akaboshiコラム051●石原都知事「津波をうまく利用して我欲をうまく洗い流す必要がある。積年たまった日本人の心の垢を。これはやっぱり天罰だと思う」と発言 #ishihara_kougi

未曾有の大惨事を受けて被災地では多くの方々が救助を待ち、避難所等で大変な思いを強いられ、家族や友人・知人との連絡が取れない方々がたくさんいる状況が刻々と報じられ続けているこの最中、3月14日(月)18時より石原都知事は都庁で「都知事選出馬会見」を行いました。
会見には上田埼玉県知事、松沢神奈川県知事も同席し、既に都知事選出馬を表明していた松沢氏が、石原都知事の出馬と大震災を受けて出馬を断念することが発表されました。
その後、幹事社としてこの会見をセッティングした共同通信の記者が石原都知事に質問をした際に、驚くべき発言をしていたことがわかりましたので紹介させていただきます。その場面はニコニコ動画の録画で観られるのですが、該当部分を抜粋して文字起こしをし、紹介させていただきます。
●YouTubeにも該当箇所が載ってました。「石原都知事 天罰発言」
共同通信の記者、せっかく発言の撤回を求めたのに、石原都知事の言い訳にもなんにもなってない理由を持ち出されて、なぜ「わかりました」と引き下がっているのか?迫力に押されたのでしょうか?。ジャーナリズムとして権力に対等に対峙できていない都庁記者クラブの腰抜けな実態が改めて浮き彫りになるかのような映像です。共同通信・藤井記者(幹事社)
「最後に石原知事にお伺いします。知事は今日の蓮舫 大臣との会談の後で『日本人の我欲』についてお話されて、『津波をうまく利用して我欲をうまく洗い流す必要がある。積年たまった日本人の心の垢を。これはやっぱり天罰だと思う。』とおっしゃいましたけれども、これは意味がどうあれですね、被災された方々にとっては非常に不謹慎な発言だったのではないかと思うのですが、撤回されるお考えはありませんでしょうか。」
石原都知事
「いえいえ。あの時申し上げたじゃないですか。『被災された方々には非常に耳障りな言葉に聴こえるかもしれませんが』って言ったんじゃないですか私。言葉を添えてますよ。」
共同通信・藤井記者
「わかりました。」
石原都知事
「君、人の言葉を聴き取って正確に聴き取って正確に報道してもらいたいね。」
共同通信記者
「・・・各社さんお願いします。」
石原都知事が「言葉を添えながら」自論を強固なものにするべく問題発言や差別発言を繰り返すことはこれまでにもよく行われており、『週刊ポスト2月25日号』でも「差別でいうわけではないが」と言葉を添えつつ差別発言を行っています。つまり彼の常套手段だと言えるでしょう。
ちなみに、共同通信記者がこの質問をすることになる発端は、数時間前に行われた蓮舫節電啓発担当相から節電への協力要請を東京都内で受けた後、記者団に語った発言にあるようです。
発言を報じているマスメディア
●「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事(朝日新聞)
●東日本大震災:石原知事「津波は天罰」(毎日新聞)
●大震災は「天罰」と石原知事 「津波で我欲洗い落とせ」(47ニュース:ソースは共同通信)

僕はこの発言を知り、石原慎太郎という人は次期都知事として不適格であるというだけではなく、現役都知事としても不適格。今が非常事態でなければ早急に「現役都知事としてのリコール運動」を起こしたいと思うほど、同性愛者差別発言で既に超えていた「沸点」を、さらに超える心理状態になりました。
ものには限度と言うものがあります。自説・持論のみを絶対視し、なにが起ころうとそれを「強化」することを最優先にし、利用する。「我欲」に走っているのは石原都知事本人ではないでしょうか。そんな調整能力のない人にこれ以上、大事な首都の政治を任せてはいられません。今回、改めて強くそう思いました。→FC2 同性愛 Blog Ranking

『しみじみと歩いてる』
★3月に東京で自主上映会を開催します。
3月21日(祝)13:20/15:20(2回上映入替制/1200円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分■制作:akaboshi企画
2006年10月から、大阪の御堂筋を性的マイノリティとその友人たちが歩く『関西レインボーパレード』に通いながら出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤、苦しみ、そして喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。
akaboshiコラム050●見えない人の思いが見えないままに消えていってしまっている時代を過去形に。 #ishihara_kougi

中部地方に住んでいる60歳代のゲイの方で、ネットとかは見ない方らしいのですが、愛読している雑誌にデモのことが載っていて、感激してかけてきてくださったようです。涙ぐみながら「ありがとう」と言われてしまい、話しながらジーンときてしまいました。
カンパの協力をしたいから電話をかけてきてくださったとのことなので口座を教えました。非通知でかけてきたので、かなりクローゼット率が高い方であり、なおかつ地方の山間部在住者ということで周囲にあまり当事者がいない環境で暮らしている方なのだと思われます。そういう方の思いにも支えられる場になるんだなぁと感じました。
日本の性的マイノリティの生活感覚を都会の論理だけで判断してはいけないと改めて思いました。まだまだいろんな段階の中で暮らしている人がいて、隠しているからこそ(隠さざるを得ないからこそ)そういう人の真意は見えなくなってしまっている。
見えない人の思いが見えないままに消えていってしまっているのが日本の性的マイノリティのこれまでの歴史の、大部分を占めてきた実態だと思います。そんなのいいかげん終わらせて行きたいですね。→FC2 同性愛 Blog Ranking

『しみじみと歩いてる』
★3月に東京で自主上映会を開催します。
3月21日(祝)13:20/15:20(2回上映入替制/1200円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分■制作:akaboshi企画
2006年10月から、大阪の御堂筋を性的マイノリティとその友人たちが歩く『関西レインボーパレード』に通いながら出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤、苦しみ、そして喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。
akaboshiコラム049●石原都知事こそ「考えよう 相手の気持ち 育てよう 思いやりの心」

まず初めは毎日新聞12月4日の都内版。PTA団体などが東京都青少年健全育成条例の成立を求める要望書を、都に提出した際に以下のような発言が載りました。
この発言がネット上で大騒ぎになり、毎日新聞にも問い合わせが寄せられたようです。そして真野森作記者は「発言の真意」を問いに石原都知事のもとに取材に行ったようで、その際に次のような発言が重ねられ、12月8日の朝刊(東京版)に掲載されました。「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」
この記事ではさらに、米サンフランシスコでのセクシュアル・マイノリティのバレードを見たときの印象も紹介されています。「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」
「ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」

しかも東京都人権週間のホームページを見ますと、今年の「22年度啓発活動強調事項」の一つとして「性的指向を理由とする差別をなくそう」が入っています。
さらに、その下の方に明記されている「東京都の人権施策」の項目にも「同性愛者」が入っています。都知事であれば当然、内容を把握していて然るべきことではないでしょうか?。
今回の発言は都知事という公務に就きながら新聞記者に対して堂々と発言していること自体、たいへんな問題であり謝罪と撤回を求めるに然るべき内容であると思います。また、都の関連事業である「東京都人権週間」の内容を把握していないわけですから、都知事としての職務をきちんと果たしていないのではないかという意味でも、なんらかの指導や処分があって然るべきものではないでしょうか。
そうでなければ東京都人権週間は完全なる「お役所仕事」。こんなに内実が伴わない事業に貴重な税金が投入されているだなんて到底、納得できることではありません。

都議会に提出されている条例は、さまざまに拡大解釈できる形での表現規制が可能になる危惧があり、反対運動が盛り上がっています。そのタイミングで、あえて「同性愛者蔑視発言」を意識的・自覚的に繰り返す石原都知事の真意はなんなのか?石原慎太郎都知事は三日、改正案に関連し「テレビにも同性愛者が平気で出てる。日本は野放図になり過ぎている」と述べた。改正案の真の狙いも、こうした発言の延長線上にありそうだ。
この件に関して、「経済学101」というブログに注目すべき分析が載っていました。
→都知事の反同性愛発言
この分析、かなり鋭いところを突いているようにも感じられますが、同性愛が都条例の改正に関係ないかと言うと、そうではありません。BLや少年愛描写等、「同性愛表現」についても規制が強化される恐れがあるわけですから。しかし、政治的に巧妙だという指摘は当たっている面もあるような気がします。
つまり、この分析が当たっているとするならば同性愛者蔑視発言について騒ぐ分だけ「都知事の思惑通り」になってしまうというわけですが・・・そこまで石原都知事が「策士」なのかどうかは正直わかりませんけども。あなたはどう思われます?。
ともあれ、都条例の議論が沸騰しているドサクサだからといって決して許される発言ではありません。しばらく動向に目を光らせ声を上げて行く必要性を感じています。→FC2 同性愛 Blog Ranking
■石原都知事の発言に対して、こういう声の届け方があるみたいです。
★「都民の声総合窓口」に意見を送る
→郵送 〒163-8001 東京都庁「都民の声総合窓口」
→ファクシミリ 03-5388-1233
→インターネット「都民の声総合窓口」 から入力してください。

→03-5388-2588
・・・すでに昼過ぎに電話したのですが、問い合わせは僕で2件目とのこと。「都知事のことをこちらに電話されても困る。『都民の声』に寄せてください」と言われましたが、「人権週間の真っ最中に最高責任者があのような発言をしたというのに、そちらでは何もしないのですか?」と尋ねたところ、「『都民の声』に多数の声が寄せられた場合、上と相談して何らかのことを行うかもしれない」と、電話口の人が対応してくれました。
★人権週間を担当している「法務省法務局」に電話をする。
→03-5213-1372
・・・友人が電話したとのことですが、「石原発言が差別発言と認識されれば、直接石原氏に対して指導がいく」との回答を得ているようです。国の省庁つまり「上」から指導を促す一つの方法になるようです。
★知り合いにメディア関係者やライターがいる人は知らせ、既に活字化している毎日新聞と東京新聞には追加報道を、それ以外のマスメディアにも報じたり取材をするよう促すという方法もあります。東京都の人権週間中の発言ということもあり大きく報じられて然るべき問題であり、そのように働きかければ「ニュース性がある」と判断され、報じられる可能性は高いでしょう。

セクシュアルマイノリティである主人公の日常を、その姉が丁寧に撮影しながら制作された日本のドキュメンタリー映画の上映と、監督の中川あゆみさん、主人公のリョウさんをお迎えしてトークを開催。
■12月11日(土)開場18:30/開映19:00
→詳細はこちら。

「ジャンジさんに聞く!パフォーマンスとHIV/AIDS」
女性のドラァグ・クイーンとして数々のパフォーマンスや映画等に出演し、新宿二丁目のcommunity center aktaでHIV/AIDSに関する活動をしているマダムボンジュール・ジャンジさんをゲストに迎え、Ronとakaboshiがパフォーマンスの秘密とHIV/AIDSの現状について直撃トーク!
■12月18日(土)13:30開場/14:00開始
パフスペースにて。
→詳細はこちら。
akaboshiコラム048●吉野家が事件後初めてコメント発表~俳優が公式ブログにゲイへのヘイトクライム公表事件
TwitterでのRT拡散をはじめ、さまざまな方法で情報が拡散し、複数の方が俳優の所属事務所、吉野家ホールディングス、俳優の公式ブログを管理しているサイバーエージェントに問い合わせを行い、その成り行きが注目されています。
その後、俳優が公式ブログのこちらの記事で「基本 ゲイの友達ばかりの俺が理由なく丼投げる訳ねぇのによ」と、ゲイの友人がたくさんいることを示唆して事態を沈静化させようとしているようですが・・・。今回の件、なにが問題なのかは『吉野家地獄絵図』の記事に記されている以下の文章を読めば明白だと思います。(抜粋引用)
「目の前にうるせぇゲイのカップルがなんだか食べながらホモトークみたいのしてたから」そして「生理的に受け付けないゲイが目の前で飯食ってる」ことを理由に、丼を投げつけ水をぶっかけた行為を正当化しているわけです。この文章を俳優が公式ブログに公開している。つまりヘイトクライムを犯したという自覚がなく、公的な立場の者が公的な媒体に公開し続けている。そのこと自体、この記述の真偽以前の問題として大問題だと僕は思います。『酒が全然抜けない状態で一時間しか寝てないから
吉野家に来て
水がぶ飲みして牛丼三杯頼んで
何でか吐きそうになりながらかき込んでたら、
目の前にうるせぇゲイのカップルがなんだか
食べながらホモトーク
みたいのしてたからさ
スゲェ頭来て 丼投げつけて さらに水ぶっかけて
叫んだら
店員は110番しようとしてっからさ
店員の襟掴んで
「落ち着けよコノヤロウ」
とかやってる辺りで
・・何を怒ってんだ?
俺・・
みたいになって
会計してホモに一発ビンタ入れて今し方出てきたけどさ
完全にカメラに映ってるから
暴行 傷害 脅迫
三点盛りだよね
ノンフィクションだからね』
『昼からゲイはないよマジ
なんかさ
生理的に受け付けない奴が目の前で飯喰ってるとか罰ゲームじゃない?
丼が飛んできて顔面に喰らった相手も
焦っただろうけど
俺も焦ったんだよ』
僕はこれまで吉野家を月に2~3度程度は利用してきているのですが、相方とよく出かけます。ただでさえ男同士のカップルで出かけるわけですから、外での会話は家の中のように堂々とはできません。声を潜めて、当たり障りのない内容で会話をしています。なぜなら男同士でカップルなのだということを周囲の人に気付かれたら、不快に思われたり偏見の眼差しを向ける人が少なくないだろうことを、これまでの人生経験から心得ているからです。したがって、この俳優のブログの文章を読んで以来、僕は吉野家に出かけるのが怖くなりました。もし同じようなことが自分の身に降りかかった場合、「やられ損」で終わってしまうのだとしたら、やりきれません。好きなメニューがあるし、安く済むので好きな店だったのですが残念です。
ところで。この件で進展がありました。事件の現場となった(らしい)吉野家がTwitterの公式アカウントで、以下のようなコメントを発表したのです。
これは嬉しかった。こうして会社側から意見を募集しているということは、事実関係についての調査を本気で行っているということを対外的に示し、今後も能動的に動き何らかの処置を取ろうとしていることを意味しているからです。(お礼の返信もしておきました。)『店内での暴力事件について、色々とご質問・ご意見を頂戴しておりますが、現在調査中でございます。 尚、ツイッターからではすべてにお答えすることが出来ませんので、 お急ぎの方は、ご面倒ですが公式サイトのフォームよりお願いいたします。 http://bit.ly/aXOvOw』
もう一つ、今回の件で気になっているのが俳優の公式ブログ記事を、ヘイトクライム誇示内容が含まれたままで何の公式見解も発表せずに載せ続け、いたずらにアクセス数を稼いで営業利益に繋げている㈱サイバーエージェントです。反響はかなり大きくなっていますから、このままなにも態度を表明しなかった場合、企業イメージにかなりの痛手を食らうことになるのではないかと思われます。せめて吉野家と同じように能動的に、この件に関しての意見募集を呼びかけるなど出来ないものなのでしょうか?
ヘイトクライムを誇示する記述を無批判に公開しつづけ、しかもそれに対する賛同コメントまで含めて公開し続け、批判意見は公開せずに黙殺する。結果的にヘイトクライムを容認していることになりますし、アクセス数を稼いで営業利益に結び付けていることになります。企業としての見識を疑いますし、その不見識が問われる社会でなければならないと思います。→FC2 同性愛 Blog Ranking
★参考までに・・・
http://helps.ameba.jp/autofaq/help/inquiry/vio_form.php
akaboshiコラム047●芸能人が公式ブログで、これを書けちゃうの!?
「なんだそれ」と思ってリンク先を見てみたら芸能人のアメーバ公式サイト。そこに、こんなことがアップされてて、ア然としてしまいました。「昼間から吉野家にゲイがいたから、牛丼投げつけてビンタしてやったというブログなんですがどう思いますか?」
http://bit.ly/aXwzWW
あまりのことに、にわかには信じられず・・・。アウトロー的なキャラで売ってる人らしいので「これはネタなのかもしれない」と、必死に「良いほうに」(?)解釈したいと願う防御反応のようなものが働きまして・・・(もちろん、それにしても酷い表現ですけど。)つまり半信半疑でもあったので、この時点ではzenkoh2010さんのつぶやきをRTするのみに留めておきました。
しばらくしてGoogleアラートで、この記事がネットサイトでニュースとしてピックアップされていることを知りました。
http://news.livedoor.com/article/detail/5004268/?utm_source=m_news&utm_medium=rd
そして当人の公式ブログでは、このピックアップを受けてさらにこんな表現が・・・。
http://ameblo.jp/urita-junshi/entry-10646318757.html
この時点で「これは事実だったのだ」ということと、それを芸能人が堂々と公式サイトにアップし、衆目にさらしていることを「なんとも思ってなさそうだ」と言うこと。さらには所属事務所やAmebaブログの管理下で公開され続けているのだという、(僕からしてみたら)あり得ない状況なのだということが判明したので、抗議のつぶやきを書き込みました。
http://twitter.com/akaboshi_07/status/24255216894
http://twitter.com/akaboshi_07/status/24272453086
今、Twitter上では、zenkoh2010さんが最初に書き込んだつぶやきが、ものすごい勢いでRTされている模様です。(たぶん1000件は軽く超えていることでしょう。)
http://twitter.com/zenkoh2010/status/24198177430
僕のつぶやきに反応してRTしている人たちの顔ぶれから察するに、この件に敏感に反応しているのはセクマイ当事者に限ったことではないようです。幅広い人々が情報拡散に加わっています。
今後、当人のブログのアクセス数や(承認制になっている)コメント欄等への反響がものすごいことになるでしょうから、彼の所属事務所やAmebaブログとしても看過できない事態に発展していくのではないかと思われます。
これまでセクマイ当事者/非当事者の間に起こりがちだった「ネット上の情報格差」をなんなく飛び越えて、共有されるべき情報が広がっていく。こういう時にTwitterの可能性って感じます…な~んてTwitter論を綺麗にまとめて書くことで、なんとか冷静さを保とうと努めております。→FC2 同性愛 Blog Ranking
★参考までに・・・
http://helps.ameba.jp/autofaq/help/inquiry/vio_form.php
akaboshiコラム046●シュールな透明人間になりながら感じた映画の持つ力~『パトリックは1.5歳』フィルムセンター鑑賞記

東京国立近代美術館フィルムセンターで現在開催中の『EUフィルムデーズ2010』。6月17日(木)にはスウェーデンのゲイ映画『パトリックは1.5歳』の上映があったのですが、いつもフィルムセンターに出入りしている中心層であるシニア層に加えて、ゲイ映画だからか若い女性の観客の姿がちらほらと見かけられて大入り満員でした。(上映は6月19日16時にもあります。)
フィルムセンターってのは普段は古い日本映画を上映することが多く、入場料も一般500円(学生・シニア300円)と格安ながら、しっかりとした上映設備と迫力の大スクリーンで名作を観ることが出来ることから、特にシニア層の固定客が数百人は付いていて、どんな内容の映画であろうとも「とにかく観まくる」といった感じの映画マニアが客席の半分以上を占めているような空間です。
僕はかねてから50年代~70年代の日本映画が大好きで、学生時代からここには通いつめており、すっかり感性がシニア層に溶け込んでいるわけですが(笑)、いつも慣れ親しんでいるあの人たちと一緒に、まさか「ゲイが養子縁組をする映画」を観る日が来ようとは…と、感慨深いものがありました。
今回の『パトリックは1.5歳』はすでに2009年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で観ていたので物語は知っており、今回は「フィルムセンターでの上映ではいったい、客席がどんな雰囲気になるのか」を体験しに、期待半分&不安半分を抱えながら席に着きました。

映画の冒頭で主人公が「これが僕の夫です」と同性パートナーを紹介する場面があるのですが、「相方」である彼が出てきた途端に会場のあちこちから「うわっ!」とか「うへぇっ!」と言った嘲笑が起きたのです。
僕の右隣の初老の女性は「ヒッ!」と言いましたし左側の白髪の男性は「チッ!」と舌打ちをしました。さらにキスシーンやベッドシーンなども出てくるわけですが、拒絶反応と嘲笑はエスカレートして行きます。
映画の中のゲイカップルは一戸建ての住居を構えて近所の人々と仲良くなろうと努力するのですが、近所の悪ガキどもがしょっちゅう「や~いホモ!」と言ってからかいに来ます。また、手違いでゲイ・カップルの養子になることになったパトリック少年は「ホモ」が大嫌い。荒んだ生活をしてきており様々な前科を持ち、いわゆる「ホモ狩り」めいたことも行ってきているわけです。あらゆる罵詈雑言を浴びせてゲイ・カップルを困らせます。
こうした場面に僕の両隣の人たちはどう反応するのかをうかがっていると、明らかに近所の悪ガキどもやパトリック少年の方に共感しているようでした。なんと、罵詈雑言に対して肯定的に頷いていたり、「うひっ!」と胸がすく思いがしているかのような声を上げたりするのです。これらの場面ってば僕にとっては「自分に突き刺さってくるかのような言葉」のオンパレードなわけですが、両隣の方々にとっては、それを「言う側の心理」に共感しているんですよ。つまり僕とは感性がまったく真逆なわけですね。ものすご~く「いたたまれない」気持ちになりました。
これってレズビアン&ゲイ映画祭では絶対に感じることのない気持ちであり、決して突き刺さっては来ないだろう嘲笑なのですよ。いつも、なんて恵まれた上映環境でクィア映画を観ることが出来ていたのだろうと、改めて「あの場」の大切さを実感するとともに、これがまだまだ世の現実なのかもしれないなぁと、こうした気持ちを体験できることはある意味ではとても貴重なことなのかもしれないとも思いました。ただ…。

僕はここにいるのに、まるでいないがごとく、すぐ両隣の人たちが僕のような存在を否定するかのような本心を剥き出しにしている。その刃を、僕はただ無防備に受けているしかないという状況。まるで透明人間になったかのような気持ちになるのです。有無を言わさずに存在を抹消されているかのような、すごくシュールな心情。
そして同時に、僕は自分が笑いたい箇所では笑いを押し殺し、両隣の方々のように不満を表明したい気持ちを、グッと押し殺しているという事実にも気が付きます。この場でそれをやったら、一斉に周囲の耳目が僕に集中し、さらなる刃が刺さってくることになるでしょうから。
なんて自分は弱いんだ…。幽体離脱したかのように自分を醒めた目で見つめるもう一人の自分の視線が突き刺さり、罪悪感に似た気持ちまでもが湧いてきてしまいます。次第に胃が痛くなってくるのを感じ、「やめときゃよかったかな…」と思っていたら、神経が疲れたのでしょうか、僕はいつの間にかウトウトと寝てしまっていました。
うたた寝から醒めて物語が後半に差しかかっているのに気付いた頃。ふと、周囲の反応の変化に気が付きました。嘲笑がピタッと止んでいたのです。
映画の中では、少年と相性が合う/合わないの違いでゲイ・カップルが別居を始め、関係が崩壊しそうになっています。しかし、日常を共に過ごすことで少年の心が次第に柔らかく優しくなり、事態は好転の兆しを見せ始めます。やらわかくなった少年の存在が、今度は2人の関係を引き戻し始めるのです。
そして終盤にもう一度、よりを戻したゲイ・カップルが喜びの中でベッドで縺れ合う場面が出てくるわけですが…。映画の冒頭で客席のあちこちから起きたような嘲笑は、一つも聴こえて来ませんでした。僕の右隣の女性は、鼻をすすっていました。
ただ、やはりベッドシーンには抵抗を感じる人も居るようでして、2人ほどの白髪の男性が、この場面で席を立って退場していく姿がありましたが、それ以外の人はものすごい強度でスクリーンに引き込まれているようでした。

この映画を観終わった人たちは、もう一度この映画を冒頭から観たとき、もう嘲笑はしないことでしょう。そして、さっきまで自分が嘲笑していたことに「ハッと」気付くのかもしれません。
名画というものは人の心の中の何かを破壊し、新たな地平に導くもののことを言います。そういう意味で、これはまさしく名画。映画の「力」というものをまざまざと見せ付けられ、身震いするかのような興奮した気持ちでフィルムセンターを後にしました。
会場にはレズビアンの友人も来ていたので帰りながら聞いたところによると、彼女もやはり周囲の反応の変化を面白く感じていたようです。一人でも僕と同じ感性であの空間に対峙していた人がいたのかと思っただけでも、孤独から開放されて晴れ晴れとした気持ちを、さらに深く味わいました。→FC2 同性愛 Blog Ranking
akaboshiコラム045●福島みずほ大臣罷免、鳩山首相退陣表明で感じた「長期的な視座」の必要性

あ~びっくりした。福島みずほさんの大臣罷免からまさか、鳩山由紀夫首相退陣そして小沢一郎氏までもが現職を退く事態に発展していくとは。今回の一連の動きの中で志を半ばにして首相や大臣という権力者が全て辞職することになったわけですから本当に、政治の世界というのは先行きの見えない落差の激しい世界なんですねぇ。取りかかっていた仕事をいきなり捨てざるを得ないなんて、ある意味とても理不尽です。

しかしその直後に社民党党首としての筋を通す必要性から大臣職を「罷免される」という事態が生じ、結果的に、福島さんが大臣として取り組もうとしていた様々な施策については中断を余儀なくされてしまいました。今後、新たな組閣が行われた際には同じ役職に誰が就くのか?。その際に、たとえばセクシュアルマイノリティに関する施策についての引き継ぎが、どのように行われるのか?等々、注目すべき点は多々あります。

また同年には、当時野党ではありましたが民主党の公認を得る形でレズビアン公表者として尾辻かな子さんが参議院議員選挙の全国比例から立候補。選挙前のNLGRにおける同性結婚式に小沢一郎氏と鳩山由紀夫氏から祝電が寄せられ、その後も小沢一郎氏からは応援コメントが映像で寄せられ、選挙期間中の街頭演説では鳩山由紀夫氏と一緒に新宿駅前を練り歩いたりすることもありました。
尾辻かな子さん街頭活動・新宿駅東南口への練り歩き●鳩山由紀夫氏スピーチ
今後、日本のセクシュアル・マイノリティ関連の法整備を推進する上で、絶対に欠けてはならない条件があるのではないかと思います。それは、あくまでも「超党派で取り組み、すべての国民にとって共通の課題・問題であること」を印象付け、訴えかけて行く必要性です。
なぜなら、法律の改正には国会議員の過半数の賛成が必要であり、この流動的な政治状況の中では「超党派で賛成者を増やしていく」ことこそが条件であると言えるからです。したがって、ある特定の政党や、ある個人のみが取り組んでいる課題であるという「突出したイメージ」が付くことは、長期的な視座から見た場合にはどうなんでしょう?。たとえば「セクシュアルマイノリティを正しく理解する週間」のような取り組みが来年以降も継続可能なのだとしたら、名称問題のほかに改善すべき点として、「特定の政党だけが取り組んでいる問題」だという印象を促さないような形での開催の可能性をこそ、模索するべきではないかと思います。ある「色」が付きすぎると、その「色」を警戒して近付かなくなる人が増えてしまうような気がしますから。
また、そのほかのイベントやパレード等に政治家との関係が生じてくる際にも、その観点は常に意識し続けるべきではないかと思います。長期的な視座に立った場合、党派の壁を超えた形での幅広い人々との関係性作りこそが求められているのですから。
■参考映像
パフ★シネマ●北丸雄二×尾辻かな子トーク05●同性愛○×と思想の関係
■パフ★シネマ●北丸雄二×尾辻かな子トーク PLAYLIST
→FC2 同性愛 Blog Ranking
akaboshiコラム044●シンプルな動機

昨年はトークイベントとの連続開催だったということもあって街頭の現場が混乱気味だっという反省から、今年はきちっと事前にスタッフの役割分担を決め、注意事項を確認し合った。これはきっと当日、利いてくるんじゃないかと思う。人数は少ないけれども、何年も関わり続けているスタッフが多いので「あ・うん」の呼吸のようなものが出てくるんじゃないかと。そういう意味では安心。
やる側の僕の気持ちとしては、こういう活動に興味を持った人が一人でもいいから肉眼で、新宿の駅前でセクシュアルマイノリティに関するチラシを配ったり呼びかけることを「なんでもないこと」として、簡単に行なっているのを見て欲しい。たったそれだけ。とってもシンプル。
でも、そのことによって4年前の自分が大きく勇気づけられ変革したわけで、もしかしたら、そういう人が出てくれたらいいなぁと。4年前の自分のような「おっかなびっくりで見に来ている人」の背中を、何らかの形で押せたらいいなぁという動機の方が強い。
すでにメールで何件か「新宿をはじめて見に行きます!」というのが寄せられていて、他の地域にもそれぞれ、そういう声が複数寄せられている。つまりこのアクションってのは、「当事者の背中をゆっくりと押す」役割が、メインなんだろうなぁと思う。そして何年も関わり続けているスタッフが全国レベルでたくさんいて独自に動いており、きっとそれぞれに個人体験の中に、このアクションへの思い入れがあるから続けているのだろう。→FC2 同性愛 Blog Ranking
akaboshiコラム043●誰もヒーローにせず、誰のことも善悪で評価しない

●『ER緊急救命室 XIII(サーティーン・シーズン)DVDコレクターズセット』
実を言うと『ER』自体、これまで一回も観たことがないもので最初のうちは、なんか日本のドラマの江口洋介や松島菜々子が出てるやつと似てる~とか思ってたのですが、たぶんそっちがパクリなんでしょうねぇ(そっちも見てないんでよくわかりませんが。笑)。
いろんな医者や研修医や患者が次から次へとひっきりなしに出て来てめまぐるしくカメラも移動し続ける、常に流れ続けてるようなドラマなのですが、その中にひょっこりと「同性パートナー」のドラマも描かれてました。
高齢の黒人ゲイ(ジミー氏)が緊急救命医療にかかることになって運び込まれ、付き添いに来た高齢の白人が最初は「仕事のパートナー」って言ってるんだけど、つまりは「同性パートナー」であるということも次第に医者にわかるわけですが。
黒人ゲイの容体がかなり危なくなり、家族も呼ばれてきたわけですが、そこで延命措置をとるかとらないかで「白人ゲイパートナーVS家族」の対立図式が鮮明になるわけです。
黒人ゲイは50歳を過ぎてからゲイライフに舵を切ったとのことで、それから約15年もの間、家族とは疎遠でゲイのパートナーとゲイライフを過ごしていたらしいのです。しかし、こうした最期の選択を本人が意識不明な状態でしなければならない時に、この15年間親密に過ごしてきたパートナーよりも、ずっと疎遠だった家族の選択権が優先されるという不条理。まざまざと感じましたねぇ。

つまり、物語をゲイパートナーVS家族のエピソードだけに収斂させず、担当医のプライベートやその他の人々の生活感情を同時に描くことで結果的に、「愛すること」や「生きること」について、さまざまな状況を総合的に見せたうえで、視聴者が多面的に感じられるように構成されているんですね。これはかなり高度な演出テクニック。これを毎週放送してるのかいっ!と、舌を巻いてしまいました。アメリカのテレビドラマの視聴者って、制作者から信頼されてるんだなぁ。
誰もヒーローにせず、誰のことも善悪で評価しない。誰のエピソードも持ち上げないし、落とさない。つまり、それこそがあのお医者さんたちが過ごしている『ER』という仕事空間の現実なわけですよ。
でも確実に毎日、さまざまな境遇や状況の人々が運び込まれ、さまざまなドラマが生まれている。その一つとして「同性パートナーの終末期医療における、法律の未整備による不条理」も描き出されたわけです。
ただ、そうは言ってもやはりこの放送回ではその不条理に最も焦点が当てられていたのも事実であり、パートナーが急逝してしまった白人ゲイの普段の仕事である、ドラァグ・クイーンとしてのショー場面を、最後に映し出します。
シワシワの顔にメイクをし、きらびやかな衣裳で変身していく楽屋風景からステージに至る仕事風景は、誇りと威厳に満ちており、人が「生きて行くこと」の無常感を、これまたさり気なく感じることのできる印象的な場面でした。
同性愛者やトランスジェンダーを描くドラマや映画は、とかく物語が「可視化」や「権利獲得」のための、リブ的な方向に向かうパターンに単線的に向かいがちであり、マンネリズムに陥る傾向があると思います。
しかしそれでは、基本的には当事者しか楽しむことが出来ないのではないかという問題意識を僕は持っています。「開いて行く表現」とはなんなのか。『ER』のこの演出スタイルに込められた思想性に、大きなヒントが隠されているように感じました。→FC2 同性愛 Blog Ranking
akaboshiコラム042●やっぱ老け専みたいです。

3月31日にNHKで放送された音楽番組「SONGS」に、ジュリーwithザ・ワイルドワンズが出てたので録画してさっき見たのですが、萌え~(笑)。
なんか僕、昔から「中高年が楽しんでる姿」を見るのが大好きなんですよ。肉体に生き様が滲み出ている人たちが、ピュアに必死になっていたりする感じが好き。ふだんから若者を見ても萌えることってほぼ無いし、むしろ「この人は年取ったらどういう顔になるんだろう」と想像してしまうくらいに中高年好きです(爆)。

この人、90年代は過去の自分を封印したかったみたいで、テレビで過去の映像が使用されることすらしばらく禁じていたという話を聞いたことがあります。その間はストイックに舞台を中心に活躍していて何本か観に行ったことがあるのですが、太ったけど相変わらずの美声で、音楽劇俳優としても超一流でカッコ良かった。
最近になって、彼の中でなにかが吹っ切れたみたいでテレビの過去映像を解禁。コンサートではザ・タイガース時代のヒット曲を歌ったり、自らの過去の栄光と素直に向き合って楽しんでいるみたいです。昨日のNHKの番組でも、ワイルドワンズの人たちと5人で振り付きで若いアイドルグループみたいなノリの歌を披露してました。
こんな風に、一時期尖って突っ張っていた人が何かの拍子に再び自分の原点を見つめ返すようになり、今度は心の底から楽しんでやってる姿って、サイコーに格好いいと思う。自分も生きている間に、自分の好きな分野でそんな風な境地に達することが出来るんだろうか。いや、達してみせる。そんな風に思うと希望が湧いてきます。
歳を重ねるほどに全てにおいて固く意固地になって行く人もいる一方で、逆にしなやかになって子どものような光に満ちた瞳を取り戻す人もいる。後者のような中高年こそが若者にとって、真の意味での「ロールモデル」なんだと思いましたですよ。
★番組で披露していた『涙がこぼれちゃう』ってタイトルの曲、気に入った!・・・だって、涙がこぼれちゃうんだよ?(笑)
■『JULIE WITH THE WILD ONES』
いい声してるなぁ~。→FC2 同性愛 Blog Ranking
akaboshiコラム041●僕より先に僕のことを見抜いていたのかっ!!

先日、大学時代の友人の結婚式が新潟でありまして、出席してきました。
素朴でまっすぐな性格の友人の人柄そのものであるかのような、純朴な感じの披露宴。久々に再会した友人たちとも、10年以上の歳月の経過が嘘であるかのように「あの頃のまま」な感じで話すことが出来て新鮮でした。
「新鮮でした」ってのは実は僕、これまで同窓会とか昔の仲間と会う場に出ることが苦手でして、なんだかんだ理由を付けては出ないことが多かったんです。でも最近は苦手意識が抜けてきて、「どうでもいいこと」のように感じられるようになりました。たぶん、歳をある程度重ねて「無駄な自意識」が抜けてきたんだと思います。

「男は男らしく外で働き、女は旦那を家で支える」という、いわゆる保守的かつ(旧来)オーソドックスとされてきたスタイルの家庭をこれから友人が築くことになるのだろうことは、仲人のスピーチやご両親の様子などから伺い知れたわけですが。「彼にとってはそういう生き方をすることが自然なんだし、彼と一緒になる人もそれを選んだわけだし」と、実際に目の前にそういう二人が居る以上は「そういうもんなんだろうなぁ」と思うしかないわけで、それがこの二人の人生設計なわけです。心の底から「このまま仲良く過ごしてもらいたいなぁ」と祝っている自分がいて嬉しかったです。実はもう少し「ひねくれた感情」が湧いてくるのかもしれないなぁと覚悟もしていたものですから(笑)。

一応、言いだす前には「ちょっと驚かすかも知れないけれども大丈夫?」と注釈を付けましたけどもね。すると友人たちは笑顔で「いいよいいよ。この歳になると人生経験積んできてるし、大抵のことには驚かなくなってきてるから。何でも言って!」と返してくれたので、お言葉に甘えて言わさしてもらいました(笑)。
友人1名は、言った途端に「あぁ、大学時代からそうなんじゃないかと思ってたよ」と、ケロッとした顔で返してきました。なにぃ~~っ!!自分ですら自分がゲイだと自覚していなかった時にっ!?僕より先に僕のことを見抜いていたのかっ!!と衝撃。
そしてもう一人はなんと、「あ。うちの職場の上司にもいるよ」とのこと。リアクションが軽い、軽すぎる~っ!(爆)。

ちなみにその友人は、ここではとても書けないような超~お固いマッチョの権化のような大組織で日々、我らの安全を守ってくれているので当然、保守的な職場なのかと思っていたのですが…。私的なレベルでは、そういうところでも当事者が言い出しやすい世の中になってきているのですねぇ。ホント、あの組織の中枢でそう言ってる人が居るんだったらもう、怖いものはないんじゃないかと感動すら憶えてしまうエピソードでした。

再会した友人たちとこれから、また新たな関係性が築けそうで楽しみです。→FC2 同性愛 Blog Ranking