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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

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薔薇族は生きている057●内藤ルネさん追悼インタビュー~伊藤文学さん



 このブログに伊藤文学さん、久しぶりの登場になりますね。昨年の10月24日に内藤ルネさんが亡くなった数日後に、文学さんのお宅で収録したインタビューを今回は御紹介します。お二人の関係を量り知ることの出来る貴重な内容です。

内藤ルネさん追悼インタビュー●伊藤文学さん0 1
  

  その後、今年に入ってから伊藤文学さんは坐骨神経痛や、ひどい下痢に悩まされ、治ったと思ったら今度は下痢など、しょっちゅう体調を崩されているのでハラハラしています。また、経済的な身辺環境に変化があったりしていて、かなり大変な状態です。季刊薔薇族の次号発行も一時は危ぶまれましたが、副編集長の竜超氏の尽力でなんとか継続できそうです。(発売日等はまだ未定。)

 現在発売中の最新号・内藤ルネ追悼特集は、他のメディアではなかなか見ることの出来なかった「薔薇族誌面での内藤ルネ」の足跡を辿る貴重な資料でもあります。まだお手にとっていられない方は是非ご覧ください。今後も「昭和の薔薇族の歴史を捉え返す」季刊薔薇族の発行が続けられるよう、よろしくお願いいたします。FC2 同性愛Blog Ranking




★季刊薔薇族は4月12日(土)にパフスペースで行われるイベント 「竜超の超竜夜話《1》櫻田宗久 NAKED120~モデル、アイドル、カミングアウト、そして写真家としての現在(いま)~」の会場でも全巻を販売いたします。

★内藤ルネ追悼特集の内容・季刊薔薇族の購入方法につきましては、こちらの記事を御参照ください。

薔薇族は生きている056●内藤ルネ特集~男性同性愛者として生きた生涯を奔放に赤裸々に

 2007年10月24日。イラストレーターの内藤ルネさんは、急性心不全のために静岡県伊豆市の自宅でお亡くなりになりました。74歳でした。

 昨年の春から季刊となり、昭和期に発行された薔薇族を現代の目から振り返る「歴史ムック」としての発行を続けている現・薔薇族では、ルネさんの訃報を受け、当初の予定を差し替えて緊急に「内藤ルネ特集」を組みました。今回取り上げたのは昭和59年(1984年)。この年の2月号から、ルネさんは『薔薇族』の表紙イラストを担当し始め、1997年に交代するまでの14年間、『薔薇族』が「ゲイ雑誌No.1」の座を確保していた時代の「顔」を、描き続けました。

 一般メディアでの訃報・追悼記事では「日本のファンシーイラストの元祖」としての業績が語られがちなルネさんではありますが、実は十数年に及ぶ『薔薇族』の紙面では、表紙以外にも男性同性愛者としてのイラストを、数多く発表し続けていました。かつての紙面を丹念にめくってみると、表紙でお馴染みのさわやかな「ルネ・ボーイズ」だけではなく、かなりハードで陰鬱なイメージの「伯爵」というキャラクターが登場し、SMチックな性描写があったりするなど、陽と陰の両面を自由に表現しているので驚きました。また、2005年に伊豆の修善寺で行われた伊籐文学さんとの対談の模様も全文再録。こちらでも、「そこまで語ってしまっていいのだろうか」と驚くほど赤裸々に、男性同性愛者としての自身の性生活までをも含めて奔放に語ってくださっています。これこそ『薔薇族』でしか読めない内藤ルネ!ぜひ、お手にとって御覧ください。

BARAZOKU No.395 CONTENTS
特集◎昭和59年――内藤ルネ、降臨。
追悼エッセイ◎「よいことが待っている」ルネさんの言葉を信じて。(伊藤文学)
検証◎『薔薇族』に救われた内藤ルネ。内藤ルネに支えられた『薔薇族』(竜 超)
文学・ルネ対談◎いま明かされる、秘密の内藤ルネ。麗しの青年との“黄金の六年間”
ギャラリー◎内藤ルネ、漆黒の分身“伯爵”とは?(竜 超)
検証◎追想“幻の雑誌”――豪華絢爛たる二人雑誌『薔薇の小部屋』(提坂文化)
コラム◎ルネ・ボーイズの鬼っ子!?「マメダのマメちゃん」って、誰だ?(竜 超)
追悼エッセイ◎「春」をくれたルネさん ~ルネパンダ展での思い出~(akaboshi)
検証◎インタビューを通じて知る“ゲイ”としてのルネ先生!(提坂文化)
再録エッセイ◎セクシーボーイズを描く楽しさ。時を経て輝きを増す少年たち。(内藤ルネ)
検証◎BACK TO THE 薔薇族「昭和59年の巻」(竜 超)
コラム◎薔薇ひらくとき見えるもの「買い替え戦略の光と影」(akaboshi)
伊藤文学のひとりごと◎No.366「勇気ある発言を、レズビアンの女性が!」
検証◎新たなるゲイの時代と文化を構築した腕利きの「組頭」としての藤田竜――。(竜 超)
実録ギャグコミック◎伊藤文学の熟年刺青ヌード(秘)裏話(ソルボンヌK子)
コラム◎検証!バラコミ史(3)渡辺正義・三つのテーマで駆けぬけた十年間の軌跡(竜 超)
後記◎「編集室から…」(伊藤文学/竜 超/akaboshi)

※都合により、山川純一(ヤマジュン)未発表劇画の第4弾は次号掲載となりました。楽しみにされていた皆様には心よりお詫びいたします。



■昭和の同性愛文化を、そして本誌自身を「前向きに」ふりかえる…薔薇族は「読むタイムマシン」です。バックナンバーも発売中!


07年・春号(No.392)

特集◎昭和49年/それは、薔薇族の「家」だった。
・・・著名人から一般読者まで、さまざまなゲイたちが訪れては親交をふかめた『薔薇族』発行元、第二書房本社屋(=編集長・伊藤文学氏の自宅)が完成から33年目の春、負債のカタに差し押さえられ、取り壊された――。自力復刊初号では、その竣工年に焦点をあて、在りし日の“薔薇族の家”をしのびました。雑誌発行が軌道に乗り、右肩上がりの急成長を遂げていた時代の徹底検証に加え、厄落としの意味もこめて“あえて”解体工事まっただなかの現場写真も堂々の掲載!

07年・夏号(No.393)

特集◎昭和46年/日本ゲイマスコミ誕生
・・・『薔薇族』の誕生年は「=日本のゲイマスコミが産声をあげた年」でした。日本初のゲイ向けヌード・グラビアは――、文通欄は――、読者投稿は――、果たしてどのようなものだったのか? 稀少にして貴重なる図版資料を多数再録し、その疑問にしかとお答えいたします。全投稿を収録した(!)文通欄はユニークなものが満載で、当時のゲイたちの心情が手にとるようにわかります。

07年・秋号(No.394)

特集◎昭和56年/結婚と100号とアダルトビデオ
・・・創刊から10年を経て、めでたく通算100号をむかえた『薔薇族』。この年は、「薔薇族(=ゲイ)と百合族(=レズビアン)の見合い」「日本初のゲイ向けアダルトビデオの制作」等々、世間と読者の度胆をぬく試みが数々なされた年でもありました。大胆な挑戦はどのように結実したのか……ぜひお知りになってください。
※版元在庫が残り少なくなった号もございます。お早めにご注文ください!

■購入ご希望の方は、ぜひ伊籐文学さんから直接お求めください。
・・・郵便局で千円の定額小為替を作ってもらって下記にお送りください。
〒155-0032 東京都世田谷区代沢2-28-4-206 伊藤文学
月刊『薔薇族』編集長伊藤文學の談話室「祭」を参照。伊藤文学さんが自ら梱包してくださいます。編集部としても、こちらでご購入いただくのが最も「資金的に次に」つながりますので助かります(笑)。ぜひ御利用ください。

■下記の店舗でも発売中
●池袋→ビッグジム池袋店
●上野→ビッグジム上野店
●中野→中野プロードウェイ3F「タコシェ」
●下北沢→古書ビビビ



 当ブログでは昨年10月末に、内藤ルネさんの訃報を聞いた直後の伊籐文学さんのインタビューを収録しています。次回からはその映像を掲載しながら、内藤ルネ特集の中身について御紹介します。お楽しみに。FC2 同性愛Blog Ranking

薔薇族は生きている055●ゲイ向けアダルトビデオ事始め

 『薔薇族』昭和56年9月号に掲載された「ゲイ向けアダルトビデオ」の発売を告げる広告です。「ホントにアダルトビデオの広告なの?」と思ってしまうほど素朴だし、エロさに欠けますね~(爆)。


 「結婚と100号とアダルトビデオ」と題して1981(昭和56)年当時の『薔薇族』を現在の視点から振り返っている薔薇族394号には、「ゲイビデオという『黒船』が、『薔薇族』にもたらしたもの、およぼした罪」という特集を5ページにわたって掲載しています。当時の誌面からグラビアも多数紹介しつつ、ゲイビデオの発売によって以後の『薔薇族』がいかに変容してしまったのかを、文志奇狩都氏がシビアに検証しています。かなり辛らつな批判も書かれていますので、ぜひお読みください。

 さて、伊藤文学さんがはじめて制作に関わったゲイ・ビデオは『青春体験シリーズ 少年・純の夏』と題され、製作=アポロン企画、原案=木村べん、脚本・監督=三好洋一、制作=伊藤文学という布陣で1981年8月22日に売り出されました。発売元は(株)フェスタ・エンタープライズ。薔薇族を発行していた第二書房の中に設けられたグッズ販売会社でした。では、当時を回想する伊藤文学さんのコメントを御覧ください。

伊藤文学さん、薔薇族394号発売記念トーク04●ゲイ向けアダルトビデオ事始め
  

 文学さんの話に出てくる『薔薇と海と太陽と』や『愛の処刑』(三島由紀夫原作)を公開する際に使用された「薔薇族映画」という呼称は、今でもレンタルビデオ屋などでゲイビデオを分類する際に使用されたりしていますね。

 日本でビデオが発売されたのは1975年であり、その6年後である1981年当時は一般にはまだそれほど普及していなかったわけですが、雑誌『薔薇族』とタイアップして制作された薔薇族映画のビデオ化は、ものすごく大きな反響を呼び起こしたそうです。

 なにせ『少年・純の夏』なんかは収録時間が30分しかないのに18000円という、今からするとべラボーな値段が付けられているにも関わらず(笑)、かなり売れたらしいですよ。ダビング担当だった間宮浩さんは大量のビデオをヨドバシカメラでやたらと買い込むため、店員から「お得意さん」として一目置かれていたそうです。

 きっと「薔薇族映画」をビデオで見たいがために、当時まだ高価だったビデオデッキを購入した読者がたくさんいたことでしょう。ビデオデッキの普及に陰ながら貢献したのは、薔薇族の読者だったのかもしれませんね。

 薔薇族が切り拓いた「ゲイ向けアダルトビデオ市場」には、やがてポルノショップ等が続々と参入し、活況を呈します。次第に、当初はおとなしかったエロスの描写がどんどん過激な方向にエスカレートし、性器の「モロ出し」が横行するようになるわけですが、そうなると警察が黙ってはいなくなるわけで。経営者の多くが検挙されてしまう事態になってしまうわけですが、文学さんはそうなる前に「これは危ない」と察知して、アダルトビデオ市場からは早々に手を引いていたそうです。

 1971年から雑誌『薔薇族』を発行し続けてきて、何度も発売禁止を食らったり始末書を書かされたことで培われた嗅覚が働いたのでしょう。う~ん・・・ああ見えて、なかなかの「したたか者」なんですねぇ(笑)FC2 同性愛Blog Ranking

薔薇族は生きている054●文学さんが漫画になってコンビニで発売されるなんて!(←伊藤文学風)



 今、コンビニの漫画売り場で沢尻エリカさんっぽいグロテスクなイラストが目立っている雑誌 『漫画ナックルズ撃vol.3』 に、伊藤文学さんと薔薇族の歩みを描いた漫画が掲載されています。タイトルがすごい!なんたって「日本初のホモ雑誌を作った男」ですから(爆)。「ホモ雑誌」って、『薔薇族』を言い表すのにはいろんな意味でふさわしいんですよ。創刊当初は当事者の間でも「ホモ」と自らを言い表すことが一般的だったということもありますし。(昔の薔薇族を読んでると「ホモ」に違和感がなくなります。笑)



 この漫画、画風はオドロオドロしいですが中身は真面目で(笑)、薔薇族の創刊から現在に至るまでに起こったトピックが、20ページにわたってたっぷりと描かれています。創刊当初、薔薇族をレジに持っていくのが恥ずかしくて万引きした学生が、捕まって親にホモだとバレるのを苦にして自殺したという有名なエピソードから、草創期に間宮浩さんや藤田竜さんらと試行錯誤して編集した光景、男性ヌード写真の調達に苦労して「大阪のおっちゃん」に提供してもらったことなど。

 そして、80年代になってから日本のメディアで初めて「エイズ患者」との会見インタビューを掲載したことも描かれています。ただ、この頃になると『薔薇族』を語る上では「影」の部分も見落としてはならないわけですが、さすがにそこまで求めることは20ページの漫画では高望みというものですね。その後の突然の休刊と、2度にわたる復刊。そして現在も「季刊」として発行し続けていることまで、ちゃんと描いてくださったことは・・・素晴らしいですけど(笑)。

 それにしても、漫画の表紙に書かれたコピーもスゴイですね・・・↓

「同性愛が、絶対的に忌避され、ゲイたちが息を潜めて生きた時代、彼らのために立ち上がったのは、妻子あるノンケ男だった!」

 なんだか、テレビの似非ドキュメンタリーのナレーションみたいなことになってますが(苦笑)、厳密に言うと突っ込みたくなるポイントがいっぱい。まず、日本で同性愛が「絶対的に忌避」されたことなんて無かったはずでは?(←物言いが極端すぎ。笑)。あと、文学さんは「彼らのために立ち上がった」というよりは、弱小出版社だった第二書房の存続のために60年代、エロ絡みの単行本を出版していた流れで試しに「同性愛モノ」を出してみたらたまたまヒットしただけ。いわば「ニッチ市場を見つけたからこそ」社運を賭けて雑誌化に踏み切ったという商売人としての側面もあるわけです。その後、文学さんは『薔薇族』を発行しながら「同性愛者の問題」の深刻さに気付き、本気になってのめり込んで行くわけですが・・・。

 あまりにも一面的に賛美して英雄視してしまうと現実感が無くなってしまうし、歴史が嘘臭く感じられてしまいます。極端な言葉遣いっていうのは、たしかにインパクトはあるけれど、表現は薄っぺらになりますし、人間味とかリアリティーが失われてしまうもんですね。気をつけなくちゃいけないなぁと、学ばせてもらいました。FC2 同性愛Blog Ranking


『漫画ナックルズ撃vol.3』

薔薇族は生きている053●内藤ルネさんを偲ぶ02●銀座でお別れ会「アデュー内藤ルネさんの会」開催

 以前こちらの記事でもお伝えしましたが、イラストレーターの内藤ルネさんが10月24日に心不全でお亡くなりになりました。

 日本の有名人で早い時期から「同性パートナーシップ」を実践しつつ、少女イラストの大ブームを巻き起こし「かわいい」という概念を世間に定着させた内藤ルネさん。80年代から90年代初頭にかけては『薔薇族』全盛期の表紙を担当され、多くのホモ(今で言うところのゲイ)達に親しまれたルネ・ボーイズをたくさん生み出しました。自力復刊薔薇族では、藤田竜さんとの半世紀以上にわたるパートナーシップと雑誌作りについてのお話を伺う計画を立てていたのですが、間に合いませんでした。「まだ大丈夫だろう」と思っていると、高齢の方々はいなくなってしまいます。聴いておくべき話、残しておくべきエピソードは、たくさんあるはずなのですから油断してはいられません。

 後年は借金苦に見舞われたり、最晩年には「第3次ルネ・ブーム」が再来して大忙しになったりと文字通り波乱に満ちた生涯を過ごされた内藤ルネさんですが、この度、お別れ会が銀座で2日間にわたって開催されます。主催者はパートナーの本間真夫さん(薔薇族誌上における「藤田竜」さん)です。ご都合の付かれる方はぜひ、ルネさんを偲びに足をお運びください。

「アデュー内藤ルネさんの会」
12月2日(日)14:00~19:00
12月3日(月)11:00~17:00
会場:スパンアートギャラリー
東京都中央区銀座2-2-18 西欧ビル1F ※銀座プランタン並び)
主催者:本間真夫
(平服でお越しください。会費不要。)

 伊藤文学さんはルネさんの急死を受け、ご自身のブログに『薔薇族』の読者は、内藤ルネさんを忘れない!という記事をアップされています。また、自力復刊薔薇族ではルネさんの死を受けて急遽、予定を変更して2008年冬号(1月発行)にて、『薔薇族』における内藤ルネさんの足跡を特集するべく準備を進めています。世代や社会状況の問題もあって、語られることの少ないルネさんの「同性愛者としてのエピソード」ですが、きっちりとまとめておくことが必要であると考えています。FC2 同性愛Blog Ranking

薔薇族は生きている052●明かるいところへ出ようと歩いて来ました。~藤田竜さんとの100号記念対談

 よく『薔薇族』のことを語るとき、「エロスしか載っていなかった」とか「クローゼットであることを薦めていた」と単純に断じてしまう人がいるのですが、そういう言葉や文章に接するたびに思います。「早く図書館が欲しい!日本の同性愛関連の書籍が、まとめて読める図書館が!」と。

 はっきり言って、知らないからそういう乱暴な言い方が出来てしまうんじゃないかと思うんですよね。バックナンバーを気軽に読むことが出来ないから、平気で先人たちの業績に汚名を着せることが出来てしまうんですよ。残念ながら、今のままでは文化として成熟出来ませんね。過去が経験として「蓄積」されたり「共有」されて行かないわけですから。

 自力復刊薔薇族に関わるようになってから、伊藤文学さんにお借りして『薔薇族』のバックナンバー を読む機会を得るようになり、僕は何度も目から鱗が落ちました。特に、創刊から10年間にわたる『薔薇族』100号の頃までの誌面の内容の豊かさには圧倒されます。そして、意識的に「コミュニティー」を創り出そうという編集者たちの気概が伝わってきます。当事者たちへの意識啓発的な文脈から見ても、どれだけ貢献していたかわかりませんよ本当に。

 なにも海外の論文を翻訳して紹介することだけが「リブ」ではありません。日本に生きる同性愛者たちをまずは万単位の発行部数で「数」として可視化し、繋げて行ったこと。読者の日常生活を想像し、なにが喜ばれるのかを必死で探りながら、同じ目線に立って悩みや悦びを共有したこと。そしてもちろん外せないのはエロスの供給。その全ては読者を繋ぎとめるための経営戦略でもあったわけですが、結果的にそこには人間くささの横溢する清濁混交の誌面が奇跡的に創り出されていたのです。きっとその秘訣は、編集者が惜しみなく体当たりで読者にぶつかっていたからなんだと思います。

 伊藤文学というノンケで呑気な父親と、藤田竜というゲイ当事者で神経の細かい母親。主にこの2人が中心軸となって発行されていた初期『薔薇族』からは、家庭に帰り着いたかのような温かい雰囲気が漂って来ます。雑誌をめくると読者として、身も心も裸になってくつろぐことが出来るんです。(たとえそれが、当時の編集者たちの巧みな戦略だったのだとしても。笑)

03●明かるいところへ出ようと歩いて来ました。~藤田竜さんとの百号記念対談
  

 「我慢に我慢を重ねてやっと100号に辿り着いた」と振り返る文学さん。自力復刊薔薇族・秋号では、1981年5月号に掲載されていた「創刊百号記念トーク」を再録しているのですが、その中にも「そこまで載せていいのか!?」と驚くような藤田竜さんとの会話があって、面白いですよ。その一部を紹介すると・・・

藤田 ぼくはかなり長い間、伊藤さんにイライラすることが多かったわけね。
伊藤 そう。それはわかる。それはなぜかというと、波長が合わないわけね。それで、全然、価値観が別だし、まず、写真をそんなに大事に思わない。それから、文章なんかでも、そんなに自分が好きじゃなかったから、いま考えてみるとそういう傾向があったと思うんですよ。
藤田 それから、ホモの特質かもしれないけれども、ぼくは神経の細かいところがある。伊藤さんはわりとのんびりとしているでしょ。
伊藤 藤田君はどっちかというと気が短い。それで、神経質だ。ぼくはのんびりやで、そういうところからも、最初の2,3年というものは、ほんとにイライラしっぱなしだったんじゃないかと思うんです。
藤田 本のかたちになるたびにぼくはガッカリしてたのね。
伊藤 そうね。いちいち、あそこが悪い、どこが悪いとか、怒られどおしだったわけで、それが爆発すると、何度「おりる」といわれたかわからない。
<『薔薇族100号』掲載「明かるいところへ出ようと歩いて来ました。」より>

…これって、喧嘩ですかぁ?(爆)すごいですよね~この赤裸々ぶり(笑)。いまどき、ここまで読者に対して自己を晒してしまう編集者って、いるんでしょ~か。こういう感じの赤裸々トークバトル、当時はかなり誌面で見かけることが出来ます。編集部のみならず、読者同士の間でも盛んに議論が交わされたりしています。皆さん精神的にタフだったんですね~。

 あ、そうそう。『薔薇族』をバッシングするときのもう一つの常套句として「異性愛者の編集長が出していたために、当事者性が無かった」という言い方があるのですが、編集に関わっていた多くの方々は同性愛者の当事者でした。特に、その屋台骨となって支えていた藤田竜さんは内藤ルネさんとの半世紀に及ぶパートナーシップを続けたバリバリのゲイの方です。

 初期『薔薇族』は、藤田さんと文学さんとの独特の緊張関係のもとに制作されていたから、当事者性に引き篭もらずに、ゲイ以外の読者をも獲得できる「開かれた雑誌」として成立し、抜群の知名度を誇ることが出来たのだという側面を、見逃してはならないでしょう。そして、どうして90年代以前のこうした歴史が「断絶」として感じられてしまうのかを、きちんと検証しなければならないでしょう。FC2 同性愛Blog Ranking

薔薇族は生きている051●薔薇族と百合族の「お見合い会」という試みから見える、当時の時代状況

 ゲイ雑誌が「ゲイとレズビアンのお見合い」をお膳立てする!?

 今だったら「なんということをっ!」と大騒ぎになりかねない企画ではありますが、たった26年前の日本では大真面目に企画され、試みられていたのです。歴史をふりかえるって面白いですねぇ~いろんなトリビアに出会えます。自力復刊薔薇族3号は1981年を特集しているわけですが、この年の誌面に載っていた様々なトピックのうち「今の目から見て最も面白い企画」は、ダントツに『薔薇族と百合族のお見合い会』でした。

 ところで。「薔薇族と百合族」と当たり前のように書いてあること自体も、今の感覚としては驚きなわけですが(笑)、1981年当時は男性同性愛者の呼称は、今でいう「ゲイ」は一般的ではなく「ホモ」あるいは「薔薇族」という用語が広く使われていました。ちなみに「百合族」とは女性同性愛者(レズビアン)のこと。伊藤文学さんがテキトーに思いつきで言い始め、『薔薇族』誌上で多用しているうちに、いつの間にか浸透してしまったようです(爆)。

 「薔薇族」「百合族」という呼称は、雑誌に親しみを持ってもらおうと薔薇族編集部が戦略的に誌面で多用していたようですが、投書欄に寄せられていた投稿を読んでみると読者が当たり前のように面白がって使っていますし、実際かなり親しみを持たれた呼称だったようです。さらには中・高生などの若い薔薇族のことを「チビバラ」と読んだりなんかして、読者にしかわからない特殊な専門用語を意識的に作り出しては「薔薇族コミュニティーへの帰属意識」を高め、読者を繋ぎ止めようと努力していたわけですね。当時の薔薇族が男性同性愛者にとっての「オピニオン・リーダー紙」として、いかに君臨していたかが窺える事例です。

 さてさて「お見合い会」の方ですが、発端は「お話おじさん」 からの発案だったようです。

 当時、新宿二丁目のそばに「伊藤文学の談話室『祭』」という店があって昼間から営業しており、二丁目へのデビューのきっかけとなる敷居の低い喫茶店として読者に親しまれていたのですが、その店の客席には「お話おじさん」という人がいて、読者の悩みごとを聞いたり話し相手になるべく待機していたようです。つまり『祭』はカウンセリング・ルームとしての機能も果たしていたわけですね。しかも「お話おじさん」は1981年当時の薔薇族で2ページの連載コラムも持っていて、『祭』で出会った読者のエピソードを紹介し、『祭』への観客動員に貢献してもいました(笑)。う~ん。社会性と商売っ気の両立がきちんと成り立っていたなんて、やはり当時の『薔薇族』の勢いはタダモノではなかったんですねぇ。

 しかも『祭』には、ホモだけではなく女性読者も訪れていたんです。と言っても『祭』がミックスの店だったわけではなく、レズビアンたちの要望によって休業日を「百合族デー」にしたりしていたようなのですが。

 なぜかというと『薔薇族』の読者にはレズビアン・ノンケを問わず女性が結構多かったからです。大手の取次業者が「万単位で」取り扱い、全国の小さな書店にまで並べられていた当時の『薔薇族』は、それだけ幅広い人々の目に触れやすかったというわけで、女性も書店で偶然に見かけて手に取り、興味を持って読み始め、ハマる人が多かったようなのです。しかも『薔薇族』に匹敵するようなレズビアン向けの商業雑誌は発行されていませんでしたから、レズビアンの方々も少なからず読んでいたというわけで。当時の『薔薇族』の文通欄には「百合族」用のコーナーが設けられていますし、広告欄にはレズビアンサークル「若草の会」の仲間募集の広告が載っていたりもするのです。

 投書欄にはノンケ女性の声が寄せられることも多く、何度も「ホモVSノンケ女性」のバトルが繰り広げられ、特集されたりしています。「女性読者」というキーワードで『薔薇族』を振り返ってみても、一冊の本が出版できるのではないかと思えるほど、様々な要素があって面白いですよ。

 そうした背景があり、その頃の文通欄には「結婚コーナー」が設けられていました。少なからず存在する女性読者に向けて、「どうしても結婚したい薔薇族」が投稿し、出会いを求めているのです。これっていわゆる「偽装結婚」と称されるような行為を奨励することでもあるわけで、いわゆる「90年代リブ」の頃の活動家からは格好の「薔薇族バッシング」の標的にもされたそうですが(笑)、「90年代リブ」自体が歴史となった現代の視点から振り返ると、これも80年代の社会情勢が窺い知れる貴重な風俗資料として、見つめ返されるべきだと思います。

 『祭』で日々、店を訪れる薔薇族の悩みを聞き、結婚圧力の強さを嘆いていたお話おじさんはある日、ふと思いつきます。「そうだ。お見合い会を『祭』で行ってみたらどうか」と。さっそく編集長の伊藤文学さんに呼びかけ、薔薇族誌上での宣伝が始まります。「結婚圧力があるのならばとりあえず、薔薇族と百合族で結婚し、生活上のパートナーとして暮らせばいいのではないか。それならば親や親戚を安心させられるし、配偶者控除も受けられる。性生活は互いに合意の上で、別の人とすればいい。そういう出会いを求めている人が、少なからずいるのではないか」と。結婚制度を(ある意味では)おもいっきりおちょくったようにも思えるこの試み。果たして結果はどうなったのでしょうか?。当時を振り返る文学さんのトークをお聞きください。

02●薔薇族と百合族のお見合い会という試み
  

 あはは~。意気込んで参加した薔薇族たちの願いは空しく、百合族の参加は一人も無かったというわけですね。

 その後、『祭』の店内では肩透かしを食らった薔薇族たちによる「座談会」が急遽、行われたわけですが、その模様は『薔薇族1981年4月号』に「座談会・『どうしても結婚したい』」と題して克明に掲載されました。なにしろ前代未聞の試みだったわけで、当時の読者にとってはかなり、注目度が高かったのではないかと思われます。この場で語られた薔薇族たちの生活感情は具体的なエピソードに富んで生き生きとしており、(こう言ってはなんですが)すっごく面白いんですよ。この座談会をこうして後世に記録に残したというだけでも、「お見合い会」が行われた意義は十分にあったと言ってしまっていいでしょう。

 当時の生活感情を知らずに、後の時代の価値観やイデオロギーを元にして「なんて保守的な行動なんだ」と糾弾することは簡単です。しかし、そうやって過去を決め付け、先人たちが真剣に悩んできた軌跡を切り捨ててしまっていいものでしょうか。

 自力復刊薔薇族3号では、この座談会の記事を全て再録しました。そして巻頭特集「薔薇の木に、百合は咲いたか?」において、現代の視点からの検証も行ってみました。

 過去の時代状況を生きた人々のリアルな日常を想像してみることによって、はじめて現代という時代の有様は見えて来ます。しかし日本の同性愛関連資料の保存状況・保管状況は非常に悪く、なかなか過去の文献を見ることの出来る機会がありません。そのためか、かなり乱暴で乱雑な歴史認識に基く「スタディーズ本」が、堂々と書店で売られていたりするのでビックリさせられます。自力復刊薔薇族では、そうした現状への問題提起という意味合いも込めながら、今後も過去の声に素直に耳を傾けながらの発行を続けて行こうと思っています。

昭和の同性愛文化を、そして本誌自身を「前向きに」ふりかえる…薔薇族は「読むタイムマシン」です。
■下記の店舗あるいは影坂狩人・akaboshiから直接、お買い求めください。
池袋→ビッグジム池袋店  
上野→ビッグジム上野店
中野→中野プロードウェイ3F「タコシェ」

■自力復刊1号(2007年春号)は、おかげさまで残部僅少となりました。店舗販売分で最後になります。購入希望の方は、お急ぎください。また、伊藤文学さんのところに僅かですがありますので、通販御希望の方も、お急ぎください。

■通販での購入方法は月刊『薔薇族』編集長伊藤文學の談話室「祭」を参照。伊藤文学さんが自ら梱包してくださいますので、ぜひ御利用ください。

★新規取り扱い開始!
 下北沢のスズナリ横丁にある古書ビビビにて、自力復刊薔薇族の販売がはじまりました。シネアートン下北沢、ザ・スズナリとつながる建物の一角にあり、けっこうマニアックな本が集まった濃厚なテイストあふれる古書店です。文学さんが薔薇族以前に出版した同性愛モノの単行本も売ってたりします。お出かけの際にはぜひ、お立ち寄りください。
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薔薇族は生きている050●秋号の特集は「結婚と100号とアダルトビデオ」



 「歴史ムック」というコンセプトで発行している自力復刊薔薇族ですが、これまでの2号では草創期を取り上げてきました。

 3号目となる今回は一気に時代を10年飛ばし、1981年を大特集。薔薇族が乗りに乗っていた時代だからこそ出来た、驚きのビッグイベントが目白押し。紙面からあふれる市井の人々の生々しい生活感情や、編集部の人々の苦闘を通して時代の空気が感じられることでしょう。主な記事の再録も満載で「歴史の証言集」となっています。当時の薔薇族を手に取って見ることの出来る機会はなかなかありません。ぜひこの機会に御覧になってみてください。それでは、本日収録してきたばかりの伊藤文学さんからのメッセージです。
 
01●結婚と100号とアダルトビデオ
  

 1981年といえば、たのきんトリオや松田聖子の人気がブレイクし、映画『セーラー服と機関銃』がヒットした年。その頃の同性愛者に向け、文学さんたちはどのような紙面を作っていたのでしょう。文学さんのお宅から1981年の薔薇族12冊をお借りして全部に目を通したのですが、ものすごく充実した中身に驚かされましたよ。結婚問題をはじめ、現在とは社会状況が違う部分もありますが、とにかく当時はものすごく真剣に「読者の生活に寄り添い、向き合おう」という姿勢で雑誌作りが行われているんです。僕の感想も含めて今後少しずつ、紹介させていただきます。

BARAZOKU No.394 CONTENTS
●検証:ゲイ&レズビアン友情結婚プロジェクト顛末記「薔薇の木に花は咲いたか?」(提坂文化)
●再録:読者座談会「どうしても結婚したい」(お話おじさん、伊藤文学ほか)
●コラム:石の上にも10年…「読んで知れ、百号の重み。」 (文志奇狩都)
●再録:『薔薇族』十年の編集うら話「明るいところへ出ようと歩いてきました。」~気長と気短かのコンビで作り続けた『薔薇族』の歴史(伊藤文学、藤田竜)
●再録:初期『薔薇族』人気小説家 創刊百号記念随筆「『薔薇族』は歴史を持った」(楯四郎)
●検証:「ゲイビデオという『黒船』が『薔薇族』にもたらしたもの、およぼした罪」(文志奇狩都)
●コミック:「エロスもやっぱり元祖は薔薇族」(ソルボンヌK子)
●コラム:akaboshiの薔薇ひらくとき見えるもの「狭い了見女々しいわよ」(akaboshi)
●伊藤文学のひとりごと「世の中、さびしい人ばかりだ!」
●検証:BACK TO THE 薔薇族「昭和56年の巻」(文志奇狩都)
●未発表ヤマジュン劇画連続掲載第3弾「SHOW BOY ショー・ボーイ~彼と僕との愛のステージ」(山川純一)
●後期「編集室から…」(伊藤文学/文志奇狩都/akaboshi)

昭和の同性愛文化を、そして本誌自身を「前向きに」ふりかえる…薔薇族は「読むタイムマシン」です。
■下記の店舗あるいは影坂狩人・akaboshiから直接、お買い求めください。
池袋→ビッグジム池袋店  
上野→ビッグジム上野店
中野→中野プロードウェイ3F「タコシェ」

■通販での購入方法は月刊『薔薇族』編集長伊藤文學の談話室「祭」を参照。伊藤文学さんが自ら梱包してくださいますので、ぜひ御利用ください。

★新規取り扱い開始!
 下北沢のスズナリ横丁にある古書ビビビにて、自力復刊薔薇族の販売がはじまりました。シネアートン下北沢、ザ・スズナリとつながる建物の一角にあり、けっこうマニアックな本が集まった濃厚なテイストあふれる古書店です。文学さんが薔薇族以前に出版した同性愛モノの単行本も売ってたりします。お出かけの際にはぜひ、お立ち寄りください。
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薔薇族は生きている049●伊藤文学さんのところにゲイ雑誌Badi(バディ)の取材がっ!04●断絶の時代に終焉を



  ゲイ以外の方、あるいは「ゲイ・コミュニティー」に疎い方には馴染みがないかもしれないのですが、『バディ(Badi)』というゲイ雑誌があります。14年前に創刊され、今やゲイマガジン業界では売り上げNo.1を誇っている(らしい)のですが、編集部の相沢さんという方が伊藤文学さんに取材を申し込んだということを聞きつけ「これは一大事っ!」と思い、10月23日行われた取材の様子をカメラに収めました。

 01~03の映像はこちら。

 04●断絶の時代に終焉を
  

 なぜ一大事だと思ったかって?。『バディ』と『薔薇族』(伊藤文学さん)は今でも、精神的に敵対関係にあるのではないかと思い込んでいたからです。

 僕は今年の初夏からドキュメンタリー映画の撮影のために、新宿二丁目の「尾辻かな子事務所」に通うことの多い日々を過ごしていました。そこで出会う、いわゆる「ゲイ・コミュニティーの活動」に長く関わっている方の中に、僕が自力復刊薔薇族の編集に関わっていることや「伊藤文学」というキーワードを口にする度に、「感情的な忌避反応」のようなものを示す人が少なからずいました。そうした反応を示す人は皆、いわゆる「90年代リブ」の時代からコミュニティー活動に関わっている人たちでした。

 90年代に入ってからの日本の同性愛者ムーブメントは、誤解を恐れずに言ってしまえば「先行世代のクローゼット主流な生き方と、偽装結婚を『止む無し』として実行すること」を変え、「カミングアウトを進めて新たなライフスタイルを創造しよう」という空気が強くなった時代だったようです。革命というのは基本的に、先行世代を否定することで遂行されます。それは一部ゲイメディアや言論人によって、いわば「戦略的に」行われたものだと言ってもいいでしょう。

 1991年にマス・メディアで起こった「ゲイ・ブーム」の波に乗り、90年代初頭のゲイ出版界は未曾有の好景気を迎えたそうです。1994年には『バディ』が創刊され、当時の編集者・小倉東さんによって「ハッピーゲイライフ」がキャッチフレーズとして打ち出され、それまで『薔薇族』の独壇場だった「若年層」を読者ターゲットとしたキャンペーンが繰り広げられます。その際に、わかりやすい攻撃対象の一つとして設定されたのが「当事者ではないにも関わらず売り上げ第一位のゲイ雑誌を発行している伊藤文学氏」だったのではないかと僕は推察しています。当時の『バディ』を見返すと、「これまで20年間、日本の同性愛事情はなにも変わらなかった」というようなことが書かれたりしているので驚かされます。まぁ、狭い市場の中でシェアを奪い合う「ライバル誌」だったわけですから、よくある話しではあるんですけどね。

 でも、攻撃対象にされたのも無理はないかもしれません。文学さんの方も脇が甘かったわけですから(笑)。このブログで映像を御覧になっている方はおわかりでしょうが、文学さんっていわゆる「変人(←褒めてます。笑)」の部類に属するキャラクターなので、思ったことを全て、後先考えずにポンポン言ってしまうんです。政治的な戦略とか全く考えずに(爆)。だから、あの調子で「君たちは被害者意識が強い傾向にあるんだよ」とか「ホモは末っ子に多いんだよ」とか決め付け口調で言われたら、神経質な人は「キーッ!」と感情が逆撫でされてしまうことでしょう。文学さんに対して「当事者ではないくせに、わかったような口を利くな」と言いたくなる気持ちは、ある程度わかります。しかし裏を返せば「当事者ではないからこそ言えてしまう真実」もあるとも思うのです。完全否定して聞く耳を持たない態度は、その大事な果実をみすみす取りこぼすことに、なりはしないかと危惧します。

 きっとその頃の文学さんは、20年間も部数第一位の雑誌を出し続けて来たわけですから、ある意味では「権威」になっていたという面もあるのでしょう。でも、あの性格だから自分が本当に感じることしか言わないし、納得してもいないのに「義務」で動くような人でもない。だから90年代のムーブメントに『薔薇族』はどんどん乗り遅れていったようなんです。そしてますます「編集長が当事者ではないから駄目だよね」と短絡視され、攻撃されたというわけで。

 僕は「90年代リブ」の頃は大学生でしたし「ゲイ」であることに向き合う暇もないほど忙しく過ごしている「演劇バカ」だったので、パレードの開催とか「90年代ゲイ・ブーム」がメディアの世界で起こっていたことを全然、知らずに過ごしました。文学さんの過去に対しても自分の経験としての予備知識がないので、何の感情も湧きません。ただ単に「おもしろいおじいちゃん」だと思ってるし、まっすぐに言いたいことを言える性格とか、好奇心が旺盛で少年のような感性をうらやましいと思って尊敬しています。

 たしかに、「90年代リブ」という急進的な「革命の時代」があったからこそ、今では「映画祭」や「パレード」を楽しむことが出来ます。その一方で、急進的であるが故に盲目的だったり、意識的に戦略的に切り捨ててきてしまった大事なことが、たくさんあると思います。狭いコミュニティー内での市場原理や政治を優先するあまり、取りこぼしてしまった大切なことが、たくさんあるように思うのです。

 その一つは、先行世代の人々との構造的な「断絶」がそのままにされ続けていることだと思います。初期の『薔薇族』誌上では読者からの投稿の掲載が中心となっていたのですが、読者同士や編集部との豊かな精神的コミュニティーが、たしかに形成されていました。その人間的で生き生きとした交流や、「隠れていないで表へ出よう」と創刊当初から呼びかけた文学さんのメッセージにより、個別に自らのライフスタイルを創造するための勇気を得た人たちも少なからずいたはずです。

 しかし現在の語られ方では「90年代リブ以前の世代=『薔薇族』世代」は自らを偽って偽装結婚をし、クローゼットで悶々と生きていた。それは同性愛者としての生き方ではない」と言う単純な図式に当てはめられてしまったりします。果たして本当にそうなのでしょうか?。そして僕は思うのです。他人が人様の人生に対して「偽りだ」と語る資格など、本当にあるのだろうかと。そういう物言いをする人や文章に出会うたびに「何様のつもりなんだ」と言いたくなります。

 若い頃『薔薇族』に親しみ、自らを「ホモ」と言い表していた世代と、『バディ』に親しむ「ゲイ」世代との断絶。そのツケは少なからず、この夏の尾辻かな子さんの選挙結果にも表れたのではないかと思います。今回の『バディ』取材陣の文学邸訪問のようなことは、本来ならばもっと早くに、行われるべきことだったのではないでしょうか?。それこそが健全なメディア状況ではないでしょうか?

 この取材は12月20日頃発売の『バディ2008年1月号』に掲載される「日本ゲイメディアの歴史」を扱う特集記事のために行われました。文学さん以外の方にも取材が行われたようです。まずは今回の相沢さんの決断にエールを送り、どのような記事として掲載されるのか、期待して注目しようと思います。FC2 同性愛Blog Ranking

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