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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2023-12
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自己と他者

僕の見ているものは「僕が」見ているもの
君の見ているものは「君が」見ているもの

僕の中にある君と君の中にある僕
互いについ
見たいものを見てしまう
見たくないものは見たくない

それが「視点」
それが「経験」
それが「本能」
それが互いに惹かれあう他者というもの

捉え方の違いを埋められるのは
言葉なのか
それとも
言葉を超えたものなのか

埋めなくてもいい
そう思ったときに
他者は完全なる他者になる

埋めたい
そう思っているならば
自己と他者は混ざり合い
交歓し合う喜びを期待する

なんと楽しく
なんと難しいことなのか



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コメント

この記事へのコメント

●at 2005-09-10 18:56の鍵コメさん。
心と身体が同時に交歓できるには、互いに努力が必要だし、
だからこそ気持ちがいいものなんでしょうね。
3人の関係がすごくいいですね。
通じ合えるものがある人を見つけられた幸運を大事にして
ぜひ納得のできる作品を生み出してください。
作品というものは、関わった人たちの関係性そのものも滲み出るものだと思うので
きっと、すごいものができるのではないでしょうか。

捉え方の違い…を見つけたときに俺は言葉に出すのではなく
心の中でそれもそうだけどちょっと違うだろ!みたいなことを思うだけ
になっている気がします。
たとえあまり好きでない人とも、好きな人とも、これを言葉に出して
伝えて埋めたい!と思うことで喜びが生まれるものなんですね…
まじ勉強になります泣)

●highlightさん。
実は僕もけっこう、言いたいことを心の中に呑み込んでしまうことがあるよ。
でも、どちらかと言うと「言ってしまうこと」が、人よりもかなり多いみたい(笑)。
会社やそれ以外の場でも、けっこう人とぶつかることの多い問題児です(笑)。
・・・言わないでモヤモヤしているより、言ったことで一時的にはなにかが壊れたとしても
また新しく再生してくるものを見つけるほうが楽しいし有意義だと思うから。
でも、それは周囲の環境や、周りの人たちが「言わせてくれている」んだとも思う。
そのことへの感謝の気持ちは忘れてはいけないと思っています。

埋めようとする架け橋って、勇気がいるけど素敵だと思う。他者とのかかわりや矛盾の中で生きてるからこそ、ね。

●立さん。

この詩、ひさびさに読み返してみました。
「埋めなくてもいい
そう思ったときに
他者は完全なる他者になる」
・・・こんなこと書いてたんですね。
僕は、こう割り切る能力がどうやら欠如しているみたいで、
それはそれで問題なんじゃないかと思うときも多々あります。
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