さんのブログより 朝日新聞『男と女の間には』関連記事】
①9月6日「見えない壁 突き破った」上川あやさん・野宮亜紀さん
②9月7日「女ごころ 裕次郎が抱いた」カルーセル麻紀さん・圭子さん
③9月8日「本当のしあわせって?」原科孝雄さん・なだいなださん・塚田攻さん
④9月9日「急げ 法の後ろだて」大島俊之さん・南野知恵子さん
⑤9月13日「パパもおっぱいあげたい」森村さやかさん・水野淳子さん
⑥9月15日「『性てんかん』黒板に書いた」虎井まさ衛さん・小山内美江子さん
⑦9月16日「ニューハーフ 薩摩に帰る」ベティ春山さん
⑧9月21日「厳しくても心のままに」瞳条美帆さん・椿姫彩菜さん
⑨9月22日「至って普通の結婚です」若松慎・麗奈ご夫妻
⑩9月27日「ゆらり揺られて 私は私」石島浩太さん
⑪9月28日「人生 面白がらなきゃ」能町みね子さん
⑫9月29日「もっと大切なものがある」中村中さん・戸田恵子さん
⑬9月29日「違いがあっていいんだよ」三橋順子・藤原和博さん

■『女装と日本人 (講談社現代新書)』
■『性の用語集 (講談社現代新書)』
■『性的なことば (講談社現代新書 2034)』
■『性欲の文化史 1 (講談社選書メチエ)』
■美輪明宏という生き方 (寺子屋ブックス)
■『トランスジェンダリズム宣言―性別の自己決定権と多様な性の肯定』
■『戦後日本女装・同性愛研究 (中央大学社会科学研究所研究叢書)』