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メディアと性的マイノリティ06●同性愛治療に電気ショックを日本でも。朝日新聞「男と女の間には」取材が掘り起こした歴史



 2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」

 前回から三橋順子さんのお話が続きます。90年代は「ミスターレディ」あるいは「ニューハーフ」としてバラエティ番組に多数出演して認知を広げたMtFトランスジェンダー。ところが21世紀になってから「性同一性障害」という言葉の認知の広がりと共に、メディアによる取り扱われ方がワンパターン化する時期が続くことになります。

 そして現在。バランスよく多様な取り上げられ方がされ始めてくる中で、朝日新聞『男と女の間には』の取材の過程で、日本でも同性愛治療に電気ショック療法が実際に行われていたという、歴史的な証言が発掘されたりしました。同取材にコーディネーターとして関わられていた三橋さんの貴重なお話をどうぞ。

06●同性愛治療に電気ショックを日本でも
 
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST

★以下、こちらの記事からの続きになります。

三橋順子

 ちょうどその頃からメディアの性同一性障害に対する扱いが、非常にワンパターン化してくる。つまり記者さんが自分の動機で取材するんじゃない、ある種のパターン、「かわいそうな人たち」「性同一性障害という病気に苦しむかわいそうな人たち」、必ず涙が出てくる悲しいお話。悲しいお話っていうのはドキュメンタリーとしては非常に視聴率が取れるんです。

 「性同一性障害=かわいそうな人たち」というイメージで統一された頃から、パッタリ、ニューハーフ・女装系の番組っていうのが作られなくなるんです。これは見事なほどの転換です。上岡(龍太郎)さんの系列の番組もなくなっちゃったし、ニューハーフがほとんどメディアに出ない。女装も全く出ない。私には全くお声がかからなくなる・・・という時代が、2003年位から2008年位までの5~6年、日本のメディアは性同一性障害一辺倒です。ゲイ・レズビアンも出ないですよね。

伊藤悟

 そうですね。

三橋順子

 もう、本当に性同一性障害だけ。ところが、当たり前なんですけども、同じパターンしか作れないわけですよ。お涙頂戴、いろいろ違ってもお涙頂戴番組。で、メディアも飽きるわけです。たぶん飽きたからなんだろうと思うんですけども、昨年(2009年)の後半位から風向きが変わってきたんです。わかりやすく言うと、私のところに何年かぶりに大手メディアからメールが来る。

 いくつかあるんですけども、今年の8月に出た共同通信が作った記事で共同配信の記事で、『ニッポン解析』という中で、「ファッションとしての女装」を扱う非常に真面目な特集記事を作って、京都新聞とか神戸新聞とか北海道新聞とか、もっとたくさんの新聞に載ったんです。サブカルチャーとしての女装ブームというものを、メディアが真面目に取り上げてくれた。

 実は、その一つ前に、日本人の目に触れないのが微妙なんですけども、取材に来たのは昨年の12月なんですけども、今年の2月の初めにNHK国際放送(NHK World)、英語放送ですね、世界に配信している。そのニュースの中で5~6分なんですけども、「現代日本における女装ブーム」というのを、現代の日本における社会現象として番組を作って世界に報道した。メインは早稲田大学の4年生の男の子で。これもねぇ、「時代が変わったなぁ」と思うんですけどね。地方公務員の就職が決まっていて、東京生活の最後の思い出に、プロのちゃんとしたメイキャッパーに女装さしてもらって、ドレスを着て記念写真を撮ろうということで横浜の女装クラブに行って写真を撮る。

 驚いたのは地方公務員に就職する早稲田の男の子の顔がノーモザイクなんですよ。そのまま出てる。モザイクは昔からね、かけなくてもいいって言うのにかけるんですよね、それがもう、全くモザイクがなくそのままの素顔で、化粧をしてない素顔で。私、「大丈夫なの?」って聞いたら、「面接で、そういう趣味ですっていうことは言った上で採用になってますから大丈夫です問題ないです」って言うんです。それはやっぱり10年間の変化なんですけども。そういう形で、ある種の日本の文化として、日本のメディアが女装も取材し始めてるのが、今年に入ってからの流れです。「東京化粧男子宣言」というイベントが昨年から始まったんですけれども、それもかなりメディアがちゃんと取材をしてくれるようになって。

 現状を言うと、性同一性障害一辺倒だったのが、ややサブカルチャー的な女装文化というものの報道も復活してきて、はるな愛ちゃんが大活躍をしてニューハーフ系の人も、あるいは椿姫彩菜ちゃんが出てきたりということで、最近は佐藤かよさんだったかな?ファッションモデル。ああいう若い人も出てくるようになってきて。今、非常にバランスが良くなってます。たまたまかもしれませんが。

 そしたら、今年の4月に朝日新聞社の記者さんからメールが来まして、朝日新聞の夕刊の一面の下の方に・・・まさにこの時は「中国3邦人釈放」という大きなニュースがあった時に、一番下は広告欄でその上の所、ここに、『ニッポン人脈記』という連載を、いろんなテーマでしているんですね。今は「癌を生きる」っていう、癌を克服したり癌と共存したりしている方の連載が載ってます。

 この特集は「男と女の間には」という特集だったんですけども、この前の特集が、すごくお金をかけた海外取材で「イラク戦争」でした。「イラク戦争」→「男と女の間には」→「癌に生きる」という、そういう特集の並び。その前はたしか釜ヶ崎。大阪の元の「ドヤ街」ですね。釜ヶ崎を生きる人たちの特集だったんですけども、そういう中で、13回の連載特集をしたいと。

 ついてはコーディネーターをお願いしたいということだったんですけども、私、「性同一性障害一辺倒だったらお手伝いはしません」と言ったんですが、向こうから、「実は、性同一性障害の方も取材をしないとまずいと思うんですけど、出来たら『そうじゃない方』。むしろ以前から、性を越えて生きようとして来た方を堀り起こしたい」という。私がレクチャーする前に、記者がそういうことを言ってたんで、「だったら是非ご協力いたします」という形だったのね。

 現に、13回の連載のうちの1回目は世田谷区議会議員の上川あやさん、まぁいちばんわかりやすいところから入ってくる。だけどもう2回目で、カルーセル麻紀さんと、ペアになった方が、圭子さんという、岐阜の柳ヶ瀬でスナックをやってらっしゃる、今年古希を迎える、70歳になる方なんですけども、1960年代に、カルーセルさんより10年以上前に手術をしてる方なんです。

 その方のインタビューに私も実は同行したんですけれども、その方が16歳の時に、同じ高校の先輩とセックスしてるところを先輩の親に見つかって、親同士で連絡があって、札幌の方なんですけども、すぐに北海道大学医学部病院に連れて行かれて、すぐに「真性同性愛」で、札幌の郊外の大きな私立病院に強制入院させられて。一ヶ月間毎日電気ショックをかけられてるという。そのことがお話に出てきて。

 私は50年代~60年代、アメリカを中心に、同性愛者に「治療」と称して電気ショックをしているというのは知識としては知っていたんです。だけど、「(日本で)された方」に初めてお目にかかったというか、直接お話を聞いて。非常に温厚なおばあさんという感じの方なんですけども、その時だけは目に怒りがメラメラメラっと。「これだけは書いてください。私も長いこと生きてきて、あれほど辛く悲しかったことは無かったです」と。

 バチッて高圧電流を当てられると、そのままパタンと失神しちゃうんですね。要するに夜、寝る前にやられるんです。そのままパタンって寝て朝起きると、前の日の記憶が一部欠落している。それの繰り返し。その方は「こんなことをされてたら本当におかしくなっちゃう」と思ったわけで。一ヶ月ちょっと経った時に「看護婦さんを好きになりました」と嘘を言って。その看護婦さんはさんざんいじめられた看護婦さんだったらしいんですけども。「男のくせに男が好きなんて」っていう風にいじめられた看護婦さんらしいんですけども。

 「看護婦さんが好きになった」ということで医者が「あぁだいぶ治って来ましたね」っていうんで退院になって。だけども当然なにも治って・・・治るという問題ではないですからね。で、即、家出をしたと。家出をして匿われたススキノのお店で、釧路から家出して来てた少年と一緒に働いてた。それがカルーセル麻紀だったという、そういう話なんですよ。そういう話を掘り起こせたんです。

 他にも、「はっきり言ってこんな話聞いたよ」というような・・・虎井まさ衛さんと小山内(美江子)さんの話とかですね。要するに『金八先生』(2001年)の、上戸彩がやったFtMの話とか。そんなのもあったんですけども。ベティ(のマヨネーズ)のママさんが故郷の薩摩の老人ホームの慰安を毎年やってるとか。それから、私やっぱり衝撃的だったのは歌手の、シンガー・ソングライターの中村中さんが・・・<つづく>FC2 同性愛 Blog Ranking


【三橋順子さんのブログより『ニッポン解析』関連記事】
共同通信配信「ニッポン解析:女装楽しむ『男の娘(こ)』」(2010-08-29)

【三橋順子さんのブログより 朝日新聞『男と女の間には』関連記事】
9月6日「見えない壁 突き破った」上川あやさん・野宮亜紀さん
9月7日「女ごころ 裕次郎が抱いた」カルーセル麻紀さん・圭子さん
9月8日「本当のしあわせって?」原科孝雄さん・なだいなださん・塚田攻さん
9月9日「急げ 法の後ろだて」大島俊之さん・南野知恵子さん
9月13日「パパもおっぱいあげたい」森村さやかさん・水野淳子さん
9月15日「『性てんかん』黒板に書いた」虎井まさ衛さん・小山内美江子さん
9月16日「ニューハーフ 薩摩に帰る」ベティ春山さん
9月21日「厳しくても心のままに」瞳条美帆さん・椿姫彩菜さん
9月22日「至って普通の結婚です」若松慎・麗奈ご夫妻
9月27日「ゆらり揺られて 私は私」石島浩太さん
9月28日「人生 面白がらなきゃ」能町みね子さん
9月29日「もっと大切なものがある」中村中さん・戸田恵子さん
9月29日「違いがあっていいんだよ」三橋順子・藤原和博さん

三橋順子さん関連書籍

『女装と日本人 (講談社現代新書)』
『性の用語集 (講談社現代新書)』
『性的なことば (講談社現代新書 2034)』
『性欲の文化史 1 (講談社選書メチエ)』
美輪明宏という生き方 (寺子屋ブックス)
『トランスジェンダリズム宣言―性別の自己決定権と多様な性の肯定』
『戦後日本女装・同性愛研究 (中央大学社会科学研究所研究叢書)』


ゲイ・カップルをゲストに迎えて
『しみじみと歩いてる』第2回東京上映会


11月23日(祝)14:00上映(トーク付き1300円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分
制作:akaboshi企画

 『関西レインボーパレード』で出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤や喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。今回は映画に出演している九州のゲイ・カップルをゲストに向かえて「地方に暮らすセクシュアルマイノリティとして思うこと」を上映後にトーク。ぜひお越しください!上映会の詳細はこちら。

メディアと性的マイノリティ05●性転換に伴う戸籍変更の前例を掘り起こし、法務省の見解を変えたメディアの調査力



 2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」

 伊藤悟さんのお話に続いては、トランスジェンダー当事者として90年代からマスメディアと様々な形で関わってこられた三橋順子さんが、トランスジェンダーの扱いの変遷について語ってくださいました。また、マスメディアの「上手な利用法」の事例も出てきますよ。

05●性転換に伴う戸籍変更の前例掘り起こし
 
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST

★以下、こちらの記事からの続きになります。

三橋順子

 96年の1月に出た『imago(イマーゴ)』という雑誌で、伏見憲明さんと対談したのが私の「まともなマスコミ」への最初(の関わり)だったように思うんですけども。今、akaboshiさんがおっしゃったようにトランスジェンダーのムーブメントというのは、90年代前半のゲイ・レズビアンムーブメントの一つの波及として、拡大として、特に伏見憲明さんがクィア・ムーブメントという形で拡大して行った中で出て来た部分というのはあるんです。

 ですが、一方でちょうど同じ頃。93年~95年あたり。今はもうほとんど引退されてますけども、上岡龍太郎さんっていう関西系の司会者の方がしきりに、特に番組改変期の特集枠として「ニューハーフ・・・」最初は50人だったんですけど、そのうち「ニューハーフ100人」とか。ともかくニューハーフをたくさん集めて、ひな壇にバーっと50人なり100人なり並べて。最初はスタジオ内でいろいろやらしてたんですけど、そのうちヤレ運動会ですとかやらせて、今のお笑い芸人さんとかのポジションを、そのままニューハーフにやらせてたような時期があるんです。それがやっぱり今から思うと、それまではかなり個人的に限定されてた・・・たとえばカルーセル麻紀さんとかに限定されてた、そういう「性を越えて生きている人たち」が、テレビメディアにドッと出てくる一つのきっかけだったと思います。

●YouTubeより~ミスターレディー50人決定版 1/9
 

 私、その末期のビデオで、若き日のはるな愛ちゃんが・・・はるな愛ちゃんをはじめとするニューハーフたちが、手料理を作って、それをなぜかよくわからないんですが幼稚園児に食べさせて、幼稚園児に「どのお姉さんのがおいしかった?」と批評をさせるというビデオを持ってまして。それをよく学生に見せるんですね。いろんな面白いビデオなんですけど、田代まさしが司会してて、それで非常にいいコメントしてくださったのが今は亡き飯島愛さんなんですね。96年のビデオですからたった14年前なのに、隔世の感があるもので学生はびっくりするんですけども。そんな流れも一方であるんです。

 ちょうど同じくらいに、これは私もちょっと関わったわけですけれども、新宿2丁目のゲイコミュニティとは別に存在する、いわゆる女装者のコミュ二ティの存在にテレビや雑誌が気づく。それまでは気づいてなかったんですね。そういうコミュ二ティっていうのは、1960年代の後半ぐらいから形成されてましたから、その時点で既に30年くらいの伝統があったわけです。場所的には、むしろ二丁目ではなく歌舞伎町、あるいはゴールデン街。あるいは三丁目の末広亭があるあたりとかですね、あのブロックなんですよ。要するに二丁目のお隣ですね。ちょっと新宿駅寄り。

 今からすると、どうしてそういうことになったんだろうと、思い出すと感慨深いんですけど、『サンデー毎日』が巻頭のカラーグラビアで、新宿の女装者の、まじめに撮ったカラーグラビアを載せました。今から思うと不思議なくらいです。

 それからその後に『AERA』が、題はね、たぶんデスクが変な題名を付けてたんじゃないかと・・・さっきの伊藤さんのお話じゃないですけど。「エリートがスカートを履く時」かな?とにかく新宿の女装者の現状、現実っていうものを『AERA』がわりと真面目な記事にしたんですね。

 テレビのそういうニューハーフの・・・上岡さんの番組だったということもあって大阪のニューハーフがかなり注目されて、いわゆる「浪速のニューハーフブーム」という。「ベティのマヨネーズ」のママとかが中心ですが、あるいは、若き日のはるな愛ちゃんがスターだった、アイドルだった時代。

 と、新宿の女装コミュニティの取材。1998年だったと思いますが、今でも枠としてはあるフジテレビの日曜日の2時ぐらいから『ザ・ノンフィクション』っていう番組があるんですけども。それが1時間まるまる、やっぱり新宿の女装者に焦点を当てて番組を作ってくれたんです。それも私が・・・さっきの話じゃないですが痛い目にあってるので何度もビデオチェックまでしたんですけども、問題が無きにしもあらずですけども少なくともさっきの『怖いところ探検二丁目』みたいな。そういう番組、2000年代になってもありませんでした?私ビデオ持ってるんですけども。隠しカメラみたいなもので二丁目を撮ってるような・・

akaboshi

 2006年ですね。

三橋順子

 2006年ですか、わたしDVDもらったんですけども。

akaboshi

 日本テレビでしたね、やっぱり。

 ↓
【当ブログ内関連記事】
たかがテレビ024●日本テレビ『アンテナ22』にて「真夜中の新宿2丁目禁断の同性愛の楽園 」今夜放送(2006-05-15)
たかがテレビ025●「真夜中の新宿2丁目~自由奔放な魅惑の街」を見て(2006-05-15)
たかがテレビ028●検証「真夜中の新宿2丁目~自由奔放な魅惑の街」①PRの品性(2006-05-21)
たかがテレビ029●検証「真夜中の新宿2丁目~自由奔放な魅惑の街」②2丁目の記憶(2006-05-23)
たかがテレビ032●検証「真夜中の新宿2丁目~自由奔放な魅惑の街」③カメラの暴力、ボカシの功罪(2006-05-26)

三橋順子

 日テレでしたね。そういうのに比べるとかなりマトモな作りの番組が98年ぐらいにはもう出来てたんです。ところが、ほぼそれと並行する形で、性同一性障害の問題が・・・。最初の手術が98年の10月なんです、FtMに対する手術が。それからMtFに対する手術が99年の6月なんです。ちょうどメディアが、雑誌メディアもテレビメディアも、ニューハーフとか女装者とかってものを含めた「トランスジェンダー」に対して、ある程度の認知を与えて、こういう人たちが居るんだよということを・・・ちょっとはそりゃテレビですから視聴率の問題から興味本位な部分はありますが、ともかくあんまり酷い形じゃなく、差別的な形ではなく取り上げはじめたちょうどその頃に、ドーンと特にニュース番組を中心に、性同一性障害の番組が作られるようになったんです。

 私は初期の頃、レクチャーやコーディネートでずいぶん、お付き合いしました。98年~99年位に作っていた方っていうのは、今思うと非常に、現場の記者さんとかディレクターさんは、意識が高かったです。これは時々私、思うことなんですけど、在日の方が多かったんです。TBSの女性ディレクターが在日朝鮮系、それから、最初にすごいいい形で作ってくださった方で、大阪の関西テレビの女性ディレクターは、いわゆる神戸の華僑ですね、台湾系の。さっきの『ザ・ノンフィクション』を作ってくれた方は男性なんですけど、やっぱり李さんっていう在日の方。

 私、必ず逆取材するんです。「なんでこのテーマに御興味持たれたんですか」って。そうすると、ナショナル・アイデンティティ、自分が日本人なのか朝鮮系、台湾人なのか。それが常に子どもの時から揺れ動いてきて、大人になっても、自分が社会の中でどちらの名前を名乗るかということに、すごく悩まれて来て。性の選択、性を変えて生きるということ=ジェンダー・アイデンティティの問題とナショナル・アイデンティティの問題を重ね合わせてらっしゃったんですよ。「国籍」か「性」かは違うけれども、なんとなく私は通じるものがあるような気がしたので、私はそれをやったんです。結局その番組はテレビのドキュメンタリーの賞を取られました。・・・そういう風に、動機があったんです。

 次に関わった『サンデープロジェクト』というテレビ朝日系の番組の制作子会社の一つだったところの方は、私が最初記事に気付いたんですけれども。手術の次の段階として、2000年代に戸籍の性別変更をどうするかという議論になった時に、実は「これコミュニティの伝説」で、昔、手術をして戸籍まで変えた人がいたという伝説があったんです。その伝説を私は知っていて、1999年に古い雑誌を網羅的に大宅壮一文庫で調べていた時に、当たったんですよ。出てきたんです。

 青江のママさんの一番弟子と言われた方なんですけれども。アメリカのスタンフォード大学で手術を受けて、日本に帰って来て名前を「女名前」にしようと思って、港区役所に届けをしに行ったら区役所の相談係みたいな人が「あなた、名前だけじゃなくて性別も変えなきゃダメだよ」と、区役所の人がサジェスチョンしてくれた。「で、どうしたらいいんですか?」って言ったら「こうこうこういう向こうの診断書を取り寄せて出せば戸籍法113条で変えられますよ」と教えてくれたんです。

 ・・・っていう話を見つけて。とにかくその方を捜したい。私も一生懸命捜したんですけども私の力ではどうしようもなくて、結局『サンデープロジェクト』の子会社の方に情報提供して探していただいたんです。子会社ですから一社だけの予算じゃ無理で、講談社の『FLASH』さんと提携して、どっちかが捜し出したらソースを交換するという形で、なんとハワイで御健在で、ハワイでレストランクラブのオーナーになっていたという。その時は本当にメディアの調査力というのは凄いなと。「捜そうと思ってお金さえかければ捜せないことはありません」と言ってましたけども、捜し出してくださって。

 その方がちゃんとインタビューに経緯を応えてくださって、それが『サンデープロジェクト』と『FLASH』に出て、それで今まで法務省が「日本では性転換に伴って性別を変えた事例はない」という公式見解を、はじめて変えてくれたんです。法務省は法務省なりに東京家裁の古い資料を漁って、出てきたんですよね。そういう風にメディアをうまく使えば、非常に役に立つものが掘り起こせるというのはわかったんですが、ちょうどその頃からメディアの性同一性障害に対する扱いが非常にワンパターン化してくる。

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三橋順子さん関連書籍

『女装と日本人 (講談社現代新書)』
『性の用語集 (講談社現代新書)』
『性的なことば (講談社現代新書 2034)』
『性欲の文化史 1 (講談社選書メチエ)』
美輪明宏という生き方 (寺子屋ブックス)
『トランスジェンダリズム宣言―性別の自己決定権と多様な性の肯定』
『戦後日本女装・同性愛研究 (中央大学社会科学研究所研究叢書)』


ゲイ・カップルをゲストに迎えて
『しみじみと歩いてる』第2回東京上映会


11月23日(祝)14:00上映(トーク付き1300円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分
制作:akaboshi企画

 『関西レインボーパレード』で出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤や喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。今回は映画に出演している九州のゲイ・カップルをゲストに向かえて「地方に暮らすセクシュアルマイノリティとして思うこと」を上映後にトーク。ぜひお越しください!上映会の詳細はこちら。

メディアと性的マイノリティ04●「期待されるゲイカップル像」に自分達が合わせようとしているということに、ある時期から気が付いた。



 2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」

 伊藤悟さんのお話が前回から続くわけですが、90年代、マスメディアに多数出演した際につい、「期待されるゲイカップル像」を演じている自分達がいることに気付いたそうです。その経験を現在の伊藤さんは、どのように振り返られるのでしょうか。

04●「期待されるゲイカップル像」
 
パネリスト
伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)/三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)/akaboshi(島田暁/ブログ「フツーに生きてるGAYの日常」)
メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST

★以下、こちらの記事からの続きになります。

伊藤悟

 『ナビゲーター97』という30分のドキュメンタリー番組の、フリーのワンマンディレクターで渡辺さんという有名な方だったんですが、テレビ東京の『ナビゲーター97』をどういうプログラムで毎週作るかという企画会議が月1回あるわけですけど、その人と複数のディレクターで企画を出して作るわけですけど。

 半分作っている渡辺さんの企画書というのは欠席しててもノータイムで通るというような状態だったらしいんですけれども、たまたま渡辺さんは胸騒ぎがして。用事があって欠席しようかと思ってたんだけれども、我々の『すこたん企画』のドキュメンタリーを出した日に、サボりたいのに無理をして出たら案の定で、みんな大反対で。「こんなのをやれるのか!」というのが97年の状況だったわけですね。

 まぁ無事にやれたんですけれども。逆にそれで渡辺ディレクターが真剣になってくれて。「こんなに大変なことだったんだ、自分はわからなかった」ということで、それまで私たちのうまく歯車が噛み合っていなかったのが、その「企画会議事件」で渡辺さんが事の深刻さを感じて私たちと真剣にコミュニケーションをしてくれたので、納得の行くドキュメンタリーにはなったんですけれども。なかなかきちんと、メディアに自分達の情報を伝えようと思っても、それが出来ないという状況をすごく、しみじみと感じるようになります。

 ですから、自分達としても「どういうふうに表現して行こうか」ということで、これはやっぱり、すごく気負いがありまして。本を出した後に、『すこたん企画』というNPOを立ち上げるのが1994年なんですけれども。私が今、代表ではあるんですけれども、パートナーの梁瀬が言い出したものなんですね。もともとの原点は、たとえば欧米では性教育の中に充分に・・・これは「欧米」と言っても難しいんですね、国や州によって違うんですけれども、「欧米の進んだところ」と正確には言わなくてはならないんですけどね。欧米の進んだ国や州では、性教育の中にきちんとLGBT、セクシュアルマイノリティズのプログラムが入っているところがあるわけです。

 たとえば小中学校にゲイやレズビアンのカップル、あるいはゲイ一人、レズビアン一人とか・・・という形で、話に行って直接、リアルに交流することによって、いろんな人間が居るということがわかる。そういう教育プログラムというのがあって。梁瀬は、そういうのを日本でも出来ないかねぇということで『すこたん企画』を作り始めて。ですから最初は性教育の団体とつるみながら、色々な場所で、学校の先生、時には中学生、高校生、大学生に話をするという活動を中心にしていたのですが。

 性教育がですね、実は、文部科学省がいったん90年代のゲイブームと機を一にしてですね、「性教育推進」という、非常に短い時間なんですけれども、文部省が性教育を推進した時期があるんですよ、驚くことなかれ。それで結局、性教育なんてやったこともなかった先生たちが「文科省が推進するなら」ということで性教育ブームというのが起きたんです。実はゲイブームの裏に性教育ブームというのがあって。

 その時にまず、どこからかというと同性愛からだったんですけれど、今だったらたぶん性同一性障害からになるんじゃないかと思うんですけれども。当時は「同性愛から」ということで性教育に関わってきたんですが、これが反動でちょうど2000年にですね、厚生省が作った性教育の性感染症予防のパンフレットが過激すぎるという質問を、現在は自民党の某議員がして以来、性教育に関する逆行が始まりまして。それに最も乗っかった人が某東京都知事で。東京都の性教育は現在、2000年以来壊滅状態で。性教育をするためには校長に内容を全部詳しく届け出なければいけないと。

 そして、性教育の内容が不適切であれば全部やれないという形で、東京の中の性教育というのは小・中・高と、ほとんど全ての公立の学校では性教育を自由には出来ないという状態になってしまいました。それと共に、私たちも活動するということが非常に難しくなってくる。同時に、ちょっと反省もしたんですね。

 やっぱり気負いすぎるところもあって。メディアっていうのは怖いんですね。メディアに出ているうちに、自分達の主張を伝えたいと。自分達の主張というよりは、私たちの場合は「思い」ですよね、思い。だから「偏見を持たないで欲しい」とか、「生身の人間である、ゲイもレズビアンも」という。そういう思いを伝えたかったんだけど、メディアに出ていると「期待されるゲイカップル像」というのが別にあるんですね。

 さっきの偏見とは別に、「期待されるゲイカップル像」というのに自分達が合わせようとしているということに、ある時期から気が付くんです。それはやっぱり、「出来るだけ素敵なカップルとして出ないといけない」みたいなね。せっかく、スタートで本を書いた時には、本当に自分たちの生活を「ドーン!」と明からさまに書いて。「私たちはこういう風に生活しています」と言ってたのに。やっぱりメディアに出て行くうちに自分達も勘違いをする部分があって。「メディア向けに、格好いい、素敵なカップル」として振舞わなければいけないんじゃないかというような思いというのが出てくるし。

 また、そういうのをメディアだけではなくて、たとえば講演、性教育の現場の先生方というのがまたそうなんですね。「教員」というのはまた、なにか理想像みたいなものを生むので、教員というのもちょっと話が生活観のある話になると、若干引いてしまわれたりするので、ついつい場に合った話をするようになって行った自分たちというのも、すごく反省しました。

 その辺から『すこたん』のやる路線というのも変わって、もう少し原点に帰って。社会に向けて訴えるというよりは、少し内側を固めたいというとオーバーですけれども。やっぱり我々同性愛者・・・「我々」という言葉を使うのも良くないと時々言われるんで気をつけないといけないですね。「我々と一くくりにするな」といつも怒られるんで。「私たち」「われわれ」という言葉は言っちゃいけない。「私」と一人称で語らないといけないと。はい。つい今、ポロッと出てしまいましたが。

 「私」はですね、と、梁瀬は、同性愛者の人たちが、もう少し生活、人生の中で希望を持ち、自分を受け入れて生きられる、その辺をヘルプするような活動にシフトして行こうということで今では、最初に言いましたとおりワークショップとか、昼間アルコールが不得意な人でも参加できるような出会いのイベントとか、そういう一味違った地道なワークショップを毎月何回も開催するという方向に行ったわけですけれども。

 そろそろ時間ですね。それで、私自身はメディアっていうものの怖さというものも凄く感じていまして。それは今でもそうだと思うのですが、メディアがポーンと誰かを、いい人、素晴らしい人、または悪人という風に持ち上げると、みんなそれを信じてしまうというか、本当にメディアというものに対して「簡単に信じてしまう」というような状況が更に作られていって、メディアの影響力というのは凄くあるなと思うんですね。これは後で、大学の経験を三橋さんがお話してくださると思うのですが。本当にメディアというものが「イメージ」を作ってきて。

 私は今、90年代のお話をしたわけですけれども、いったんは性教育ブーム、ゲイブームというものがあったけれども、そこで作られたイメージというのは、かなり興味本位なものも多かったので。本当はね、いちばん何を伝えたいかというと。

 我々もハマっちゃった部分があるんですね、「格好いいカップル」でなくちゃいけないと。本当に伝えなきゃいけないのは、ゲイであれレズビアンであれトランスジェンダーの人であれ、そういう少数派の人であれ、いろんな人間が居るんですね。たとえばゲイ男性でも、真面目な人もいれば、ちゃらんぽらんな人もいるし、怖そうな人もいれば優しそうな人もいる。いろんな人がいる。それこそ、ジェンダーの揺らぎについても様々だと思うんですね。

 ところが、メディアというのは何かイメージを一つに決めたがる。「こういうものだ」と。「ゲイは○○だ」と。これはいつの時代も「○○」が変わるだけで、未知のものに対してはですね、決めつける。一つのイメージで全部見えるように、映像を編集してしまう。そういう傾向があって、たとえばゲイブームの最中でも、一方では超プラスすぎるイメージもね。たとえば「芸術的センスあふれるゲイ」とかね。それも「いや私、芸術ちょっと・・・」というところもあって。持ち上げる「プラス」の方も、「全部がそうだ」みたいな決め付けになっちゃうんですね。だから「ゲイは芸術的センスがあるんですか?」っていまだに聞かれますしね。

 逆に「怖くていけないところ」が二丁目とか、そういう風になったりするわけで。その時に「本当にこれは自分が気をつけなきゃいけないな」と、自分もそうならないようにしないとな、と思うのは、「一つの視点だけで決め付けない」ということは、すごく学びましたね。プラスであれマイナスであれ、ゲイブームの中で、いろんなメディアがそれぞれの立場で「ゲイは○○である」という決め付けをですね、たくさん作ったのが90年代だと思います。

 その後、急に90年代というのからブームが冷めると、ほとんど扱われなくなってしまっているというんですが、今でもやっぱり「ゲイは○○である」という名残なんかがありまして。一つだけ余談を言うと、もう5年前か6年前になりますかね。『すこたんソーシャルサービス』の事務所が一応あることはあるんですが、深夜電話がかかってきまして、異性愛の方からの単純な素朴な問い合わせで、簡単にお答えして切ったんですけども、すぐ後にメールが来て、「先ほどは深夜失礼しました」って書いてあって丁寧な人だなと思ったらその後の一言がすごくて、「ゲイの方は夜更かしだと思ったので」って書いてあって。

 その後はその人とコンタクトは無かったし、わざわざ「どうしてですか」ってメールを出すのもなんですから、いまだにスタッフの間では「すこたん笑い話」として都市伝説化しているんですが、なぜゲイは夜更かしなのかという、とても謎なメッセージを残された方がいまして。「ゲイは○○だ」というような決めつけというのは、いろんな形でメディアの影響もあっていろんな人に残っているんだなぁと思わせられましたね。なぜ「夜更かし」なんでしょうね?そんなこともこの後でまた改めて考えられたらと思います。以上でバトンタッチします。ありがとうございました。

akaboshi

 はい。伊藤さんありがとうございました。

 伊藤さんの話にも出てきたんですけれども、日本は90年代前半に「ゲイブーム」と言われる、女性誌からはじまった、メディアがゲイをたくさん取り上げるブームというのが起こり、それでコミュニティがいろいろ発展し盛んになって行き、ゲイパレードが行われるようになったり、レズビアン&ゲイ映画祭が開催されるようになったり、今「コミュニティ活動」という風に言われるものの原型が、「ゲイブーム」に後押しされるような形で活発化されました。90年代前半から中盤あたりはかなり、レズビアンとゲイがメディアに載ることが多かったんですけれども、そこからだんだん、さらに細分化されて行くというか、また違う状況が生まれて来ます。そこのあたりを三橋さんに引き続きお話していただきます。よろしくお願いします。(続く)FC2 同性愛 Blog Ranking





●伊藤悟さんの「マスメディアとの付き合い」に関するインタビュー掲載書

竜超『消える「新宿二丁目」―異端文化の花園の命脈を断つのは誰だ?』
・・・巻末にかなり詳細なインタビューが掲載されています。このディスカッションの際にも参考にしました。

●伊藤悟さん関連書籍

『男ふたり暮らし―ぼくのゲイ・プライド宣言』
『ゲイ・カップル 男と男の恋愛ノート―恋と暮らしと仕事のパートナーシップ』
『同性愛者として生きる』
『ひょっこりひょうたん島熱中ノート』
『ひょうたん島から明日が見える―ガバチョと未来が変えられる10のヒント』



ゲイ・カップルをゲストに迎えて
『しみじみと歩いてる』第2回東京上映会


11月23日(祝)14:00上映(トーク付き1300円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分
制作:akaboshi企画

 『関西レインボーパレード』で出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤や喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。今回は映画に出演している九州のゲイ・カップルをゲストに向かえて「地方に暮らすセクシュアルマイノリティとして思うこと」を上映後にトーク。ぜひお越しください!上映会の詳細はこちら。

メディアと性的マイノリティ03●伊藤悟さん「NHKには同性愛番組の企画書が死屍累々」



 2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」

 伊藤悟さんの自己紹介、そして三橋順子さんとakaboshiの自己紹介に続いては、90年代前半からゲイ当事者としての著書を多数出版され、「すこたん企画」の活動を始められた伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)のメディアとの付き合い体験談を語っていただきました。今回、言及されている90年代前半の記事・番組名・媒体名は以下の通りです。ビックリ仰天エピソードが満載!なわけですが、なぜ僕が「ビックリ仰天」と感じるのか、その思いを共有できない人がまだ少なからず、マスメディア従事者の中に居るような気もして怖かったりして・・・。

●『女性セブン』掲載「姑感激!ゲイの花嫁」(1993年)
●フジテレビ『おはよう!ナイスデイ』での「奇妙な夫婦生活」(1993年)
●日本テレビ連続ドラマ『同窓会』(1993年10月20日~12月22日放送)
●日本テレビ「解禁テレビ」での『怖くて行けない所・第二弾 男がオトコを愛する交差点』(1995年6月9日放送)

03●NHKには同性愛番組の企画書が死屍累々
 
メディアと性的マイノリティ~「ジェンダーとセクシュアリティの媒介」PLAYLIST

★以下、こちらの記事からの続きになります。
★映像の中で、伊藤悟さんがドラマ『同窓会』出演者を「城島(茂)」と発言されていますが、正しくは「国分(太一)」となります。以下の文字起こしでは訂正してありますのでご承知おきください。

伊藤悟

 先ほどakaboshiさんから紹介していただいた『男ふたり暮らし』という本から話は始まります。

 この本は、私のパートナーであるところの梁瀬竜太の協力を得てまず、自分の、今、その時の時点で、ゲイとして、ゲイ男性としてどういう気持ちで生活しているか、どんな生活をしているか、「書いてみないか」というお話がありまして。それで、かなりこの時は気負っていまして。

 やっぱり自分の個人史というのがあるので、90年代の伊藤悟と2000年代でだいぶ違うところもあるのですが、かなりこの時は自分が、「同性愛のことが世の中に知られていない」「それで自分は苦労してきた」ということに対して凄い苛立ちや、あるいは「訴えたい」という、そういう気持ちが最も強くなっていた時期ですから、「本を書きませんか」という話が人脈を伝って来たときに、1も2もなく引き受けて、そしてパートナーも途中から、本当に私以上に本を出すプロジェクトにエネルギーを注いでくれたわけですね。

 それで、今、恥ずかしくて読めないです、この本。自分達の生活を、ものすごい些細なことで喧嘩をしたこととか、まんまそのまんまの言葉で書いてあったりとか、ふたりで甘えているところなんかの描写もあるんですが、ちょっと、ふたりとも恥ずかしくて読めない、まだ読めない。10年以上経ってもまだ読めない、17年経ってまだ読めないんですが、20年経てば読めるかなと思ってるんです。

 この本を出したことでいろんな取材があったのですが、最初は非常に無防備に取材を受けました。無防備というのはどういうことかと言うと、とにかく「取材をしたい」というメディアがあったら、もう、ノータイムでOKという姿勢で、はじめは始めたんですね。ところがこれが非常に失敗しまして。

 まずいちばん始めに飛んできたのがですね、『女性セブン』という雑誌でした。『女性セブン』に、若い女性のライター・・・編集者ではなくて、出版界というのはたくさんの下請けがありますがフリーランスのライターさんが来て。その時はまだ出版の仕組みもまだよくわかっていなかった面もありますが、取材は非常にフレンドリーで、理解を示してくれて、原稿も読ませてもらってOKを出したのですけれども、ところが実際に出て。『女性セブン』ですから電車の吊り革広告にも出るわけですが、そのタイトルを見てビックリしたんですね。

 タイトルを付けるところまでチェックしてなかったら「姑感激!ゲイの花嫁」なんて凄いタイトルが付いていまして。「花嫁」という概念で語られてしまうんだけれども。別に家事分担に関しては対等でやっているわけですから、まぁ対等と言ってもそこには喧嘩もあったんですけども、「花嫁」というのとはちょっとまるで当たることではなく。さっそく電話をしてみると、ライターは平謝りで、結局ライターも使われている身分だから謝るしかなくて。デスクが、編集長が面白おかしくするために付けたんだからしょうがないということがあって。

 同時進行だった『おはよう!ナイスデイ』(フジテレビ)というテレビでも同じことがありまして。そこでは一応なんとかそれを踏まえて急いで「気をつけてください」と言ったんですが間に合わず、これも「奇妙な夫婦生活」という題が付けられて。それがず~っとテロップで出ている。その2つの体験ですね。『女性セブン』と『おはよう!ナイスデイ』の番組の中で、勝手に「ゲイの花嫁」だの「奇妙な夫婦生活」なんてのはどうも違うし。正確に表現してくれてないということで、すごく、自分達としてはこれは、かなりしっかりしないと間違ったイメージで世の中に出てしまうということになるのは如何なものかということで凄く、それからは非常に慎重になりました。

 企画書をちゃんと書いてもらって、メディアから。そして、ある程度きちんとしたものでないと、お断りをする。断る勇気というのをその後、持つようになりました。メディアっていうのは不思議なもので・・・余談ですけれども、最初のその2つを自分達の経験として断るようになったんですけれども、「断るのが信じられない」というメディアの人が居るんですね。これにはびっくりしました。「お断りします」って言ったら粘るわけですね。「いやでも、テレビに出ると言ったら断った方、いないんですけど」みたいなそういう感じで。

 その若いディレクターはたぶん、「テレビに出してやる」と言ったらみんな喜んで出るという、そういう考え方をどうやら持っているみたいで。かなり面倒くさい議論をしなければならなかったんですけれども。あっさり断って終わりにならなくて面倒くさかったんですが。「テレビに出してやるぞ」という感覚がどうもこの頃からテレビ局側にあるなということは薄々というよりは、はっきりとわかるようになりまして。

 そして特にテレビは編集によって映像を処理することによってイメージを如何様にも変えることができる。これは自分も編集にたまに立ち会わせてもらうとそういうのがわかるんですね。白を黒と言うことが出来てしまう。たとえば今こうやって私が喋ってますけれども、akaboshiさんが偉いのは全部カットせずにそのまま載せるわけですけど。下手な切り方をすると逆の意見を言ってるように聴こえることがあるんですね。

 たとえば自分の批判することをバーっと喋ってるところで批判の部分を取ると賛成しているように編集することもできる。テレビなんか本当に上手ですから、ものすごくテレビって加工ができるんだなって思いを、そのプロセスでいっぱい持ちましたし、メディアに関わる人間がたくさんの偏見を持っているんだなぁということも凄くわかりましたし、とにかく今でもそうですけれども、面白ければいい、ウケればいい、というのが第一であるということ。ですから、その頃からメディアに対していろいろと注目して見るようになって行くと。

 ちょうど1993年に本が出て、同時に取材がラッシュになるわけですけれども、「ゲイブーム」というのもその少し前から『CREA』にゲイ特集をしたことから始まって、ある種、「新しい隣人」なんていう言われ方をしたこともありますけれども、要はゲイ・レズビアンについて、同性愛者についてということをメディアが急にブームのように取り上げることになったわけです。今にして思うと本当に「ブーム」ということで、それが中身の薄いものだったなぁということは思いますけども。

 たとえば『同窓会』というようなドラマが作られました。これは実はつい最近もですね、日本テレビの番組だったんですが24時間テレビで、はるな愛さんがマラソンしたんですね。その時に、TOKIOの国分と山口がその『同窓会』に出ていて、ビデオが流されて「会場大笑い」みたいな。はるなさんが走ってる時に会場でそんなことしてていいんだろうかというような感じの放送がされたというか。そういう有名な番組でもあるんですね。それがなんとミスチル(Mr.Children)がブレイクしたんです主題歌を歌ってね。ミスチルのブレイクした番組としても有名だったりするんですが。

●YouTubeより~crossroad(日本テレビ系連続ドラマ『同窓会』主題歌。1993年)
 
『同窓会 DVD-BOX』

 ストーリーはかなりめちゃくちゃで、性同一性障害と同性愛がごっちゃになったりなんかしてまして。ゲイだと思ってた国分君がですね、「僕は愛する男性のためにモロッコに行って女性になって来る」って・・・。ゲイじゃないの?ってちょっと・・・

三橋順子

 その頃、もうモロッコにはお医者さんいないんですけどね。

伊藤悟

 ねえ。その頃モロッコなんてなんか古いですよね。台本書く人も90年代にモロッコって・・・。

三橋順子

 ブロー先生死んでますもん。

伊藤悟

 だから、あり得ないくらいで。それから、よくあるんですけれども、ハリウッドからずっとそうなんですけれども、ハッピーエンドにしてもらえない症候群というのがありまして。別にハッピーエンドにならなきゃいけないなんて、そんなことは表現ですから色んな終わり方があればいいんですけれども、ハッピーエンドになるものが少なかったんですね、当時はね。『同窓会』も、要するに国分と山口がゲイの役をやったわけですけれども、ハッピーエンドかと思いきや最終回でなんかいきなりですね、公園を歩いていると誰かが放った流れ矢に当たって死んでしまうというですね。殺し方も凄いですね、公園で流れ矢に当たって死ぬんですかね?、よくわからないんですけれども。

それで終わりかなと思ってたら、その次のシーンが凄いんですね。実は山口が、一回ヤケになって、たった一回だけ女性と寝てしまったことがあって。その時に子どもが出来ていたという設定になっていて。これも御都合主義的で。そんな簡単に子どもが産まれるのかって。その後は、山口の最愛の男性とは暮らせなかったけれども、山口の子どもは別に居て生きているっていう。その子の赤ちゃんのアップで終わるっていう。よくわからない最終回で。

 でもですね。あの当時、ゲイタウン・新宿二丁目等では番組を見るために店が空っぽになったりとかね。またはテレビのある店に集まったりっていうね、注目はされたんですが、なかなかとても、あり得ない話が多かった。『ロマンス』とかその他にもドラマがありましたが。たいてい主人公が不幸のうちに終わる。それも唐突に不幸にさせられるというところが・・・。ちゃんとね、リアルなストーリーがあって不幸になるのではないところが、どうも納得行かなかったですね。

 そこの話をしててもキリがないんで。一つだけいちばん凄かったのは同じ日本テレビですね。『怖くて行けない所』という。これはドキュメンタリーなんですけれども、新宿二丁目をですね、スタッフが探りに行くんですけれども。マイク片手に「これから、新宿二丁目の・・・に入りたいと思います」みたいな感じで、おどろおどろしい。音楽もそういう感じでしたね。あとでakaboshiさんが、若きakaboshiさんが見たそうですから感想も後で伺いたいんですけども。とにかくですね、怖いもの、異形のもの、あるいはちょっと不思議なもの、「怖いもの見たさ」っていう演出が存分にされていまして。

 新宿二丁目にある公園でですね、男性と男性が知り合って、ホテルに行くシーンが全部、顔モザイクで映されるんですけど。これは見ている人だけでなく当事者である私達、特に、まだ若くてゲイの状況がどうなっているかわからない若い世代も見てね、怖くなると。ゲイってこんななのかなと。公園で出会ってすぐホテルに行っちゃう人ばっかりなのかなとか、二丁目に行くとみんな怖いのかなとか、そういうような過剰な演出がされまして。そういう番組も多くて。

 メディアというよりも人間の問題もありまして。全体として偏見があり、そして視聴率第一主義だとしても、時にはまともな番組を作ろうとするディレクターも居るんですね。たとえば、NHKで私の知り合いであるディレクターが同性愛をドキュメンタリーにするという企画を、もう随分前から、90年代になるかならないかぐらいから、ずっと出していたんですね。80年代から彼は出していたのかな。

 ところがずっと「同性愛はダメだ」と言って切られていると。つい最近に『ハートをつなごう』という番組がNHKでも放送されましたけれども、同性愛をきちんと扱うに至るまで、ものすごく・・・。他にも居たんです。だから死屍累々と同性愛に関するドキュメンタリーの企画書を書いたディレクターの、企画書のボツの山はこのくらいあるんじゃないですかね、NHKの中でね。そういうようなこともあって。今日、夜やる映画でもその一つのお話がされると思いますが。

 たとえば、その中で1回だけ、まともなディレクターと組んでテレビ東京の『ナビゲーター97』という番組で、30分間の「すこたん企画」のドキュメンタリーというのを作ってもらったことがあります。(続く)FC2 同性愛 Blog Ranking





●伊藤悟さんの「マスメディアとの付き合い」に関するインタビュー掲載書

竜超『消える「新宿二丁目」―異端文化の花園の命脈を断つのは誰だ?』
・・・巻末にかなり詳細なインタビューが掲載されています。このディスカッションの際にも参考にしました。




●「90年代ゲイブーム」の頃を知るための関連映像

『日本初のレズビアン&ゲイパレード発祥の地を特捜!竜超の文化特捜学院』
 
映像関連記事
『“90年代ゲイブーム”の痕跡を特捜! 竜超の文化特捜学院』2008-11-21
「伝説」だった南定四郎さんに会えるイベント、伏見憲明さんの「エフメゾ」で開催 2009-05-05
akaboshiコラム013●南定四郎さんの「生きざま」 2009-05-07

『竜超の現代狂養講座 同性愛とテレビジョン』(冒頭部分抜粋)
 


ゲイ・カップルをゲストに迎えて
『しみじみと歩いてる』第2回東京上映会


11月23日(祝)14:00上映(トーク付き1300円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分
制作:akaboshi企画

 『関西レインボーパレード』で出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤や喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。今回は映画に出演している九州のゲイ・カップルをゲストに向かえて「地方に暮らすセクシュアルマイノリティとして思うこと」を上映後にトーク。ぜひお越しください!上映会の詳細はこちら。

メディアと性的マイノリティ02●三橋順子さん自己紹介~ヤマトタケルから、はるな愛まで。“女装”を抜きに日本文化は語れない



 2010年10月17日(日)に開催されたメディアと性的マイノリティについて考えるディスカッション。(主催:dislocate。会場:「3331 Arts Chiyoda」

 前回の伊藤悟さんの自己紹介に続きましては、三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)とakaboshiの自己紹介です。

02●三橋順子さん~ヤマトタケルから、はるな愛まで
 
メディアと性的マイノリティ PLAYLIST
★訂正・・・映像中、akaboshiが発言しているブログ『フツーに生きてるGAYの日常』の開設年度は、1995年ではなく2005年です。

三橋順子

 皆さんこんにちは。三橋順子です。私は、普段はあまりそういう自己紹介はしないんですけども、今日はこういう場ですから。いちおう、Male to Female(MtF)のトランスジェンダーということになります。

 仕事というか、やっていることはジェンダー・セクシュアリティの社会史・文化史。社会文化的な歴史研究ということで、自分がトランスジェンダーですので、性別を越えて生きる、生きて来た人たちの歴史というのが一番メインの仕事で、一昨年、もう2年以上経つんですけども、やっと『女装と日本人』という凄くベタな題名なんですけども・・・本当は私は帯に「ヤマトタケルからはるな愛まで」と入れたかったんですけども、「“女装”を抜きに日本文化は語れない」という、講談社現代新書としては分厚いんですけども、やっと、一つの区切りとしてのまとめは出来ました。

 ただ、なにせこういう研究というのは、どなたもほとんどやってないことで、ほとんど手付かずの資料が山のようにある。まだとてもとてもこの本では書ききれなかった部分とか、この本を書いた時には気付いていなかったこととかがたくさんありまして、今も「出来るだけ早く2冊目を」と思ってやってるわけなんですけども。

 現実には大学で非常勤で何コマか、コマを持ちますと結構大変で、特に10月から山梨県の東部にある都留市というところにある都留文科大学という、これも不思議な大学でして、もともと「市立」なんですね、今は「何とか法人」になってますけど。私立の大学っていうと、大阪市立大学とか、横浜市立大学とか、そういう政令都市レベルの規模を持ってるところが市立大学を持つケースというのはよくあるんです。その後に、萩市立大学とか酒田市立なんとか短大とか、その手の地方中小都市レベルでの大学というのは結構つぶれているんですけども、都留文科大学というのは今年で創立50年を越える、非常に長い伝統を持っている大学で。人口5万を欠けた位の小さい市で、4000人規模の学生を持っているという不思議な大学でして。しかも全国から学生さんが来るんですよ。本当に全国から来る。

 で、なぜか2005年度からジェンダー・プログラムを作りまして、ジェンダーで一つのコースになってる大学っていうのは現在、御茶ノ水女子大学と和光大学ぐらいなんです。今、一橋大学は一生懸命やろうとしてるんですけどなかなか上手くいかない。でも都留大はもう、今年で5年目っていう。それもとっても不思議。でも誰も知らない。東京のジェンダー教育をしている先生が知らないっていう、そんな所に行き始めまして、250人のクラス2つ担当で、コメント票を読むのだけでも一日かかっちゃうんですけども、非常にいいリアクションが返ってきて。まあ今日お話するような中にも、ちょっとそういうところで学生からリアクションとしてもらったことを、後でお話しようと思ってます。

 メディアとの関係が今日のメインですから、私、思い出したんですけど正確に言うと、1995年の12月に・・・それまでもテレビにちょろっと出たり、『週刊実話』に実はインタビューが載ってます。『週刊実話』って御存知ですか?今でもあると思うんですけど、とてもマスメディアと言えないような怪しい週刊誌ですね。それにインタビューが載ったのが最初だったなぁ~と今、思い出したんですけども。だいたいだから96年の1月に、今は無くなっちゃった『イマーゴ(imago)』っていう心理学系学術雑誌に伏見憲明さんとの対談が載ったのが最初で、その後テレビの・・・私、どっちかというと自分が取材されるよりも、レクチャー・コーディネートみたいなことの方が多いんですけども、ずいぶん関わって来ました。

 ただあの・・・これはまた後で言った方がいいのかな?そこにいろいろ紆余曲折があるということを今日は後でお話いたします。よろしくお願いいたします。

akaboshi

 ありがとうございます。『女装と日本人』を僕も読ませていただいたんですけれども、日本の歴史を、いわゆる「男」「女」のあわいに居る人たちの歴史ってなかなか書かれていないんですけれども、そこを丁寧に資料にあたって掘り起こされ、なおかつ御自身の個人史もそこに加えて書かれていてすごく・・・

三橋順子

 個人史入れたくなかったんですけどね。編集者が「入れろ」っていうから嫌々入れたっていう。

akaboshi

 すごく面白い本ですので皆さんぜひ、お読みください。

 そして、司会を担当させていただきます私akaboshiの紹介を簡単にさせていただくんですけれども。2005年から個人ブログで『フツーに生きてるGAYの日常』というタイトルのブログを始めまして、翌年からYouTubeに、日本のセクシュアル・マイノリティ関連の映像を、シンポジウムですとか自分がインタビューした映像等を載せ始め、現在YouTube映像は1400個ほど載ってます。最近になりまして、そういう形でセクシュアル・マイノリティのことを撮影していた中から関西レインボーパレードに関して取材していた映像を一つの長編の映画にまとめて、それが『しみじみと歩いてる』というタイトルなんですけれども、9月から上映が始まって、今後、映画祭等に応募して、なるべく上映の機会をたくさん設けようと思っています。

 今回お二人をこのようにゲストにお迎えする際、以前YouTubeにお二人がそれぞれ日本のマスメディアに関しての批評をなさっているものが載っていたりですとか、お二人とも最近、この1,2年に限っても、『週刊金曜日』ですとか例えば『BIG ISSUE』等の場で性的マイノリティとテレビとの関係等について、週刊誌等について鋭い発言をなさっていたので今回、ゲストにお呼びしたらとても面白くなるのではないかと主催者側に提案させていただきました。




三橋順子さん関連書籍

『女装と日本人 (講談社現代新書)』
『性の用語集 (講談社現代新書)』
『性的なことば (講談社現代新書 2034)』
『性欲の文化史 1 (講談社選書メチエ)』
美輪明宏という生き方 (寺子屋ブックス)
『トランスジェンダリズム宣言―性別の自己決定権と多様な性の肯定』
『戦後日本女装・同性愛研究 (中央大学社会科学研究所研究叢書)』

三橋順子さんプロフィール

 1955年、埼玉県秩父市に生まれる。性社会・文化史研究者。多摩大学・都留文科大学非常勤講師、早稲田大学ジェンダー研究所客員研究員、国際日本文化研究センター共同研究員。専門はジェンダー/セクシュアリティの歴史、とりわけ性別越境(トランスジェンダー)の社会・文化史。著書に『女装と日本人』(講談社現代新書 2008年)、共著に『性の用語集』(講談社現代新書 2004年)、『戦後日本女装・同性愛研究』(中央大学出版部 2006年)、『性的なことば』(講談社現代新書 2010年)。主な論文に「往還するジェンダーと身体-トランスジェンダーの経験-」(講座・身体をめぐるレッスン第1巻『夢見る身体Fantasy』 岩波書店 2006年)など。

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ゲイ・カップルをゲストに迎えて
『しみじみと歩いてる』第2回東京上映会


11月23日(祝)14:00上映(トーク付き1300円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分
制作:akaboshi企画

 『関西レインボーパレード』で出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤や喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。今回は映画に出演している九州のゲイ・カップルをゲストに向かえて「地方に暮らすセクシュアルマイノリティとして思うこと」を上映後にトーク。ぜひお越しください!上映会の詳細はこちら。

メディアと性的マイノリティ01●伊藤悟さん自己紹介~同性愛者の生活と人生を応援して16年



 2010年10月17日(日)。メディアと性的マイノリティについて考えるディスカッションが開催されました。主催はdislocate。会場は「3331 Arts Chiyoda」

 パネリストは、性的マイノリティ当事者としての立場からマスメディア批評を最近活発に行われている方々ということで、伊藤悟さん(すこたんソーシャルサービス)、三橋順子さん(女装家・性社会史研究者)が参加され、akaboshiはディスカッション後に上映された『竜超の現代狂養講座 同性愛とテレビジョン』の監督という立場からモデレーターを勤めさせていただきました。

 14時から始めたディスカッションは途中15分ほどの休憩を取り、終了予定を30分延長して3時間以上行われ、話題も多岐に渡りました。従来のマスメディアの性的マイノリティ描写の問題点や成果、そして今後への展望等も見えてきたような気がします。ほぼノーカットで掲載しますので、どうぞ最後までお楽しみに。まず今回は伊藤悟さんの自己紹介から。 

01●伊藤悟さん~同性愛者の人生応援16年
 
メディアと性的マイノリティ PLAYLIST

akaboshi

 本日はお集まりいただきましてありがとうございます。これからディスカッションを3名で始めさせていただきますが、『ジェンダーとセクシュアリティの媒介』というタイトルのディスカッションとなります。主催はdislocateです。そして、本日司会を担当させていただきますakaboshiと申します、どうぞよろしくお願いいたします。

 最初に自己紹介をパネリストの方々にしていただきまして、その後、各々セクシュアルマイノリティの当事者という立場から、マスメディアと色々な付き合いをしてきた方々ですので、各々の経験を語っていただきます。まずは、伊藤悟さんです。では、簡単に自己紹介をお願いします。

伊藤悟

 どうも今日は皆さん、来ていただいてありがとうございます、伊藤悟と申します。プロフィールはお手元のレジュメにもあるかと思いますけども、ゲイですね、男性同性愛者の当事者としてカミングアウトしながら、「すこたんソーシャルサービス」というNPOで活動しています。ただ、自分という人間といいますか伊藤悟という人間全体としましてはいろんな事をやっておりまして、一つだけ申しますと、いちばんわかりにくい仕事として『ひょっこりひょうたん島』に関わる仕事というのをしております。なぜかその本だけ持って来ているのがアレなんですけども。

 『ひょっこりひょうたん島』というのは60年代後半のNHKで、ものすごい人気のあった、今では考えられない、夕方に視聴率20%を超えるという凄い人形劇で、大人にも人気があって、自分の場合はいろんな思いがあって、ビデオの無い時代に『ひょうたん島』を記録しまして、台詞をメモしたり、セットや人形の絵を描いたりして、ビデオの無い代わりに自分のノートをひっくり返し見ては楽しんでいたら、それが90年代に・・・今日は90年代と2000年代というのが後でキーワードになりそうな気がする話なんですけど、90年代に『ひょっこりひょうたん島』がリメイクされる中で、資料が無いんですね。

 NHKというのは、お金は本当はあったんじゃないかという説もありますが、ビデオが高いので、一つの番組を録画して放送すると、また、時間が経つと別の番組を録画して放送して擦り切れたら捨てると。そういう形で70年代の後半まで、娯楽番組・子ども番組はほとんど残っていません。だから、初期の大河ドラマや朝の連続テレビ小説なんて全然見られない状態ですね。で、『ひょうたん島』も残っていない中、私のメモを使っていただいたということで、『ひょうたん島』に関して資料もNHKは・・・今日はNHKなんて話も後でいっぱい出てくると思うんですけど資料もNHKはちゃんと取っておりませんで、とりあえず今、『ひょうたん島』の資料を一番持っている人間として、『ひょうたん島』の仕事に関わらせていただいております。

 そんな側面もありながら、だから、いつの間にかですね、『ひょうたん島』が好きで好きで堪らない少年が、その仕事をすることになってしまったということで、『ひょうたん島』で町おこしをしている町の顧問なんかをやっていたりするというところもあるんですが。

 活動の方は「すこたんソーシャルサービス」というところで、同性愛者の生活や人生を応援する団体という風に最近、呼び名が少しずつ変わって来ました。1994年に活動を始めていますので今年で16年経ちました。丸16年経ちました、9月1日に始めましたので。やってることも変わって来まして最近はワークショップといいますか、とりわけゲイの人たちが話す場所、リアルに会って話す場所を確保する。いろんなテーマで出会って友達を作る場を確保すると。そういうワークショップを、月に、多い時は毎週やったりしていますが平均、月に3回くらいそういうワークショップをやりながら地道に、ゲイとしての自分、同性愛だという自分を肯定して、どういう風に生きて行ったらいいのか。自分を受け入れて、友達を作って行くだけでもまだまだ大変な人がいるので。

 メディアの力によって随分出会いが簡単になってきた部分もあるのですが、「すこたんソーシャルサービス」はそれでもまだ、ゲイとして生きて行く時に自分を受け入れられずにいろいろ苦労している人、また、今ある他の出会いの場ではうまく出会えない人のために、そういう地道なワークショップとかイベントを提供するという活動をスタッフ10人でやっているということで。また後でゆっくり機会がありましたらその活動の中身もお話しますが、その活動もやっぱり「ネットありき」で、ネットを利用しながら宣伝したりしていますけれども、ネット利用につきましてもまた後で話が出れば紹介したいと思います。

 とりあえず、いろんな仕事をしながら生きておりまして、自慢は「冠婚葬祭の時以外はネクタイをしないで生きて来れて」というのが自慢と言えば自慢ですが、まあ大して自慢でもありませんが、今日はよろしくお願いします。伊藤悟でした。

akaboshi

 伊藤悟さんなんですけども、著書もたくさん出されておりまして、今日僕が持って来ましたのは『男ふたり暮らし』という本と、『男と男の恋愛ノート』そして『同性愛者として生きる』。

 「すこたん企画」という風に最初、梁瀬竜太さんと二人で始められた団体の時からの本があるんですけども。特に僕、すごいこの2冊が大好きで。2人の、同性のパートナーとしての日常生活が事細かにリアルに描かれていて、しかも良い事ばかりではなく、生活の中で様々な喧嘩が起きているんですけども、そこまで事細かに・・・まず1冊目で伊藤さんがそこまで書き、で、2冊目で梁瀬さんが書かれたことに関して反論をなさっていたりとか。中で往復書簡のような感じになって、交互にお互いの原稿が載っていたりなど、こういう本が90年代の前半に出されておりまして、これは文庫本化されて復刊されるべきだと思うくらい、日本の同性愛、特にゲイの2人暮らしを描いた、僕は古典的な名作だと思ってます。続いて三橋順子さん、よろしくお願いします。(続く)




伊藤悟さん関連書籍

『男ふたり暮らし―ぼくのゲイ・プライド宣言』
『ゲイ・カップル 男と男の恋愛ノート―恋と暮らしと仕事のパートナーシップ』
『同性愛者として生きる』
『ひょっこりひょうたん島熱中ノート』
『ひょうたん島から明日が見える―ガバチョと未来が変えられる10のヒント』

伊藤悟さんプロフィール

・・・NHKのテレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』に魅せられ、ビデオ のない時代に必死に記録し、1990年代の同番組のリメイクに貢献。その後、『ひょうたん島』にかかわる仕事を手がけ続ける。「人間の数だけ生き方がある」をポリシーに好奇心旺盛に活動中。著述業を核としつつ、翻訳に音楽評論、カウンセリングも手がける。教育への提 言、特に英語教育の改革はライフワーク。英語の個人指導にも熱心。法政大学/千葉大学講師、千葉県教育委員会スクールアドバイザー、ひょっこりひょうたん島ファンクラブ会長、同性愛者の生活を応援する NPO「すこたんソーシャルサービス」主宰。『同性愛って何?』 『ひょうたん島大漂流記』など著書多数。

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ゲイ・カップルをゲストに迎えて
『しみじみと歩いてる』第2回東京上映会


11月23日(祝)14:00上映(トーク付き1300円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分
制作:akaboshi企画

 『関西レインボーパレード』で出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤や喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。今回は映画に出演している九州のゲイ・カップルをゲストに向かえて「地方に暮らすセクシュアルマイノリティとして思うこと」を上映後にトーク。ぜひお越しください!上映会の詳細はこちら。

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