トランスって?04●京都トランスジェンダー映画祭04●「ラスト・フレンズ」はレズビアンでもいいじゃない。

NHK『ハートをつなごう』の「性同一性障害」シリーズが既に5回放送されていることにも象徴されているように、21世紀になってからの日本のセクシュアル・マイノリティーの社会的な可視化は「性同一性障害(トランスジェンダー)」から先に進んだ感があります。まだ様々な制約はありますが戸籍上の性別変更が可能になるなど、法律でもその「存在」が示されています。
思春期に性別違和を感じたり、同性/両性に恋したとき。そんな自分のことを「同性/両性愛者」と認識するのか、あるいは「性同一性障害(トランスジェンダー)」と認識するのかは、世間に流布している情報の量にも左右されるのではないか!?・・・ということは、現状では「トランス」だと感じる人が多くなっているのではないか?
・・・今回はそんな話。
04●「ラスト・フレンズ」はレズビアンでもいいじゃない。
ひびのさんの話に出てくる「ダイク」とは「男っぽい見かけのレズビアン」を指します(「ブッチ」と言ったりもします。)実際、レズビアンの集まるコミュニティーでは、性別違和を感じた若者が「トランス」だと自己認識する可能性が増えると「レズビアンが減るのではないか」という話が、よく出たりしています。
厳密には区別できない「性のグラデーション」。言葉によってアイデンティティーを規定することって、実はとても難しいことであり、暴力的なことでもあるんだということを感じます。大切なのは、そこで「アイデンティティーを規定」することを、自己にも他者にも必要以上に強制しない社会であることなのではないかと思います。→FC2 同性愛Blog Ranking
トランスって?03●京都トランスジェンダー映画祭03●本当の意味での「ミックスの場」とは。

「ゲイONLY」「レズビアンONLY」「トランスONLY」などと、セクシュアリティーや性自認によって区分けされない場のことを「ミックスの場」という風に呼んだりします。様々な人が交流できるわけですから「素敵な場」として想像される方も多いでしょうが、現実問題として、その場の中でも数の上での多数派と少数派は生まれます。
そして、ちょっとした会話などを通して少数派は、「その場に居ないことにされているかのような疎外感」を味わったりも、してしまうものなのです。
03●本当の意味での「ミックスの場」とは。
ただでさえ、日常生活で性的少数者としての疎外感を感じながら生きているのに、性的少数者のコミュニティーの場に行ってさえ疎外感を感じさせられ、感情を抑圧して溜め込まされてしまうのだとしたら、本当にシンドイことですよね。特にトランスジェンダーの場合には、性的少数者の中でも「人数が少ない」ので、コミュニティー活動のあちこちの場で、こうした感情を抱え込みやすいということは言えると思います。
僕は「ゲイ」であり、人数的には性的少数者の中でも多数派に属するので、トランスの遠藤まめた君の気持ちを完全には理解することは出来ません。しかし、自分も似たような感情を味わったことがあることに気が付きました。
僕は、昨年の夏よりパフスペースでの様々な活動の場に出入りすることが多かったのですが、関わり始めた当初は、「男」がその場に居るということが、まったく想定されていないかのような発言に出くわすことが多く、正直、行くたびに気持ちの中に「ささくれ立ってしまうもの」を感じざるを得ませんでした。
特に「フェミニズム」的な視点には、「男」を敵視しているような側面があります。彼女らの使う「男」という言葉を聞くたびに、正直、「『男』を抽象的に十把一絡げにして語らないでほしい」とか「僕をその代表選手であるかのような視線で見ないでほしい」と、思ったりもしました。しかし、その場において数が少ないとどうしても「まぁ、しょうがないか。ここはそういう場なんだし・・・」と、気持ちを抑え込みがちになってしまうんです。いちいちその度に対立していたら物事が先に進まなかったりもしますし。
結果的に、その気持ちは内面に蓄積されてしまい、精神的な疲労につながります。「だったら言い返せばいい」というのは、強者の論理だと思います。数で負けているのですから、よっぽど強靭な心臓の持ち主でなければ集団の中で言い出せないでしょう。・・・この構造に気が付かないと、いつの間にかその場は「気が強く、似たような人たちしか集まらない」閉鎖的な空間になってしまうのではないでしょうか。(パフナイトの運営会議では「ミックス」の状態で開催するイベントの回数を重ねることによって、少しずつそうした面は和らいでは行きましたけれども。)
これと同じような疎外感は、たとえば「ゲイ主導」で運営されている場では、ゲイ以外の人たちが感じさせられていることなのでしょう。つまり、その組織が「ミックスであること」を謳っている以上は、どこでも起こりやすい現象なんですね。
「ミックスの場」における多数派は、構造的にも心情的にも権力的な存在になりやすいのだということを、忘れてはいけないと思います。そこに「男」も「女」も「ノンケ」も「同性愛者」も「バイ」も「トランス」も関係ありません。その集団の特性によっては、皆、等しく多数派にも少数派にもなる可能性を持っているのです。その可能性を意識しながらバランスを取り続ける覚悟が無い限り、本当の意味での「ミックスの場」が現前することは無いことでしょう。
世の中における「多数派のノンケさん」と「少数派のセクシュアル・マイノリティー」との非対称性と同じような現象は、性的少数者の集まるコミュニティー内でも、同じように常に起こり得ることなのです。→FC2 同性愛Blog Ranking
トランスって?02●京都トランスジェンダー映画祭02●レズビアンなのかトランスなのか、はっきりしろ!?

前回に続いて京都大学でのトーク。トランスジェンダーの集まるコミュニティーに居るよりも、ミックス(いろんなセクシュアリティー)の場所のほうが馴染めるという遠藤まめた君。昨年からはパフナイトのスタッフにもなっているわけですが・・・そのことを、こんな風に責める人もいるのだとか。
「男子であること」上映後トーク02●レズビアンなのかトランスなのか、はっきりしろ!?
最初この話を聞いたとき、怒りが湧きましたよ本当に!。なんなんでしょうね。自分とは違ういろんな人と知り合って、刺激受けたっていいじゃないですか。そのことを責める資格は誰にも無い!→FC2 同性愛Blog Ranking
トランスって?01●京都トランスジェンダー映画祭01●「わからないこと」「揺らぐこと」を面白がりながら繋がろう。
正直、トランスのことがよくわかりません。
よく「LGBTコミュニティー」と一括りで語ったりしますし、僕もこのブログで 「LGBT可視化に向けて」だとか「LGBTの紙媒体★掲載チェック」などと安易に使ったりして来ましたが、そろそろそういう無邪気な自分を、一度疑ってみる必要性を感じる時期に突入しました(笑)。
知れば知るほど、L(レズビアン)もG(ゲイ)もB(バイセクシュアル)もT(トランスジェンダー)も、かなり違った境遇にあって、違った感性で世の中を見ているんだなぁと感じることが多いです。「マイノリティー」としての社会的な立ち位置もかなり違いますし。
わかった気になって乱暴に把握するのではなく、違いは違いとして面白がってみることは出来ないものかと以前より思っていました。特に、僕個人が「違うなぁ」と感じるのはトランスジェンダーの人たち。なぜなら僕には「性別違和」がほとんど無いから。その気持ちの部分まで踏み込んで理解することって、けっこう難しかったりするんですよ。
そんな問題意識を持っている最近の僕にとって、格好のイベントがあったので行ってまいりました。5月31日(土)に京都大学で開催された「第1回京都トランスジェンダー映画祭」です。

いまやセクシュアルマイノリティー主体で開催される映画祭は全国にいくつも出来たわけですが、「トランスジェンダー」に関する映画のみを集めた映画祭は初めての試みだったそうで。関西クィア映画祭の関連企画として開催されました。
あのですねぇ。正直、ゲイである僕にとって「トランスジェンダー映画」ばかりを見続けるというのは、なかなか難易度の高いものであり、午前11時30分~午後8時30分までの全ての上映作品を見たのですが、脳みそが疲れまくりました。やっぱり、なかなか「感情同化」が出来ないんですよねぇ(爆)。特に、16:30から上映された『男子であること~Boy I am』というドキュメンタリー映画は、インタビュー中心の映画であり、印象的な言葉が次から次へと繰り出されるわけですが ほとんど租借できぬままに終わってしまい、置いてけぼりを食らったという感じでした(笑)。アメリカに暮らす、いろんなタイプのFtM(「女性」から「男性」への)トランスジェンダーが出てきて、性別適合手術を行う人なども描かれるのですが、なにしろ展開がスピーディーで盛りだくさん。YouTubeに、映画の冒頭場面が載っているので紹介させていただきます。雰囲気と要点は掴めるかと思いますので、御覧になってみてください。
●YouTubeより~「男子であること」
印象としては、「トランスジェンダー」というアイデンティティーに「揺らぎ」を感じている人の登場が少なく、「身体の性を変えること」に執着の強い登場人物が多い映画だったという感じです。
この映画の上映後、映画祭を主宰したひびのまことさんと、このブログではお馴染みの遠藤まめた君によるトークショーが行われました。まめた君にとっては、「揺らぎの多いトランスジェンダー」として感じる日常の思いを思う存分語ることの出来る貴重な機会になったようです。
「男子であること」上映後トーク01●アメリカにおける「トランスジェンダー」
ひびのさんの発言にもありましたが、アメリカでは「反差別法」や「雇用差別禁止法」の制定を行政に要求する際に、トランスジェンダーを含めるのか否かがコミュニティー内で議論になって来た歴史があるそうです。(現在では「LGBT」という形で包括するという見解が主流になっているとのこと。)
ちなみに日本では、この点については逆転現象といってもいい状態になっており、「性同一性障害」という形でトランスジェンダーの方が先に社会的認知を得たことによって法整備が進み、「同性愛者」のライフスタイルに関する法整備は、未整備のままとなっています。セクシュアルマイノリティーの権利獲得運動は、国や地域の社会的背景によって様々に事情が違っており、一筋縄では行かない難しさを抱えています。
さてこのトーク。遠藤まめた君は、これまで他では語れなかった本音を吐露しています。彼のような立場で、いわゆる「LGBTコミュニティー」に参加していると、どういう気持ちを抱え込むのか。ハッとさせられる発言がたくさん出てくる今後にご注目ください。→FC2 同性愛Blog Ranking
よく「LGBTコミュニティー」と一括りで語ったりしますし、僕もこのブログで 「LGBT可視化に向けて」だとか「LGBTの紙媒体★掲載チェック」などと安易に使ったりして来ましたが、そろそろそういう無邪気な自分を、一度疑ってみる必要性を感じる時期に突入しました(笑)。
知れば知るほど、L(レズビアン)もG(ゲイ)もB(バイセクシュアル)もT(トランスジェンダー)も、かなり違った境遇にあって、違った感性で世の中を見ているんだなぁと感じることが多いです。「マイノリティー」としての社会的な立ち位置もかなり違いますし。
わかった気になって乱暴に把握するのではなく、違いは違いとして面白がってみることは出来ないものかと以前より思っていました。特に、僕個人が「違うなぁ」と感じるのはトランスジェンダーの人たち。なぜなら僕には「性別違和」がほとんど無いから。その気持ちの部分まで踏み込んで理解することって、けっこう難しかったりするんですよ。
そんな問題意識を持っている最近の僕にとって、格好のイベントがあったので行ってまいりました。5月31日(土)に京都大学で開催された「第1回京都トランスジェンダー映画祭」です。

いまやセクシュアルマイノリティー主体で開催される映画祭は全国にいくつも出来たわけですが、「トランスジェンダー」に関する映画のみを集めた映画祭は初めての試みだったそうで。関西クィア映画祭の関連企画として開催されました。
あのですねぇ。正直、ゲイである僕にとって「トランスジェンダー映画」ばかりを見続けるというのは、なかなか難易度の高いものであり、午前11時30分~午後8時30分までの全ての上映作品を見たのですが、脳みそが疲れまくりました。やっぱり、なかなか「感情同化」が出来ないんですよねぇ(爆)。特に、16:30から上映された『男子であること~Boy I am』というドキュメンタリー映画は、インタビュー中心の映画であり、印象的な言葉が次から次へと繰り出されるわけですが ほとんど租借できぬままに終わってしまい、置いてけぼりを食らったという感じでした(笑)。アメリカに暮らす、いろんなタイプのFtM(「女性」から「男性」への)トランスジェンダーが出てきて、性別適合手術を行う人なども描かれるのですが、なにしろ展開がスピーディーで盛りだくさん。YouTubeに、映画の冒頭場面が載っているので紹介させていただきます。雰囲気と要点は掴めるかと思いますので、御覧になってみてください。
●YouTubeより~「男子であること」
印象としては、「トランスジェンダー」というアイデンティティーに「揺らぎ」を感じている人の登場が少なく、「身体の性を変えること」に執着の強い登場人物が多い映画だったという感じです。
この映画の上映後、映画祭を主宰したひびのまことさんと、このブログではお馴染みの遠藤まめた君によるトークショーが行われました。まめた君にとっては、「揺らぎの多いトランスジェンダー」として感じる日常の思いを思う存分語ることの出来る貴重な機会になったようです。
「男子であること」上映後トーク01●アメリカにおける「トランスジェンダー」
ひびのさんの発言にもありましたが、アメリカでは「反差別法」や「雇用差別禁止法」の制定を行政に要求する際に、トランスジェンダーを含めるのか否かがコミュニティー内で議論になって来た歴史があるそうです。(現在では「LGBT」という形で包括するという見解が主流になっているとのこと。)
ちなみに日本では、この点については逆転現象といってもいい状態になっており、「性同一性障害」という形でトランスジェンダーの方が先に社会的認知を得たことによって法整備が進み、「同性愛者」のライフスタイルに関する法整備は、未整備のままとなっています。セクシュアルマイノリティーの権利獲得運動は、国や地域の社会的背景によって様々に事情が違っており、一筋縄では行かない難しさを抱えています。
さてこのトーク。遠藤まめた君は、これまで他では語れなかった本音を吐露しています。彼のような立場で、いわゆる「LGBTコミュニティー」に参加していると、どういう気持ちを抱え込むのか。ハッとさせられる発言がたくさん出てくる今後にご注目ください。→FC2 同性愛Blog Ranking