捉えたいと思っても
捉えきれないのが「現実」。
複雑で流動的で曖昧で。
僕には自分がたまたま立っていた場所から、
たまたま見ていた方向のものしか記録できない。
その無力さに打ちひしがれたり、
逆に面白いと思ったり。




→FC2 同性愛Blog Ranking週末、
カメラ片手に巡った関西。
行く先々で予測は常に裏切られ、
「自分の頭で想定できること」なんて、
現実の複雑さに比べたら、
たかが知れているんだと思い知った。
やわらかくあるために、
「動く」ことは不可欠だ。
いろんな人から教わった。
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呪文
「こころが折れそうになった」
この言葉読んでる方も”泣きたくなるようなフレーズ”で、akaboshiさんて
強いと再認識しました。
自分は折れそうな時にはこんな”呪文”を自分に言い聞かせます。
『人の歩みを止めるのは絶望ではなく諦め。人の足を進めるのは希望ではなく意志』
写すだけって辛い立場だけど、「必要な存在」。
だからみんなakaboshiさんを信頼してくれているハズ!
頑張って下さい(自分も陰ながら、応援しています)
この言葉読んでる方も”泣きたくなるようなフレーズ”で、akaboshiさんて
強いと再認識しました。
自分は折れそうな時にはこんな”呪文”を自分に言い聞かせます。
『人の歩みを止めるのは絶望ではなく諦め。人の足を進めるのは希望ではなく意志』
写すだけって辛い立場だけど、「必要な存在」。
だからみんなakaboshiさんを信頼してくれているハズ!
頑張って下さい(自分も陰ながら、応援しています)
●FeliscutusverX さん。
「映像を撮ること」って、現実の断片を切り取る「選択」をし続けることなので、その選び方を失敗したと感じる時に、たま~に落ち込みます(笑)。あと、カメラを廻していない時に限って「ものすご~く撮っておきたかった場面」が目の前で繰り広げられた時。
かといって「もういっぺんやってください」と作為的に撮るのは好きじゃないし、同じ瞬間は二度と訪れないわけですから、「あきらめる才能」も必要なのかもしれないと思ったりします。
かといって「もういっぺんやってください」と作為的に撮るのは好きじゃないし、同じ瞬間は二度と訪れないわけですから、「あきらめる才能」も必要なのかもしれないと思ったりします。
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