トランスって?09●京都トランスジェンダー映画祭09●トランスジェンダー」という看板を掲げて行う集まりの「弊害」

第1回京都トランスジェンダー映画祭で行われた、ひびのまことさんと遠藤まめたくんのトークもいよいよ佳境となりました。今回は、ひびのさんが「すごく気になるんですが・・・」 という前置きで語り始めた内容が面白かったので、紹介します。
10●「トランスジェンダー」という看板を掲げて行う集まりの「弊害」
「性別移行」を完全に行い、そのことがわからないようにして日常で過ごす人のことを、「パスした人」と呼んでいるようですが、そうした人々はそもそも、コミュニティーの活動の場で「私はトランスジェンダーですっ!」という風に、名乗り出ては来にくいという現実があります。
物事には必ず「光と影」の両面があるものです。「光」ばかりを見て猪突猛進していると、いつの間にか無理が生じますし、現実からは乖離してしまいます。シビアに「影」の存在を意識し続け、用心し続ける「クールな思考」が、なにをやる際にも必要ですね。→FC2 同性愛Blog Ranking
トランスって?08●京都トランスジェンダー映画祭08●「女であること」を無邪気に遊ぶことは出来るかもしれないけど、「男であること」を無邪気に遊ぶことのハードさよ。

5月31日に関西クィア映画祭の主催で行われた京都トランスジェンダー映画祭での、ひびのまことさんと遠藤まめたくんのトーク。今回も会場の参加者からの発言です。
★冒頭で「トランスジェンダーの医療との関わりを、妊娠出産の医療と同じように位置付ける(べきではないかという提案をする)ときに、中絶という言葉を付け加えた方がいいのではないか」という発言がありますが、これは当日、このトークが行われる前に開催されたひびのまことさんの講演『「トランスジェンダーではない人」の社会的特権』内での、ひびのさんの発言を受けての内容となっています。講演の模様は後日、当ブログでも紹介させていただきます。
09●「女であること」を無邪気に遊ぶことは出来るかもしれないけど、「男であること」を無邪気に遊ぶことのハードさよ。
この映像のタイトルに付けた言葉は遠藤まめた君の発言を引用させてもらったのですが・・・本人が生活の中で感じている「リアル」なのでしょう。FtMとMtFの「非対称性」は、レズビアンとゲイの「非対称性」の問題とも関連しています。さらに言うと、日本社会においてはまだ現実問題として厳然としてある男と女の「非対称性」の問題でもあります。
また、たとえば「同性パートナーの法的保障」を切実に求めて実際にアピール・アクションを起こしているのは、圧倒的に「レズビアンが多い」という最近の傾向とも関連しているのではないかと思います。
さて。このトークは『男子であること』という海外のドキュメンタリー映画の上映後に行われたのですが、その前には日本のドキュメンタリー映画『We are Transgenders.〜性別を超え、自分らしく生きる!〜』(尾川ルル監督/1998年)の上映と、監督トークもありました。(作品解説は映画祭公式サイト参照)
そちらの映画で僕が面白いと思ったのは、約10年前の関西の活動家たちの姿が記録されているという史料価値。そして、まだ「性同一性障害」という言葉が全く使われていなくて、当事者たちがコミュニティーの中で「トランスジェンダー」という言葉を、徐々に使い始めた頃の新鮮な雰囲気が伝わってくる点です。
まさかその数年後には「性同一性障害特例法」が成立するとは、夢にも思っていなかっただろう当時の活動家たちの、ちょっと肩肘張った生真面目さと素朴さも印象的でした。今、こうした活動に関わっている人たちってもう少し、テキトーさとか遊びの精神を身に付けているのかもしれません。時代状況がそれだけ和らいできているという証なのでしょう。→FC2 同性愛Blog Ranking
トランスって?07●京都トランスジェンダー映画祭07●恋愛の場の「女役割」を引き受けるのが非常に苦手で・・・。
いろいろありすぎて記事が神出鬼没になっているこのブログ(爆)。新たな出来事を撮影したりすると、シリーズ掲載の記事が後回しになってしまったりするんです、ゴメンナサイ。
さて、5月31日に関西クィア映画祭の主催で行われた京都トランスジェンダー映画祭での、ひびのまことさんと遠藤まめたくんのトークは、今回を含めてあと3回分残っております。いちばん最後には、まめた君の口からすごく素敵なエピソードが飛び出したりもしますのでお楽しみに。今回の映像は、会場の方の発言が中心です。(掲載許可、ありがとうございました!)
08●恋愛の場の「女役割」を引き受けるのが非常に苦手で・・・。
「男」と「女」という、まるで「白と黒」しかないような区分けの仕方に、そもそも無理があるんですよね。しかし、そのことに全く疑問すら抱かない人たちも、かなりたくさん存在しているようですし、テレビから流れるCMや、雑誌に溢れる情報は、「白か黒か」に染まることを強制しているかのようにも感じられます。
そういう強迫観念から自由になって、逆に笑い飛ばせるようになったら・・・世の中が面白く感じられるのかもしれません。染まりたい人は染まればいい。染まりたくない人は染まらなければいい。その「どちらも」等価に選択できる世の中であれば、いいんですけどね。「どちらが、より優れている」という、自らの「イデオロギー」という色眼鏡に当てはめてばかりだと、大切な何かを見失ってしまうような気がします。→FC2同性愛 Blog Ranking
トランスって?06●京都トランスジェンダー映画祭06●「性別なんて関係ない」なんて言いつつ、バリバリこだわってたりして。

第1回京都トランスジェンダー映画祭で上映されたドキュメンタリー映画『男子であること』関連トークですが、前回まででトークはとりあえず終わり、会場との質疑応答になりました。
06●クリアに分けることは困難で、悩みながらコミュニティーがある。
07●「性別なんて関係ない」なんて言いつつバリバリこだわってたりして。
「複雑な自己のありよう」って、見方を変えてみるとけっこう面白かったりなんかして。そして、こんな風に矛盾した気持ちをそのまま投げ出せる場があり相手が居るのって、なんて素敵なことなんだろう。→FC2 同性愛Blog Ranking
トランスって?05●京都トランスジェンダー映画祭05●いわゆる「女」じゃない→「ブッチ」?「トランス」?

前回に続いて「レズビアンが減るのではないか」関連の話題です。
05●「女」じゃない→「ブッチ」?「トランス」?
「性同一性障害」「トランスジェンダー」の認知が進むにつれ、「レズビアン」の男性ジェンダー寄りの人、「ゲイ」の女性ジェンダー寄りの人が「トランス」だと自己認知するケースが増えました。この現象を「レズビアンが減る!」「ゲイが減る!」と捉えるのではなく、当事者たちにとって、より「しっくりと来やすい選択肢が増えた」のだと捉えて歓迎すべきなのではないかと思います。
心の性や身体の性は、その境目が「グラデーション」であることから人の数だけ種類があるのだとも言えます。「自分をどう名づけるのか」の選択肢は本来、多くあっていいのではないかと思います。→FC2 同性愛Blog Ranking
トランスって?04●京都トランスジェンダー映画祭04●「ラスト・フレンズ」はレズビアンでもいいじゃない。

NHK『ハートをつなごう』の「性同一性障害」シリーズが既に5回放送されていることにも象徴されているように、21世紀になってからの日本のセクシュアル・マイノリティーの社会的な可視化は「性同一性障害(トランスジェンダー)」から先に進んだ感があります。まだ様々な制約はありますが戸籍上の性別変更が可能になるなど、法律でもその「存在」が示されています。
思春期に性別違和を感じたり、同性/両性に恋したとき。そんな自分のことを「同性/両性愛者」と認識するのか、あるいは「性同一性障害(トランスジェンダー)」と認識するのかは、世間に流布している情報の量にも左右されるのではないか!?・・・ということは、現状では「トランス」だと感じる人が多くなっているのではないか?
・・・今回はそんな話。
04●「ラスト・フレンズ」はレズビアンでもいいじゃない。
ひびのさんの話に出てくる「ダイク」とは「男っぽい見かけのレズビアン」を指します(「ブッチ」と言ったりもします。)実際、レズビアンの集まるコミュニティーでは、性別違和を感じた若者が「トランス」だと自己認識する可能性が増えると「レズビアンが減るのではないか」という話が、よく出たりしています。
厳密には区別できない「性のグラデーション」。言葉によってアイデンティティーを規定することって、実はとても難しいことであり、暴力的なことでもあるんだということを感じます。大切なのは、そこで「アイデンティティーを規定」することを、自己にも他者にも必要以上に強制しない社会であることなのではないかと思います。→FC2 同性愛Blog Ranking
トランスって?03●京都トランスジェンダー映画祭03●本当の意味での「ミックスの場」とは。

「ゲイONLY」「レズビアンONLY」「トランスONLY」などと、セクシュアリティーや性自認によって区分けされない場のことを「ミックスの場」という風に呼んだりします。様々な人が交流できるわけですから「素敵な場」として想像される方も多いでしょうが、現実問題として、その場の中でも数の上での多数派と少数派は生まれます。
そして、ちょっとした会話などを通して少数派は、「その場に居ないことにされているかのような疎外感」を味わったりも、してしまうものなのです。
03●本当の意味での「ミックスの場」とは。
ただでさえ、日常生活で性的少数者としての疎外感を感じながら生きているのに、性的少数者のコミュニティーの場に行ってさえ疎外感を感じさせられ、感情を抑圧して溜め込まされてしまうのだとしたら、本当にシンドイことですよね。特にトランスジェンダーの場合には、性的少数者の中でも「人数が少ない」ので、コミュニティー活動のあちこちの場で、こうした感情を抱え込みやすいということは言えると思います。
僕は「ゲイ」であり、人数的には性的少数者の中でも多数派に属するので、トランスの遠藤まめた君の気持ちを完全には理解することは出来ません。しかし、自分も似たような感情を味わったことがあることに気が付きました。
僕は、昨年の夏よりパフスペースでの様々な活動の場に出入りすることが多かったのですが、関わり始めた当初は、「男」がその場に居るということが、まったく想定されていないかのような発言に出くわすことが多く、正直、行くたびに気持ちの中に「ささくれ立ってしまうもの」を感じざるを得ませんでした。
特に「フェミニズム」的な視点には、「男」を敵視しているような側面があります。彼女らの使う「男」という言葉を聞くたびに、正直、「『男』を抽象的に十把一絡げにして語らないでほしい」とか「僕をその代表選手であるかのような視線で見ないでほしい」と、思ったりもしました。しかし、その場において数が少ないとどうしても「まぁ、しょうがないか。ここはそういう場なんだし・・・」と、気持ちを抑え込みがちになってしまうんです。いちいちその度に対立していたら物事が先に進まなかったりもしますし。
結果的に、その気持ちは内面に蓄積されてしまい、精神的な疲労につながります。「だったら言い返せばいい」というのは、強者の論理だと思います。数で負けているのですから、よっぽど強靭な心臓の持ち主でなければ集団の中で言い出せないでしょう。・・・この構造に気が付かないと、いつの間にかその場は「気が強く、似たような人たちしか集まらない」閉鎖的な空間になってしまうのではないでしょうか。(パフナイトの運営会議では「ミックス」の状態で開催するイベントの回数を重ねることによって、少しずつそうした面は和らいでは行きましたけれども。)
これと同じような疎外感は、たとえば「ゲイ主導」で運営されている場では、ゲイ以外の人たちが感じさせられていることなのでしょう。つまり、その組織が「ミックスであること」を謳っている以上は、どこでも起こりやすい現象なんですね。
「ミックスの場」における多数派は、構造的にも心情的にも権力的な存在になりやすいのだということを、忘れてはいけないと思います。そこに「男」も「女」も「ノンケ」も「同性愛者」も「バイ」も「トランス」も関係ありません。その集団の特性によっては、皆、等しく多数派にも少数派にもなる可能性を持っているのです。その可能性を意識しながらバランスを取り続ける覚悟が無い限り、本当の意味での「ミックスの場」が現前することは無いことでしょう。
世の中における「多数派のノンケさん」と「少数派のセクシュアル・マイノリティー」との非対称性と同じような現象は、性的少数者の集まるコミュニティー内でも、同じように常に起こり得ることなのです。→FC2 同性愛Blog Ranking
トランスって?02●京都トランスジェンダー映画祭02●レズビアンなのかトランスなのか、はっきりしろ!?

前回に続いて京都大学でのトーク。トランスジェンダーの集まるコミュニティーに居るよりも、ミックス(いろんなセクシュアリティー)の場所のほうが馴染めるという遠藤まめた君。昨年からはパフナイトのスタッフにもなっているわけですが・・・そのことを、こんな風に責める人もいるのだとか。
「男子であること」上映後トーク02●レズビアンなのかトランスなのか、はっきりしろ!?
最初この話を聞いたとき、怒りが湧きましたよ本当に!。なんなんでしょうね。自分とは違ういろんな人と知り合って、刺激受けたっていいじゃないですか。そのことを責める資格は誰にも無い!→FC2 同性愛Blog Ranking
トランスって?01●京都トランスジェンダー映画祭01●「わからないこと」「揺らぐこと」を面白がりながら繋がろう。
正直、トランスのことがよくわかりません。
よく「LGBTコミュニティー」と一括りで語ったりしますし、僕もこのブログで 「LGBT可視化に向けて」だとか「LGBTの紙媒体★掲載チェック」などと安易に使ったりして来ましたが、そろそろそういう無邪気な自分を、一度疑ってみる必要性を感じる時期に突入しました(笑)。
知れば知るほど、L(レズビアン)もG(ゲイ)もB(バイセクシュアル)もT(トランスジェンダー)も、かなり違った境遇にあって、違った感性で世の中を見ているんだなぁと感じることが多いです。「マイノリティー」としての社会的な立ち位置もかなり違いますし。
わかった気になって乱暴に把握するのではなく、違いは違いとして面白がってみることは出来ないものかと以前より思っていました。特に、僕個人が「違うなぁ」と感じるのはトランスジェンダーの人たち。なぜなら僕には「性別違和」がほとんど無いから。その気持ちの部分まで踏み込んで理解することって、けっこう難しかったりするんですよ。
そんな問題意識を持っている最近の僕にとって、格好のイベントがあったので行ってまいりました。5月31日(土)に京都大学で開催された「第1回京都トランスジェンダー映画祭」です。

いまやセクシュアルマイノリティー主体で開催される映画祭は全国にいくつも出来たわけですが、「トランスジェンダー」に関する映画のみを集めた映画祭は初めての試みだったそうで。関西クィア映画祭の関連企画として開催されました。
あのですねぇ。正直、ゲイである僕にとって「トランスジェンダー映画」ばかりを見続けるというのは、なかなか難易度の高いものであり、午前11時30分〜午後8時30分までの全ての上映作品を見たのですが、脳みそが疲れまくりました。やっぱり、なかなか「感情同化」が出来ないんですよねぇ(爆)。特に、16:30から上映された『男子であること〜Boy I am』というドキュメンタリー映画は、インタビュー中心の映画であり、印象的な言葉が次から次へと繰り出されるわけですが ほとんど租借できぬままに終わってしまい、置いてけぼりを食らったという感じでした(笑)。アメリカに暮らす、いろんなタイプのFtM(「女性」から「男性」への)トランスジェンダーが出てきて、性別適合手術を行う人なども描かれるのですが、なにしろ展開がスピーディーで盛りだくさん。YouTubeに、映画の冒頭場面が載っているので紹介させていただきます。雰囲気と要点は掴めるかと思いますので、御覧になってみてください。
●YouTubeより〜「男子であること」
印象としては、「トランスジェンダー」というアイデンティティーに「揺らぎ」を感じている人の登場が少なく、「身体の性を変えること」に執着の強い登場人物が多い映画だったという感じです。
この映画の上映後、映画祭を主宰したひびのまことさんと、このブログではお馴染みの遠藤まめた君によるトークショーが行われました。まめた君にとっては、「揺らぎの多いトランスジェンダー」として感じる日常の思いを思う存分語ることの出来る貴重な機会になったようです。
「男子であること」上映後トーク01●アメリカにおける「トランスジェンダー」
ひびのさんの発言にもありましたが、アメリカでは「反差別法」や「雇用差別禁止法」の制定を行政に要求する際に、トランスジェンダーを含めるのか否かがコミュニティー内で議論になって来た歴史があるそうです。(現在では「LGBT」という形で包括するという見解が主流になっているとのこと。)
ちなみに日本では、この点については逆転現象といってもいい状態になっており、「性同一性障害」という形でトランスジェンダーの方が先に社会的認知を得たことによって法整備が進み、「同性愛者」のライフスタイルに関する法整備は、未整備のままとなっています。セクシュアルマイノリティーの権利獲得運動は、国や地域の社会的背景によって様々に事情が違っており、一筋縄では行かない難しさを抱えています。
さてこのトーク。遠藤まめた君は、これまで他では語れなかった本音を吐露しています。彼のような立場で、いわゆる「LGBTコミュニティー」に参加していると、どういう気持ちを抱え込むのか。ハッとさせられる発言がたくさん出てくる今後にご注目ください。→FC2 同性愛Blog Ranking
よく「LGBTコミュニティー」と一括りで語ったりしますし、僕もこのブログで 「LGBT可視化に向けて」だとか「LGBTの紙媒体★掲載チェック」などと安易に使ったりして来ましたが、そろそろそういう無邪気な自分を、一度疑ってみる必要性を感じる時期に突入しました(笑)。
知れば知るほど、L(レズビアン)もG(ゲイ)もB(バイセクシュアル)もT(トランスジェンダー)も、かなり違った境遇にあって、違った感性で世の中を見ているんだなぁと感じることが多いです。「マイノリティー」としての社会的な立ち位置もかなり違いますし。
わかった気になって乱暴に把握するのではなく、違いは違いとして面白がってみることは出来ないものかと以前より思っていました。特に、僕個人が「違うなぁ」と感じるのはトランスジェンダーの人たち。なぜなら僕には「性別違和」がほとんど無いから。その気持ちの部分まで踏み込んで理解することって、けっこう難しかったりするんですよ。
そんな問題意識を持っている最近の僕にとって、格好のイベントがあったので行ってまいりました。5月31日(土)に京都大学で開催された「第1回京都トランスジェンダー映画祭」です。

いまやセクシュアルマイノリティー主体で開催される映画祭は全国にいくつも出来たわけですが、「トランスジェンダー」に関する映画のみを集めた映画祭は初めての試みだったそうで。関西クィア映画祭の関連企画として開催されました。
あのですねぇ。正直、ゲイである僕にとって「トランスジェンダー映画」ばかりを見続けるというのは、なかなか難易度の高いものであり、午前11時30分〜午後8時30分までの全ての上映作品を見たのですが、脳みそが疲れまくりました。やっぱり、なかなか「感情同化」が出来ないんですよねぇ(爆)。特に、16:30から上映された『男子であること〜Boy I am』というドキュメンタリー映画は、インタビュー中心の映画であり、印象的な言葉が次から次へと繰り出されるわけですが ほとんど租借できぬままに終わってしまい、置いてけぼりを食らったという感じでした(笑)。アメリカに暮らす、いろんなタイプのFtM(「女性」から「男性」への)トランスジェンダーが出てきて、性別適合手術を行う人なども描かれるのですが、なにしろ展開がスピーディーで盛りだくさん。YouTubeに、映画の冒頭場面が載っているので紹介させていただきます。雰囲気と要点は掴めるかと思いますので、御覧になってみてください。
●YouTubeより〜「男子であること」
印象としては、「トランスジェンダー」というアイデンティティーに「揺らぎ」を感じている人の登場が少なく、「身体の性を変えること」に執着の強い登場人物が多い映画だったという感じです。
この映画の上映後、映画祭を主宰したひびのまことさんと、このブログではお馴染みの遠藤まめた君によるトークショーが行われました。まめた君にとっては、「揺らぎの多いトランスジェンダー」として感じる日常の思いを思う存分語ることの出来る貴重な機会になったようです。
「男子であること」上映後トーク01●アメリカにおける「トランスジェンダー」
ひびのさんの発言にもありましたが、アメリカでは「反差別法」や「雇用差別禁止法」の制定を行政に要求する際に、トランスジェンダーを含めるのか否かがコミュニティー内で議論になって来た歴史があるそうです。(現在では「LGBT」という形で包括するという見解が主流になっているとのこと。)
ちなみに日本では、この点については逆転現象といってもいい状態になっており、「性同一性障害」という形でトランスジェンダーの方が先に社会的認知を得たことによって法整備が進み、「同性愛者」のライフスタイルに関する法整備は、未整備のままとなっています。セクシュアルマイノリティーの権利獲得運動は、国や地域の社会的背景によって様々に事情が違っており、一筋縄では行かない難しさを抱えています。
さてこのトーク。遠藤まめた君は、これまで他では語れなかった本音を吐露しています。彼のような立場で、いわゆる「LGBTコミュニティー」に参加していると、どういう気持ちを抱え込むのか。ハッとさせられる発言がたくさん出てくる今後にご注目ください。→FC2 同性愛Blog Ranking
